空の深淵 -6-


意識を失っていたのはほんの数十分のことで、気が付いたらサンジは大騒ぎの最中だった。
「大丈夫かい?」
エースに抱きかかえられて、まだぼうっと霞んだ頭のまま起き上がる。
部屋の中はライトで照らされ、大勢の人間が動き回っていた。
輪の中心にいるのはゾロだ。
難しい顔をしたおっさん達に囲まれ、詰問されている。

「これらがみんな、ヴァンパイアと言う確証はなかろう」
「それじゃあ何か?一人でも人間が混ざってたら殺人罪ってことか」
「しかし、現実に幾つもの紋章が落ちている。ヴァンパイアも同席していたことは確実だと思うが・・・」
「ハーフやクウォーターを、どうやってヴァンパイアと認識する?」
「人間を襲った奴はすべてヴァンパイアと見做しても良かろう。非常事態だ」
「どちらにしろ、今後このようなことは増える。今のうちにきちんと検証して定義を決めなければなるまい」
ああだこうだと意見を交わされる中で、ゾロは憮然としたまま黙って腕を組んでいた。
この騒ぎがうるさくて堪らないらしい。
ふとこちらに視線を移し、サンジが気付いているのを見つけ破顔した。

「気が付いたか」
おっさん達を勝手に押し退け、大股で近付いてくる。
まだ話は終わっとらん!と叫ぶ声も綺麗に無視だ。
正面から見ると、ゾロは全身に返り血を浴びたままで白いシャツがどす黒く染まっていた。
エースは顔を顰めて片手を振り、追い払う仕種を見せる。
「そんなナリでいつまでいる気だ?とっとと着替えるか身体洗って来い」
「今まで、あのおっさんらに拘束されてたんじゃねえか」
「当たり前だろう、お前さんの姿はどっからどう見ても大量殺人犯にしか見えねえよ」
よいしょと掛け声が上がり、死体を乗せた担架が部屋から運び出された。
掛けられた布の隙間から流れ落ちる長い巻き髪に、サンジははっとして身体を強張らせる。
「・・・すなって・・・」
「あん?」
サンジが何か言いかけたと見て、ゾロが顔を寄せる。
その頬についた幾つもの血の筋を見て、サンジはエースの腕の中で身震いした。
「殺すなって、言っただろうがっ」
怒りに震えながら、押し殺した声で詰る。
だがゾロは涼しい表情のままだ。
「今更何言ってやがる。いつもの狩りと同じことだろうが。まだまっ昼間だったってだけで、てめえが襲われるところを俺が狩る・・・同じことだろ」
「けど、女まで―――」
ゾロは片方の目だけ大きく見開いた。
口元には嘲りの笑みが浮かんでいる。
「女がなんだ、てめえのここに牙剥いて噛み付くんなら男も女もねえだろうが。それともなにか?たまには思い切り吸われてみたかったか?」
肌蹴られたままのサンジの襟元から手を差し込み、きつい力で首元を掴むとわざと肌に爪を立てた。
「――――!」
サンジは表情を強張らせたまま硬直した。
エースはサンジを抱き寄せ、もう片方の手でゾロの腕をきつく払う。
「てめえの好きそうなあんな女なら、願ってもねえよな。邪魔して悪かったな」
蔑むゾロから背を向けさせるように、エースはサンジを抱えて身体の向きを変えた。
「もういいから、ゾロは事情聴取受けて来い。サンジはしばらく別室で休んだ方がいい」
包んだ毛布ごとサンジを抱き上げると、仲間のハンターに声を掛けエースは足早に部屋から出て行く。
成すすべもなく運ばれながら、サンジはエースの肩越しにゾロを振り返った。
周りの人間に遠巻きにされながら一人佇む姿は、どこか途方に暮れた子どものようだった。




雨が降りしきる中をエースは全力で走り抜け、酒場の裏から例の部屋へと飛び込んだ。
マスターは相変わらず、知らん顔だ。
何があったともどうしたとも聞かず、見ない振りをしてくれている。
そう言えばさっきのレディもこんな酒場にいたと思うと、それだけで胸が締め付けられるように痛くなった。
ヴァンパイアに、男も女もない。
確かにそうだろう。
今までサンジを狙ってきたのがすべて男のヴァンパイアだったから、特に抵抗はなかっただけで。
名立たる女ヴァンパイアも確かに存在する。
さっきのレディも、ハーフかクウォーターかはわからないが間違いなくヴァンパイアの血を引いていた。
そういう意味で、ゾロが取った行動は正しい。
ハンターとしたら当然のことだ。
そうだと頭ではわかっているのに、どうしても認められない。
ハーフやクウォーターが存在するなら、女性も子どももいるのだろう。
そんな者達も、ゾロはこれから狩るのだろうか。
止めをさせば塵と変わるヴァンパイアではなく、血を流し呻き声を上げながら身体を横たえ死体となるヴァンパイア。
しかも彼らが本当にヴァンパイアだったのかなんて、調べる手立てが今はない。

「大丈夫かい?」
ベッドに下ろされ、エースに前髪を掻き上げられた。
サンジははっとして、青褪めた表情のままコクコクと頷く。
「シャワー、浴びてきた方がいいだろ?返り血浴びちゃってるし」
確かに、ゾロほどじゃないがサンジの身体も血で汚れている。
自分を抱きかかえた女の力が抜けていくのも、その目が驚愕に見開かれ、妖艶な口元から血の泡が吹き出すのも間近で見ていた。
もう、あのレディはいないのだ。
あんなに美しかったのに。
あんなに綺麗な声で囁いて、いい匂いをさせて、しなやかな身体をしていたのに。
もう、死んでしまった。
ゾロが、殺した。

「サンジ・・・」
エースは痛ましそうにサンジの顔を覗き込んで、慰めるように髪を梳いてくれた。
「ハーフヴァンパイアは、やはり半分人間なんだ。塵と化していたヴァンパイアとは勝手が違う。血が流れるし肉体が消え去ることはない。死んだ後荼毘に付して、後に紋章が残されればヴァンパイアだったという証になる。けれどその紋章も不完全で不恰好なものばかりさ」
「知ってたのか?」
「隣の村で、そう聞いた」
だからゾロの嫌疑もすぐに晴れると、元気付けるように肩を擦ってくれる。
それにも首を振って、サンジはゆっくりとエースの身体を押し退けた。
「ゾロは、ゾロは平気なんだろう。ヴァンパイアであっても人間であっても、あいつにはなんの違いもない。だから平気で女でもああやって斬り殺せるんだ。もし・・・子どもだったとしても―――」
サンジは嫌悪を露わにしながら、顔を歪めた。
「あいつは、ヴァンパイアだという理由だけで、すべてを殺すことができるんだ」
―――そんなのは、ただの人殺しだ。
そう吐き捨てるサンジの背中を撫で、エースはそっと身を寄せた。

「サンちゃんの言うとおりだと思うよ。ゾロは、常軌を逸したところがある」
まだ震えているサンジの手を取り、自分の掌で包み込む。
エースの手は、雨で濡れていてるせいかやけに冷たい。
「けれど仕方ないんだ。彼の両親はヴァンパイアに殺されている」
サンジは無表情のまま頷いた。
「知ってた?」
「知らない。けど、多分そんなことだろうとは思ってた」
身内を殺されたでもしなければ、あれほど強く憎まないだろう。
「サンちゃんが、ゾロを敵と思うのと一緒かな」
「・・・違うよ」
そこだけはきっぱりと否定して、それから困ったような顔でエースを見上げる。
「俺の、その感情とは違うよ。あいつのがよほどはっきりしてる、それに単純だ」。
「そうだね。実に単純明快で、それ以外の選択肢がないほどに」
エースも困ったように首を竦めて見せた。
「サンちゃんの中で、復讐心が育ってないことは俺にだってわかるよ。君はモノの本質を見定めることができて、過去に囚われるほど愚かじゃない。そんな君がゾロの側にいることは、いいことだと俺は思っていた」
けれど・・・と躊躇いながら言葉を紡ぐ。
「君がゾロの側にいるのが辛いなら、無理にいなくていいと思う。こんなことはこれからドンドン増えるだろう。ゾロはハンターを止める気がないし、これからハーフやクウォーターを手に掛けるなら、それこそハンターか殺人鬼かわからなくなってしまう。優しい君は、きっとそれに耐えられない」
「そんなこと、ねえよ」
優しくなんかない、とサンジはムキになって否定した。
確かに女に目がないのは認めるとしても、だからといって誰しもに愛を注げるほど心の広い人間でもない。
「ゾロが遮二無二殺しを続けるのなら、あいつの枷になれればいい。奴の方が正しいとしても、時には止めて邪魔をして、その刃がこちらに向くなら甘んじて受けてやる。あいつにとったら、“餌”である俺もまた、ヴァンパイアと同類なんだ」
そこまで言って、辛そうに俯いた。
「いつもさっぱりしていい奴なのに、時々ぞっとするほど冷たい目で俺を見る。多分、俺に“餌”の価値がなけりゃ、斬り捨てたいくらい俺の存在が忌々しいんだと思う。わかるだろ、一緒に居ればそういうこと」
「サンちゃん・・・」
エースは力なく名を呼んだが、考えすぎだよとは慰めなかった。
「でも、俺はヴァンパイアの血を引いてるから誰も彼もが“悪”だとは思えねえ。吸血の衝動に駆られてもちゃんと自制して人間として生活しているハーフやクウォーターだって、きっといると思うんだ。そんな彼らまで無理に引きずり出してすべて成敗してしまうのは、抵抗がある。だから、そんな時俺はゾロを止めたい。身体を張ってでも、絶対に止めてやりたい」
きっと、瞳に力を込めて顔を上げる。
「ハーフやクウォーターに生まれついたことは、そいつの罪じゃねえはずなんだ。そうだろ?」
正面から見上げたエースの顔は、サンジが驚くほどに白かった。
逆にうろたえて、エース?と声を掛けた。
「・・・ん、いいや」
一瞬の間を置いて、エースはいつもの柔らかい笑みを顔一杯に浮かべた。
「やっぱり、サンちゃんは優しいな」
「違うっつってだろうが」
「いいや」
エースは正面からサンジの身体を抱き寄せ、ぎゅっと力を込めた。
「サンちゃんだって、好きで“餌”になったんじゃねえものな」
たまたま、死に掛けた街でゼフに出会って。
救われただけの命―――

「ヴァンパイアは命を奪うだけじゃねえ、時にそのエナジーを人間に与えて病を癒すことができる」
エースの呟きに、サンジは身を捩って顔を向けた。
「ヴァンパイアのみんながみんな、悪者じゃねえってことはないかもしれねえけど、そうして気まぐれに救われた命があるのもまた事実だ。そのことを知ってるサンちゃんが、こうして存在していてくれることが、俺にはすごく嬉しいよ」
目を閉じて呟くエースの横顔は、何故か切なそうに見えた。
厚い胸板に頬を押し付ける体勢に困りながらも、サンジはそっと腕を伸ばしてその背中を抱きとめる。
ゾロとは違った冷たい肌が、火照った頬に心地よい。

「さて、と。俺はまた現場に戻ってくるよ」
唐突に身を起こし、エースはぱっと身体を離した。
サンジは両手を挙げた体勢のまま、ぱちくりと瞬きしている。
「このままサンちゃんと一緒にいると、あれこれ悪さしたくなっちゃうからね。後でゾロに殺されるのは勘弁だ」
「・・・なんでゾロが出てくんだよ」
不満そうに口を尖らせると、エースは殊更明るく笑ってサンジの頭を乱暴に撫でた。
「ゾロにとっては久しぶりの、大切なパートナーなんだ。大事にしないと」
「久しぶり?」
聞きとがめたサンジに、エースはわざとらしく「あ」と口元を手で押さえた。
「ゾロからは、聞いてないよね」
「だから、あいつはなんにも話さないって」
本当に、必要なことさえ何も話さない。
サンジから過去を問うこともないし、ゾロとの距離はいつだって空いたままだ。

「昔ね、ゾロにもパートナーがいたんだよ。幼馴染でゾロより剣の腕が達者な女の子」
「え?!」
驚きに、思わず声が出た。
「女の、こ?」
「そう、くいなちゃんって言ったかな。勝気な瞳の、とても綺麗な子だった。明るくて可愛らしくてね、ハンターの間でもちょっとしたアイドルだった」
意外だった。
意外すぎて、言葉も出ない。
ゾロに、そんなパートナーがいただなんて・・・

「けどね、そんなくいなちゃんも殺されてしまったんだ」
一気に暗くなったエースの表情にその先を察して、サンジは耳を塞ぎたくなった。
それ以上、聞きたくない。
「狩りの最中にね、ヴァンパイアに殺された」
ああ、やっぱり―――
「ゾロが、一人で狩りをするようになったのはそれからかな。あちこち放浪しながら、闇雲に狩るばかり。くいなちゃんを殺したヴァンパイアの首はもう獲っていたのに、ゾロにとって終わりはないんだね」
沈んだエースの口調そのままに、サンジもまた沈痛な面持ちで頷いた。

わかっていたはずなのに。
ゾロは、大切な人をヴァンパイアに殺されたのだということを。
それを事実として受け止めていながら、もっと悲惨な過去があったことに敢えて目を向けていなかった。
ゾロには恋人がいたんだ。
綺麗で可愛いらしくて強い、かけがえのないパートナー。
そんな女性を殺されて、その日からゾロの魂もまた死んだのだろう。
今はただ、復讐のためのみに生きる怨霊のような存在でしかないゾロ。
わかっていたはずなのに、どうしてこんなに胸が痛い。

「余計な話しちゃったね、じゃあね」
ポンと軽く頭を叩くと、エースはそのまま部屋を出て行った。
入れ違いみたいに、部屋の明かりがぽっと灯る。
明るい部屋の中に一人取り残され、サンジはベッドの上で胡坐を掻いたまま肩を落とした。

エースは、何もかもお見通しなのだろう。
自分がゾロに惹かれていることも。
ゾロにはその気がないことも全部わかっていて、俺が傷付かない方向へと導いてくれようとしている。
優しいというなら、それは全部エースのことだ。

サンジは自嘲して、俯いた。
さっき、ゾロに戯れに首元に触れられ、爪を立てられただけでイってしまった。
そのことだって、エースはきっと気付いてる。
だから毛布ごと包みこんでこの部屋まで運び入れてくれた。
自分ではどうすることもできない、浅ましい“餌”の性。
女ヴァンパイアに舐められた時だって、もう身体は本気で欲していた。
どこまでも喰らい尽くされ、貪られたい“餌”の衝動。
この地獄からは、もう一生抜け出せない。

サンジは口元を歪め、声に出して笑いながらベッドに倒れ付した。
哄笑をシーツに吸い込ませ、己の身体を掻き抱く。
ゾロやエースがこの部屋に戻る前に、新たに湧いたこの熱を放たなければ。
きっとエースが、時間をくれる。



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