空の深淵 -4-


「待たせたな」
サンジは両手に大皿を乗せて振り返った。
二人で話し込んでいる内に、随分と豪勢な食事が出来上がったようだ。

「うわ、すげえ」
エースは感嘆の声を上げ、その場で椅子の上に乗った。
さらに高みから見下ろすようにして、テーブルの上に並べられたご馳走に見入る。
「とんでもねえやサンちゃん、まるでプロだぜコックさんだぜ!」
すっかり興奮したエースの隣で、ゾロも低く唸った。
一緒に旅をして来たが、まさかここまで料理上手だとは今まで知らなかった。

「お世辞はいいから、とりあえず座れよ。久しぶりだから味の保証はねえぜ」
取り澄ました顔をしながらも、サンジの頬がほんのり上気している。
料理できて嬉しいのだろう。
「じゃあ早速、いただきまーす!」
「・・・お前今日、食ってばっかりいるんじゃねえか」
ゾロの呆れた突っ込みも無視し、頬袋をパンパンに膨らませたままエースは美味いー!と叫んだ。
「ほんっほ、ふんはいはんはん」
「わかった、いいから黙って食え」
勢いの良いエースに苦笑しつつ、サンジはちらりと正面に座るゾロの顔を見た。
ゾロもまた、子どものように頬袋を膨らませてがっついている。
「クソ美味えだろ?」
そう言って顎を上げれば、ゾロは目線だけで頷いた。



「はー食った食った」
はち切れんばかりに腹を膨らませ、大満足の態でエースは勝手にベッドの上に寝転んでいる。
昼までたっぷり寝たサンジとさっきまで寝ていたゾロは夜になっても眠くならないが、エースはもう眠そうだ。
瞼をとろんとさせて、手枕で舟を漕いでいる。
「もう帰れよ、あんまり夜が更けるとやばいぞ」
片付けを終えたサンジが煙草を咥えながら振り返る。
エースは目を閉じたままふにゃんとだらしなく笑った。
「やばいのはヴァンパイアの方っしょ。なんせ俺はハンターだから〜」
「どうだか」
サンジはつい癖で、カーテンを捲って外を見る仕種をしてしまった。
そこには仄かな明かりに照らし出された無機質な壁だけ。
地下だったっけか。

「それよりサンちゃんこそ働きすぎだよ。あんな美味い飯まで食わせてくれたんだもん、もう休もうぜ」
そう言いながら、勝手にシーツを捲って懐へと手招きしている。
ゾロが後ろから鞘でゴツンと頭を小突いた。
「いいから帰れ」
「ここはサンちゃんち!」
言いながら、シーツの上でクロールするように腕を掻いている。
「あんまり暴れっと、傷が開くぞ」
「え、怪我してたのか?」
目を丸くして覗き込めば、エースは悪戯っ子みたいに瞳を輝かせて上着を脱いだ。
その仕種にサンジの方がたじろぐ。
「なんだよ」
「いや、このままじゃシーツ汚しちまうとおもってさ」
血が滲んだ包帯をスルスルと解き始めた。
一応荷物の中に包帯一式は準備してあるから、替えてやろうかとサンジが立ち上がりかけるのを制す。
汚れた包帯の下から現れた皮膚はうっすらとピンク色の引き攣れが残ってはいたが、傷はほぼ塞がっていた。
「ホラ、治った」
「包帯がこんなに汚ねえのに?」
捨てといて、と勝手にゴミ箱に投げ入れながら上着を着直す。
「サンちゃんのお陰だって。俺、美味い飯食うと傷の治りが早いんだ」
「ありえねー・・・」
「それなら俺は、酒飲んで寝ると早く治るぞ」
「ありえねーし」
ヴァンパイアよりよっぽど化け物揃いだと呆れて両手を挙げたサンジに、ゾロもエースも揃って笑った。



ゾロがシャワーを浴びて出て来ると、ベッドの上に倒れこんでいたエースはうつ伏せのまま寝息を立てていた。
「なんだこいつ、ほんとに寝ちまったのか」
「疲れてんだよ」
低めた声でそう応え、サンジはそっとシーツを肩まで掛けてやる。
「何が部屋を貸す、だよ。てめえが先に寝てどうする」
「まあ、俺らはゆっくり寝たからな」
灯りを落とすと、元々日の射さない部屋は真っ暗になる。
キッチンの灯りだけ点けて、サンジはテーブルの上の灰皿に煙草を揉み消した。
立ち昇る紫煙を追うようにして、じっと天井を見上げる。
少女趣味とも言える華やかな装飾の部屋に、男三人が寝泊りするのはなんとも奇妙だ。

「どうした?」
サンジの横顔に何か感じたか、ゾロは首にタオルを掛けたまま向かいに座った。
新しい酒瓶を開けてラッパ飲みする。
「いやあ、愛されてんだなあと思って」
思わず口にした酒を噴き出しかけた。
「な、んだって?」
「ん?この部屋の持ち主だった女性だよ」
サンジは新しい煙草に火を点けて、深く吸った。
「ヴァンパイアの“餌”だったって言ってたけど、多分すごく愛されてた」
「なんでそんなことがわかる」
「窓だよ」
「窓?」
表まで塗り込められた、日の射さない陰気臭い窓のどこに愛情を感じるのだ。

「ただ“餌”として飼うだけなら、普通の城にだって住まわせとけばいいんだ。人間だからね、日の光は平気だし昼間は起きて夜は眠るし。食事したかったら夜だけ忍び込んで血を吸えばいいだろ」
元“餌”だったサンジが言うと、なんだか生々しい。
「なのにこの部屋は地下に作られ結界を張って、完全防備だ。ここは女性だけが暮らす部屋じゃない、飼い主のヴァンパイアも一緒に暮らす場所だった」
サンジはぐるっと部屋を見回し、備え付けられたキッチンとシャワー室と、何より大きなベッドに目を細める。
「ここは、ヴァンパイアにとっても大切な“家”だったんだよ。愛する人と一緒に過ごす時間があった。愛しい人を閉じ込めることに胸を痛めながらも、自分もまたここで長く暮らせる工夫をしてたんだ」
ゾロはサンジの横顔を見つめた後、けっと横を向いた。
「馬鹿馬鹿しい、食事以外にすることがあったんだろ」
「それでも、睦み合うことに変わりはない」
サンジはむっとしてゾロの顔を睨み付ける。
「ハーフやクオーターが増えてるってことは、ただの化け物と人間という関係性が、崩れてきてるんじゃないかな」
「だからなんだってんだ、どっちにしろ化け物の血を引く化け物が増えてるだけだ」
ゾロは不機嫌そうに空の瓶を置いて、大股で戸口に向かった。
壁に凭れ、三本の刀を胸に抱く。
「しかも人間に紛れるだと?厄介な。人の面した化け物なんざ、性質が悪い」
「ゾロが・・・」
サンジは言いかけて止まり、きっと顔を上げた。
「お前が言ったんだぞ、ヴァンパイアは愛を知ったときから生きられないと」
「それは俺の師匠の言葉だ」
「それでも、事実ジジイはそうして死んだ」
サンジの強い口調に、ゾロはそれ以上言い返さず押し黙る。
「お前がどう思おうが勝手だが、知りもしないくせに人の気持ちまで否定するようなことは言うな」
気色ばむサンジに辟易したのか、ゾロはそのまま目を閉じてしまった。
もう眠る体勢だ。
これ以上何を言っても、聞く耳なんて持たないだろう。

サンジは煙草を灰皿に押し潰すと、乱暴な仕種でシャワー室へと向かった。
出て来る頃には、ゾロも本格的に寝ているだろう。
狩りのない夜にゾロと二人きりで過ごすのはなんとも居心地が悪くて苦手だったから、エースがいてくれるのは結構助かるかもしれない。
けれど今晩、自分はどこで眠ればいいのか。
悩みつつ、サンジは久しぶりにゆっくりとシャワーを浴びた。





パチリと明かりが灯されて、瞼の裏が赤くなる。
人が動く音と香ばしい匂いが同時にやってきて、目が覚めるより先に聴覚と嗅覚が動いた。
――――あれ、朝かな?
寝ぼけながら、パチパチと瞬きをする。
視界に入った花柄の壁紙から天井へと、視線を移しながら寝返りを打つと背後に暖かいものが当たった。
「おはよう」
「・・・は?」
背中にぴったりと張り付くように添い寝しているエースがいた。
肩肘を着いてにっこりと邪気のない笑顔を見せる。
「ゆっくり眠れたかい?ハニー」
「はわわ?!」
吃驚して反射的に身体を捻った。
シーツごと蹴り上げれば、エースはえええ?と頓狂な声を出してそのまま背後に倒れている。
「あいたぁ!」
ベッドから蹴り落とされ、逆さま状態だ。
向こう側に突き出された二本の足が、妖しいオブジェのよう。
「な、ななななにしてんだよ!」
ベッドの上でずり下がり、壁際にいるはずのゾロを見やる。
刀を抱いた姿勢のまま、まだ夢の中だ。
お前、なにやってんだと文句を言いかけて、そりゃないだろと慌てて飲み込む。

「ひどいなあサンちゃん」
寝癖頭をそのままに、エースはベッドの向こうからひょこっと顔だけ見せた。
「朝ごはんの支度ができたから、起こしてあげたのに」
「はあ?」
改めて見回せば、見知らぬ部屋。
というか、昨夜からここに住みついたんだった。
けど、ベッドに入った覚えはないぞ。
確か昨夜はキッチンの隅っこに横になったはずだ。
別に熱くも寒くもないし、野宿よりよほど快適だと思ってそうしたはずなのに・・・
「なんで俺をベッドに引っ張り込んでんだよ!」
「人聞き悪いなあ、あんなとこに寝てたら風邪引くからってお連れしたんじゃないか」
「ならお前が床で寝ろ」
「そんなクールなサンちゃんも魅力的だね」
ベッドから蹴り落とされたというのに、エースは怒る素振りもなく立ち上がって手招きした。
「とにかく、朝ごはんできたよ。昨夜はサンちゃんにご馳走してもらったし、とても敵わないけどそれなりのご飯が用意できたから、よかったら食べてよ」
「あ・・・ありがとう」
先ほどからいい匂いがすると思ったら、テーブルにはちゃんと3人前の朝食が準備されていた。
さすがに悪いな、とサンジも反省する。
「ごめんな、俺吃驚して」
「いやあ、よく寝てたもん。ベッドに運んだ時も気付かなかったし、あれやこれやしても全然目エ覚まさなかったよ」
「・・・は?」
「や、冗談」
どこまでが本当なのか嘘なのか、わからない。
不安に駆られるサンジを余所に、エースはフライパンを片手にくるりと振り返った。
「さて、それじゃあゾロを起こすのはどっちにする?俺がフライパンで殴ろうか。それともサンちゃんが」「蹴る」
サンジは返事と同時に、うずくまるゾロの脇腹を蹴り飛ばした。


「美味いな、エースは料理上手なんだな」
「いやあ、買ってきたパンにソーセージ、それに目玉焼きつけただけだから」
「でもコーヒー、めっちゃ美味い」
「そりゃ嬉しいよ」
和気藹々と食事を楽しむ二人を恨めしげに見ながら、ゾロは黙ってコーヒーを啜っていた。
まだ痛む脇腹を擦り、同時に振り下ろされたフライパンで作られたコブにも手を当てる。
「揃いも揃って、ろくな起こし方しやしねえ」
「あん、何か言った?」
「ゾロ、コーヒーのお代わりはどうだ?」
親切ごかしに笑顔の二人が、却って不気味だ。

「それで今日は、どうするといいんだ」
「うん、俺これからハンターの組合に言って打ち合わせしてくるよ。なんせゾロはあまりよく思われてないからさ、一応組合だけ加入して顔つなぎしといた方がいいと思うんだよね」
「なんだよ組合って」
そんなことも知らないのかと、エースは大げさに首を竦めて見せる。
「ハンター同士の情報交換と互助会だよ。もしもハンターが回復不能な大怪我、または死亡した時には残された家族に支払われる保険金の制度もある。今はどの町に行っても、ある程度組織化されてるだろ」
そんなん知るかと、ゾロは横を向いた。
「呆れたね、失う者のない一匹狼はこれだから行けない。昔はならず者がそのまま手っ取り早い賞金稼ぎの手段としてハンターになったって聞いたけど、そういう意味ではゾロは過去の遺物だな」
「やっぱり、ハンターにも家族がいるよな」
サンジは真面目な顔で頷いた。
「大体は養うべき家族がいて、色んな事情を抱えてやむなくハンター稼業をしてる者のが多いんだ。だからこそ、助け合う形が成り立ってる」
「裏を返せば、ハンターでも家族を持って真っ当な暮らしをしていけるってことだろ」
サンジの言葉に、エースは「お」と目を剥いて見せた。
「そん通りだよサンちゃん。ゾロみたいに若いうちに荒稼ぎしてるもんは、いつ止めたって充分暮らしていけるだけの稼ぎを得てるんだ。いつだって足を洗える」
「馬鹿な」
ゾロは横を向いたまま、吐き捨てるように言った。
「俺は金のために狩ってんじゃねえ、奴らを根絶やしにするまでは足を洗うつもりもねえしな」
「足洗うどころか、先にお前の寿命が来ちまうよ。奴らに取ったらハンターなんて人間も泡沫の夢のような儚さだ」
「それなら、生きてる間に狩るだけだ」
「ゾロ」
サンジは硬い表情でゾロを真っ直ぐに見つめた。
隣で口を閉じたエースは、そのまま視線をゾロへと向ける。
パンを頬張りながら、ゾロは挑むようにサンジの顔を見返した。
「お前は、なんのために生きてるんだ?」
からかうでもなく哀れむでもない、ただひたすらに真摯な問いに、ゾロは片頬を歪めて答えた。
「ヴァンパイアを殺すためにだ」
ああ・・・とサンジは心の中で嘆息する。
いっそ清々しいほどに、恨みを晴らすことだけ情熱を傾ける復讐鬼。
ゾロが見つめる先には、ヴァンパイアの影すらないのだろうか。
彼の未来には、死の紋章と己の破滅しか待ち受けてないのだろうか。

「その単純明快さが、ゾロの取り柄だね」
エースの的外れな言葉に、サンジはかくりとテーブルから肘を落とした。
ピンと張り詰めていた空気が、俄かに緩む。
「いいさ、気の済むまで斬って殺して滅ぼすがいい。誰もお前を止められないだろう、けれど・・・」
そこまで言って、一旦言葉を区切る。
「ゾロには大切な“餌”であるサンちゃんがいる。より快適な狩りのためには全力でサンちゃんを守らなければならない。つまり守るべきものがいると、このことだけは忘れちゃいけないよ」
「わかってる」
ぶっきら棒ながら素直に答えて、ゾロは冷めたコーヒーを飲み干した。



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