空の深淵 -13-


「着いたガネ」
石造りの壁に重厚な扉。
廊下を照らすのはほのかな灯り。
外の光を一切入れない、密閉した空間。
――――ここだ
まさに、ヴァンパイアの住まいに相応しい場所だ。

チリチリと、懐かしいような感触に肌が粟立った。
結界が張られている。
開いた扉の向こうは、ゾロが住む部屋とはまた趣の違う、豪華な内装の部屋になっていた。
鈍い光を放つ調度品。
抑えられた色調で、手の込んだ彫刻があしらわれた壁。
中央に巨大なシャンデリアが垂れ下がり、天使が羽ばたく天井画は格調高い。

「ようこそ」
その場に似つかわしくない、ごつい顔をした大男が出迎えた。
部屋にはまだ奥があり、そこに何者かの気配がする。
「創立記念、おめでとうございます」
サンジは臆することなく祝いの言葉を述べて、暗がりの主へも会釈をして見せた。
クククと低い笑い声が響いてくる。
煙草の匂いがして、男が咥える葉巻の赤い光がすーと横へ移動した。
「なるほど確かに、いい匂いがしやがる」
サンジはわざと自分の腕をクンクンと嗅いで見せて、ごもっともと頷いた。
「今まで調理しておりましたから」
クハハっと楽しげな笑い声が立った。
「なかなか面白い奴だ。どれ、もっと面白いものを見せてやろう」
そう言うと、背後の大男が窓のカーテンを引いた。

いつもは分厚い雨戸で仕切られているだろうそこは、開け放たれていた。
雨が本降りになって来たのか、ガラス窓を叩くように雫を散らしている。
その向こうに見える町並みから、一瞬赤い閃光が走った。
ぎょっとして目を見開けば、その光は見る見るうちに炎となって一角を囲むように火柱を上げた。
「なに?」
思わず駆け寄って窓を覗き込む。
あれは、サンジがいた古いホテルだ。
貸切にされていた会場が、そのまま丸ごと炎に包まれている。

「あれは、お前の仲間の仕業だぞ」
男の言葉に、サンジははっとして振り返った。
「創立記念パーティとかこつけて、お前を食い荒らしに寄って来たヴァンパイアの巣窟と思われているからな。炎で一網打尽にしたつもりだろう」
「・・・した、つもりって・・・」
「生憎と、あの中にヴァンパイアは一匹もおらぬが」
サンジは再び窓の外に目を移した。
だからかと、急に合点がいく。
あの中にギンがいたのは、そういうことだったのだ。

「じゃあ、あそこで食事していた人達は・・・」
「金で雇った人間だ。なに、この貧しい街ではちょっと小銭をやると言うとすぐに人が群がってくる。金を貰って美味い飯食って時間を潰すだけの仕事だから、喜んで食いついて来た」
虫ケラどもめ、と暗がりで男は哄笑を漏らす。
「今頃この街のハンターどもは、“聖なる火”とやらで人間を焼き殺しているんだろうよ」
「そんな!」
サンジの脳裏に、あの会場にいた人々の笑顔が浮かんだ。
慣れないスーツを着たギンの姿も。
一緒に立ち働いた厨房のシェフ達も。
「みんなみんな、人間なのか?」
「そうだ、ヴァンパイアなど一人もおらぬ」
大男はサンジの傍に立ち、駆け出そうとするその腕を掴んだ。
「その代わり、わが一族は東の家から順に狩りを始めたろうよ」
暗がりから、男がゆっくりと歩み出てくる。
窓の外で揺らめく炎の灯りに、その顔が照らし出された。

きっちりと撫で付けられた黒髪に、大きな傷跡を残す顔。
咥えた葉巻から紫煙を燻らせ、いかにも悪人としか言えない凶悪な笑みを浮かべている。
「一箇所に“餌”を撒き、ハンターを集中させる。昔からの常套手段だ」
「なんで?!」
大男に腕を押さえられながら、サンジは身を捩って食って掛かった。
「なんでわかった?俺達の動きを」
「なんでだと?お前みたいに上等の餌が一人でフラフラしてる訳ないだろう」
クククと喉の奥で笑いながら、葉巻を持った手を横へと靡かせる。
「とは言え、ハンターどもの細かい動きはこちらに筒抜けだ。手堅い仲間がいるのだから」
男が指し示す先、部屋へと続く扉の向こうに人影を見つけ、サンジは愕然とする。

「エー・・・ス?」
そこには、いつもの人懐こい笑顔を浮かべたエースの姿があった。





「やほ」
「エース、なんで?」
言葉もなく、サンジはエースとその隣に立つ男と、そして背後の大男へと視線を走らせた。
「紹介しようか、こちらがサー・クロコダイル。バロック・ワークスの社長であり、百年ぶりに目覚めたヴァンパイアでもある」
「生憎、ゼフ公とは面識がねえんだ。だがその“餌”に会えて光栄だぜ」
下卑た台詞回しながら、優雅な仕種でサンジの手を取り甲に口付けた。
ぞくりと、嫌悪でない震えが背筋を駆け上り、サンジは慌てて手を振り払った。
後ずさりすれば、大男の胸に当たる。
「そっちはダズ。クロコダイルの忠実な僕であり片腕でもある」
「エース!」
サンジは悲鳴のような声を上げ、その襟元を掴み上げた。
「どういうことだ、説明しろ」
「説明もクソもねえ、ポートガス・D・エース。偉大なる大ヴァンパイア、ゴール・D・ロジャーの血を引いたハーフ・ヴァンパイアだ」
代わりに答えたクロコダイルに頷き返し、エースはにまりと笑った。
「そういうこと、サンちゃん悪いね」
「俺を・・・俺達を、嵌めたのか?」
サンジの背後でメラメラと燃え立つ炎が、ホテル全体を覆いつくしていた。
「あーあ、マルコも派手にやっちゃってるよね、中身は全部人間とも知らないで」
「マルコまで、騙したのか?!」
エースは肩を竦めて見せて、両手でサンジの腰を抱いた。
「まさしくその通りさ。サンちゃんだって怪しいとか思ってただろ?俺がヴァンパイアに詳しすぎるって」
その通りだ。
けれど街のハンター達がみな仲間だと思っていたから、疑いもしなかった。

「実際、俺はこの街で生まれずっとここで育ってきたからさ。ガキん時からみんなと一緒だ。誰も俺を疑いもしねえ」
「そんな」
「あの部屋、もう気付いてるだろうけど、元は俺の母親の部屋なんだよ」
エースの瞳に、少しだけ悲しみに似た色が走る。
「大ヴァンパイア、ゴール・D・ロジャーに囚われた哀れな姫君が俺の母だ。あの部屋で飼い殺された」
「違う!」
サンジは気色ばんで叫んだ。
「あの部屋のレディは、例えヴァンパイアの餌であったとしても愛されて生きた人だ。あんたは、愛されて生まれた」
エースの表情が変わった。
「ヴァンパイアの血を引くハーフであっても、あんたは人間として生きて行ける、そうだろ」
必死な形相のサンジに気圧され一瞬押し黙ってから、エースはくっくと大きく肩を揺らす。
「聞きしに勝る天使様だな、こりゃあ」
クロコダイルとダズも、肩を震わせるように笑い出した。
「こりゃあ傑作だエース、よくこんなおめでたい“餌”を見つけ出したもんだ。いや、ゼフ公の力か?」
「ここまで純粋培養な人間も珍しい」
「だろ?だから俺、サンちゃんが愛しくてたまらないんだ」
エースはそう言うと、サンジの腰を抱いてぐっと引き寄せる。
「ねえサンちゃん、このまま俺らのモノになっておくれよ。そして永遠の命と若さを手に入れよう」
「っざけんな!」
エースの身体を突き飛ばし、サンジは窓辺へと身を寄せた。
赤々と燃え盛る炎が、その半身を照らす。
あの中でギンもあのレディも、シェフ達が逃げ惑っているのかと思うと胸が押し潰されそうだ。

「逃げようったって窓は開かないよ」
エースはゆらめくように近付いた。
「ゾロが来てるって思うかい?実は、サンちゃんに張り付いてる役は俺が請け負ったんだ。ゾロはマルコ達とあのホテルでの狩りの真っ最中さ。ヴァンパイアのもう一つの巣にもハンター達は集まってる。俺から伝えてあるから、そこはもぬけの殻だけどね。そして本物のヴァンパイア達は、東から密やかに個々の家々を回っているだろう」
クロコダイルは指に挟んだ葉巻を翳し、ゆっくりと腕を振り上げた。
「死の行進の、始まりだ」
「・・・ゾロっ」
サンジは窓を振り仰ぎ、力の限りに叫んだ。
立ち昇る炎は轟音を上げて、空を朱に染めている。






ダズが背後から音もなく近付き、サンジの身体を捉えようと腕を伸ばした。
一瞬早く身を引いて、その腹に蹴りを叩き込む。
当たらないだろうと高を括っていたダズは、まともにその蹴りを食らい壁の向こうまで吹っ飛んだ。
「―――ぐっ」
「なに?!」
クロコダイルもエースも、はっと身構えて目を見開いた。
「お前、なにをした」
問いかける口を塞ぐかのように、サンジは一回転して今度はクロコダイルに蹴りかかった。
ゆらりと揺らめきながらかわせば、代わりにローテーブルが粉々に砕ける。
クロコダイルを庇うように間に入ったエースに、サンジは遠慮なく蹴りを繰り出した。
「おっどろいたなあ」
身軽に蹴りを避けながらも、エースは感嘆の声を上げた。
「どんな芸当なんだ?俺ならともかく、ダズに食らわせるってのは」
ひょいとかわして状態を低くしたエースの、足元を素早く薙ぎ払う。
転げながら受身を取ったエースの脳天目掛けて足を振り下ろせば、起き上がり突進してきたダズに掴まれた。
いかに技を繰り出そうと、3対1では多勢に無勢だ。

「靴か」
ダズは気がつき、嫌そうにエースに向かってサンジの足を差し出した。
「なるほど、靴に海楼石を仕込んだんだな。誰の差し金だ」
「マルコだよ、知らなかったのか?」
サンジは肩で息をしながら、挑発するように言った。
いざという時のためにと、マルコが特注の靴を作ってくれていたのだ。
これはゾロには内緒だったけれど、それがエースにも伝わっていなかったと言うことは、マルコもいくらかエースに疑念を抱いていたと言うことだろうか。
「参ったね」
ポイポイと靴を脱がされ、改めて両腕を拘束される。
足を振り回して抵抗して見せたが、腹に一発拳を入れられ力が抜けた。
くたりと俯いたサンジの顎に手を当て、クロコダイルは好色そうに目を細める。

「なかなかのじゃじゃ馬だな。飼い馴らし甲斐のある」
「・・・誰がっ」
けっと唾を吐き掛け、射殺す勢いで睨み付けた。
「お前らヴァンパイアが、人間を虫けらみたいに扱うからっ」
「虫けらだろう。所詮、我らの食料に過ぎん。だが食料でもペットでも、飼っていれば情は移る」
サンジの青褪めた頬を撫で、白い首筋に手を這わせる。
シャツの隙間から指を差し込まれ、サンジは緊張してごくりと唾を飲み込んだ。
その動きを追うように、クロコダイルの指は喉元を撫でて鎖骨へと移動していく。
ざわざわと見知った感触が脊髄を駆け上り、サンジは誤魔化すように首を打ち振った。
「・・・やめろっ」
「そうか?」
戯れに肌を撫でながら、クロコダイルは喉の奥で笑って見せた。
「随分と胸が高鳴っているようだが、これは恐怖がそうさせているのか」
心臓の鼓動を確かめるように胸元へと手を這わせ、すでに硬く勃ち上がった乳首に触れた。
どくんと大きく胸が鳴り、サンジは屈辱と気恥ずかしさに身体を震わせる。
「もう、我慢できぬのだろう」
「・・・誰がっ」

息が上がり身体の熱がどんどんと高まっていくのがわかった。
両手を戒めるダズの力の強さにすら、高まる熱情を煽られる。
そんなサンジの様子をじっと見つめるエースの瞳は、色が赤く変化していた。
今にも牙を剥きそうな、そんな気配だ。
「殺せ!」
サンジは唾を飲み込み、叫んだ。
「いっそ殺せ、お前らの“餌”にはならねえ」
「死んだら楽だもんね」
エースはその場でしゃがむと、サンジの真横に顔の高さを合わせ覗き込んだ。
「知ってるかい?ゾロが狩った、酒場の女。あんたを襲おうとしたハーフ・ヴァンパイア」
あの、黒髪のレディ―――
「あれね、ダズのパートナーだったんだ」

はっとして、顔を上げた。
自分を拘束するダズの顔色に変化はない。
だが無表情で見下ろす瞳を見返せなくて、サンジは顔を背けた。
「生粋のヴァンパイアじゃなくても、ハーフやクオーターであっても、パートナーとなると同じ時間を生きられる」
そう言いながら、朱に染まったサンジの頬をそっと撫でた。
「あんたはそんな、ダズの彼女を殺した」
エースの言葉に打ちのめされ、サンジはその場で膝を着いた。
もはや抵抗する気力も失われている。
その姿を見て、クロコダイルはまたしても愉快そうに笑い声を立てた。

「本当に面白い、たいした甘ちゃんだ。これはまったく、たまらんな」
「だろ?」
まるで自分の手柄みたいに、エースは顔を上げて得意気に笑む。
「我らがヴァンパイアには悠久の時がある。パートナーなど一時のものだ、いくらでも入れ替わりまた新たに得るものを・・・」
うな垂れたサンジの髪を掴み、ゆっくりと引き上げた。
「愛だの恋だのパートナーだの、限られた命しか生きられぬ人間はつまらぬものに固執する」
だがそれも、よかろう。
そう呟き、クロコダイルはサンジのシャツを左右に剥いだ。

「お前が愛し守ろうとするものを根こそぎ奪ってやろう。その代わり、我が物となれ。その時、永遠の命と若さはお前のものとなる」
まるで闇に覆われるように、サンジはその懐に抱かれた。





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