空の深淵 -11-


※ご注意
 ゾロがくいなの死を語る場面で、表現が残酷で痛い部分があります。苦手な方はご注意ください。





「不便・・・だよな」
「あ?」
代わりの台詞を探すと、嫌味にしかならないようだ。
「“餌”である俺がいないんだから、楽に狩りはできねえだろ」
「そりゃあ、仕方ねえなあ」
「また、一人で行く気かよ」
「ずっとそうしてきた」
違うだろと、とうとう声に出して詰る。
「てめえにはちゃんとしたパートナーがいたんだろうが。一緒に、やってきてたんだろう?彼女が忘れられねえから、だからもう誰とも組まないのか」
言っちゃいけないとわかっているのに、どうしたって言わずにはいられなかった。
このままゾロと別れることになるかもしれないと思うと、黙ってはいられない。
「・・・そうだ」
あっさりと肯定し、空になった皿を奥へと追いやる。
「ごっそさん、美味かった」
「うっせえよ、そうじゃねえよ」
多くを語らないゾロの姿勢は、なにもかもを頑なに拒んでいるようで腹立たしい。
前みたいにハンターと餌としてだけの、利用し合う間柄だったら、もしくは恩人の敵として付け狙う立場だったらこんなにも執着したりしないのに。
あんな抱き方をしておいて、今更突き放すような真似をするゾロの真意がサンジにはわからない。

「てめえがパートナーを・・・くいなちゃんを忘れられないってんなら、それでもいい。けど、だからってなんで俺を憎むんだ」
「憎む?」
聞き流すつもりでいたゾロが、そこだけ反応して視線を上げた。
「憎む、だと」
「そうだよ、てめえは俺を憎んでる」
わかってねえのか?とサンジは苛々しながら椅子に乱暴に腰を下ろした。
「自覚がねえなら無意識に、かよ。俺がお前を恨むならともかく、俺はてめえに憎まれる謂れはないはずだぞ」
俺、なんかしたのか?
急に不安になってそう問えば、正面に座るゾロの顔が酷く青褪めていた。
軽くショックを受けたように
表情を強張らせている。

「・・・おい?」
「すまん」
いきなりの素直な謝罪に、サンジの方が面食らった。
「なんだよ」
「確かに、くいなのこととてめえとはなんの関係もねえ。それは俺の八つ当たりだ」
「八つ当た・・・り?」
ゾロが平静でいられないほど愛した人の話だったら、自分は立ち入ってはいけないんじゃないかとわかっているのに、どうしても気持ちが抑え切れず、サンジは手を組んで聞く体勢に入った。
ゾロも観念したのか、向かい合ったまま目を閉じて、ゆるく眉間に皺を寄せた。



「くいなってのは、俺より2つ上の幼馴染だ。くいなの父親が俺の師匠で同じ道場で飯食って育って、まるで姉弟みたいに暮らしてた」
懐かしむような穏やかな口調に、サンジもじっと耳を傾ける。
こんな風にゾロが自分のことを話してくれるなんて初めてのことで、辛い話だとわかっているのに嬉しさは隠せない。
「故郷がヴァンパイアに荒らされ、俺の両親は殺された。だが大きくなったらハンターになると先に誓ったのはくいなの方だった。俺はくいなに引き摺られる形でハンターになった」
「そうなのか?」
意外な言葉につい口を挟めば、ゾロは神妙な顔付きで頷いた。
「実際、俺にとっては敵討ちよりも腕を磨く手段としての狩りだったと思う。もっともっと強くなりてえ、くいなにも負けないほど強くなりてえ。動機としてはくいなに対する対抗心のが強かったかも知れねえな」
「・・・そんなに、強かったのか」
「ああ、鬼みてえだったぞ」
ゾロはそう言って、少し笑った。
サンジが見たこともないような柔らかな笑みを目にして、胸の奥がつくんと痛んだ。

「くいなと二人で旅をして、色んなヴァンパイアを追い続け狩り続けた。時には怪我もするし、死に掛けたことだって何度もある。俺もくいなも、まさに命懸けだった」
ずっとこのまま、二人で旅をしていけると思っていたのに―――
「ある日突然、くいながハンターを止めると宣言してきた」
ゾロはその時のことを思い出したのか、片手で顔を覆うようにして苦笑を漏らした。
懐かしむような悔いるような、複雑な表情だ。
「俺にとっちゃ寝耳に水だし、なにごとだと問い返したらあいつはあっさり言いやがった。子どもができたと」
「―――!!」
ざーっと背中に水でも浴びせられた気分になって、サンジは座ったまま硬直した。
そんなサンジに気付かず、ゾロは先を続ける。
「そう言われちゃあ、誰も反対できねえだろ。納得するしかねえ。それなら、ハンターやめろと俺も了承して、いい子産めよっつってパートナーは解消したんだ」
・・・そんな状態で、くいなちゃんは?
「それからは一人で狩りを続けたが、あちこち渡り歩くことはしなかった。ちょうど今のこの街みてえにひととこに腰を落ち着けてな、寄って来るヴァンパイアを狩る程度で暮らしてたんだ」
「それは、そこにくいなちゃんがいるから」
まあなと頷く。
「そこそこ平穏な日々だった。こんな暮らしも悪くねえなと思い始めてたんだ」
サンジの脳裏に、誰かと向かい合うゾロの姿が浮かんだ。
今自分たちがこうしているように、ゾロもかつてくいなちゃんと二人向かい合って、笑顔で未来を語っていたのだろう。
そんな幸せな風景がありありと胸に浮かんで、余計切なくなった。
だって今ゾロは、そんな昔の自分たちのこを俺の前で語っている。
すべては過去で、終わったことだ。
もう取り返せない。
失われた幸せ。

「そんな時、でかいヴァンパイアの一行が目覚めたと人伝に聞いた。他にもいたハンター達と組んで、大規模な狩りの準備を進めていた。できればくいなの元についていたかったが、あいつにはもう野郎がいるし、俺の出る幕じゃねえと思ってわざと離れた場所にいた」
うん、と頷いてからサンジはあ?と顔を上げた。
「ちょっと待て」
ゾロの目の前に掌を翳し、ストップをかける。
「なんだ」
「今、くいなちゃんにはもう・・・野郎がいるって?」
「ああ、ガキの父親だよ」
「は?」
固まったサンジの顔を繁々と見返して、ゾロはああと間の抜けた声を出した。
「なんだ、くいなのガキは俺の子だと思ったのか?」
「普通思うだろ?今の話の流れ上、それが自然だろ?!」
つい切れて声を張り上げたサンジの勢いに、ゾロは軽く仰け反った。
「怒るなよ」
「怒ってねえよっ」
怒鳴り返しつつ、先を促すつもりで手をひらりと振る。
「くいなは俺にとって、本当の姉貴みたいな存在だった。だから男と女のいざこざとか、面倒臭えことはなんもなかったんだ」
どうせ俺とは、面倒臭えことになってるよ。
口をついて出そうになった自虐の言葉は、なんとか呑み下す。
「そんなだったからこそ、くいなに男ができたと聞いたときは驚いた。ショックだった。女だと意識してなかったからな。しかも相手は生っ白い面した優男で、四六時中訳わかんねえ分厚い本捲ってるような青瓢箪だ。なんの冗談かと最初は思ったな」
まさに、ゾロと正反対の男かよ。
「それでも、くいながこいつと決めたんなら、俺にはなにも言えねえ。せいぜい二人で息を潜めて隠れてろと、俺はくいなを置いて街を出て他のハンター達と一緒に最前線で戦った」
ゾロの顔に、苦渋の色が浮かぶ。
「200年ぶりに目覚めたらしいヴァンパイアの集団は、えらく数が多くて強かった。こっちも狩り甲斐があって夢中で狩り続けたさ。時間も忘れて場所も忘れてただひたすらに、目覚めたばかりの飢えたヴァンパイアに刃を振り下ろしていた」
それが囮だったことも知らず―――

「幾つもの勲章をぶら下げて意気揚々と帰ってきた俺達の目に映ったのは、滅びかけた街の惨状だった。想定以上に、ヴァンパイアの数は多かったんだ。そして上級の者ほど街の中心地に集まり、人間を食い散らかしていた」
ひっそりと静まり返り、人の気配も息遣いも感じられない街に気付いて、ゾロは夢中で駆け出した。
くいなが住む家へ、隠れているはずの部屋へ。
「朝日が昇ってから戻ったから、街の中は綺麗に見渡せた。人っ子一人いねえような、死に絶えた街だ。他のハンター達も狂ったみたいに家族の名前を呼んで、あちこちで悲鳴が上がっていた。大の男がわあわあ泣きながら表に出てくんだ。地面に這い蹲って、髪を掻き毟って身を捩って泣き喚いてんだ」
サンジは痛ましさのあまり、落ち着きなく両手を揉みしだいた。
これ以上、聞きたくない。
「くいなの部屋で、二人を見つけた。戸口にボロ雑巾見てえになって転がってたのが男の方だ。一応抵抗しようとしたのか、手に包丁を握ってやがった。慣れねえもんを持ちやがったからか、干乾びても握ったままだった」
そこまで言って、ゾロはふと顔を上げた。
「お前、ヴァンパイアに襲われた奴の姿を見たことがあるか?」
サンジは正面でその目を見返し、血の気の失せた顔をゆっくりと横に振った。
目にしたことはない。
ゼフはサンジが物心ついて以降、食事をしなかったし。
他のヴァンパイア達もサンジの目の前で人間を襲ったりはしなかった。
だからサンジは知らない。
ヴァンパイアに育てられ餌として暮らしていても、吸い尽くされた人間の末路なんて見たことがなかった。

そんなサンジを見返して、ゾロは目を眇めた。
哀れむような蔑むような、そしてどこかに憎しみを秘めた冷たい瞳。
「ヴァンパイアに吸われるのは血だけじゃねえ、人間のエナジーみてえなものも根こそぎ奪い取られる。残された身体には水分はもとより、命の息吹とか人の名残とかそんなもんまでなくなっちまってるよ。まさに骨と皮、目玉は零れ落ちるし髪も歯も爪も抜ける」
「・・・・・」
おぞましさに、身震いする。
「壁に凭れて、くいなだったモノが蹲ってた。足元に刀が落ちてたが、ろくに抵抗できなかったんだろう。それでも両手でしっかりと腹を抱えて、身体を丸めていた。まっすぐで艶々してた髪は膝まで抜け落ちて、勝気だった目は濁って垂れ下がっていた」
「もう、いいっ」
思わず叫んで、サンジは両手を頬に当てた。
「最後に叫んだんだろう、口は開いたままで白い歯もポロポロ落ちてた。ミイラみてエな身体の中で、腹だけが丸いんだ。そっと触れてみたら、まだ少し温かかった」
――――ゾロっ
「それもすぐに、冷たく硬くなった。鼓動なんて残ってやしなかった」
ゾロ―――
「俺は・・・」
ゾロ

「俺はなんで、あいつの傍にいなかったんだろう」
懺悔のような独白が、サンジの胸を射る。
「俺があいつの傍に残っていたら、別の一派がいたことにも気付けた。俺一人がいるだけで、被害は相当防げたはずだ。なにもハンターみんなが総出で街を出ることなかったのに、最初の情報に踊らされて浮き足立った中で、俺だけでもくいなの傍にいればよかったんだ」
ゾロは指を組んだ姿勢で、淡々と呟き続ける。
「くいなを実の姉のように思って、女だと見てなかったのは本当のことだ。けど、俺は心のどこかで嫉妬していた。くいなを奪われたと感じていた。だから、危険だとわかっていてくいなと野郎を置いて街を出たんだ。本来なら、身重のくいなを一人になんかしなかったのに。つまらねえヤキモチで、ガキみてえに拗ねて、どうせ旦那がいるだろうとくいなから背を向けた。あいつがなんとか守るだろうと理由をつけて、くいなの元を離れた。失うかもしれないと、わかっていたはずなのに」
「ゾロ・・・」
「くいなが死んだのは、俺のせいだ」
ゾロははっきりとそう言って、正面からサンジを見返した。
その瞳には、先ほど垣間見えた憐憫も憎悪も感じられない。
けれどサンジには、わかってしまった。
先ほどの、ゾロが八つ当たりと言った意味も、わかってしまった。

どうして、くいなが死ななきゃならなかったのか。
どうして、俺は“餌”として生き延びているのか。
ゾロは生き延びたサンジを見る度に、この二つを思い浮かべてしまうのだろう。

“餌”としてでも、お腹の子はダメになったとしても、くいなだって生き延びることはできたはずなのに。
どうして死んだ。
干乾びるほど吸われて死んだ。
なのになぜ、サンジは生きている。
同じようにヴァンパイアに襲われた者のはずなのに。
どうして生き延びて、おめおめと愛されてここまで育ってきた。
ヴァンパイアに襲われた者の末路も知らず、守られて育てられた。
同じように、ヴァンパイアに襲われた者のはずなのに!

「あ・・・」
サンジは口に手を当てて、思わず呻いた。
ゾロの視線が痛い。
憎しみでも蔑みでもない、ただ穏やかに見つめているだけの瞳が辛い。
ゾロにとって、サンジはただの餌でも生き残りでもない、不条理の塊みたいな存在なのだ。
くいなは死んだのに、どうしてお前は生きている。
サンジを目にする度に、ゾロは心の中でそう問いかけずにいられないのだろう。
それが理不尽なこととわかっているのに、胸に抱かずにいられない疑問と不満。
無意識な憎しみは、そこから沸いて出ている。

「くいなが死んだのは、俺のせいだ。ちゃんとわかっている」
ゾロは子どもに言い聞かせるように、静かにゆっくりとそう言ってサンジを真っ直ぐに見た。
けれどサンジは俯いたまま、視線を合わせることができない。
「だから、お前が俺に憎まれていると感じたとしたら、それはただの八つ当たりだ。それに俺自身が気付いてなかった。すまねえ」
再び頭を下げるのに、サンジは顔を上げられない。
テーブルに置いたままの右手に、ゾロは手を伸ばしてそっと触れた。
サンジの体温が下がっているのか、ゾロの掌はいつもより熱く湿っている。
「俺の過去を、お前が気にすることはねえんだ。ただ俺は、つまらねえ卑怯な男だった。それをいつまでも引き摺っていた自分自身に、反吐が出る」
ぎゅっと手を握られる前に、サンジは素早く手を引いた。
そのまま立ち上がり、ゾロの顔を見ないでへらりと笑う。
「うん、わかった。ごめんな色々言いにくいこと話してくれて」
そう言ってバタバタと椅子を引く。
「あのな、時間ねえんだ。もう行かねえと。あの、話してくれてありがとうな。よくわかった」
「おい」
「悪い、片付ける時間もねえや、タッパー適当に置いておいて」
「おい!」
引き止めるように伸ばされた手をひらりとかわし、サンジはじゃあと片手だけ振って扉を開ける。
「また、来るわ。狩り頑張ろうな」
言うだけ言って、逃げるように扉を閉める。

「おい、待て!」
ゾロが慌てて扉を開けた時、そこにすでにサンジの姿はなかった。


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