Sleeping Beauty -3-



翌日、キッチンには縦横無尽に腕を伸ばし手際よく調理するルフィが立っていた。
一生に一度見られるかどうかの珍しい光景だと、他の仲間達はみな早起きしてニヤニヤしながら見守っている。
「おはよう、ゾロ」
テーブルに肘を着いて優雅に微笑むロビンは、いつも通りだった。
だが、昨夜のとんちきなロビンの姿がまだ脳裏にチラついていて、不覚にも口元が緩む。
「ああ、おはよう」
「ちょっとゾロ、なに含み笑いしてんのよ」
ナミに肘で突かれ、なんでもねえよと顔を背ける。
ロビンは両手を顎の下で組んで、小さく溜め息を吐いた。
「みんなそんな感じなのよ。サンジは一体、私の身体でなにをしてくれたのかしら?」
「や、いつも通りだぜ」
ウソップが肩を震わせながらフォローする。
「それはもう、いつも通りの・・・サンジ・・・」
「ん、ナミっすわん、ロビンちゅわん!ご飯ができたよ〜」
目をハートにして、腰をくねらせながらビヨンと腕を伸ばす。
ロビンの溜め息が深くなった。
「あんな調子、だったわけね」
「昨日はどうもありがとうね、ロビンちゃん」
艶やかふっくらと炊かれた朝粥が、目の前で温かな湯気を立ち昇らせている。
「どういたしまして。ナミの言うとおり、まったく記憶がないわ」
「ロビンちゃんのお身体に入らせていただいて、もう、俺はもうっ・・・」
何かを思い出したのか、せり上がる鼻血を押さえながら上向く。
サンジの身体でなくとも、鼻血は出るらしい。
「お役にたてて光栄よ。美味しそう」
昨日のことはさらっと流すように、ロビンは添えられたレンゲで粥を掻き混ぜた。
「うん、お出汁のいい香り」
ナミもレンゲで一掬いして、ふうふうと息を吹きかける。
「お前らはこっちだ、粥が欲しい奴にはあるぞ」
「俺お握り―!」
「俺も俺も」
「ワタシ、お握りもいただきますが後でお粥もいただきたいですヨホホ〜」
今朝は山盛りのお握りに、魚の干物、みそ汁と漬物だ。
ゾロもいそいそと手を伸ばし、お握りを頬張った。
食べてみるまで具がなにかはわからない。
だがどうせ、どれを食べても美味いに違いない。

口には出さないが一人で頷きつつ、モグモグとお握りの山を平らげていく。
合間に干物をバリバリと噛み、みそ汁を啜った。
どんなものでも静かに食べるが、こと自分の好物だといつにもまして集中してしまうらしい。
特に今日は、ルフィがいないから食事自体が静か且つ和やかだった。
「ルフィが目の前にいるのに、ゆっくり食えるってどんな奇蹟だよ」
「よしよし、もっと食えよ。お代わりいるか?」
「ルフィがみそ汁、よそってくれる〜〜〜」
「泣くな、泣きながら食うなチョッパー」
「なんでフランキーまで男泣きしてんだよ!」
ゾロのみそ汁椀が空になったと思ったら、上からビヨンと腕が降りてきて椀をひったくった。
「横着するな、てめえ」
「うっせえ、座ったままでもめっちゃ便利なんだよ」
身体が入れ替わるのと同時に、悪魔の身の能力を試せるのが楽しいらしい。
サンジはビヨンビヨンと両手を伸ばし、ナミに食後のお茶を差し出したりロビンの皿を下げたりしている。
「おらよ」
みそ汁のお代わりを付きだしてきたので、ゾロはお椀を受け取りつつその手を掴んでぐるっと伸ばした。
「のわっ?!」
その場で蝶々結びにしてやる。
ルフィはそんなことをされても、自分の指の一本一本がどこにあってどうなっているのか、すでに経験でわかっているので容易く解いた。
だがサンジはまだそこまで感覚が掴めていない。
「てめっ、なにすんだこのバカ!」
結ばれた片手を引き戻しつつ、片足を伸ばしてゾロの脇腹を蹴った。
びよんと跳ねた脛を、ゾロが拳で殴る。
その感触に、サンジはへへっと笑った。
「効かねえな、ゴムだから」
「んの野郎」
「あーもう、食事の席で暴れない!」
喧嘩というよりじゃれ合う形の二人に、ナミも本気で止めようともせず呆れ顔だ。
ゾロは片足もくるりと結んでしまってから、ぎゅーっと引っ張ってパッと放した。
「うひゃっ!」
結ばれた片足が跳ね返って来て、サンジがそのまま後ろへひっくり返る。
「ざまあみろ」
「てめえっ?!」
慌てて起き上がりいきり立つのに、ゾロは大口を開けて笑っていた。
その顔を見て、ルフィ(サンジ)の眉尻が、へにょんと下がる。
「・・・てめえ、相手がルフィなら、んな面すんだな」
「あ?なんだ」
「なんでもねえよ」
ぷいっと顔を背け、下げた皿を洗いだした。
不審げに首を傾げるゾロの横でナミとロビンは困ったように目配せし合い、ウソップがやれやれと肩を竦めている。


食後、後片付けをするルフィという世にも珍しいものを眺めていたら、ウソップがフランキーに声を掛けた。
「ウソップ工房の電圧機見てくれっか?もし明日俺が寝ると、直すの遅くなるし」
「アウッ、わかった」
「わかんないよ、明日は俺かもしんないし」
チョッパーがカップを置いて、ウソップを振り返った。
口の周りにホットミルクの泡が付いている。
「いやいや、今度こそ俺だって」
「いーや、きっと俺だ」
ゾロは二人の様子を見て、素朴な疑問を口にした。
「お前ら、なんでそんなに順番に拘るんだ?」
それに、二人とも一瞬ぎくっとしたような表情を見せたが、すぐにウソップが真顔になった。
「そりゃあアレだ、次は俺かな、次が俺かな・・・って待ってんの、いやだろうが。いっそさっさと変わっちまった方がいい」
「ふぅん、そんなもんか」
いかにも臆病者のウソップらしい理屈に、ゾロは納得した。



そんなウソップの願いが叶ったか。
その翌日は、ウソップがキッチンに立っていた。
これが仕事とはいえ、毎日毎日飽きもせずにクルーの食事を作り続けているサンジもたいしたものだとゾロは今さらながらに感心する。
例えば一日くらい、誰かに成りすまして家事をサボったりしてもいいだろうに。
サンジは例え誰になっても、嘘偽りも誤魔化しもなく、勤勉に己の仕事を全うしようとする。
「ようし、野郎ども席に着け!ナミさんとロビンちゃんは、こちらをどうぞ」
ルフィは、一日寝ていたせいかサンジが人並みの食事しかしなかったせいか、しきりと「腹減った」と騒ぎ立て朝から普段の倍は食べている。
そんな男達には山盛りパンケーキの大皿を押し付け、女性二人には美々しく飾り付けたプレートを差し出す。
少しションボリして見えるチョッパーにも、女性陣を同じように可愛らしく盛りつけ、生クリームもたっぷり添えた5段パンケーキを置いた。
「多分明日だと思うから、よろしくな」
その言葉にチョッパーは顔を上げて、うん!と元気に頷いた。
「誰に変わるかなんて、サンジには全然わからないことなんだもんな。大丈夫、俺はいつだっていいし、いつでも変われるよ」
「ありがとう」
サンジの手が、チョッパーの大きな帽子を優しく撫でる。
サンジの意思で次の相手を選んでいるのだはないのだなと、ゾロは抹茶味のパンケーキを頬張りながらその光景を眺めていた。

どうにも調子が出ない。
ナミやロビンといった、女の身体になっている時はいくら中身がサンジでも喧嘩など論外だったが、ルフィやウソップになっても喧嘩が成立しなかった。
中味がサンジなのだから、ゾロへのからかいや理不尽な罵詈雑言はいつもと同じのはずなのに、本気でムカッ腹が立たない。
あの顔、あの声で突っかかられるから、腹が立ったのだろうか。
そもそも、自分はサンジ相手に本気で腹を立てていたか。
あの、珍妙な撒き方をした眉毛で、わざと作った変顔で馬鹿にされていきり立つほど、頭に来ただろうか。
今さらながら、サンジとの関係がよくわからなくなってしまった。
ただ一つ言えるのは、サンジ本体が男部屋の隅でずっと眠り続けているのが心底つまらないということだけだ。
誰かの中に入っていても、サンジはサンジだ。
それを痛いほど思い知らされるのに、それでもやはりゾロにとって一番ムカつき、目障りで腹立たしいはずの喧嘩仲間が今はいない。



サンジの予言が当たったか、チョッパーの願いが叶ったのか。
その翌日はチョッパーだった。
丸一日を寝て過ごしていたウソップは、やはりナミの時と同じように「全然覚えてねー」と興奮気味に繰り返している。
「ところでサンジ君?なんか俺の鼻の先、ちょっと赤くなってるしヒリヒリするんだけど・・・」
「あ?そうか、気のせいだろ?」
チョッパー(サンジ)は、実にわざとらしい仕種で白を切る。
実は昨日、味見するつもりで熱々のスープに鼻先を突っ込んでしまったのだ。
慣れない身体では、距離感が掴めない。

「やっぱ、でかくなった方がやりやすいな」
小さなチョッパーの身体では、サンジの身長に合わせて作られたキッチンで動きづらい。
大きくなったらなったで少し屈まないといけなくて、サンジは途中から「腰が痛い」と言いつつも洗い物を続けている。
大きくなったり小さくなったりのコツは、掴めたらしい。
「さて、いよいよ明日はどうでしょうねえ」
「うーん、どうだろうな」
ブルックとフランキーが、トランプゲームをしながらひそひそと会話した。
「明日は私に、50ベリー」
「あーら、じゃあ私はフランキーに5万ベリー」
「私も、フランキーに3万ベリー」
「俺は、フランキーに5千ベリーかな」
「俺はフランキーに、50ベリーだ」
ゲームに参加していないはずのナミ達が勝手に掛け金を申告して、ブルックはヨヨヨと泣き崩れた。
「お世辞でも誰か一人くらい私に賭けてくれればいいのに、なんてシビア。なんて血も涙もない!ええ、私は血も涙もないんですけどオオオ〜」
おいおいと泣き伏すブルックの肩を、フランキーがぽんと叩いて慰めた。



男部屋で寝ているサンジ本体は、チョッパーが毎日こまめに様子を見ていた。
そんなチョッパーが今日は留守だから、ゾロはなんとなく気になってサンジ(本体)の様子を見に男部屋に戻った。
今日は左を下にして、横向きに寝かされている。
できるだけ頻繁に寝返りを打たせてやった方がいいんだと、チョッパーが話しているのを思い出した。
どれ、今度は右を下にしてやるか。
起こす心配などないのに、そっと手を差し入れて持ち上げた。
驚くほどに、軽い。
肩も骨ばって、腕が力なく垂れた。
ここ数日、ずっと寝たきりだ。
点滴で必要な成分は補給されているが、筋肉が萎えているのだろう。
―――大丈夫なのか、こいつ。
抱きかかえて「どうしたものか」と考えていると、トテテテテと軽い足音がしてチョッパーが顔を出した。
いや、サンジだ。
「なにしてんだ」
チョッパー(サンジ)が、険しい表情でこちらを睨み付けている。
「寝返りを打たせただけだ。チョッパーが、時々動かしてやるといいと言ってた」
「…そう」
チョッパー(サンジ)は、バツが悪そうに口元をモゴモゴさせて、躊躇いながら近寄ってくる。
両手に、洗面器とタオルを抱えている。
「身体、拭くのか」
そう言えば三日に一度ぐらいのペースで清拭がどうとか、言っていたかもしれない。
「手伝う」
「い、いいよ」
チョッパーは、ゾロの腕からサンジ本体を取り戻すように抱き寄せると、俯いたままぽつりと呟いた。
「お前、相手がチョッパーだとやたらと親切だな」
「・・・んなこと、ねえよ」
ゾロの反論が聞こえなかったかのように、チョッパー(サンジ)は俯いたままゾロの手を振り払う。
「後は俺がする。てめえの身体ぐらい、てめえで拭かせろ」
頑なな態度にむっとしたが、相手がチョッパーの姿をしていては怒鳴りつける気にもなれない。
毒気を抜かれた心地で、ゾロは大人しく男部屋から出た。

ここのところ晴天が続いていた空が、西の方から曇り始めている。
そろそろ雨も近いかと、ナミの真似をしてクンと鼻を鳴らしてみた。




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