Sleeping Beauty -4-



ナミの予報を聞くまでもなく、ゾロの予感通り朝から雨だった。
いつもより薄暗い男部屋でのっそりと起き、サンジ本体の寝顔を見る。
いつの間にか、習慣付いてしまったようだ。
今日は右胸を下にして、相変わらずスヤスヤと穏やかな寝息を立てている。
けれどその頬は青白く、光の加減か痩せこけて見えた。
7日間寝込むと言っていたが、これ以上筋肉が衰えると目覚めてすぐに復帰と言う訳にも行くまい。
サンジ本体の寝顔を見つめながら、あれこれと心配している自分に気付いてゾロは一人で舌打ちした。
なんとかってえ魚の毒に当たったのは、サンジの不注意からだ。
それで倒れて、仲間に日替わりで意識を分け与えて貰いながら回復に向かうという、実に傍迷惑な厄介者だ。
そう貶したいところなのに、なぜか腹立たしさや忌々しさは感じない。
それどころか、サンジの一助にもなれないことが歯がゆいと、別の意味で苛立たしさを感じている。
そんな気持ちを、ゾロは認めたくはない。

モヤモヤする想いを抱いたままキッチンに向かい、ふと思い付いて医務室に寄った。
チョッパ―は、今日はもう目覚めているだろう。
キッチンに立っているのはフランキーか、はたまたブルックか。
そんなことはどうでもいいと思いつつも、気に掛けている自分が鬱陶しい。


いつも通り、いつでも使えるようきちんと整頓された医務室だ。
机の上には、分厚い本が一冊置いてある。
『原色細密グランドライン生態図鑑』と書かれた本は、ロビンの図書室に置いてあったものだ。
ゾロも時々は、図式を眺めに図書室を利用することがある。
付箋が付けられたページを捲ると、魚の絵がたくさんあった。
そのうちの一つに『想いハゼ』を見つけた。
【肉食性で、無脊椎動物や他の小型魚類を捕食する。背鰭に太くて強い棘があり、袋状の組織に猛毒を蓄えている――】
以下に続く症状は、今現在サンジが見舞われているものと同じだ。
【寝食を共にする家族・友人等との意識交替の順序は、被災者の無意識化にある恋情と直結する】
「――――?」
【好きな者の順に交替するため、別名“想いハゼ”と呼ばれる】
――――これか。
ウソップとチョッパーがなぜか先を争っているように見えたのは、これが理由だったのか。

ストンと、腑に落ちた。
だから、あれほど順番に拘っていたのだ。
最初にナミ、次いでロビンは確かに順当なのだろう。
その後は、純粋に友人としてサンジが好きな順番になる。
ルフィかウソップかチョッパーか。
この三人は、いずれが先になってもおかしくはない。
きっと誰がなっても、僅差だ。
フランキーとブルックならば、どちらが先でも違う意味できっと僅差だ。
そして多分、ゾロに順番は回ってこない。

「――――・・・」
ゾロは黙って、図鑑を閉じた。
元の通りに戻しておいて、静かに医務室を出る。
“想いハゼ”とはよく名付けたものだ。
本人が意識している以上に好意の度合いが如実に表れて、取り巻く周囲の方が気を揉む罪な毒だ。





「あーもう、動き辛ぇっ!」
予想通り、キッチンに立っていたのはフランキーだった。
無駄に動作が大きく、ガッチャガチャと金属音が立つ。
「なんだよこれ、フランキーの野郎、よくこんなんで細かい機械弄りができるな!」
思った通りに動けなくてまどろっこしいのか、サンジは苛ついた様子で野菜を切っていた。
「サンジ、ニップルビームしろ」
「できるかーっ」
からかうウソップのサラダには、キノコがたっぷりと山盛りになって出された。

「なによ、辛気臭い顔しちゃって」
むっつりと黙りこんで箸を動かしていたら、ナミが声を掛けてきた。
「別に、いつものことだ」
「そうねえ、いつものことよね」
ロビンも、チラチラと気遣わしげに視線を送ってくる。
交替される可能性のないゾロを、仲間として不憫に思っているのかもしれない。
「知らない間に1日経つって、不思議な感覚だね」
チョッパーはそう言って、思案気に小さな蹄を顎に当てた。
「一週間、7日が限度だろうな。明日、サンジが目覚めてもすぐには身体を動かせないと思う」
「まあ、化物じみた体力の持ち主だから、起き上がれるくらいはするだろうけど」
「でも、立ち上がって歩くのはちょっときついと思うよ。目覚めた時にサポートが必要だ」
それもそうねと相談し始めた仲間を見て、ゾロはふと疑問が沸いた。
「チョッパー、アホ眉毛は明日戻るのか?」
「あ、ああうん。多分、そんな感じ」
「まだ一週間、経ってねえぞ」
あと一日、ブルックが控えているんじゃないのか。
自分は換算されなくともそういう計算になるだろうと思ったが、チョッパーはふるふると首を振った。
「別に、きっちり7日間と決まってる時訳じゃないんだ。大体一週間ぐらいかかるだろうって目測。サンジは元々丈夫だし、毒にも強いみたいだから人より早まったのさ」
「そういうもんか」
確かに、アホに毒は効き目がなさそうだ。
そんな失礼な考えで納得したゾロに、ナミは聞こえない程度にホッと息を吐いた。

「しかし、よく降るなあ」
朝からずっとやまない雨を、フランキー姿のサンジは恨めしげに眺めている。
「この身体の内に、倉庫の大掃除したかったのに」
「またフランキーに手伝って貰えばいいじゃねえか。お前、どの身体になっても働きすぎだ」
ゾロが内心で思っていたことを、ウソップがさらりと口にする。
「そうだよ、そもそも毒で弱ったサンジの負担を軽くするためにみんなが意識を入れ替えてるのに、当のサンジがちっとも休めてないんじゃダメだって」
「だって、今のところ俺自身は全然しんどくねえぞ」
どんな体になってもいつもと変わらず、時にはそれ以上に働いているサンジに、仲間達は溜め息しか出ない。
「その分、明日にはどっと疲れが来るよ。多分、元の身体に戻っても当分は自由に動けないから」
「そん時こそ、お世話させていただきますヨホホ〜」
「骨の世話なんざいらねえよ。ナミさん、ロビンちゃん、助けてー」
「スプーンで食事を運んで『あ〜ん』くらいはしてあげるわ」
「ほんとに?ほんとに?!」
喜んで飛び上がるフランキー(サンジ)に、ナミは片手で輪っかを作った。
「もちろん有料よ。時給1万ベリー」
「そんなクールなナミさんも、大好きだーっ」
フランキーの身体でクネクネするサンジの背後で、雨音は一層激しくなった。

バケツをひっくり返したような大雨だが、風がないから航行には支障がない。
自然とラウンジに留まる人数が多くなり、人口密度と湿気で暑苦しいとゾロは早々に追い出された。
展望室で鍛錬に励み、合間に昼寝を堪能する。
雨に包まれた静けさからか、ぐっすりと寝入ったらしく気が付けば昼時を逃して夕食時だった。

「寝腐れ野郎に食わせる飯はねえ!」
サンジは、食事時を逃すと機嫌が悪くなる。
そもそも規則正しい生活を送るはずがない海賊暮らしだが、喰いっぱぐれるのはゾロ一人だった。
大きな身体でお玉を持って腕を組み、仁王立ちするフランキーは迫力があるがどこか間抜けだ。
「グダグダ言うなら、いい」
別にわざと昼飯をスルーしたわけでもないのに詰られ、ゾロもいい加減頭に来てそのままラウンジから立ち去ろうとした。
すると、ダンダンと足を踏み鳴らしながらゾロの前に回り込んだ。
「てめえ、だからって食わねえで出てくとかどういう了見だ」
「食わせる飯はねえっつったのは、てめえだろうが」
「なんでいらねえとこで素直なんだ。ここは手を着いてすんませんでした!と詫びる場面だろうが」
「頭を下げてまで喰わなくていい」
「あんだとお!」
結局、サンジの外見が誰であろうと喧嘩にしかならない。
むしろフランキー相手なら、多少本気を出しても問題ない気がした。
いっそ、斬り付けてしまおうか。
そんな物騒な考えが頭を過ぎりもしたが、サングラスを付けていないフランキーはやけに丸っこい目をして下睫毛が長いので、睨んでいるはずなのになぜか笑えてきた。
「てめ、なに笑ってやがる」
「・・・しょうがねえだろうが。畜生、調子が出ねえ」
至近距離で睨み合いながら笑うシュールな状況に、ルフィが「もーいいだろー」と両手を伸ばして割って入る。
「腹減った、飯食うぞ!」
船長の鶴の一声で、サンジは「しょうがねえな」と踵を返した。
「とっとと座れ、マリモ野郎」
結局、いつものゾロの定位置にちゃんと食事は準備してあった。
サンジに好かれていなくても。
この船の中で一番嫌われているとしても、この事実だけはゾロの心を温かく満たしてくれる。




今夜の不寝番は、フランキーだった。
いつ意識が途切れるかわからないからと、ウソップも付き合って二人体制での見張りにした。
一日中降り続けた雨も止み、月も星も見えない静かな夜だ。
いつもの就寝時間を過ぎて、チョッパーはテーブルについたまま、コクリコクリと舟を漕いでいる。
「チョッパー、もう寝た方がいいんじゃない?」
ナミが、読んでいた雑誌から目を上げて声を掛ける。
「うん、でもサンジが目を覚ました時、見ててあげたいんだ」
チョッパーは、目を擦りながら、健気返事した。
「だったら、今の内に仮眠を取った方がいいのかも。多分、日付が変わる頃じゃないかしら」
ロビンに提案され、うとうとしながら首を捻る。
「ここのところ何日もチャンスがあったのに、結局それを確かめなかったからなあ」
ふわぁと欠伸をしたチョッパーにつられたか、ルフィも大口を開けた。
「俺、もう寝よう」
「ルフィのが早いとか」
いいから二人ともお休みなさいと、ブルックが子守唄を小さく爪弾き始める。
「もしかしたら奇蹟が起きて、明日は私の番かもしれませんしねえ」
「まあ、可能性はないとは言えないわね」
素朴な疑問を感じて、ゾロは勝手に封を切った酒を煽りながら口を挟んだ。
「もし寝てんのが長引いて、仲間全員に順番が回っても目が覚めなかったらどうすんだ?」
チョッパーがパチリと瞬きして、医者の顔で答えた。
「周囲の人間が7人より少ない場合、その症例はある。また最初に戻って、ゾロから一巡さ」
「あ?」

「あ」
「あ」
「あ」
「あ」

一拍遅れて、ルフィが「あ?」と首を傾げた。
それからあーあと、ゾロに振り返る。
「チョッパー、バレちまったぞ」
「あああ、違う、違うぞゾロ!一番最初がゾロだったとか、そんなことねえからな!」
「あーあ・・・」
ナミとロビンが、肩を震わせながら片手で顔を覆った。
「とうとうバレちゃった」
「むしろ、どうして今まで気付かなかったのかが、とても不思議」
「いえお二人とも。もしやこの期に及んでも、まだ気付いてらっしゃらないかもしれませんよ」
仲間達の視線が、一斉にゾロに集る。
ゾロは、先ほどのチョッパーの言葉と、それに続くルフィ達の反応を考え直してから「ああ?」と凄むような声を出した。
「どういうこった?」
「いい加減気付きなさいよ」
「でも、私たちの口からは答えを言わせないでね。約束だから」
「そう、約束したのです。サンジさんが、このことは決してゾロさんにだけは知らせないでくれとゾロさんの姿で必死に頼みこまれたから」
「一番好きな人が一番最初に入れ替わるって、魚の図鑑に書いてあったからなあ」
ししししと、胡坐を掻いて足の裏を擦り合せながら笑うルフィに、ゾロは今さらながら気が付いた。
そういう、ことか。

ゾロは、基本的にカレンダーを見ない。
日にちも気にしないし、今日が何曜日かなんて考えたこともない。
目が覚めた日が、ゾロにとっての一日なのだ。
だから、丸一日の記憶が抜けていたとしたら、それはゾロにとってなかった日。

「俺、だったのか」
気付くの遅―いと、ナミがからかう。
「このまま気付かないで終っちゃうのかなあって、やきもきしてたの。でも約束したから私達からは知らせられないし、あんたは鈍感にもほどがあるし。もう、どんだけ気を揉んだと思うのよ」
「でも、でも、サンジは悲しいんじゃないかな。ゾロにだけは知られたくないって言ってたのに」
泣きそうなチョッパーを慰めるように、ロビンは帽子を撫でた。
「これは運命よ、仕方がないこと」
そうして、ゾロへと視線を移す。
「後は、ゾロに任せましょう」
いつの間にか自分を見ている仲間達の目に、ゾロも頷き返す。

「チョッパー、お前らももう寝ろ。コックが起きる時、俺がいる」
「い、いいのか?でも、喧嘩は絶対ダメだぞ。サンジの意識はしっかりしてても、体力が全然ないんだからな」
「わかってる」
まだハラハラと心配しているチョッパーに、ルフィがしししと笑いかけた。
「おう、ゾロに任せとけばいいぞ」
「そうよ、私達はもう先に休みましょう」
「今日はよく眠れそう」
「私も、そろそろ眠くなってきましたヨホホ〜」

それじゃあお休みと、一旦外に出たナミが一人で引き返してきた。
「ゾロ、雲の切れ間から星が見えるわ。きっと明日は、良いお天気よ」
「そうか」
「おやすみ」

ウィンクして去るナミに手を挙げて、ゾロはさてと思案した。
俺に任せろと言ってはみたものの、いざとなるとどう話しかけていいかはわからない。
だが明日には多分、サンジは目覚める。
他の誰かの顔をしたサンジではなく、青白い顔でずっと眠り続けるサンジでもない。
あの顔で睨み、あの声で悪態を吐くサンジが、戻ってくる。
そう考えただけで、嬉しさが胸の内から湧き出て自然と頬が緩む。

さして計画もないまま、男部屋に行って相変わらず寝たきりのサンジを抱えて戻ってきた。
アクアリウムバーの壁際に凭れ、サンジを抱き込んで腰を下ろす。
とりあえずこうしておけば、いつ起きても大丈夫。
スタンバイ、OKだ。

いまは閉じたままの瞳が開いた時、最初にゾロを見つけたなら――――
掛けるべき言葉は、きっとゾロの口から自然に出てくるだろう。
なんの根拠もないのに、そんな気がした。



End



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