Sleeping Beauty -1-



いつもと変わらぬ朝だった。
ゆったりとした船の揺れと室内を満たす温かな空気は、外が穏やかに凪いで快晴だと告げている。
ゾロは目を閉じたまま欠伸をして、両腕を伸ばした。
うーんと背を撓らせてから、起き上がる。
甲板に出ると、風上から食欲をそそる匂いが流れてきた。
朝食を前にして騒ぐルフィの声も、ブルックの陽気な音楽も。

「あ、ゾロおはよう」
「おはよー」
ゾロ以外の面々は、すでにテーブルに着いていた。
だが、シンクに向かって立つ背中を見て、訝しげに眉を顰める。
「なにやってんだ、ナミ」
サンジ愛用のピンク色のエプロンを、今日はナミが付けていた。
しかもなぜか不機嫌そうに振り返り、ゾロを睨み据える。
「うっせえな、寝腐れマリモ」
「ああ?」
反射的に目を眇めてから、「ああん?」と首を傾げた。
「てめえ誰だ、ナミじゃねえな」
「見てわからねえか、この寝惚けマリモ!」
明るいオレンジ色の髪にすらりとしたスタイル。
険の表情でも顔立ちが美しい、どこからどう見てもゾロが見知ったナミだが、雰囲気が全く違う。
「コックか?」
「はん!今頃気付いたか」
なぜか勝ち誇ったように鼻の穴を広げて顎を上げるナミは、サンジのいつもの表情と被って見えた。

「どういうことだ」
平然とテーブルに着いている仲間達に目を向ければ、肩を竦めて見せたウソップの横でロビンが緩く微笑んだ。
「私達も驚いているの。今朝起きたら、サンジの代わりにナミちゃんが朝食を作っているんだもの」
「しかもその仕種がサンジのまんまでさあ、姿かたちはナミなんだけど、なんでかすぐに見慣れちまった」
ウソップがそう続け、「なあ?」と隣のチョッパーと顔を見合わせる。
どうやら一番遅く起きたゾロだけが、事態を把握していなかったらしい。
「だったら、コックはどこだ」
「ここだっつってんだろ!」
「お前は黙ってろ!アホ眉毛の、本体だ」
眉毛の本体・・・と言う表現に、ウソップがブホッと噴き出した。
釣られてフランキーやブルックが笑い出すも、ナミ(サンジ)に睨まれて慌てて姿勢を正す。
「サンジなら、男部屋で寝てるぞ」
ルフィが鼻をほじりながら答え、たったいま男部屋から起きて来たばかりのゾロは「むむむ」と眉間に皺を寄せた。
同じところに寝ていたということか。
コックは先に起きているものと思い込んでいたせいか、気付かなかった。

「だったら、それがナミなんじゃねえのか」
単純な入れ替わりを想定して言うと、チョッパーが「多分ね」と気のない返事をする。
「ナミは、起きねえのか」
「うん、多分今日一日、寝てるんじゃないかなあ」
こんな非常事態なのに、さして心配する風でもない。
咎めるような眼差しを据えると、ウソップは椅子の上で震え上がってロビンの肘に縋り付いた。
「ロビンが、なんでこんなんなったのか調べてくれてんだよ」
「原因は、わかってんのか?」
「ええ、恐らく・・・という段階だけど」
そこに割って入るようにナミの腕が伸びて、ドンドンと皿が並べられた。
「さあ、話は飯を食いながらだ。ナミさんの可憐なお腹もペコペコだぞ、野郎共も食いやがれ!」
「おう、うまほーっ!」
「いっただきま−す!」
料理を前にすると即野生に戻ってしまう仲間達を前に、ゾロもまずは腹ごしらえから優先することにした。



「事の発端は、魚だと思うの」
優雅に紅茶を傾けるロビンの前で、ゾロはナミ姿のサンジが作ってくれたカスクートを頬張る。
パン種は昨夜から仕込んであったようで、焼きたてパリパリで皮が香ばしい。
「サンジが魚を捌いていた時に、珍しく声を上げたことがあったじゃない?」
「・・・ああ」
それはゾロも覚えていた。
昨夜のことだ。
切り傷や火傷など、幼い頃から慣れっこだからと調理中に声を上げることなどなかったから、珍しいなと記憶に残った。
「その時、多分“想いハゼ”の毒に当たってしまったのよ」
「おもいはぜ?」
「チョッパーが図鑑で調べてくれたんだがな、たまーに網に掛かる、割とポピュラーな魚らしい」
だがその中に、ごく稀に毒を持つ種類がいるのだと言う。
たまたま、サンジは魚を捌いていてその棘を指に刺してしまった。
「その毒は強烈で、それに対処するために身体が無意識に全機能を可能な限り停止させ、仮死状態になるんだ」
ロビンからウソップ、チョッパーへと説明が受け継がれ、当の本人たるサンジ入りナミが不本意そうに口端を歪める。
「まあ、俺の不覚だ。ナミさんには本当に申し訳ねえ」
「で、なんでナミと入れ替わってんだ?」
そもそも、命に関わるんじゃないのかと危惧したが、口には出せなかった。
その思いを知ってか知らずか、チョッパーが一人で頷いた。
「まあ、今までの症例でもほとんどが仮死状態になってから後遺症もなく回復している。だからサンジも、多分大丈夫だと思う」
手にしたカスクートを頬張ってモグモグするチョッパーの代わりに、フランキーが続けた。
「毒が抜けるまで一週間ほどかかるんだとよ。その間寝たきりで夢も見ねえ、意識不明状態なんだそうだが、自営本能かグランドラインの不思議なのか、一日ごとに他者と魂が入れ替わるらしい」
「つまり、今日はナミさんですが明日は、私達の誰かの中にサンジさんの魂が入るのかわらかないということなんですヨホホ〜」
ワタシはいつでも魂飛ばせますけど〜と、口から霊魂を飛ばしながらブルックが笑う。
「じゃあ、ナミはコックん中で、どうしてんだ」
「寝てるんじゃないかしら。本人が意識することもできないまま、夢も見ずに意識不明」
「ロビンが言うと、余計怖いよ」
ウソップとチョッパーがガタガタ震えて怖がるのに、ルフィは頬袋いっぱいにパンを詰め込んでしししと笑う。
「いやーしかし、サンジが他の奴の身体の中にでも入ってくれてよかったなあ。サンジ本体がいなくても毎日美味い飯が食える!」
すかさず、ナミの長い脚がルフィの後頭部を蹴り飛ばした。
「お前、冗談でもナミさんを蔑ろにするようなこと言うな!」
「ぶへっ、ごめーんナミ!いや、サンジ!」
蹴り飛ばされた拍子に口から飛び出たパンを拾い、床に座ってもしゃもしゃと口を動かす。
「そうよルフィ、ナミちゃんが留守の間に海が荒れたらどうするの」
「またまた、不吉なこと言うなよロビン〜〜〜」
嫌な予感というのは当たるものか、はたまたネガティブな言霊の威力か。
それからまもなく、サニー号は突如発生した嵐に巻き込まれた。



「ナーミー!!だずげでぐで〜〜〜〜〜っ!!」
荒波に煽られ全身ずぶぬれで完璧に力が抜けたルフィは、マストにぐるぐる巻きにされていた。
ロビンとチョッパー、それにブルックも室内待機を余儀なくされている。
ナミという司令塔がいないのは痛いが、それなりに嵐を経験してきたフランキーとウソップ達はそれなりにテキパキと対応した。
「おい、あほコック!」
「うっせえなクソ腹巻、なんだ!」
サンジが振り向いて怒鳴ると、ぐらりと船が揺れた。
いつもなら踏ん張る足元も、勝手が違って心許ない。
思わずふらついてバランスを崩したら、すかさずゾロが脇腹を抱きかかえた。
「そのナリでちょろちょろしてんな、お前も中入ってろ!」
「うるせえ、てめえらだけじゃ手が足りねえだろうが」
「邪魔だ!」
吹き付ける飛沫のような風の中で、至近距離で怒鳴り合った。
サンジはなおも言い募ろうとしたが、ゾロに支えられていなければ自力で立ってもいられない状態に、悔しそうに拳を握る。
「確かに、ナミさんの身体にかすり傷一つでも、つけちゃなんねえ」
「いいから、中入ってろ!」
乱暴に扉を開け突き飛ばしておいて、サンジが転ばないようにギリギリまで手を離さずにいて扉を閉める。
そうして、襲い来る嵐に向かって腕を捲り上げた。



来た時と同じように、唐突に嵐は去った。
しかも雲の晴れ間から日差しまで差し込んで、ずぶ濡れのルフィはぐったりとうなだれたまま自然乾燥している。
あちこち潮が吹いて白く粉ぶいていた。
「大丈夫?」
「みんな、無事かーっ?!」
チョッパーが飛び跳ねながら出てきて、ウソップ達の無事を確かめる。
「擦り傷が酷いな、痛みはどう?」
「なんてことねえよ、あっ、テテテ」
吹き飛ばされた木片で、ウソップの肩や背中は結構傷付いていた。
ゾロも、頬や胸元に擦り傷が付いている。
平気だったのはフランキーぐらいだ。
「手当てするから…ってか、ずぶ濡れだからとりあえずみんな、シャワー浴びて来いよ」
「片付けは私達がしておくわね」
待機組が働き始め、入れ違いに船内に戻るをサンジがそっと振り返る。
ウソップの背中の傷を見て、サンジは改めてナミの両腕を抱いた。
「よし、じゃあ俺はクソ美味ぇ飯を作るぞ」
「おう」
「ああー腹減ったー!」
にわかに空腹を覚え、その場でぐなんぐなんに崩れ落ちたルフィを引きずって、ゾロは風呂場に向かった。



ルフィとウソップの水遊びに巻き込まれながら風呂から上がった4人は、フランキーを除き医務室へと誘導される。
簡単な手当てを受けた後、ゾロは着替えを取りに男部屋に戻った。
薄暗い室内の一番端のボンクに、確かにサンジが眠っている。
いつもと変わらぬ、少しあどけなさを感じさせる無防備な寝顔だ。

明け方にゾロが眠るとき、なんとなくこの寝顔を見てから寝床に入るのが日課になっていた。
ゾロを睨みつける目も、悪態ばかりつく口も今は閉ざされて、規則正しい呼吸音だけが聞こえた。
とても、毒に侵されているとは思えない、安らかな寝顔だ。
いつも通り間抜け面だなと、心の底で安堵する。

昨夜、ゾロが眠りに就く前には、サンジはすでに仮死状態になっていたのだろうか。
そんなことをふと考えて、どうだったろうなと思い返す。
普段と変わりない様子では、気付きようもない。
「あ、ゾロいた」
部屋に入ってきたチョッパーが、テテテテと足元に駆け寄った。
「もうすぐお昼ご飯できるって」
「ああ」
返事をしながら出ようとして、足を止める。
「なんだ、チョッパー」
「ああ、俺はあとで行くよ。サンジのマッサージだけしておく」
そう言って、眠るサンジの腕を取り擦り始める。
「清拭は三日に一度くらいでいいけど、毎日こうやって手足をマッサージして、寝返りも打たせてやんないと床擦れでもできたら大変だから」
まあ、サンジは若いから大丈夫だろうけどね…と言いつつ、器用な手つきで寝たきりの身体をほぐしてやっている。
身体の向きを変えようとするから、ゾロも手伝ってやった。
「起こす心配とかないから、思い切ってやってもいいんだろうけど」
つい、気を遣っちゃうねと笑いながら、丁寧なしぐさで右半身を持ち上げた。
ゾロも、横抱きにするようにして身体の向きを変えてやる。
怪我をして寝込んだサンジを何度も見ているが、そういう時は自分も同じように怪我をしていたから、こうして一方的に介護のような真似をするのは初めてかもしれない。
なんとなく新鮮な気分で、力が抜けたサンジの身体を支えた。
「そうしてしばらく持っててくれる?背中をマッサージするよ」
チョッパーに言われるまま、ゾロはサンジの身体を腕の中に抱いていた。
金髪がさらりと流れ目元を覆っている。
白い鼻筋だけが覗く横顔は、見知らぬ誰かのように思えた。



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