七夜  -3-


―――あれは天然なのか、わざとなのか・・・
ゾロはらしくもなく物思いに耽りながら、ぬかるんだ畑に足を踏み入れた。
先ほどの会話の端々にどうにも匂わせるものを感じて、からかっているのかと牽制の意味も込めてじっと見つめてみたのだが、サンジは素できょとんとしていた。
どうも、意味がわかっていないようだ。

「いい嫁さん」の話をしていて、その条件の悉くが目の前の男に該当するってのは、どうしたものだろう。
あれがわざとでないのなら、サンジは純粋にゾロに善意を尽くしてくれていることになる。
赤の他人なのにゾロの身体と経済的な事情を心配し、小言を言い世話を焼き、甲斐甲斐しく面倒を見てくれているということだ。
ナミを介して知り合ったとは言え「友人」と呼ぶには違和感があり、「知人」と言うには親し過ぎる関係に、今更ながら気付いて戸惑った。

「単なる、度を越したお人好しか?」
声に出して言ってみれば、その通りのような気がした。
田舎が気に入って気晴らしにちょくちょく遊びに来るってのも現代社会ではありそうな事柄だし、基本的な性格は違うが、なんとなく根本的な部分で似通ったものがあるような気がする。
これが、気が合うということだろうか。
一緒にいても気詰まりではないし、遊びに来ると聞かされれば予定を空けて待ってしまう。
ゾロも、サンジが気に入っているからだろう。

「嫁さんは、ありえねえよな」
菜っ葉類をざくざく鎌で刈り取りながら、一人ごちた。
語る内に相手が理想の嫁さんだったと気付いたところで、所詮男同士だ。
いくら気が合っても気楽に過ごせても、それと所帯を持つのとはまったく違う。
そもそも自分に都合のいい相手だからと言うだけで、手元に置きたいと望むのは身勝手と言うものだ。
「あいつの憂さ晴らしになれば、それでいいことだ」
サンジが来たければここに来ればいい。
来たくなければ、もうそれっきりでも構わない。
今までもこれからも、そのスタンスさえ崩さなければ、これ以上欲を起こすことはないだろう。
「せいぜい、美味いもんでも作らせてやるさ」
ゾロは自分に言い聞かせるように呟いて、泥がついたままの野菜を笊に放り込んだ。



川戸でざっと水洗いして勝手口に向かう。
雨は本格的に降り出して、首に巻いたタオルで顔を拭っても頭から流れる雫ですぐにびしょ濡れになった。
「おい、こんくらいでいいか?」
勝手口から入ると、台所に立っていたサンジが包丁を持ったまま振り向いた。
「おう、すっげえたくさんあるなあ。上等上等」
持参したらしいエプロンがピンク色なのは、気付かなかったことにする。
「これなんてのだ?レタスでもサラダ菜でもねえな」
「わからん、苗を貰って植えただけだ」
「根っこはついてねえんだ」
「鎌で刈ってきた。後から後から生えるから」
勝手口で長靴を脱いで、顔を拭きながら家に上がった。
「もう風呂沸かしてあるから。時間は早いけど入っちまえよ、どうせ雨だし」
「そうだな」
「泥のついた服とか下着は、別にしとけよ」
ゾロは口元をタオルで覆ったまま、黙って風呂場へと向かう。
やっぱり、サンジとの会話はなんだかむず痒い。



雨とは言え風呂場の窓は明るく、日の高いうちから風呂に入る贅沢を感じさせた。
じとっと汗ばんだ肌を洗い流し温かい湯に浸かると、身体の芯からほうと緩むような心地良さだ。
タオルを固く絞って額に乗せ仰向く。
ユニットバスの天井からぽたりと水滴が落ちて、逆上せた肌に冷たさが染みた。

「お先」
風呂から上がると、予想通り卓袱台の上には処狭しとたくさんの料理が並べられていた。
「風呂、蓋して来ようか」
「そうしてくれ、先に食べようぜ」
サンジは炊飯器から炊き立てのご飯をよそい、立ち昇る湯気に目を細めている。
「いいよなー、米だけはたっくさんあるもんなここ」
「もうちょっとすると新米ができるぞ」
「楽しみだ」
山盛りのご飯と発泡酒を一緒に置いて、揃っていただきますと手を合わせる。
ゾロは無類の酒好きだが、つまみだけで飲む訳ではない。
極端な話、飯を食べながら酒も飲む雑食タイプだ。
「お前の奥さんになる人、大酒呑みなのは大変だろうけど助かると思うよ。だって、つまみの用意してそれから飯のおかずとか作るの大変じゃねえか」
「まあな。最初から全部作ってくれてりゃ、適当に食うからな」
そう言いながら、ゾロはおかずを食べご飯を頬張ってから、発泡酒をぐいと飲んだ。
「普通は酒なら酒、飯なら飯なんだけど」
「いいから食え、なんでも美味いぞ」
逆に勧められて、サンジはにかりと笑った。
「当たり前だろうが、俺が作ったんだからな」
実際、冷蔵庫の残り物とあり合わせの野菜で作ったとは思えないほどボリュームがあり、目にも美味そうな彩りだ。
「プロの仕事だな」
ゾロが素直に唸ると、サンジは嬉しそうに破顔して発泡酒を呷る。
「そう言ってもらえると、料理人冥利に尽きるな。実際、美味そうに食ってくれるのが一番嬉しい」
「料理を作るのが、心底好きなんだな」
ゾロの言葉に、少し頬を染めてこっくりと頷いた。
発泡酒でいきなり酔いが回ったわけでもあるまいに、なんだその潤んだ目元は。
「まだちょっと青いけどトマトも採れるんだな。きゅうりとかナスとか夏野菜がいっぱいだから、何でも作れるぞ」
「今はいいが、そのうち山ほど同じものが採れて食べきれなくなる。出荷してもどこも野菜が被るから値段が安くなるしな」
サンジはスパニッシュオムレツを口に運び、美味い〜と自画自賛した。
「確かに同じ野菜ばかりだから値は下がるだろうけど、なんか差別化できないのか?無農薬とか」
「完全無農薬は口で言うほど簡単じゃない。JAS規格をとるのも数年がかりだ。今、一応申請してるけどな」
「え、そうなの」
ゾロは発泡酒をぐびりと飲み下し、苦そうな顔をした。
「正直、俺一人では栽培と収穫だけで手一杯だってのが現状だ。ここに住みたいから農業を始めたんであって、他の奴らみたいに安全な食とか自給自足率の向上とかそういう志は持ち合わせてねえし、働いて金くれるか売れる野菜を作って稼ぐくらいしか考えてねえ」
「んじゃ、さっきのJAS申請ってのも?」
「営農組合の方針でJASマークが必要だってえから、登録できる畑作りを始めたところだ。最低2年は化学肥料が使われてねえ土壌で作らねえと、認証されないからな」
ゾロの言葉に、サンジは箸を止めてふんと考え込んでしまった。
「どうした?」
サンジは顔を上げ、少し言い難そうに口元を引き結んだ。
発泡酒で喉を湿らせて口を開ける。
「あのな、ゾロが米や野菜を作る目的ってなんだ?」
「ここに住む為の生活の手段だ」
即答されて、サンジはまたう〜んと唸る。

ゾロには、サンジがどんな答えを欲しているのかよくわかっていた。
誰もが安心して食べることのできる、身体にいい安全な野菜づくり。
将来の農業を背負って立つ、若き農業者としての気概とプライド。
そう言った答えを言えばいいのだろうが、生憎ゾロは口先だけの誤魔化しができない性質だ。
生きていく為に米を作り野菜を栽培し、売れるモノは売って商品価値のないモノは食べて生きる。
それだけの、その日暮らしな生活。
「じゃあさ、ゾロはこれからどんな野菜を作って行きたい?」
発泡酒を置いて明るい表情を作って問うてくるサンジに、ゾロは仏頂面のまま答えた。
「売れる野菜」
「具体的には?」
そうだな、と首を捻る。
「珍しい品種とか、丈夫なのとかかな」
「丈夫って?傷がつきにくいとか、そういうのか?」
言いながら、サンジがついと手を伸ばした。
気が付いて、ゾロも空の茶碗を差し出す。
「そういうのもあるが、できれば個人宅配みたいなものもしたいなと思っている。今は大体一日で届くし、思い切って県外とかの販路拡大ができればとは思ってる。この界隈で野菜を売ってても、そもそも作ってる
 モノが同じなんだから売れ先はたかが知れているしな」
「個人宅配か。そりゃいいな」
「だから、多少輸送しても傷まない丈夫な品種とか」
うんうんと、サンジの方が嬉しそうに笑いながら、山盛りのご飯を渡す。
「箱を開けたら土が付いたじゃがいもとか入ってると、嬉しいぞ」
「それは理想だが、実際に土付きのまま届いちゃ困るだろ。第一洗う場所がねえ。炊事場で土を落としちゃ排水溝が詰まる」
「・・・う、確かに」
ここでは家の前に用水路が流れているから、泥はすべてそこで洗い流して家に持ち込めるから助かるのだ。
都会のマンションに泥付き野菜が届いても、処置に困るだけだろう。
「うう、難しいな。泥付いてた方が俺は嬉しいけどな」
「お前んとこは、泥は落とせるのか」
サンジはうんと大きく頷いた。
「うちは店に庭が付いてるし、野菜の洗い場なんかも外付けであるから大丈夫だ。なんでも来いだぜ」
そうか、とゾロがようやく笑顔を見せた。
「それなら、これから作る野菜はお前に食わせるために作る」
「・・・え」
突然の申し出に一瞬きょとんとしてから、じわじわと頬を赤らめた。
「俺に、食わせるのに?」
「おう、お前ならどんな不恰好なもんでも上手に料理してくれるじゃねえか。農薬も肥料も使わないで虫食いだらけ、けどほんとの野菜の味をしているものをお前のために作る。どう調理してくれるか楽しみだ」
言い切ったゾロの前でサンジはあーとかうーとか呻き、額に手を当てて俯いた。
「どうした、酔ったか?」
「ちょっと酔いが回ったかも」
赤面した顔を隠しつつ、サンジはさらに発泡酒で喉の渇きを潤した。

なんというか、なんつー真っ直ぐすぎる宣言。
お前の為に作るなんて、究極の口説き文句じゃんかよ。
いやいやいや、口説き文句ってなんだよ。
心中で突っ込みつつ、サンジは落ち着かない仕種で煙草を取り出した。
「なんだ、飯の最中に一服か」
「おう、ちょっと悪い」
なんだか、煙草でも吹かさないと落ち着かない。
上向いて天井にふうと煙を吹き出しながら、サンジは気を取り直して世間話を再開させた。

「でもまあ、あれだな。ただ野菜を送るだけじゃ能がねえから、どんな風に採れた野菜だとかこだわりのポイントとか、そういうのもメモ書きみたいに入れるといいかもな」
「そりゃいいかもしれんが、面倒臭いな」
「面倒がるなよ、も一つついでにその野菜の簡単レシピとか入れてやると喜ばれるんじゃね?ああ、こんな風に調理するのねvとか奥様方が喜ぶぞ」
「そんなもん、誰が作るんだ」
当然の突っ込みに、サンジの言葉が途切れた。
やや不自然な沈黙が辺りを支配する。
「・・・そう言えば、そうだな」
へへ、と居心地悪そうに笑い、短くなった煙草を灰皿に押し付ける。
「やっぱさ、そういうことが得意な嫁さんとか・・・早く見つかるといいな」
「・・・・・・」
そうだなとか無難な相槌を打たないせいで、余計にそこから続く沈黙が重くなった。

「えーと、そうだ。冷蔵庫にデザートがあるだろ」
急に思い出したように、サンジが明るい声を上げた。
「上の棚んとこにあった瓶、何かと思って蓋を開けたらいい匂いがしたぞ。梅の甘煮か何かか?」
「そうだ」
うっかり忘れていたゾロが、ああと表情を崩した。
「あれもお隣さんに貰ったのか?食べていいだろ」
「いや」
すぐさま否定して、それが食べてはいけないという意味ではないと慌てて訂正した。
「あれは俺が作ったもんだ、お前に食わせたくてな」
急いだ分、取り繕う暇もないストレートな物言いになってゾロ自身がバツの悪そうな顔になる。
「作った?お前が?」
一オクターブ上がった声で聞き返されて、渋々頷く。
「梅ばっかり大量に貰って困ったからな。次にお前が来るのはいつになるかわからなかったし、腐る前に加工しねえといけなかったし。作り方は簡単だったから、俺にもできた。味は案外いけるぞ」
「そうか、ゾロが作ったのか・・・すげえな」
サンジの表情が嬉しそうに輝く。
「んじゃ早速いただこう、おいさっさと食え」
「急がなくても、逃げねえよ」
勢いこんでご飯を掻き込む姿に苦笑しつつ、ゾロは満更でもない気分だ。

「ほんとに綺麗に煮てあるな。ぽってりとして、崩れてねえ」
「砂糖ぶっこんだら勝手に水分が出て、後は弱火で煮るだけだ。途中で混ぜたりもしなかったから、楽なもんだ」
本来なら涼しげな硝子の器にでも盛りたいのに〜とサンジはブツブツ呟いていたが、当然そんな洒落たものはゾロの家に存在しないので、仕方なく刺身皿に乗せてフォークを添えた。
「あ、甘い。冷えてて美味い」
「そうか?」
出来上がってからゾロも何度となく食べているが、普通の梅の甘煮の味だ。
だが確かに甘いし美味い。
サンジが目の前で食べているのを見ると、いつもより余計に甘く特別なもののような味がした。

「暑さも吹っ飛ぶな。つか、いつの間にか雨止んでね?」
先ほどまで軒を叩いていた雨音が聞こえないのに気付いて、ゾロとサンジは揃って縁側へと目を向けた。
「止んでるな」
ゾロが膝頭で歩いて窓を開ける。
すうと、冷えた風が通り抜けた。
「あー涼しい」
「ひと雨降った後だからか」

二人黙って雫を滴らせた庭の緑を眺めていたが、サンジがぽつりと「惜しい」と呟いた。
「なんだ?」
「足らない。ここでチリーンと風鈴の一つも鳴れば、完璧なのに!」
「風鈴ねえ」
何とはなしにサッシ窓の上部を見上げても、傾いた雨戸の端が覗くだけだ。
「この辺に風鈴が揺れててよ。あ、それより簾を吊るすといいな。日除けにもなって、やっぱ夏は必需品だろ」
「そんな暢気な風情はないが」
ゾロが茶化すのに、サンジは真剣な顔で一人頷いた。
「うん、今度来る時は夏グッズを持ち込むぜ。とは言え、買って持ってくるのは面倒だから、町に買い出しに行こうぜ。なあに、金のことは心配すんな」
剛毅な宣言だが、ゾロは縁側に膝をついたまま首を振った。
「お前の道楽とはわかってるが、俺んちに無駄な金を使うことはねえだろ」
「なにが無駄だ。俺が快適に過ごす為に行動して何が悪い」
―――いやだから、ここは俺んちだっての
思えば持ち込んだクッキングカッターとやらもその他諸々も、このまま置きっ放しにしてくる度に使うつもりでいるのだろう。
少しずつ自分のモノで固めて、ここを別荘にでもするつもりだろうか。
そんなにも頻繁に、この先もずっと、ここに通うつもりでいるんだろうか。

「さてと、飯も食ったしデザートも堪能した。俺あ風呂に入ってくっか」
「ああ、片付けとくから運んどけ」
もう少し涼もうと、ゾロは開け放した窓に凭れ足を組んだ。
卓袱台の上を手早く片付けたサンジが、鼻歌交じりでエプロンを外し風呂に入る準備をしている。

こんな風に部屋の外から内側を眺める感覚とか。
視界に動く親しい人の気配とか。
こういったことに慣れていないせいか、はたまた懐かしすぎる光景だからかはわからないが、妙に気恥ずかしくも心がほのほのと温むようなむず痒さを感じて、ゾロは後ろ頭に手を組んだまま目を閉じた。


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