潮彩町で逢いましょう「秋」 -3-


あの夜のことを思いだしてサンジは一人、乙女が恥らうように楚々と俯いた。
(ホント、あん時はとんでもねえマネしてくれたよな)
事が終わって躰に自由を取り戻してサンジが最初にしたのはゾロをベッドから叩き落すことだった。
「しばらく俺の前にそのツラ出すんじゃねえぞっ!」
渾身の蹴りで叩き落し、床の上で無様な恰好で呆けた貌のゾロへ指さし、サンジは怒り心頭で言い切った。
「俺のこの地核のコア並みの怒りが解けるまで、てめえはウチにゃあ出入り禁止だ!!」
「・・・そりゃあ、どんくらい先だ?」
シレッと訊かれ、サンジの白い額の血管がブチッと切れた。
「ンなんっ、俺が知るか!!とっとと去にくされっ!!」
ゾロの顔めがけて手近の枕を投げつけ、それでも怒りが抑えられずにサイドボードの上の目覚まし時計やらティッシュボックスやらを手当たり次第に投げつけ、はあはあと肩で息をしていたら神妙な、けれど、どこか晴れ晴れとした貌のゾロがスクッと立ち上がって散らばった服を拾い、黙々と着始めた。
「了解した」
身支度が済んでベッドの上のサンジへと視線を振り向けるとゾロは口を開いた。
「けど」
静かな眼差しだ、とサンジは怒りに尖がりきった感情の波の中でさえ、そう思った。
ぶれることのない静謐な眼差しにドキリとした。
「別れねえぞ」
言い訳の1つもない。なんともゾロらしい短い言葉にサンジは一瞬、滾る怒りを忘れた。
真っ直ぐな、澱み1つもない澄んだ、けれども意志の強い眼差しでサンジを見据えて短く言い置いたゾロは踵を返して帰っていった。


今でも躰のあちこちにあの時の名残の痕が残っている ― ゾロがつけた痕だ。
執拗なまでに躰を、奥の奥の奥まで暴かれたにも関わらず、翌日は不思議と肉体的な辛さは大したことがなくて店を休まずに済んだことは幸いだった。
それでも一晩中、酷使した腰を庇っての厨房での立ち仕事は常より些か精彩さに欠けていると自覚があった。
普段より注意力も散漫になって凡ミスを連発しているところに、ゾロは昨夜のサンジの言葉を聞いていたのかいなかったのか、翌朝から平然と店に顔を出してきたから怒りが溶鉱炉のように噴出してしまいそうだった。
それでも必死に無視を決め込み、数日は放置しておいたのに常連客があれこれと構うものだから数日のうちにはズルズルと普段どおりにオーダーを聞き、飯を出すに至ってしまった。
しかし、男のケジメとしてプライベートエリアへの侵入はさせていない。
いつもどおりに入ってこようとするゾロを蹴り出すのだ。
「クソお客様、こっから先は従業員以外立ち入り禁止ですから」
サンジのその言葉に傷ついたような貌をゾロがするから胸がチクチクと痛んだりもしたけれど。
(おかげで俺は愉しみにしていた祭りに出られねえんだ)
胸の内だけで呟いて自分の気持ちにすら無視を決め込んだ。
なにせ、股間はツルツルにされ、躰中のいたるところには今だに情交の痕が色濃く残っているのだ。
そんなみっともない姿で町内の連中と揃いの半纏を着て神輿など担げるものではない。
勢いよく担いでいれば、そのみっともないモノが半纏の端から容易に見えてしまうだろうと思うと気持ちが塞ぐ。
「あいつ絶対に確信犯だ」
今回のゾロの暴挙はサンジが祭りで神輿を担がせなくするための企てだったのだろうと事が起こった後で今更のように気づいた。
まんまとゾロの謀略に嵌められて口惜しいと思う。
「そのうち俺も剃ってやるっ!」
彼の緑色の剛毛地帯を刈る日に思いを馳せて決意に拳を握り締める。
「・・・・・・はぁ」
が、そんなことをしても嬉しいわけでも楽しいわけでもないし、何よりサンジが今年の神輿を担げないことに変わりはないから溜め息がこぼれてしまう。
せっかく半纏から何からひと通り装束を揃えたというのに、全く以って無念である。
「ちくしょう、あんにゃろう・・・俺の気持ちが収まるまで指一本たりとも触れさせてやんねーかんなっ」
仕置きと称してあれこれいたされたのだ。
ならば、こちらも仕置きだとサンジは気持ちを奮い立たせた。
「焦らしに焦らして俺の前でキッチリと詫びいれさせたるっ」
鼓舞しなければ気分的にめげこみそうで、サンジは誰もいない部屋で声高に宣言した。



神輿を担いだ男衆が町内をねり歩き、最後に神社へと戻るのが祭りの習わしだ。
途中、通りに沿って幾つかの休憩所が設けられていて町内の婦人会や有志が差し入れとして担ぎ手たちへ握り飯やお茶などを振る舞う。
その休憩所の1つでサンジもご婦人たちと手伝いに従事していた。
曲がり角の向こう側から威勢のいい大勢の人たちの声が聞こえてくると休憩所の中も俄かに活気づく。
「お茶の準備は出来てる?」
「おむすびは足りるかしら?」
町内の奥さんや駆りだされた娘さんがバタバタと動き回る姿をサンジは(いいなぁ)と思う。
女性の柔らかな優しさに触れているとササクレだった気持ちがふわりと和ごむ。
「来るわよっ!」
勇水を撒きながらの先陣の姿が見えて皆が通りへと身を乗り出す。
先陣の背の向こうに神輿の担ぎ手の先頭が見えた。
「見えた!」
「ゾロ坊と・・・客人が先頭か!」
町内のご隠居さんが指差し、大声をあげた。
神輿の前を二分しているのはルフィとゾロだった。
先頭を張るのは体力がいるのだとサンジだって知っている。
神輿が急こうとするのを抑えつつ、尚且つ担ぎ手たちの足並みが揃うように音頭をとる。
そうしておいて神輿を引っ張る役目もある。
体力的に厳しい場所をルフィとゾロが担っているのを見てサンジは胸が震えた。
(ち、くしょうっ)
一緒に担ぎたかったと思う。
同じポジションに並び立つのには無理があるだろうが、それでもともに神輿を担いでいられるのだという連帯感を味わいたかったのだ。
見ているだけで、こんなにも胸が震えるのだ。ともに担いでいられたらどれほどの高揚を味わえただろうと思うと口惜しい。
(来年は絶対に出てやるっ!)
皆の勇姿が休憩所のテントへと近づいてくるのへ視線を向けながらサンジは固く心に誓った。


賑やかな休憩時間が済んで神輿が神社へ向かうのを見送ると婦人会の人たちは後片付けを始める。
サンジも手伝うために手を出そうとして、しかし、その手をとめられた。
「サンちゃんは神社へ行ってきなさいな」
「え、俺も後片付け手伝うよ」
「いいわ。そんなのはおばさんたちがやっておくから」
「準備の時にたくさん手伝ってくれてたものね」
「そうそう。サンちゃんは神社で納めの儀を見てきなよ」
「久しぶりなんだし、ね」
「いいの?・・・・・」
「いいわよ。他の男連中なんて手伝いの1つもしやしないんだし」
「サンちゃんはお料理までしてくれたしねえ」
「そうそう!あの煮しめの美味しかったこと!」
「だから遠慮しなくていいのよ」
皆がにこにこと笑顔を向けてくれてサンジは心がじんわりと癒される気がした。
やっぱり女性はいいなと心から思う。
「え、じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな」
周囲が自分より年長なこともあってか、甘えるようなそんな言葉がすんなりと口を突いて出た。
「うん、行ってきなよ」
「来年はサンちゃんも神輿担いでね」
「かっこいいトコ見せとくれね」
「もちろん!炊き出しの手伝いだってするさ」
「じゃあ、早く追いかけな」
「ありがとう、ちょっくらいってくるね」


サンジが神社に着いた時には神主さんが祝詞をあげているところだった。
既に神輿の納めの神事は終わっていて男衆が神妙な顔で神主さんの後ろに控えているのが見えた。
(遅かったか・・・)
神社の広い境内の玉砂利の上で神輿を躍らせるのがこの祭りの1つの見せ場だ。
奉納のための勇ましく、それでいて優美な神輿の舞を一目見ようと見物人も大勢出るから神輿を担ぐ者たちも1日の疲れを感じさせずにトリを飾ろうと躍起になる。
その勇姿を見たかったと思う。
皆が ― 否。そうではない。サンジはたった一人の男のことだけを気にかけていたのだ。
神輿を躍らせるゾロの様子をこの目で見たかった。
ともに担ぐことが叶わなかったせめてもの慰めに勇姿を目に焼き付けておきたかった。
それすら叶わず、大勢の見物人の作る人垣の片隅でサンジの肩が落胆に落ちた。


神主さんの祝詞が済み、神輿を社務所に戻して祭りは無事に終了となる。
桜湯の主人の心づくしの申し出を受け、担ぎ手たちは銭湯へと足を向ける。
わいわい、がやがやと1日の功労を労いあう皆の顔には充足感が溢れ、そして皆で1つ事を遣り遂げた一体感に包まれている。
大勢の人の輪の中心でルフィとゾロの姿が在った。傍らにエースとウソップの姿も在るのを認めてサンジの足が止まる。
気落ちしているせいか、そこに入り込んでいけない疎外感を感じてサンジは僅かに躊躇った。
(・・・・・・帰るか)
サンジはそれ以上、後を追おうとするのを止めた。
神輿を担がなかったのだから皆と桜湯まで同道する必要はないのだと今更に思い至る。
一行についていっても、もはやサンジには何をすることもない。
「あ、サンジ」
サンジが踵を返しかけた時、賑やかな輪の中心にいたルフィに名前を呼ばれて何気に振り返ると、その向こうにゾロの顔も見えた。
何も言わずにいたらルフィが駆け寄ってきた。
「今日サンジが神輿担げなかったのってゾロのせいなんだってな」
言われてドキリとした。
(まさか、俺が担げねえ理由を言いやがったのか・・・?)
思わずギッと睨みつけるとゾロが頭を掻いた。
「・・・悪かった」
「え・・・」
いきなり素直に詫びられて拍子抜けした。口がぽかんと開いたままゾロをマジマジと見つめてしまう。
何がどうしたというのだろう。ゾロの素直さを不気味とさえ思うサンジだった。
「どうやらゾロは独占欲が強いみたいだね」
クスクスと笑う声のほうをへぼんやりと視線を向けると傍らでエースが楽しそうに笑っていた。
「けど、そのせいでサンジの楽しみを奪ってもいいってことにはならないだろ」
ルフィが少し頬を膨らませて言うことすら、ぼんやりと聞いた。
「まあまあ。今さら言ってもしょうがねえだろ」
「だってよ」
ルフィがぐちぐち言うのをウソップが宥めるのさえ他人事のようだった。
「来年はサンジだって担ぐさ」
「なあ」と話を振られてサンジはハッと我に返った。
「あ、ああ、来年は出るさ」
「ほらな」
サンジの返答にウソップが胸を張る。
「本当か!」
するとルフィの黒い目がキラキラと輝きだすから後ろ向きだった気持ちが吹き飛んでいく。
「ああ」
「やりっ!じゃあ来年は皆で担げるんだな!」
俄然やる気が出た。
「ああ。俺だって次は出るさ」
「よかったぁ〜、皆で一体感を味わえるこんなチャンスなかなかないからなっ」
言われてツキンと胸が痛んだ。
「悪かった。詫びて済む話じゃねえが俺はその辺を失念していた」
ルフィの言葉を継いでゾロが改めて詫びを口にし、そして頭を下げるからサンジは驚いてしまった。
「ああ、いや・・・う、ん」
どう対応すればいいか判らなくて曖昧に頷く。
「お前ら喧嘩してたんだろ?」
「え・・・」
ルフィに訊かれてサンジは狼狽えた。
「今ので仲直りってことでいいよなっ」
「なっ・・・」
傍らからウソップの手が伸びてきてゾロとサンジの手を繋げてしまう。
「ほい、これで仲直り完了な!」
「ま、待て」
ルフィとウソップが「仲直り、仲直り♪」と囃し立てるから周囲にいた他の男衆までもが騒ぎ立て始める。
「やっと許してやる気になったのか、サンジ」
「ゾロ、よかったな」
「犬も喰わない喧嘩は長引かさねえでくれよ」
「そうだ、そうだ!おかげで、ここんとこ、うみねこ亭に茶ぁ飲みに行ってもあんまり気が休まらなかったんだぜ」
「俺たち皆、サンジんとこでゆったりしてえんだからよ」
「海が近いせいか、あそこは居るだけで落ち着くんだよなぁ」
言いながら「ほぅっ」と嘆息されてサンジは少しだけ反省した。
ゾロと喧嘩している険悪な雰囲気を店で他の常連客にまで撒き散らしていたのだと思うと申し訳ない気持ちになる。
「・・・・・悪い」
短く詫びると周囲から肩や背をばんばん叩かれた。
「まあよ、今回はゾロが悪かったんだろ」
「サンジの半纏、直前になって隠しちまったんだってな」
「そうそう。ひでえよな」
「え・・・」
どうやら半纏を隠されて神輿を担ぐことができなかったことになっているらしかった。
「そりゃあよ、惚れた奴の珠の肌を他の野郎どもに見せたくねえって気持ちは解かるけどな」
「今さら、俺ら町内のガキの頃からのよしみでそりゃあねえよなっ」
「そ・・・うだよな」
皆が朗らかに笑うのでサンジは苦笑するしかなかった。
「なあ、桜湯に浸かった後のお疲れさん会、サンジも来るだろ」
「え、でも」
「このあと店開けんのかい?」
「いや・・・」
「なら行こうぜ」
ちらりとゾロを見遣ると然りと頷くからサンジは「いいのか?」と念を押して訊いた。
「水臭えこと言うなよっ、あったりまえだろ!」
「なあ」と周囲へ同意を求めると野太い声が「おうっ」と上がる。
「んじゃあ、寄せてもらうぜ」
「おう、じゃあ皆とっとと湯に浸かって汗流そうぜ!」
ウソップが音頭とりよろしく声高に言うと、これにも「おうっ!」と男衆の応えが返り、皆がぞろぞろと桜湯のほうへと動き出す。
「行こうぜ」
ゾロが神妙な貌で手を差し出してくる。
(・・・しょうがねえ、この辺で赦してやっか)
溜め息を1つ吐いて、その差し出された手を取る。
「ああ」

連れ立って桜湯へと向かう賑やかな一行の最後尾を二人は言葉もないまま並んで歩く。
その手は確りと繋がれていた。




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