シンデレラの誘惑 -2-



鳩が豆鉄砲でも食らったような顔で瞬きしたゾロは、一拍遅れてからうんうんと頷いた。
「そりゃもちろん、お前の門出を祝って俺から盛大にプレゼントさせてもら・・・」
「それじゃダメだっての」
ゾロの言葉を途中で遮り、サンジはぶーっと唇を尖らせる。
「俺はゾロの靴を自分で買いたいんだ。だからプレゼントとか値引きとかはなしで頼みたい。俺はゾロが作る靴が好きだし、値打ちのある物にそれなりの対価を払うのは当然だと思う」
「気持ちは嬉しいが・・・」
尚も言い掛けたゾロを、掌を掲げて制した。
「たださ、ちょっとだけ我儘を言わせてほしいんだ。靴はゾロが、最初から最後まで一人で作ってほしい」
職人を雇い始めたころから、ゾロはなんでも分担して作るように心がけてきた。
技を盗ませると同時に、自分もまた弟子達からいろんなことを吸収したいと思ったからだ。
人にどんなに評価されようとも、ゾロは自分の仕事の出来に決して満足していなかった。
修業に終わりはなく、日々鍛錬だと思っている。
「俺一人で作るとなると、それなりに時間がかかるぞ」
「最初からそのつもりだよ。今から依頼すれば、俺の誕生日辺りに間に合うんじゃね?」
それもそうかと、ゾロは得心した。
「だったら尚更、18歳の祝いに送りたいところだが」
「それはダメ。ゾロからのプレゼントなんて毎日貰ってるようなもんだし、もう何もいらないよ」
そう言って笑うサンジは屈託がなくて、ゾロの方が戸惑ってしまう。

いつからか、それとも最初からだったのか。
サンジはゾロにずっと好意を抱いているようだった。
兄と呼ぶには年が離れすぎてはいるが、それと似たような思慕なのだろうとゾロも弟のように可愛がってきたつもりだ。
だが、ゾロが望めばいつだって飛んできて美味い物を食わせてくれるし、約束の日じゃなくても少し具合が悪いとみると、やはり飛んできて甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる。
スタッフ達が「可愛い恋女房」と揶揄したら、怒るどころか頬を染めて照れていた。
それも子どもの内のことだから考えていたのに、中学生になっても高校生になっても、サンジの瞳はまっすぐにゾロに向けられていてぶれない。
いつの間にか目の高さが同じくらいになり、手足はすんなりと伸びやかに成長した。
顔立ちも子どもらしい甘さが抜けて、代わりに色めいた艶が現れた。
正直、いまではちょっとした仕種にドキリとさせられることもある。
その上で、以前と変わらぬ眩しいほどの笑顔を向けられると、年甲斐もなく浮かれた気分になるのは否めなかった。
それでも大人の分別がゾロを冷静にさせる。

「話は分かった。じゃあ改めて、ご注文承ります」
「やったあ」
サンジは椅子を浮かして伸び上がり、それから居住まいを正して「よろしくお願いします」と頭を下げた。

コックにならないだのスタイリストになるだの、色々と驚かせてくれた上に、唐突な靴の注文だ。
ゾロにはビックリの連続だったが、それでも嬉しいことに変わりはない。
「じゃあ早速、今夜測定するか」
そう提案すると、サンジは箸を持ったままきょとんとしてからカッと頬を染めた。
「え、もう?」
「善は急げって言うだろ。どうせこれから何度も測定して、デザインや素材やら打ち合わせすることは山ほどあるんだ。始めるのは早いに越したことはない」
ゾロの言葉にそれもそうかと頷きつつ、なぜかモジモジとしている。
「でも、まだ心の準備が・・・」
「なに言ってんだ、自分で注文しておいて。食い終わったら工房行くぞ」
ゾロが茶碗を傾けて締めのお茶漬けを啜ったら、サンジは慌てて箸を置いた。
「わかった、じゃあ足洗ってくる」
「はあ?ウェットティッシュでいいだろが」
「そうはいかない、風呂場貸して」
そう言い置いて、逃げるように席を立ってしまった。


サンジはジーンズだけ脱いで、乾いた浴槽に腰を下ろして足元にシャワーを掛けた。
石鹸を泡立てて、ゴシゴシと指の股まで念入りに洗う。
待望の靴の注文はできたけど、まさか当日足の測定を提案されるとは思わなかった。
急だけど嬉しい。
嬉しいけど、やっぱり心の準備ができていなくてちょっと困る。
「・・・あーでも、いざ測定って時に靴脱いで靴下から足出すより、ましかな」
こうして事前に足を洗えるのは、いいよなあ。
ブツブツ言いながら、シャワーで泡を洗い流した。
足の裏と指の間、踵を確認してからもっかい指を見る。
足指にひょろひょろと生えている数本の毛が気になった。
抜いちゃおうか。
そのずっと上、すね毛はもっとふさふさしている。
このまま剃っちゃおうかな。
でもつるんつるんだと却って不自然かな。
剃った後の毛穴って、目立つんだろうか。

無駄毛の処理に思考が逸れて、いやいや待てよと考えを改める。
ともかく、靴を作るための測定なんだから毛のことは一旦置いておこう。
それより足だ。
ゾロに足を触られるんだから、やっぱりちゃんと綺麗にしとかないと。
サンジは洗い流された片足を両手でひょいと持ち上げて、鼻先を近付けた。
くんくん・・・
匂わない、かな?
でもやっぱもうちょっと。
再び石鹸を泡立て、さっきより念入りに指の股から踵からつま先までを丹念に洗う。

綺麗に綺麗に足を洗って、いざ風呂場から出ようとしたら結局スリッパを履いて歩かなきゃならないことに気付いた。
せっかくピカピカにしたのに。
いっそのこと、逆立ちで工房まで進もうか。
馬鹿なことを考えつつ、観念して裸足をスリッパに突っ込む。
後はウェットティッシュ様の力を借りるしかない。

「おう、遅かったな」
サンジを待っている間に、ゾロは食器の片付けを済ませて茶を飲んでいた。
「あ、全部任せて悪い」
「なに言ってる、こっちは食わせてもらってんだ」
それじゃあ早速行くぞと、立ち上がり工房へと歩き出したゾロの後について行く。
パチパチっと電気を点けると、サンジもよく見知った工房の中が照らし出された。
ここだけは、店を広げる前の時から変わっていない。
独特の匂いと雑多さ。
ゾロが作業着を身につけ、一人でここに篭っている時の背中を見ているのが好きだった。
それは今も、変わりはない。
「それじゃ、こちらへどうぞ」
促されて、椅子に腰かける。
今日は、サンジはゾロのお客様だ。

「あ、ウェットティッシュ・・・」
足を出して拭こうとすると、ゾロに呆れられた。
「いま洗ってきたところだろうが」
「や、でもスリッパ履いたし」
「いいから」
ゾロの手が、サンジの踵を掬い上げるようにして台に乗せた。
大きな掌は温かく、乾いてかさついている。
「大きくなったなあ」
ゾロは、サンジの裸足を前にしてしみじみと呟いた。
なんだか恥ずかしくて、全身の細胞がきゅんと縮んでしまいそうだ。
「いま測定すると、サイズ小さいかも」
「なんでだ?」
ゾロは笑いながら、サンジの足指に触れた。
今度はじゅん、とサンジの中でなにかが潤む。
動揺を表に出さないようにしようと思うのに、無意識に足指が丸まった。
「こら、力抜け」
「だって、緊張する」
縮こまった足指を促すように、ゾロの指先が指の腹を擽る。
思いのほか優しい仕種に、サンジはますます気持ちが高ぶってしまった。
多分、もう立ち上がれない。

強張ったサンジの足元に跪き、ゾロは宥めるように甲を撫でた。
「意外と、緊張する性質なんだな」
「違うよ、いつもこんなんじゃねえ」
サンジは膝の上に肘を乗せ、両手で顔を覆っている。
指の間から覗く皮膚は、どこもかしこも真っ赤だ。
「ゾロだからだ、ゾロに足を触られてるって思うだけでもうダメだ」
「―――・・・」
ゾロは、サンジの足に触れている自分の手を見下ろした。
「もしや、セクハラ扱いか」
「セクハラって、ハラスメントじゃないから、いいよ」
指の間から、潤んだ瞳が恨めし気に覗く。
ゾロは溜め息を一つ付いて、跪いたままサンジの片足を自分の膝に乗せた。
「大人をからかうのもほどほどにしなさい」
「か、からかってなんかないよ!」
サンジは、ゾロの膝に載せた足をぎゅっと丸めた。
それから、すすっと僅かに摺り寄せる。
「ずっと、ゾロに靴作ってほしいって言いたかったんだ。でも、成長期の間は言えなかったし、もうそろそろ大きさも変わらなくなってきていいかなって思い出した頃にはもう、意識し過ぎてて・・・」
すりすりと、サンジの足がゾロの太腿をモジモジと擦る。
「こんな風に、生足触られるとか想像してた以上にヤバい。なんかもう、色々やばい」
ゾロは、少しずつ移動している足を宥めるように足指に指を絡めた。
「・・・あ」
「お前は本当に、足癖が悪いな」
そう言いながら、指の股に触れ土踏まずを撫でた。
足先から電流が走るようで、サンジは座ったまま身を震わせる。
「あ、ヤバいって、マジで」
「指だけで、か?」
ゾロが意地悪そうに笑う。
その口元を見ているだけで、背筋にゾクゾク来た。
「マジで」
涙目で喘ぐサンジに、ゾロは片足をひょいと持ち上げてその甲に唇を付けた。
「・・・ひゃっ」
「大人をからかうと、お仕置きだ」
そう言って親指を口に含むと、その生温かい感触にサンジは小さく悲鳴を上げて爪先を震わせた。




next