シンデレラの誘惑 -1-



今日のメニューはカジキの煮付けに牛肉のたたき、揚げ牛蒡のピリ辛煮とたっぷりの野菜を適当に―――
頭の中で反芻しながら、通い慣れた道を歩く。

祖父への誕生日プレゼントとして高価な靴を注文した日から、出世払いと称してサンジは週一回のペースでゾロに夕食を届けている。
今思えば、最初の料理なんてママゴトみたいなものだっただろうに、ゾロは美味い美味いと喜んで綺麗に平らげてくれた。
人に食べてもらえることの喜びを知ったサンジは、以来、毎週欠かさずゾロの家に通っていた。
そうしていつの間にか、8年の月日が流れていた。

祖父に素直に感謝の言葉を伝えられない代わりにゾロにオーダーメイドの靴を注文した行為は、今思えばあまりにも無鉄砲で恥ずかしささえ覚える。
だが、結果的に祖父には感謝の気持ちが伝わったし、ゾロとの縁もできた。
代金は当時のサンジが考えていた金額と桁が違ったが、差額は毎週サンジが提供する夕食で相殺すると言ってくれた。
サンジが何より嬉しかったのは、子どものすることと軽んじることも甘やかすこともなく注文を引き受け、正規の料金を請求してくれたことだ。
小学生が払うには大きすぎる額だったけれど、正当な客として扱われたことがなにより誇らしかった。
それが、この先のサンジの自信にも繋がった気がする。

小学校を卒業する前に、ゾロから一度「これでもう返済は終わったから」と言われたことがあった。
借金を返し終わった安堵よりも、もうお前の食事は必要ないと言われたようで哀しくてつい涙目になってしまったら、ゾロが慌てて「今のなし!」と叫んだ。
思い返せばべそを掻いたことが恥ずかしいけれど、珍しくうろたえたゾロの姿はなかなかにおかしかった。

懐かしく思い出している内に、ゾロの工房が見えてきた。
勝手口から出て来た店員が、サンジを見て笑顔で声を掛ける。
「おかえりサンちゃん」
「ただいま、お疲れ様でした」
毎週夕食を作りに通っているだけなのに、「おかえり」と声を掛けられると何とも面映ゆいが嬉しい。

サンジがゼフの靴を注文した頃、ゾロの工房は一人で営んでいた。
だが、いくら宣伝を控えても口コミで評判は広がり、あっという間に生産が追い付かなくなった。
納得のいくものを作りたいと、あくまで一人で作ることにこだわったゾロを説得したのは、当時中学生だったサンジだ。

ゼフが、ゾロの靴で歩行が楽になったように、ゾロの靴を必要とする人はきっともっとたくさんいる。
希望する人に靴を渡すことが出来なくて、なんで靴屋さんと名乗れるのかと。

サンジの言葉に、ゾロはハッと目が覚めたような顔をした。
必要としてくれる人に提供できないで、なにが靴職人か。
自分のやり方に拘っていっぱしの職人を気取るなど、ただの自己満足に過ぎない。
そう気付いたゾロは、早速店の区画を広げ人を雇って、きちんとした店舗に改装した。
弟子入り志願者も積極的に受け入れ、今ではスタッフ5人、職人3人を抱える大所帯になっている。



「こんばんは」
すでに灯りが落とされた店舗部分を横目に、勝手口の扉を開けた。
部屋の奥から「おう」と応えがある。
「お疲れさん、早かったな」
顔を出したゾロは、部屋着に着替えすっかり寛いだ格好だった。
サンジが来る曜日には店も早仕舞いし、先に風呂にも入って後はビールを飲むだけといった形で待ち構えている。
それだけ心待ちにしてもらっていると思えば、サンジだって悪い気はしない。
「そうでもねえよ、すっかり日が長くなったからそんな感じ?」
勝手知ったると言った風台所に立ち、持参した料理を手早く温め始めた。
そんなサンジの肩越しに、ゾロが手元を覗き込むように背後に立つ。
「今日のメニューはなんだ?」
もういい年したおっさんなのに、まるで子どもみたいに嬉しそうに問われ、サンジは気配の近さに一瞬手を止めてから、ふふんと余裕をみせて鼻で笑った。
「すぐできっから、座って待ってろって」
「ちぇ」
つまらなそうに呟いて、背中から離れる。
内心、心臓がバクバク鳴っていたが動揺を見せないようにわざとゆっくりレードルを掻き混ぜ、息を整えた。


「美味そう、いただきます」
「お待たせ、どうぞ召し上がれ」
並べられた料理に目を輝かせ、顔の前でパンと手を合わせたゾロはそのまま軽く会釈してから箸を手に取る。
この瞬間を見るのが、サンジのなによりの楽しみだった。
自分が作った料理に嬉しそうに箸を付け、パクパクと食べ進めてくれる気持ちよさ。
それが、大好きな人だったならなおのこと。

「お前も食えよ」
肘を着いてにんまりしながらゾロを見守っていたら、その視線に気付いたか手を止めて箸で指図する。
行儀悪いぞと窘めて、サンジも自分の料理に箸を付けた。
「うん、美味い!さすが俺」
自画自賛するサンジに目を細め、グラスを傾けてビールで喉を潤す。
ぷはーっと息を吐いてから、ゾロは空のグラスをテーブルに置いた。
すかさず、サンジが新しい缶ビールを開けて注ぐ。
「来年は、どこの学校に進むんだ?」
親戚の伯父さんみたいなさりげなさで尋ねて来るから、サンジも何でもない風に答えた。
「んっと、予定ではイーストブルー」
「近いな。ってか、イーストに調理師学校あったっけか?」
調理師専門学校でポピュラーなオールブルーは、確か都心にあったはず・・・
「俺、調理師にはならねえよ」
サンジの答えに、ゾロはふーんとグラスに口を付けてから、なんだと?!と目を剥いて振り向いた。

「調理師にならねえ?」
「うん」
「なんでだ?こんな美味い飯作るのに、おやっさんの後を継いでコックになるんじゃねえのか!?」
ゾロの勢いに首を竦め、サンジは呑気にもぐもぐと咀嚼してからウーロン茶を飲む。
「店は、パティ達がいるから別に跡継ぎ必要ねえし。支店もまた増えるしな、ジジイの弟子はいっぱいいるし」
「しかし、こんな腕を持ってんのに」
「褒めてくれてあんがと。でも俺、他に夢があるから」
サンジはそう言って、にっこりと笑った。
「正直、毎週こうしてゾロに食ってもらえるだけで俺もう大満足なんだ。もちろん、自分の料理を喜んで食べて貰える喜びって、あると思うしわかるよ」
「それなのに、他に夢ってえのは・・・」
戸惑うゾロに、サンジは悪戯っぽく目を眇める。
「半分、ゾロのせいでもある」
「俺の?」
「うん、ゾロの靴に出会って、機能性だけでなくデザインやファッション性の大事さも知って、そっから色々興味が湧いちゃったんだ」
そう言って、くいっとウーロン茶を飲み干した。
「俺、スタイリストになる」
「・・・はァ?!」
目を丸くしたゾロに、サンジはしたり顔で頷き返した。
「そういうことだから、俺の門出を祝って欲しいな」
ゾロを驚かせたことに満足し、この勢いに乗じて長年の夢を叶えるつもりだ。
「もちろん、今度はちゃんとお金で払うよ。ゾロ、俺の靴を作ってよ」
子どもの頃から温め続けていた夢の扉を、サンジはいま、自分で開いた。




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