新婚さんいらっしゃい
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真新しい浴槽をざっと洗い、サンジは洗面所で身支度を整えてからリビングに戻った。
ゾロのようにタオル一枚で脱衣所を出る勇気は、まだない。
ゾロは大所帯で育ったらしく、幼い頃から剣道を習っていて合宿などにも頻繁に参加していたから他人との距離の取り方も自分の在り方も無意識に心得ているのだろう。
それに反して、サンジは家族とも他人ともうまくコミュニケーションを取れなかったから、今でもどう接していいかわからない。
自分自身との付き合い方にも悩むぐらいだ。

「いいお湯でした」
「おう」
ダイニングテーブルでノートパソコンをいじっていたゾロは、ちらっとサンジに視線を寄越してから画面を見、再度サンジを振り返った。
「どっか行くのか?」
「いんや」
サンジが、パジャマを着ていないからだ。
「寝間着、持ってねえのか」
「持ってるけど、寝る前に着替えりゃいいだろ」
パジャマ姿で夕食をとるとか、考えたこともなかったから驚かれた方が意外だった。

「飯、もうちょっと待ってろ」
「先にビール飲んでていいか」
「いいけど、飲むんだったらつまみいるだろ」
ゾロはただ、酒が飲めればいいだけだからつまみなどいらない。
対して、サンジは酒を飲むときは酒の肴が必須だと思っている。
一緒に暮らし始めて早々、細かな部分で小さな齟齬が散見される。

「俺ァ大人しく飲んで待ってっから、ゆっくりしろ」
「うーん…」

結婚すると決めた時、二人で家庭内での分担を考えた。
ゾロは自営業で設計の仕事に携わっており、基本的に在宅勤務だ。
出張は度々あり、現場に出ると距離によっては半月ほど家を留守にすることもある。
サンジは、港町の食堂でコック兼ウェイターの仕事を見つけてきた。
火曜日ともう一日、自由に休みが選べて勤務時間も定まっている。
トータルで考えればゾロの方が在宅時間は長いので、掃除や洗濯はゾロが請け負った。
食事の担当はサンジだ。


「よしできた、ちょっと場所開けろ」
調子よくキーボードを叩いていたゾロが、「んー」と生返事をしながらパソコンを持ち上げる。
「やっぱり、お前の仕事机いるだろ。もしその上から汁物でも零したらシャレになんねえし」
「確かになあ」
「寝室兼書斎にすりゃいいんじゃね」
「んー…」
仕事のことを考えているのか、上の空だ。
ゾロは集中力が高いので、いったんスイッチが入ってしまうと人の話が耳に入らなくなる。
せっかく熱々で美味しいのができたのになと思いつつ、無理にせっつくのも遠慮されてサンジは黙って料理を並べた。
視線に気付いたか、ゾロは思い切るようにノートパソコンを閉じて、空いている椅子の上に乗せた。
「うし、いただきます!」
「いただきます」

ゾロは三本目の缶ビールを開けて、サンジのグラスに注いでくれた。


深い森と豊かな海に恵まれた立地らしく、食材はどれも安値で新鮮だった。
どっさり買い溜めたくなったが、毎日にでも買い物に出ればいいのだと思い直して購買欲を抑えた。
それでも、ゾロが荷物持ちについてきてくれるとつい、買いすぎてしまう。

「明日から俺、仕事じゃん」
「ああ」
「自分が飲む酒ぐらい、自分で買って来いよ」
「ああ」
サンジは海老とキノコのアヒージョを一口食べ、ビールで喉を潤して「美味エ~」と一人で唸ってから、待てよと顔を横に向けた。
「やっぱダメだ、お前に買い物任せるととんでもねえ量買い込んじまう」
「大丈夫だ、俺が買える範囲で買う」
「そんなん言って、自分の小遣い分全部酒につぎ込むだろ」
「持てる分しか買わねえ」
「ビールケース五箱ぐらい、軽く持つじゃねえか」
ゾロは視線を斜め上に逸らし、密かにチッと舌打ちをした。
「なにその、バレたかって顔」
「別に」
「やっぱダメだ、酒類は俺が同伴じゃないと買うの禁止」
「俺の酒だぞ」
「いくら酒に強いからって、がぶがぶ飲みすぎんじゃねえっつてんだよ」
そう話している間にも、ゾロは三缶目を開けている。
「買い物したら、レシートは全部俺に寄越せよな」
ゾロの眉間の皺が、ますます深くなった。
「俺にバレねえように多目に買い込んで、昼間から酒飲むとか、なしだから」
「――――・・・」

非常に不満そうだが「俺の金をどう使おうがガタガタ言うな」との言葉はなかった。
そのぐらい反発されるかと予想はしていたのに、拍子抜けだ。

サンジが箸を止めてじっとゾロを見つめると、ゾロも見つめ返してくる。
「なんで、俺が酒飲むのを止める?」
「別に、止めてなんかねえよ。ただ、飲みすぎんなっつってんの」
「お前と比べて飲む量は多かろうが、特に酔っ払いもしねえぞ」
「酔っ払わないからって、たくさん飲んでいいってことじゃねえ。肝臓が丈夫だからとか、根拠のない自信持ってんじゃねえぞ。そもそも飲み過ぎは―――」
そこまで言ってから、サンジは唇をもごもごさせた。
これではまるで、ゾロの身体の心配をしているみたいじゃないか。
実際、心配だから言っているのだけれど、素直にそう伝えるのはなんだか癪だ。

「飲み過ぎは・・・なんだ?」
「・・・なんでもない」
サンジはぷいっと顔を背け、肉じゃがに箸を伸ばす。
その頑なな態度にゾロの方が口端を上げて、苦笑を漏らす。
「わかった」
「え?」
「酒は、お前と一緒じゃねえと買わねえよ」
「――――・・・」
箸を止めたサンジの前で、ゾロは頬袋を膨らませて黙々と咀嚼している。
「いいのか?」
「ああ、お前が止めろって言うことなら、それなりに筋が通ってることなら止める」
ビールを飲んでから、手の甲で口元を拭った。
「それが、約束だ」



ゾロと結婚するにあたり、サンジは相当細かくルールを決めた。
同性と結婚するという特殊性だけでなく、誰かと寝食を共にする不安感がそうさせたともいえる。
そしてゾロは、その一つ一つをよく覚え律儀に守ろうとしてくれている。
この“約束”もその一つだ。

どちらかが「やめろ」といったことに対し、それ相応の理由があるのなら「やめる」こと。

サンジははっきりと「ゾロの身体が心配だから飲みすぎるな」と理由を説明していないが、そこは推し量ってくれたらしい。
優しいな、と思う。
なんでこんなに自分に対して優しいんだろう…とも思う。
婚姻関係を結んでおきながらいまだお互いの気持ちを確認どころか自覚もできていないから、すべて手探り状態だ。


「その代わり、ワインフェス行こうぜ」
なんの代わりかわからないが、フォローめいたことを言ってしまう。
「当たり前だろ」
ゾロはそこで、真顔で目を見開いた。
その仕種がおかしくて、サンジは缶ビールを持ったまま笑い出した。
ちょっと、酔いが回ったようだ。





ゾロが皿を洗ってくれている間に寝巻に着替え、ベッドメイキングをする。
広くて大きなベッドはスプリングもちょうどよい硬さで、寝心地がよさそうだ。
真新しいシーツを敷き枕カバーをかけ、ふかふかの掛布団を乗せて掌で撫でる。

―――これからここで、二人で寝るんだな。
「二人で寝る」の単語に、赤面してしまう。
アルコールのせいだ、きっと。

どっちに寝るかと左右の端を行ったり来たりして、向かって右側に落ち着いた。
ゾロとの間に、細長い抱き枕を境界線代わりに置こうかとか、色々考えていたら後片付けを終えたゾロが部屋に入ってきた。
「歯磨き、したか?」
「ああ」
臆することなくベッドの左側に寝転ぶと、両手足を伸ばしてシーツを撫でた。
「お、いい感じだな。よく眠れそうだ」
「お前、どこででもよく寝るじゃん」
サンジの軽口にも気分を害した風でもなく、ゾロは目を閉じてベッドのスプリングを確かめている。

「…えーと」
二人で並んでベッドに腰かけるも、何もすることがなくて間が持たない。
いまさらテレビを点けるのもわざとらしい気がするし、DVDを借り損ねたし。
男二人でベッドに並んで腰かけてるのも、そもそも不自然っていうか気づまりっていうか―――ー

「そうだ、UNOでもするか?」
トランプやカードゲームもどこかにあったと思い出し振り返れば、ゾロは仰向きで寝転がったまますでに寝息を立てていた。
「嘘」
どこででも寝ると知ってはいたが、本当に秒速で寝落ちするらしい。
サンジは眠るゾロの横顔を角度を変えてじろじろと眺めた後、ふっと肩の力を抜いた。
まあ、いいか。
これからずっと、こうして二人で暮らしていくのだ。

今日は引っ越し初日で、なにかと疲れたのだろう。
自分も相当、気疲れした。

「お休み」
眠るゾロに声を掛け、リモコンで部屋の明かりを消す。
大きなアパートだが防音設備がしっかりしているのか、隣人の生活音は届かなかった。
カーテンの隙間から、清かな月の光が垣間見える。

真新しいシーツの匂いに包まれて目を閉じると、サンジもすぐさま穏やかな眠りに落ちた。




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