新婚さんいらっしゃい
-1-



ロロノア・ゾロ
     サンジ

と併記された表札を、ドア横のプレートに嵌め込む。
一歩下がって曲がっていないか確認し、どちらからともなく「うん」と頷き合った。

「なんか、いい感じだな」
「そうだな」

「ロロノア・サンジ」の名前は気に入っている。
なので、ゾロの下に表記されるのは照れくさいがなんか嬉しい。
「なんか、新婚…って感じ?」
口に出して呟いてから、しまったと思った。
一人だけ、新婚状態を楽しんでいるみたいでカッコ悪い。
そう思うのに、ゾロは隣で再び「うん」と相槌を打ってくれた。
「そうだな」
その横顔が、まるで上機嫌だと言わんばかりに笑みを浮かべていたので、サンジはホッと安堵する。
『新婚』で、いいんだ俺たち。


同性婚が認められた地域で籍を入れ、サンジはゾロの姓となった。
そうして二人で風光明媚な島に引っ越し、仕事を求めて新居を構えた。
新生活のスタートを祝うように、真新しいアパートにも無事入居できて幸先がよい。
1LDKの部屋は二人で暮らすには十分な広さで、キッチンも使い勝手がよさそうだ。
ここで毎日、ゾロのために料理をするのだと思うと自然と胸が弾む。

食器棚やクローゼットは備え付けだ。
オーブンレンジや冷蔵庫は、あらかじめ注文して設置してもらっている。
それから、寝室に巨大なダブルベッドがどんと一つ。
それ以外は、特に何もないシンプルな部屋だからベッドの存在感が際立つ。

「まず、寝る場所がねえと」
ゾロはそう言って満足気だが、サンジは気恥ずかしくてまともに寝室に目をやれなかった。
これから毎晩、二人でこのベッドで眠ることになる。
サンジは寝相が悪くないし、ゾロもそんなにゴロゴロ転がらないそうだから、両端に横になれば充分休める広さはある。
が、どう転んでもダブルベッドなので、なんだかとっても気恥ずかしい。

「机とかソファとか、選びに行くか」
「んー、ゾロが仕事で使うならいるけど。俺、キッチンのテーブルで充分だぞ」
「だったら俺もそれでいい。わざわざ仕事のためにデスク買うほどでもない」

サンジは料理人で、ゾロは設計士だ。
自宅に持ち帰って仕事をすることもあると聞いていたが、スペースはそれほどいらないらしい。

ダイニングテーブルをどんと置くと、リビングにソファを置くスペースはなくなる。
寝室にはでかいベッドがあるし、ソファを買ったとしても置き場所がない。
「壁かけテレビ付けたら、ベッドに寝そべって見られんだろ。いっそ、ソファいらなくね?」
「…お前がいいなら、それでいいけど」
サンジはテレビを見ながら寛いだことがないので、なんとなくソファに憧れを抱いていた。
でも、この広いダブルベッドで寝そべってテレビを見るのも、悪くない。
自堕落に過ごしても怒られない生活が、これから始まるのだ。

「寝ながらポテチ摘まんで、映画鑑賞」
「典型的だけど、俺それ、やったことねえんだ」
「やろうぜ」

早速DVD借りてこようとゾロが外へ出たので、サンジも呆れながらついて出る。
「それよりまず、ラグとか買おうぜ。これから先、フローリングだけだと足元が寒い」
「そうか」
「それから食器とか、洗面用具とか。あ、シャンプー」
なにがいるかなと、一日の行動を思い起こしながら指を折る。
「あ、トイレットペーパーとかねえ。掃除用具とか、芳香剤も」
「メモしろ」
「あと、DVD借りるならカード作んねえと」
「カード持ってねえのか?」
「だって俺、名前変わったし」

ふふっと、思い出して微笑む。
「あれもこれも、まず名前直さねえとな。大変だ」
口ではそう言いながらも、嬉しさが隠し切れなくてつい笑みが零れてしまう。
「ならやっぱり、最初にDVDだ」
「優先順位が、それかよ」
迷いなくサクサク歩くゾロの横について、サンジは時折肩からぶつかって軌道修正させる。
「そっちじゃねえっての、街はこっちだ阿呆」
曲がり角に差し掛かるたびに、なぜか右へ右へと行きたがるゾロを引き留め、とうとう業を煮やしてその手を掴んだ。
ゾロがじっと、サンジを見つめる。
「なんだよ、嫌なのかこの迷子野郎」
「別に、嫌じゃねえし。迷子でもねえし」
「いいだろ、俺ら新婚さんなんだから」
サンジが耳を赤くしてきっと前を見据えているのに、ゾロは手首を掴むサンジの手を握り返して指を絡めた。
「そうだな」
恋人繋ぎに変えられてサンジは口元をモゴモゴとさせていたが、その手を振り払ったりはしなかった。



移住者募集のパンフレットを見て一目ぼれした島だった。
引っ越し初日から天候に恵まれ、パンフレットそのままの景色が美しい。
港町から、緩やかな螺旋を描くまゆげ山が眺められる。
晴れた夕空には黄金色に輝く雲が浮かび、まゆげ山の向こうには緑濃い未開の森が見え隠れしていた。
落ち着いたら、あちこち探検してみたいものだ。

生活に最低限の必需品を思いつくままに買い求め、ゾロに手渡す。
どれだけ嵩張ろうと重かろうと、ゾロは平気な顔をして肩に担ぎ腕に抱えて持ち運んだ。
荷物持ちとしては実に優秀だが、ちょっと目を離すとすぐにルートを外れるので常に気配りしなければならない。
「おい、そっちじゃねえ。お前、すぐに未開の森の方に行こうとするな」
「ああ?別にそんなつもりねえぞ」
「緑が緑を呼ぶのかねえ」
ゾロに荷物を持たせ過ぎたので手を繋ぐことができず、サンジは肘に腕を絡めてポケットに手を突っ込んでいた。
もう片方の手で煙草を挟み、活気のある港を眺めながら煙を吐く。

「市が結構立ってるな。ああ、ゆっくり見定めてえ」
「今夜の食材は買ったんだろうが、いったん帰るぞ」
ゾロは、先ほど買った酒が気になって仕方がないらしい。
荷物がなければ、多分この場で封を切ってラッパ飲みしている。
「わかったわかった。お、ワインフェスだと」
「なんだと?」
ワインと聞いて、ゾロの顔がぐるんと振り返る。
反応が顕著で面白い。

街角に貼られているポスターを指さし、サンジはふうんと興味深げに顔を寄せた。
「教会の前で開催されるワインの祭典だと。豪華賞品が当たるテイスティングか…賞品はともかく、テイスティングには興味があるな」
「俺もあるな」
「あのな、味わうんだぞ。大酒飲み大会じゃねえぞ」
「わァってる」
どうだか…と嘯いて、港町を後にする。
いつの間にか夕陽は落ちて、街のあちこちに明かりが灯り始めた。

まずはDVDと意気込んでいたはずなのに、街に出てすぐ生活雑貨に目を奪されたサンジはあれこれと買い求め始め、結果的にレンタルを忘れていた。
食材を冷蔵庫に仕舞いながら思い出し、「しまったな」と一人呟く。
「おい、先風呂入るぞ」
「ああ、飯の支度しとく」
「続いて入るか?」
「うん、汗でベタベタだ」
秋とはいえ、まだまだ残暑が厳しく日中は汗ばむほどの陽気だった。
食事前に風呂に入ってさっぱりとしておきたい。

買ってきたシャンプーとリンス、それに石鹸や洗面器といった細々としたものは、全部ゾロに渡してしまった。
適当に置いておいてくれるだろう。
新品の冷蔵庫にウキウキしながら食材を入れ、食器棚に皿を収納し引き出しに調理器具を仕舞う。
湯を沸かし炊飯器をセットして、出汁を取っていたら風呂場の戸が開く音がした。

「お先」
「早っ」
サンジは振り返り、半裸のゾロを二度見した。
「さっき入ったとこだろうが!」
「さっぱりした」
「嘘だろ、お前絶対身体洗ってねえだろ」
「洗った、頭も洗った」
ゾロは首に巻いたタオルで、ガシガシと濡れた髪を拭った。
「烏の行水も、いいとこだ」
「風呂、開けて来たぞ」
「わーったよ」
出汁を引いて手早く漉すと、そのまま鍋に入れて冷ます。
風呂上りに調理しても、すぐに出来上がる。

「じゃあ、ひとっ風呂浴びてくる」
「ゆっくりして来い」
ゾロの「ゆっくり」がどの程度の時間なのか、謎だなと思いつつ風呂場に向かった。

風呂の戸を開ければ、湯気と共に石鹸の匂いがした。
確かにちゃんと、身体は洗ったようだ。
「シャンプーとリンス…トリートメントもここでよし、と」
位置を確認し、洗顔フォームを足す。
真新しいユニットバスは少し狭いが、一人で入る分には充分な広さだ。
そう考えてから「一人でってなんだよ」と自分で突っ込んだ。
当たり前じゃないか、風呂ってのは一人で入るもんだ。

丁寧に髪を洗い、髭を整えて顔を洗う。
さっぱりとして湯船に浸かった。
いい心地だ。
二人暮らしで毎日風呂を張るのも贅沢かなと思いつつ、やっぱ風呂はいいなとリラックスする。
と、入浴剤で淡く色づいた水面に浮かぶ毛に気付いた。
細くて縮れていて、緑だ。
「―――――― …」
気が付けば、もう一本湯に沈んでいた。
探せばもっと、あるかもしれない。
サンジはそうっと指で掬い集め、湯を掛けて流した。
自分が先に入る時は気を付けないと、と改めて思う。
そうしてこれが、誰かと暮らすってことなんだなあと、しみじみ思った。



next