Silent noise
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見張り台の上で、ナミが膝を抱えて座っている。
ゾロは上を見上げてしばし考えたが、そのままマストを登った。

膝を抱えて蹲る傍らに酒を置き、手すり越しに声を掛ける。
「見張りが寝てちゃ役に立たねえだろ」
「誰が寝るか、あんたじゃあるまいし」
間髪入れず突っ込まれた。

膝の間からナミがもそもそと顔を上げる。
目元が赤い。
「飲むか?」
ゾロが指し示す酒に頷いて、座る位置をずらした。



「サンジ君が嘘を吐いてるから、怒ってるんじゃないのよ」
ナミの言葉に、ゾロは改めてその顔を見る。
「わかってるわよ私だって。あんなの嘘だってことくらい。誰だって・・・言いたくないこと、あるよね。
 けどねえ、やっぱり・・・こんなに心配したのにって、思っちゃう。馬鹿ね、誰も心配してくれだなんて
 思ってないのに・・・」
勢いつけて酒をラッパ飲みした。
ゾロが慌てて引っ手繰る。
「んな飲み方すんな。俺の分が無くなるだろうが」
「どうせあんた、そんなの1本じゃ足らないでしょう。なんでもっと抱えてこないのよ」
「アホか、俺も飲みてえ気分なんだよ」

そう言って酒を呷るゾロの喉仏辺りをナミはぼうっと眺めていた。
ふ、と自嘲するように笑う。
「あんたこそ、もっと怒るかと思ったわ」
「俺がか?」
こくりと頷いて、また前を見る。
「もっと怒ってサンジ君のこと殴って、喧嘩になるかと思ったのに・・・」
ゾロはちっと舌打ちして酒をナミに返した。
「殴れっかよ、あんなひょろけた奴を・・・」
「ゾロ、あんた気付いて・・・」
「じゃあてめえ、あれは気付いていたか?あいつの手首」
「え?」
ナミが目を見開く。
サンジが痩せたことはわかっていたが、手元はきっちりとカフスが止められてスーツもやや大きめのものを
着ていたようだ。

「手首がこう、ぐるっと輪になってどす黒く色が変わってた」
ナミは息を呑んで口を噤む。
どういう意味か瞬時に悟ったらしい。
「それじゃ、サンジ君」
「てめえでケリつけて来たんだろうが」
だからもう、これ以上問い質すなとゾロは言外に言っている。



「けどね・・・」
ナミは遣り切れなさに顔を歪めた。
「私たちって仲間じゃない。そりゃあ仲良しべったりって訳じゃないけど、サンジ君が誰かに捕まって危害を
 加えられたのなら、私たちにも報告すべきじゃないかな。またいつ私たちも狙われないとも限らないし・・・」
ナミの言うことは尤もだ。
だがゾロの本能がそういった類の話ではないと気付いている。
「なにより海賊のことを知ってるあのコックが黙ってるんだ。その必要はねえんだろうよ」
そう思ったからこそ、ルフィはこれで終わりだと言った。
サンジを信用してのことだ。

「悪いけど、私は今回のことでサンジ君を見損なったわ。」
ナミの表情は固く険しい。
「一人でピンチを切り抜けたにしても、やっぱり釈明はして欲しかった。おかしな作り話で有耶無耶に誤魔化す
 なんて、して欲しくなかった」
まだ若い、女の潔癖さをそこに垣間見て、ゾロはナミに悟られぬように笑いを漏らした。

本当のところ、自分も同じだ。
どうしたってこのまま、サンジを許すことはできない。





















「ナミさんっ、ロビンちゅわんvv野郎共、おやつだぞーーーーっ」
いつもの掛け声と共に歓声が上がる。
甲板を飛び跳ねながら集まる船長達の間を、サンジはトレイを掲げたままくるくると舞い踊って、
テーブルの上におやつを置いた。
「てめえらちゃんと手え洗ってこい。ささ、ナミさんとロビンちゃんには、フルーツたっぷりタルトと
 ムースですよ。召し上がれ〜」
「まあ美味しそう、ありがとう」
ロビンの言葉ににっこりと笑い、紅茶をサーブする。
ナミもテーブルに着いてはいるが、いつもの軽快さは影を潜めていた。

「ささ、どうぞナミさん」
「・・・ありがと」
昨日のことをずっと引き摺っているのだ。
自分らしくないとナミも思っているが、どうしてもサンジに対して怒っているよとアピールしてしまう。
子供じみた行為だと自覚していても止めることができない。

「お前ら手で掴むな、イスに座って食べろ!一人一皿だっ!紅茶はちゃんと茶漉しを使えっ!!」
サンジの悲壮な声が響く。
後ろ甲板からのっそりとゾロが姿を現した。
「お、寝腐れ腹巻が自主的に起きてきた」
どうやらゾロの分だけ冷蔵庫にとって置いてあるらしい。
サンジはすぐにラウンジに引っ込んで冷えた皿を片手に帰ってくる。

「サンジおかわり」
「いつものことだが敢えて言うぞ、『早っ!』」
ウソップの茶化しに笑って、サンジがケーキを切り分ける。

皆黙っているが、それぞれの心の中でこの幸福を噛み締めていた。
もう二度と、こんな時間が持てないかとまで絶望していたのだ。
サンジが帰ってこなかったら。
きっと、一生。
その思いを、この調子のいい男はちゃんとわかっているのかと、ナミでなくても思いたくなる。





「ナミさん、次の島に着くのはいつ頃かなあ」
遠慮がちにサンジが声をかけた。
ナミは紅茶を飲みながら、横を向いたまま返事を返す。
「一週間もないわ。だからこの間の島では簡単な買い出しだけで済ませたの」
「ああ、そうだったね。」
本来は食費を預かったサンジの仕事だ。
なんとなく気まずい雰囲気で、サンジはロビンのお代わりを入れた。

「まあ次の島では任せてくれよ。こないだのは食費も小遣いもまんま残ってるから・・・」
そう言って、はっとしたように口を噤んだ。
ナミの目がすうと眇められる。
「ふうん、サンジ君お金使ってないんだ・・・」
「あ、いや・・・」
「そう言えば彼女のとこにいたんだもんね。ご飯とか食べさせて貰ってたのね」
「うんうん、そう」
ほっとしたように頷いて、そそくさとルフィ達の元に行く。

「・・・馬鹿ね」
心底呆れたナミの呟きも背中で聞き流したようだ。
ゾロは黙って紅茶を啜りながら、サンジの動きを見ている。







「あらあ?」
ナミが不意に頓狂な声を上げた。
手にしたカモメ新聞を広げ、ちょっとちょっととルフィに歩み寄る。
「この人、どこかで見たことあるんだけど・・・」
「ああ?」
口いっぱい頬張ったままルフィは新聞を覗き込み「あ」と声を上げた。
「こいつ、久しぶりだな〜。元気そうじゃねえか」
「元気そうだけど、捕まってるじゃない」

どれどれと覗き込めば、海賊「ドン・クリーク」逮捕の記事だ。
「内乱で瀕死のところを捕縛だとよ。海軍、うまいことやったなあ」
「この日付だと、もしかして私たちが出航する前のいざこざがこれね」
「ところでこいつ、誰だ?」
チョッパーやロビンは知らない。
ゾロとウソップ、それにナミも見たことはあるが詳しいことはわかっていない。
「あの魚のおっさんの店欲しがってた奴だ。こっちに出てきてたんだなあ」
「芋づる式にかなりの郎党が捕まってるみたいだけど、船は取り逃がしたとよ。船長いなくてやっていけんのか」
「あいつどうしたかなあ、なんつったかな・・・そうそう、ギンだ」
ルフィは顔を上げ、サンジを見上げた。
「なあサンジ、確かギンっつったよな」
「ん?どうだかな。そんな奴もいたような・・・」
サンジは船べりに凭れてタバコを吹かしていた。
「捕まった奴の名前はずらっと書いてあっけど、ギンってのはねえぞ」
「そうか、ならあいつは逃げたな。良かったな」
もう一度サンジを見てそう言う。
サンジもそうだな、とそっぽを向いたまま生返事をした。

「サンジも座れよ。一緒に食おう」
チョッパーの可愛いらしい声に目を細めて、それでもサンジはそこから動かない。
「俺はいいわ。散々味見したんでね。」
「お、そうか。今度は俺に味見させろ」
「てめえじゃ味見で終わらねえだろ」
サンジはそう言って笑って、ラウンジへと立ち去った。






タバコを灰皿に揉み消し、シンクで手を洗う。
何度も擦って手をすり合わせ、それでも足りずに石鹸に手を伸ばしかけた。
駄目だ、と頭で思う。
貴重な水を無駄に使う訳にはいかない。
俺の手は、汚れていない。
洗わなきゃならないほど、汚れてはいないんだ。
そう言い聞かせて、蛇口を閉める。

もう一度タバコを取り出し椅子に座ってゆっくりと火をつけた。







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