霜月 -2-



平日でも、後片付けをすべて済ませると帰宅は10時を過ぎる。
帰宅と言っても店舗兼自宅だから通勤も何もないのだけれど、サンジはちょっと買い物に行って来ると口実をつけて家を出た。
ぶらぶら歩きながら、足は自然と駅に向かってそのまま電車に乗る。
3駅通過すればS駅だ。

―――何やってんだ、俺
ネオンが煌めく黒い窓に映っているのは、なんとも情けない表情の自分の顔。
いくらゾロが初めてこっちに来ているからって、何も自分からノコノコ会いに出かけることはないのに。
いや、会いに出かけるのではない。
ただゾロが泊まっているホテルの看板でも見に行こうかとか、その程度のことだ。
―――おっかけかよ
思い至って、思わず吊革を見上げながら溜め息をついた。
なんせゾロは一人で遊びに来ているわけではないし、一応明日も仕事だし、田舎の仲間が一緒に連れ立っているのだから、サンジがそこに紛れ込むのはちょっと厚かましいし。

―――遊びに来いって、言わなかったしよ
勿論、サンジの仕事が夜までだとゾロは知っている。
田舎の仲間の面倒も見なければいけないと言っていた。
だから、夜だけサンジと逢おうなんて誘いを掛けられる状態じゃないってことも、そもそもそんな風に示し合わすような仲じゃないことも自覚している。
―――示し合わすってなんだよ
今度は吊革に捕まったまま、額を押さえた。

根本的に自分がおかしい。
それはわかっているのだ。
ゾロの田舎が気に入って、いつも会いに行くのは自分の方。
表立って迷惑がられないのをいいことに、勝手にゾロの家に上がりこんで入り浸っているのは自分。
ゾロのテリトリーに入り込んで、人懐っこい田舎の人に受け入れてもらってるのは、自分だけ。

サンジ吊革に捕まった自分の手の甲にごしごしと前髪を擦り付けて、肩を落とした。
そんなゾロが、こっちに出てきたという機会はあったけど、自主的にサンジに会いに来てくれたのが嬉しかったのだ。
無論、サンジだけじゃなくてナミにもコンタクトを取っているかも知れない。
あ、でもナミさんは今取材で南の方に行ってるっけか。
じゃあ、やっぱり俺だけかな。
俺しかいないから、会いに来てくれたのかな。
誕生日だし、ついでだし。
みんなも俺のことを知っているから話のタネに飯を食いに来てくれたのかな。
それでいいのに充分なのに、なんとなく心寂しい。

折角こっちに来てるんだから、事前に知らせてくれたら俺だって休み取ったのにとか、俺のお気に入りの場所に案内するのにとか・・・
そもそも自分だって、ムカデ騒動がある前は連絡もなしに勝手に田舎に来ていたから、人のことは言えないのだ。
言えないのだけど、やっぱり一応メル友なのだから、水臭いと思う。
そう思いながら、示し合わせて会うほどに親しい間柄でもないだろうと自分で突っ込む。

自分は会えて嬉しいけど、もっとゆっくり話したかったけれどゾロはそうでもないのかな。
大体俺は、シモツキという場所に惹かれたんじゃなくてゾロに会いたくてあの村に通っているんだけれど。
ゾロと話してると楽しいし、あの家にいると落ち着くし。
最初はあんまりボロくて汚いから腰を据えるのも勇気がいったくらいだけど、今じゃすっかり馴染んでしまった。
別にギャグ満載みたいな会話じゃないのに、寧ろゾロの口数なんて少なくて俺ばっかり話してるんだけど、すごく話しやすいし聞き上手だし、喋らなくても別にいいし。
空気の流れとか雰囲気とか、そこに自分がいるのが当たり前みたいな不思議な空間だと思ってしまっているんだ。

ゾロはどこまで知っているのだろう。
言わなくてもわかれよとか思うし、気付かれたくないとも思う。
単なる田舎好きなら、あちこちの田舎巡りでもするんだっての。
俺が毎月足繁く通うのはシモツキの村だけなのに。
ゾロの家だけなのに。

再びはあ・・・と溜め息をついて、吊革にこつんと額をぶつけた。
ガタンゴトンと電車の震動に合わせて揺れているのは、疲れ果てて居眠りするサラリーマンや酔っ払いばかり。
誰もサンジの溜め息になんか気付かない。
ほっとするようなうら寂しいような、そんな気分で項垂れた首を巡らして、窓の外に視線を移した。
S駅より一つ前の駅のホームに電車が滑り込む。

―――このまま引き返しちまおうかなあ
馬鹿らしいよなあ。
つか、俺ちょっと怪しいよなあ。

ぐだぐだと迷うサンジの視界に、緑髪の男が飛び込んで来た。
「は?」
思わず声に出して、サンジは口を開けたまま窓の外を凝視した。



電車が動きを止めて、プシューと音を立てながら扉が開く。
「あ」
「おう」
正面でゾロを迎える形になって、サンジは吊革に掴まったままもう片方の手を上げてへらりと笑った。

「偶然だな、どっか行くのか?」
目を丸くしながら笑うゾロに、ちょっと嬉しそうじゃねこいつ?とか勝手に思いつつ、サンジはすぐさまポケットに手を突っ込んだ。
「いやあ、ちょっと野暮用でな。仕事終わってからこっち方面来たんだ。つか、てめえは?」
今日はおっさん達のお守りじゃなかったのか?
そう問えば、ゾロはなんとなく腑に落ちないような不思議な顔つきをした。
「それがな、ホテルの近くにあるカラオケ店に放り込んで、それから俺は一旦ホテルに戻ろうとしたんだ」
「うん」
「それで、ホテルに向かって歩いたんだが結構遠くて」
「うん」
「随分離れてんなと思ってたら、駅に出て」
「うん」
「その駅が、ここだった」
「・・・う〜ん」
つまり、近くのホテルに戻るはずが一駅分歩いて随分離れてしまいましたと、そう言う事なのだろう。
「ま〜、たまーにあるよな、そういうこと」
「だろ?」
ねえよ。

サンジはくっくと喉の奥で笑いを噛み殺しながら、なんとか真顔を繕った。
「しょうがねえ、俺が一緒にホテルまで送ってやる」
「いいのか、お前の用事は」
素で訪ねてくるゾロが、なんつーか可愛くてしょうがない。
「野暮用だっつってんだろ、思えばお前をちゃんと送り届ける為に俺の足が勝手にこの電車に乗ったとしか思えねえ」
そう考えれば、そうとしか思えなくなってきた。
運命だ、迷える子羊を導く為に神が使わした天使なのだ今日の俺様。
「悪いな、折角だからどっかで茶でも飲んで行こう。酒は・・・お前明日も仕事があるんだよな」
「おう、気は遣ってくれるな。茶店で一服して誕生日最後の1時間を一緒に祝おうぜ」
ゾロの嬉しそうな顔に気をよくして、つい大胆な提案をしてしまった。
男二人で誕生日祝うって、どこからどう見ても寒過ぎるのに。





S駅で降りて中央改札口を出て、もう目の前に駅前ホテルの看板が見える。
この状況で、なんだって隣の駅まで歩くんだろう。
甚だ疑問だが、ゾロの迷い癖はミラクルの領域にまで達しているから、分析・追及は野暮ってもんだ。

「さっび〜」
さすがに夜は冷えて、吐く息の白さが体感温度をより低くしてくれる。
「地下からでも、確か行けたよな」
ゾロは首を捻りながら呟いた。
同行者がいる時は、地下から直通で行けたんだろうな。
「まあな、でも直でホテル行っちまうとラウンジはもう開いてねえだろ?ホテルの横に24時間の茶店があるから」
そう言って顎で示せば、煌々ときらめくネオンに紛れて、少し暗めながら柔らかな光を帯びた
茶店の窓が見えた。
夜の喫茶店。
やや落とされた照明で、向かい合うカップルの親密度が増して見える。

―――ますますこれは、いかがなものか
男二人であの窓辺に座る勇気はないかもしれない。
ちゅうちょするサンジに頓着せず、ゾロはさっさと店へ続く狭い階段を昇り始めた。






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