霜月 -3-



「ケーキセット2つ」
勝手にそう言ってから、ゾロはいいだろ?とサンジに首を傾けた。

いや、いいですよ。
深夜の茶店で野郎二人顔つき合わせてケーキセットつつくってのも、なんつーかこれまた風情がありますし。
なんせ誕生日だからありえるっしょ。
つか、誰もそんなとこ突っ込んでくれないから弁解のしようがないけどよ。
通りすがりにじーっと見られたら、「今日はこいつの誕生日なんすよ」って言うしかないのかな。
いっそ背中に「今日は俺のバースディ」とか張り紙しとけよコラ。

以上のことを心の呟きに納めたまま、サンジはコクコクと頷いた。
通された席は幸い窓辺ではなかったけれど、ちょっと奥まったソファ席。
いやでも新密度UP
うわぁお。
内心で動揺するサンジを他所に、ゾロはおしぼりで顔と首筋まで拭いて、ふあーと息を吐いた。
おっさん姿が、板に着きすぎている

「久しぶりに街に来ると、こんな夜中まで店が開いてて人が行き来してるのが、珍しいと思えるな」
ようやく田舎臭さを滲み出してくれて、サンジは何故かほっとした。
「だろうな。シモツキじゃ、8時過ぎたらもう夜中だもんな」
訪問者どころか電話も一切掛かってこないのだ。
その代わり朝が早い。
7時を過ぎたら勝手に玄関を開けて誰か入ってくるし、電話も掛かってくる。
ゾロは構わず寝こけているから、その度サンジが慌てて応対に出て散々な目に遭った。

「久しぶりで、ちょっと懐かしいとか思ったか?」
頬杖を着いてそう尋ねると、ゾロはまあなと薄く笑った。
そもそもゾロは田舎育ちじゃない。
シモツキの村に溶け込んでいたから最初から違和感がなかったけれど、こうして背広を着て喫茶店で寛ぐ姿を見ると、これはこれで馴染んでいてしっくりくる。
つか、見慣れないスーツ姿が結構イけてるじゃねえか。
決して今時タイプのスーツじゃないけど、着古した分、ちょっとくたびれ感も纏ったバリバリのサラリーマンに見えないでもない。
―――カッコいいかも・・・
うっかり気の迷いでそんな単語が浮かんでしまった。

「お待たせいたしましたー」
妙に間延びした声が割って入って、目の前にケーキの皿が置かれた。
サンジはさっと身体を引いてからウェイトレスに愛想笑いをふりまいて、内ポケットを探り煙草を取り出す。
店に入ってから今まで、煙草を吸うのも忘れていたらしい。

ゾロはコーヒー、サンジは紅茶。
温かなカップを持ち上げて、乾杯の代わりに軽く掲げる。
「改めて、おめでとう」
「ありがとう」
カチンと小さな音を立てて、グラスを合わせた。
「・・・ぷっ」
あまりの気恥ずかしさに耐え切れず、サンジは煙草を咥えたまま鼻息を漏らした。
「どうした?」
ゾロは頓着せず、コーヒーを啜っている。
「いや、あんまりにもあんまり〜だよな〜とか思って」
「何がだ」
ゾロから見ればサンジの方がよほど挙動不審だろう。
「だってよう、客観的に見てこの・・・深夜に野郎二人が喫茶店で向き合って誕生日おめでとーとか言ってカップ合わせるって・・・なあ?」
最後は上目遣いで同意を求めたら、ゾロもさすがに苦笑した。
「そう言われりゃあ、そうだなあ」
「寒過ぎる」
「確かに」
殆ど自虐に近い笑いを漏らしながら、二人揃ってケーキにフォークを突き立てる。

「昼のケーキ、あれもすげえ美味かったぜ」
「そっか。あれはうちのパティシェが作ったんだが、俺が誕生日用にアレンジしたんだ」
ゾロは飲兵衛のくせに甘党で、和菓子も洋菓子も好きだ。
今だって、大きめに切ってはぱくぱくと口に運んでいる。
ケーキセットにケーキ1つじゃあ、足りないんじゃないだろうか。
「・・・俺のも、食うか?」
心配になってそう言うと、今度はゾロが噴き出した。
「気持ちだけでいいよ、ありがとう。・・・しかし、こう言うのはそう沢山は食えないもんだな。前にお前が作ってくれたのは食おうと思ったら丸ごとだって食えたのに」
さらりと褒められて、サンジは視線を逸らしながら口端を歪めた。
勿論嬉しいんだけど、こんなときは素直に笑えずに何故か逆にむっとした顔付きになってしまう。
これはサンジの悪い癖で、このことで何度も人に誤解されいさかいにもなった。
けれど、ゾロとはそれがない。
ゾロは、最初からサンジの表情や憎まれ口に振り回されたりしなかった。
からかいのネタとして軽口を叩くことはあっても、本能的にサンジの本質を見抜いているかのようで、表面的な読み違いをしたことがない。
それがサンジにとって居心地のいい理由なのだろう。
無論、なにもかも見透かされているようでそれはそれで癪に触るのだけれど。

「ゾロは、なんでシモツキに行ったんだ?」
常とは違う雰囲気を利用して、サンジは思い切って尋ねてみた。
ずっと以前から疑問に思っていて、けれどなかなか聞けなかった言葉。
割と決死の覚悟で問うてみたのに、ゾロは口をモグモグさせながら軽く首を傾けて見せた。
「ん〜、なんでだろうなあ」
惚けてんのか?
こくりとコーヒーを飲み下すと、ゾロはもう一度おしぼりで手を拭いて背凭れに身体を預けた。
「そうだな、息苦しいとか思ったのがきっかけかな」
「息苦しい?」
ナミの話では、ゾロは大学を卒業してから商社系の会社に就職して3年間サラリーマンをしていたと聞いている。
その時、何らかのトラブルがあったんだろうか。
あまり立ち入ったことを聞いてはいけないと思いつつ、好奇心を止められない。

「俺は大学を出てから暫く会社に勤めてたんだ。それはそれで結構面白かったし遣り甲斐もあった」
「うん」
ゾロが話し始めてくれたことにほっとして、真剣に聞くよと無言のアピールをすべくサンジは両肘を膝に乗せてやや前傾姿勢になった。
「入りたての下っ端の時は、とにかく上司に言われるままに無我夢中に働いたしな。職場仲間もいい人に恵まれて、結構厳しく育ててもらった。1年2年と経つ内に、自分で仕事を作れるようになってそれはそれで面白かった」
「うん」
働くと言う行為の中で生まれる悦びは、サンジにもよくわかる。
「残業も休日出勤もざらだったが、とにかく一生懸命だったな。あん時の時間の流れ方は、今思っても異常に早かった。あっという間の3年だったな」
そこまでは、順調だったと言うことか。
「けどなあ。ある日ふと、足元を見てみたんだ」
「足元?」
「ああ、お得意さん周りしてる時にな。俺は一人で出先に向かうとなんでだか普通の奴が行く時間の3倍くらい掛かっちまうんで、いつも早めに出ては上ばっかり眺めて歩いてんだよ」
「・・・」
思わず噴き出しそうになってしまった。
なんとか我慢して、神妙な顔つきで頷くに留める。
「駅じゃ構内の看板を見上げて、外にでたらビルを見上げてな。そうすっと都会の空もそれなりに広いし、ガラスが反射して眩しいし。空の底にいるってのを実感しながら歩いていたな」
「・・・空の底、かあ」
面白い表現だ。
「なにがきっかけだったか、ちょっと足元を見たことがあったんだ。確か小さい子どもがちょこちょこっと前を横切ったかなんかで。危ねえなって舌打ちしながら下を向いた。俺は急いでたからよ。いつも急いでいたな」
ゾロは自嘲するように笑った。
いつものゾロらしくない、笑みだ。
「そしたら足元はアスファルトなんだ。まあ、当たり前だよな。舗道が続いて、商店街に入るとちょっと模様が入る程度で。街路樹には砂利石が敷き詰めてあるし店の庭先はレンガだし、車が行きかう道は当たり前みたいにアスファルトで、歩道の隅っこに行き場のない枯れ草や埃がずっと舞ってて」
よくある都会の風景だ。
何の変哲もない。
「そしたら急に、地面が息をしてねえんじゃねえかと、思っちまったんだよ」
「はあ?」
唐突過ぎて、思わず変な声を出してしまった。
「だってよ、どこを見てもアスファルトかコンクリートだぜ。全部固められてる。自分が今立ってる場所の下に何があるのかさっぱり見えねえ」
「・・・はあ」
「だから気になって、とりあえず地面が見えるところまで歩いてみることにしたんだ」
「はあ・・・」
今まで上ばかり眺めていたゾロが、その瞬間から下ばかり見てずんずん歩いていったのだという。
どんどん歩いて歩いて、ようやく地面が見えた場所がシモツキだったと。

「う、っそだあ」
さすがにそこまで言うと、サンジは目を丸くしながらもかつがれたことに気付いて声を上げた。
ゾロがくっくと悪戯っぽく笑う。
「まあそれは冗談だが、きっかけはそんなもんだ。上ばっかり見てた俺が、いきなり足元を気にしだしたってのが理由かな。そのまま歩いてシモツキ行ったってのは嘘だぞ。ちゃんとその日も仕事をしたし、
 それから3ヶ月は会社で働いていた」
真顔で訂正してくれたからなんとか信じられるけど、ゾロは時々本気でとんでもないことをしでかしそうだから、どこまでが冗談でどこからが真実なのか、わからなくなることがある。
案外本当に、その日のうちにシモツキまで行っちゃったんじゃないだろうか。
「ただ、その週末には俺は本当にちゃんと地面が見える場所を探して歩いてたのは事実だ。ただ、どんだけ歩いてもなかなかそんな場所まで出なくて、仕方なく途中で電車に乗ったりしてな。そりゃあ郊外には緑が多くて地面の見える場所もあるけど、俺が探してるのはこれじゃないと思ってどんどん進んで行った。そうして田舎っぽいとこまで行って、それでも満足できなくてどんどん歩いて日が暮れて、どこかに泊まろうにもホテルどころか民家もないような場所までやってきて初めて途方に暮れたのが、シモツキだった」
「ほんとかよ〜」
途中からやっぱり嘘くさいとサンジは笑い出してしまった。
ゾロならやりかねないのだけれど、方向音痴の癖に無計画なんて無謀にも程がある。

「ウロウロしてたら神社を見つけてな。誰もいなかったから勝手に上がりこんで縁側で寝たんだ。そして朝が来たら自然に目が覚めた。朝日ってのは凄いぞ、俺は朝は弱い方だが、まともに陽が射すと自然に目が覚めるんだ。もう寝てられないくらい眩しくってな」
実感が篭ってるんだかなんだか。
サンジは目尻に涙まで溜めてまだ笑っている。
「目が覚めて、起き上がってな。こう、胡坐を掻いて景色を眺めていた。あちこち白く煙ってて、地面からも水蒸気が立ち昇るのが見えるんだよ。ああ、息をしてんだなって思った。ここは大地が呼吸している。生きている土地だって」
「ほんとに?」
笑い疲れて、前髪を掻き上げまがら息をつくサンジに、ゾロは真顔で頷いた。
「それで、ここに住もうと決めたんだ」
本当に、そんなことで人生を変えちゃったんだろうか。

「だって、お前その会社でずっと頑張ってきたんだろ?仕事も順調そうだし、何かトラブったとか人間関係で悩んでたとか、そういうのは?」
「ねえよ」
あっさりそう言われても、腑に落ちない。
「だって、3年も働けばもう自分の居場所ができてるじゃないか。これから自分のやり方で仕事をできる時期だし、一番楽しい頃だろ。その生活をうっちゃって、なんで知りもしない新しい場所で暮らし始めようなんて思うんだよ」
やや説教臭い口調になったが、純粋にサンジには理解できなかった。
いくら息苦しいと思ったって、それは地面のことであってゾロのことじゃなかったのだ。
「なんでかなあ。もう、縁としかいいようがねえだろうなあ」
対してゾロは、どこまでも暢気に応える。
まるで他人事のようだが、ムキになるサンジを面白がっているようにも見える。

「そいで、いきなり田舎に越したのか?」
「いいや、ちゃんとリサーチはした。シモツキで暮らすためにはどうすれば一番いいか。シモツキのことを色々調べて、基幹産業が農業だってのも知って、それで今日みたいなファーマーズフェアに出てるってのも知ったんだ。まずは、俺みたいなど素人の若造に何ができるのか、それから聞こうと思ってフェアに参加した」
「いきなり?」
なんてこった。
ゾロは農業をやりたくてシモツキに行ったんじゃなくて、シモツキに行きたくて農業を選んだのか。
「そいで、素人でもヤル気があれば受け入れてくれる研修施設があるってのもわかったし、そこでは実習させてくれながら住居と生活費も支給されるってありがたい制度でな。まずはここで経験を積んで、それから村に住まわせてもらおうと思ってな」
方向が決まればゾロの行動は早い。
まず会社に辞表を提出し、3ヶ月間ですべての引継ぎを終えて年度代わりには退社した。
研修施設での面接と試験は無事パスし、そこでは同じような仲間達と共に農作業のノウハウを基礎から学んだ。
その時の経験が、またゾロに多大な影響を与えたのだと言う。
「それがみんな、真剣に農業について考えてる奴らばかりなんだよ。食の安全とか流通の問題とか政府の対策とか、最初から色々吹っかけられて難儀したぞ」
そりゃあそうだろう。
ゾロの方が邪道なのだ。

「俺の知らない事だらけだったからな、改めて俺も色々勉強し直した。農業を甘く見てたってのも確かにある。田舎だから、一人でもなんとか暮らして行けるだろうなんて思ってたのも、事実だ」
周囲の真剣さに触発されて、ゾロも次第に農業の魅力に目覚め始めた。
それと共に湧き出てくる疑問や課題。
田舎が抱えている諦念と希望。
「何より地域に溶け込むために、研修生たちは積極的に集落の行事に関わって、祭りやら催し物にもがんがん加わってな」
過疎化が進む一方の集落にしても、それは有り難い話だったという。
農業を見限って都会へと出て行く後継者に代わり、都会から来た「物好きな若者」達が、廃れていた祭りや行事に積極的に参加して盛り上げてくれていく。
そのことが、逆に田舎の若者たちを刺激して、地元のよさに目覚めさせてくれる。

「面白かったな。会社勤めしてた時とはまた違った忙しさだった。その頃の同期とは、今でも連絡を取り合っていい仲間になってる」
「そうかあ」
ゾロの話を聞いているだけで、まるでサンジもその場にいたかのように胸がわくわくしていた。
同じような世代の若者が、異文化(?)に馴染もうと積極的に飛び込んで行くのも新鮮だったろうし、それを迎えてくれる田舎社会も刺激的だったのだろう。
「2年の研修期間を終えて、別の研修を受けに土地を離れた奴もいるし、俺のように村に留まった奴もいる。それぞれ地元の大百姓について独立し、法人を組織したり認定農家になったりして落ち着いていったんだ」
サンジはほうっと深くため息をついて、忘れていた紅茶に口をつけた。
すっかりぬるくなってしまったけれど、ゾロの話を聞いたせいか胸はほかほかと温かい。

「なんか俺、てっきり会社勤めん時にトラブったりなんか決定的な打撃があって、ゾロの人生が変わったのかと思ってたんだ。・・・だってナミさんもその辺りのこと知らないって言ってたし」
ゾロも冷めたコーヒーに口をつけて、うんと大きく頷いた。
「そうだな、実は俺もよくそう言われる。こんな田舎に越してこなきゃいけないほど、一体どんな辛い目に遭ったんだってな」
茶化した口調だが、ゾロの瞳には仄かに怒りの炎が見えた。
「だが、田舎に引っ込むことがリタイアじゃない。人生に挫折した人間が農業に走るんじゃない。都会の暮らしに疲れた人間が逃げ込むために、田舎があるんじゃないんだ」
決して声を荒げたりしない、静かなゾロの言葉が、サンジの胸にずしんと迫った。
「そうだな・・・ごめん」
サンジだって、今勝手に思っていた。
ゾロが何か辛い目に遭って、それで田舎に向かったのだと。
ゾロが農業に逃げたのだと、心のどこかでそう予想していた。
「謝らなくていい。お前を責めてねえよ」
ゾロは僅かに目を見開いて、掌を振った。
「却って気を遣わせて悪かった。お前がそんな風に思ってたなんて俺は思わないから。ただ、世間的にはそう見られるってのはよくある話なんだ。正直ちょっとムカつくがな」
背後を通ったウェイトレスにコーヒーのお代わりを頼んで、サンジの分も促す。
「逃げて暮らしていけるほど、農業は楽じゃない。根気と体力と、頭もなけりゃ農業なんて続けられないってのは、お前もちょくちょく来てくれてるからわかるだろう」
サンジはおずおずと頷いて、カップの底に溜まった紅茶の雫をじっと見つめた。
前にゾロの師匠である担い手のおじさんも言っていたっけ。
農業を始めてから30年経つけど、今まで米を作った回数はまだ30回しかない。
それで豊作だったのが5回、極端に不作だったのも5回。
1年に1度しかチャンスがないから、経験値が上がらないって。
それでいて、人間にとって一番大切な「食べる」という行為を支えてくれているんだ。

温かな紅茶を注がれて、サンジは詰めていた息を吐いた。
やっぱりなんだか、ゾロに申し訳なくて顔が上げられない。
「あ」
ゾロが腕時計を見て、声を上げた。
「もう日付が変わるな。お前、帰らないといけないだろ?」
「あ、うん」
サンジも顔を上げて店の時計を見た。
針は12を少し過ぎて、11月11日の夜が過ぎてしまった。

「誕生日、終わっちゃったな」
「そうだな」
なんでだか、二人名残を惜しむようにそう言って同時にカップを口に運ぶ。
「もう、帰らなきゃ」
「そうだな」
暖かい紅茶を飲み干して、サンジは伝票を持つと先に立ち上がった。

「俺が払うよ」
「いいよ、誕生日だからって誘ったのは俺だ」
レジの前で小声で争いつつ、結局サンジが払って店を出た。
日付を超えてもまだ交差点には人が溢れて、賑やかな音があちこち響いている。
「ホテルは隣な、一緒に入ろうか?」
「馬鹿野郎、いくらなんでも大丈夫だ」
どうだかと怪しむサンジにゾロは笑って、駅まで送るとか言い出した。
「それはダメだ。俺を駅にまで送ったら、またお前がホテルに着けなくなる」
「なんでだよ」
不服そうなゾロの背後、交差点の向こうで信号待ちをしている人ごみの中によたついたおっさんの姿を見かけて、サンジは慌てて柱の影に身を潜めた。
「ゾロ、シモツキの人達が帰って来たぞ」
「え」
ゾロは振り返り、「おう」と腕を振り上げかけたので、サンジは慌てて止めに入った。
「待て、待て待て。俺が行ってからにしてくれ」
「なんでだよ」
「なんか見つかりたくねえんだよ、なんで俺がここにいるのかって思われそうじゃね?」
「いいじゃねえか」
まったく頓着しないゾロに、サンジはキレて一緒に柱の影に引っ張り込んだ。

「だっておかしいだろうが。お前だって、これじゃまるで俺と会うためにカラオケから抜け出したみたいに思われるぞ」
「別に構わねえだろ」
「構う、俺が構う。とにかく、俺はもう帰るからな」
こそこそと姿勢を低くして店の裏側の小路を抜けようとするサンジを、ゾロは苦笑しながら見送った。
「じゃあまたな」
「おう、またな」


サンジは小路に飛び込んでから、そっと顔だけ出して交差点を窺った。
長い信号待ちが終わって、おっさん達が千鳥足で交差点を渡ってくる。
ゾロが手を上げ、それに気付いてよたよたと寄ってくるのが見えた。

―――よかった
いくらゾロでも、あの人数と一緒なら隣のホテルにちゃんと帰れるだろう。
さて、無事を見届けたから、俺ももう家に帰ろう。




路地を抜けてちょっと遠回りして、サンジは駅へと向かった。
ゾロに会えて嬉しかった。
思いがけない話を聞けて、ほんの少し胸が痛かったけど。
けれどやっぱり、来てよかった。

肌を差すような冷えた空気を纏いながら、胸の内は何故だかほかほかと温かい。
ゾロと過ごせた、28歳最初の夜。
誕生日は毎年来るけど、少なくともサンジにとっては特別な夜だった。
―――ゾロにとっても、ちょっとは特別な夜だったらいいのにな

足早に帰途を急ぎながら、サンジはふと顔を上げてビルを見上げた。
空の底から見上げる冬の夜空。
ビルの隙間から一つだけ、星が瞬いていた。





  END


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