さよならと言えなくて -1-



交替制の休憩時間にロッカーから携帯を取り出し、サンジは口元を緩めた。
着信あり、ゾロからだ。

―――今晩、飯食いたい。
それだけの短いメールににやんとする。
「やーらしーな、ニヤついて」
一緒に休憩する同僚にからかわれ、サンジは慌てて携帯をしまった。
「そんなんじゃねえよ」
「隠すな隠すな、可愛い彼女からだろ」
ここで下手に言い訳すると逆に尻尾を出しそうなので、敢えて否定はしなかった。
「ま、そんなとこだな」
本当は、可愛い彼女じゃなく可愛くない彼氏なんだけれど。
若いねーと囃し立てる同僚に背を向け、昼食より優先する一服をするべく喫煙所に入った。
煙草を咥えながら携帯を取り出し、短く返信する。
「了解」
今日は早番だったから丁度いい。
ゾロはどうせ8時より早く来ないから、先に帰ってゆっくり支度していよう。
今夜の献立を考えながら、サンジは自然と浮かれてしまう自分を心中で叱咤した。

ゾロが家に来るのは久しぶりだ。
たまに切羽詰って店に寄り、閉店時間まで粘って持ち帰られることもあるが、こうして前もって連絡をくれて一緒にゆっくり食べられるのは最近では珍しい。
サンジは社会人5年、ゾロは3年目でお互い少しは余裕が出て来たってとこだろうか。
専門学校を卒業してレストランに勤めたサンジと、大学をでて企業に勤めたゾロとでは勤務年数が違う。
サンジが初めての職場で右往左往している時ゾロはまだ学生だったし、ゾロが初めての職場で四苦八苦している時サンジはもう働くことに馴染んでいた。
もう少し年数が経てば、お互い落ち着いた勤め人同士で同じ目線に立てるかもしれない。
今はどうしてもサンジの方が先輩風を吹かせて、ゾロは職場で感じた戸惑いや不満、憤りなんかをぽつりぽつりと語ることの方が多い。
愚痴とまでは行かないが、誰にも言えないだろう率直な気持ちもサンジにだけは吐露してくれていると思えば、嬉しくない訳がなかった。
サンジが勤め始めた頃に抱いていた不安や愚痴をゾロに聞かせることはなかったけれど、今なら共有できる。

ゾロとは中学からの付き合いで、喧嘩したりいがみ合ったり、そうかと思えば妙に気が合ったりして付かず離れずの距離で過ごしてきた。
四六時中つるむようになったのは、同じ高校に進学してからか。
専門学校と大学と、それぞれに進路が別れた時にゾロから告られ、サンジは驚きながらも受け入れた。
以来ずっと、関係が続いている。





玄関のチャイムが鳴り、サンジは「おーい」と返事した。
「開いてるぞ」
ガチャリと扉が開き、緑頭が顔を出す。
「無用心だぞ」
「野郎の一人暮らしに、なに言ってやがる」
サンジは鼻で笑って、テーブルの上に鍋を下ろした。
「ちょ〜っと涼しくなってきたからな、豆乳鍋」
「まだ9月だぞ!つかまだ残暑めちゃ厳しいぞ、何考えてんだ」
ゾロはそう喚きながらも、嬉しそうに鞄を放り出してネクタイを緩める。
「手え洗ってから座れよ、あっつあつを冷えたビールでぐっと行こうぜ」
どうせ放っておいたら肉しか食べない食生活だ。
ここらで野菜大量投入できる鍋が、今のゾロには一番いいだろう。
言われた通りに手を洗い、ゾロは勝手に冷蔵庫を漁って大量の缶ビールを取り出した。
「温くなるだろうが」
「温くなる前に飲む」
「この、横着もの」
申し訳程度に手を合わせ、ゾロはさっさと鍋に箸を付けた。
サンジも吸っていた煙草を灰皿に押し潰し、缶ビールのプルトップを開ける。

「先に肉ばっか取るなって、知ってるか?最初の一口を野菜にするだけダイエット」
「知るか」
ゾロはビールを飲みながら肉を食べ、ご飯を頬張る。
酒は酒、飯は飯と分けずになんでも一度に食べてしまう口だ。
晩酌のあとご飯の用意と二段構えにならない分こちらは助かるが、これはこれでどうかと思う。
「お前、飲みに行っても最初に飯頼むんだよな」
「おう、最近は慣れてみんな驚かなくなった」
先に飯を頼むから下戸かと思いきや、とんでもないザルだったから「恐るべし新人」と名付けられたらしい。
そんなところで名前売ってないで、仕事を頑張れよとサンジは思う。

「んで、新しい課はうまく行ってんの?」
「おう、課長が割ときめ細かくてな。言うことは大雑把なんだが気配りがある」
「お前って結構、人間関係恵まれてるよな」
ほら俺とか・・・と箸で自分を指すと、ゾロは頬袋をいっぱい膨らましたままサンジを見つめ、真顔でそうだなと言った。
「―――え」
冗談で言ったのに、あっさり肯定されると却って照れる。
「こうしててめえといられて、俺あ幸せだ」
「・・・―――っ!」
えーっえーっえーっえーっ
もはや脳内大パニックで、サンジは箸を転がし慌てて取り繕うように懐から煙草を取り出した。
とりあえず咥えるも、火は点けない。
「そうかそうか、ようやく俺の偉大さがわかったか」
「ああ」
バクバクと飯を掻き込み、空の茶碗を突き出した。
「飯は美味えしいいこと言うし、ケツがいい」
「・・・ケっとか言うなっ」
思わずうがっと吼えかけながら、手はせっせと飯をよそう。
「ほんとのことだろ」
ゾロはしれっと答え、ビールをぐびぐび飲んだ。
食欲が旺盛なゾロは、性欲もなかなか豪快だった。
ただ、自分の都合でがーっと襲い来る時とまったく淡白な時があって、サンジはそれに振り回されるばかりだ。
「今晩、泊まるぞ」
「・・・こんな時間に来てんだから、そのつもりだろ」
改めて言うな、こっ恥ずかしい。
サンジはしばらく煙草を手で玩んでから、テーブルの上に投げ出し再び食事に取り掛かった。





「なあ」
「あ?」
事後の余韻でうとうとと仕掛けていたサンジの肩に、ゾロの手が触れた。
いつもながら体温が高い男だ。
エアコンをつけていなければ、傍に寄られるだけで暑苦しい。
冬は重宝するんだけどな―――
意識が別方向に逸れたまま、サンジはあんだよと面倒臭そうに問い返した。
らしくもなく、ゾロは少し逡巡している。
「やっぱり一緒に、暮らさねえか?」
―――またその話か。
サンジはうんざりして、ローテーブルに手を伸ばし煙草を取り出した。
「あのなあ、前にも言ったけど。俺てめえと暮らすつもりねえから」
「なんでだよ」
ゾロは往生際悪く、食い下がってくる。
「お互い仕事の時間帯も休日もてんでバラバラじゃねえか。寝床を一箇所にするだけで、そう生活スタイルは変わらねえだろ」
「そういう問題じゃなくて」
サンジは苛々と煙草に火を点け、ゾロに向かってふうと煙を吹き掛ける。
「野郎同士で付き合ってるってだけで世間の目を憚るのに、一緒に暮らすだあ?モロ同棲じゃねえか」
ゾロは顔を顰め、掌で煙を追い払った。
「ルームシェアだって言えばいいだろ」
「25にもなって男同士でルームシェアとか、あり得ねえだろ。絶対怪しいって思われる」
「別にいいじゃねえか」
「てめえはよくても、俺はダメなんだよ」
深夜であることを考慮して、少し控え目に声を荒げた。
「いいか、ただのリーマンのてめえは別にいい。ホモでも変態でも性欲魔人でも、世間様に迷惑掛ける訳じゃねえからまあいいだろう。だがな、俺は料理人だぞ。ゆくゆくは自分の店持って繁盛させるってえ夢もあんだ」
「ああ」
ゾロは、それこそ中坊の頃から何度もその夢を聞かされていた。
「料理人つったら、お客さんに美味い飯を食わせるのが仕事だ。しかも気持ちよく。そんな料理人が実はホモでしたとか、野郎と一緒に住んでますとか、そんなん言えるか?そんなこと聞かされて、出された料理を美味いと思って食べるか?」
「食べる」
「てめえは黙ってろ!」
むきっと言い返して、吸殻を乱暴に灰皿に押し付けた。
「大抵は気持ち悪がられんだよ。ホモが作ってる料理なんてばい菌だらけだって思われたらどうすんだ」
「偏見だ」
「そうだろうが、それが現実だ」
サンジは髪を掻き上げ、ふうと大きく溜め息を吐いた。
「同姓と肛門性交してんだって思ったら、食欲だって失せるだろうが」
「そんなもん、男女間でもしてる奴いるだろ」
「うるせえ、あくまで一般論だって」
肩を怒らせてシーツを叩くサンジを宥めるように、ゾロはぽんぽんと頭を撫でた。
「てめえが神経質なほど清潔を心がけてんのは、俺が一番良く知ってる。お前の料理に対する姿勢こそがすでにプロだ。お前がその手で作り出す料理は、この世で一番綺麗で美味い」
「―――・・・」
怒りに染まっていた頬に、別の赤味が差した。
が、ゾロの手を振り払うようにぶんぶんと首を振る。
「てめえがわかってたって、ダメなんだ。世間じゃそんなこと許されない。俺は・・・」
一旦言葉に詰まり、決意したようにゾロを睨み返した。
「俺は、てめえとの関係を誰にも悟られたくない。いいか、誰にもだ。てめえとの関係のために、俺の夢を諦めたりなんかしねえ」
―――俺より夢を取るのか。
なんてことを、ゾロは問い返したりはしなかった。
ただ淡々と頷き、そうだなと微笑んでくれる。

「てめえの気持ちは、わかる」
「・・・すまねえ」
「一緒に暮らすってのは、諦めるよ」
そう言って、ゾロは布団の中に潜り込み寝返りを打った。
綺麗に筋肉のついた裸の背中が、すぐに規則正しく上下し始める。
どんな時にも即行で眠れる男だ。
サンジの言葉に気分を害することもなく、今頃は夢の中なのだろう。

逞しい肩のラインをじっと見つめている内に、唐突にその背中に縋りたくなった。
だがその衝動を押し殺し、代わりにもう一本煙草を吸い始めた。



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