錯誤の夜 7

誰かが遠くで争う声がして、サンジは覚醒した。
ずっと目覚めていたのだろうか。
乾いた目を瞬かせると、新たな涙が頬を伝い落ちる。

指一本、動かすのさえ辛い。
身じろぎもできず、サンジは首だけを巡らせた。
窓の端からどんよりとした空が見える。
あれからそれ程、時間は経っていないのだろう。

腕に力を入れて、身を起そうと試みた。
動きと共に身体を貫く激痛に、息を詰めて耐える。
下半身は痺れて感覚が無い。
改めて見る、自分の状態にサンジは眩暈を感じた。

犯られた―――

悪夢のような現実を、身をもって知らされる。
ゾロに、犯された―――




口の端から流れ出る血を拭った。
爪の先に血が滲んで、酷く痛む。
額からも、行く筋か血が流れ落ちる。

殴られて、犯された。
まるで女のように、強姦された。
すべての事実が、サンジを打ちのめす。










争う声が近づいてきた。
ぼろきれのように、腕に引っかかっていたシャツを手繰り寄せる。
打ち捨てられたスラックスに手を伸ばすより先に、誰かがキッチンに入ってきた。



ぎょっとしたように、息を詰めてこっちを注視しているのがわかった。
ゆるゆると視線を上げる。
そこには、仁王立ちになった昨夜の男が立っていた。

「お前―――」
男が驚愕に目を見開いている。

突然の男の出現に混乱して、サンジは座り込んだまま跡ずさった。
壁に突き当たって、そのまま凭れる。
床には、動いた分だけ血の筋が残った。



「てめえ、他人の船に乗り込むんじゃねえ!!」
ゾロの怒号が聞こえる。
刀の鞘で背中から打ち据えられた男は、びくともせずゾロに向き直った。

その瞳に殺気が宿っている。
ゾロも負けずに睨みつける。
鯉口に手をかけて、構えた。

「ガキが―――。嫉妬に駆られて先走りやがって・・・」
低い男の声が、ゾロの耳を打つ。

刀を抜いて身構えた。
だが、男は丸腰で立ったままだ。
その腰には剣も銃もない。

ちりちりと首筋の毛が立つほど殺気立っているのに、男は動かない。
間合いを計りながら、ゾロは挑みあぐねていた。
武器を持たない相手を斬り付けることはできない。
目の前の男はまったく隙を見せず、ただゾロを睨みつけている。



暫く膠着状態が続いた後、男は視線を外した。
上着を脱いで、蹲ったサンジに掛ける。

腰を下ろして、俯いた顔を覗き込んだ。
「俺と、来るか。」
サンジは視線を伏せたまま、答えない。
背後で睨みつけるゾロは、男をサンジから引き離すことはしなかった。

「俺達は、明日出航する。それまでに考えておけ。」
サンジは血にまみれ、腫れ上がった顔をゆっくりと上げた。
男は痛ましげに目を細めて、サンジには触れず立ち上がる。

ゾロとは視線を合わせず、振り向くこともなく、男は船を下りた。









立ち去る男を見送った後、ゾロはサンジに向き直った。
サンジの目はまだ宙を漂い、生気は無い。

掛けられた上着を乱暴に剥ぎ取って、傷ついた身体を抱え上げた。
痛みに顔をしかめたサンジが、低くうめく。
なるべく刺激しないように、そっと抱いてシャワー室の戸を開けた。



まるで現実感を伴わない出来事が、次々と起こる。

さっきまで自分を陵辱していた男が、献身的に自分の身を清めている。
血や精液を洗い流し、丁寧に傷口を拭う。
それでも、沁みる痛みに口元を歪める度、大丈夫かと声を掛けた。

ゾロの真摯な眼差しを受けて、サンジは戸惑っていた。
先刻の男の言葉が脳裏に甦る。

『ガキが、嫉妬に駆られて先走りやがって・・・』

――――嫉妬・・・

ゾロは、あの男に嫉妬したのか。
俺があいつと寝たと思って。
それは――――
子供が他人のモノを欲しがるのと同じこと。
男に取られたと思って、俺に手を出したのか。

それとも――――
俺がそういう対象になると知って・・・

サンジは、ひどく優しい手つきで身体を拭く男を見た。
一通り水分を取ると、救急箱を取って来て手当てを始める。
いつものゾロからは想像もできない、甲斐甲斐しい姿。

昨日まであんなに冷たかったお前が、急に優しくなったのは、俺が惜しくなったからか。
都合のいい俺が、あの男に取られると思って、自分のモノにしたのか。



まるで鉛を飲んだように胸が重い。
綺麗に巻かれた包帯が、サンジの気持ちを更に深く沈ませる。

身支度も整えられて、男部屋のソファに寝かされた。
毛布を首まで掛けられて、まるで寝かしつけられるように、ゾロの手が髪を撫でる。

「お前が、決めろ。」
その口から出たのは、意外な言葉。
「俺には、お前を止める権利はねえ。何をしでかしたのか自分でよく解かってる。だから、お前が決めろ。」
ゾロは苦しげにサンジを見つめて、その額に口付けた。
黙ったままのサンジを置いて、静かに部屋を出る。




遠ざかる足音を聞きながら、サンジは目を閉じた。

オールブルーを探すなら、グランドラインを旅すればいい。
この船でなくても、構わない。
だが、俺はここが好きだ。
仲間達が好きだ。
ずっと旅を続けていきたい。

――――けれど
このままゾロと旅を続けることは、ゾロとの関係が続くことも意味している。

あいつはまた、俺を犯すのか。

女のように。
女の代わりに。
妊娠しない、後腐れのない、乱暴に扱っても構わない身体。

あいつが望む、都合のいい関係が続くことになるのか。



サンジは目を閉じたまま、歯を食いしばった。
痛む喉から漏れる声は、掠れて音にならない。
サンジは毛布を頭から被って、声を殺して泣いた。


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