錯誤の夜 3

「じゃあ、後は頼むな。ウソップ。」
「おう、ストレス解消でもしてこいよ。」
ウソップに見送られて、俺はGM号を後にした。



せっかくの心遣いだ。
有効に活用させてもらうぜ。

この時間からじゃ、ナンパはやりにくい。
俺は幾分軽くなった気分と共に、歓楽街に足を踏み入れた。
派手なネオンと行き交う酔っ払い。
安物の香水の匂いと、煙草の煙。
なんか、うきうきするねえ。

近くで「きゃあ」と声が上がった。
悲鳴ではない、複数のレディの嬌声。
目を向ければ、でかい男に数人のレディが纏わりついている。
「あれは・・・」
昼間のマリモだ。

「もーう、ご無沙汰なんだからあ。今夜はあたしの店に来てよv」
「だめよ。あたしの店よ。もうずっとお見限りじゃない。」
「何言ってんの。大体あたしとはもう古い付き合いで・・・」

すんげー。
男たるモノ、一度はああなりたいねえ。
心底感歎して見ていたら、マリモマンが俺に気付いた。
どこか人懐っこい笑みを満面に浮かべて、早足で近づいてくる。
縋るレディが引きずられてっぞ。

「よお、昼間の兄さんか。」
海賊呼ばわりされないだけ、ましだな。
「もててんなあ、おっさん。」
「ここらは俺のシマだからよ。」
よく日に焼けた顔が、ネオンの灯りでてかって見える。
「昼間の詫びっつったらなんだが、一緒に呑まねえか。勿論おごるぜ。」
いつもの俺なら、男の誘いなんて即効断る。
だが、周りはレディに囲まれている。
それに何故だか、このおっさんに興味が湧いた。
「まあ、ちょっとだけ・・・な。」
「おう、話が早いぜ。ところでブロンドとブルネットとブラウン、どれがいい?」
「――――ブルネット・・・」
「よし、お前の店で決まりだ。」
きゃあ、とはしゃぐレディが一人と歯噛みして悔しがるレディが二人。
でも喜んでるレディは黒髪じゃねえぞ。
俺が背伸びしておっさんに小声でそう告げると、おっさんはいたずらっ子のように片目をつぶって見せた。
「下の毛だよ。」

――――なるほど。










連れてかれた処は、こじんまりとしてるが洒落た内装の、落ち着いた店だった。
多分、ママはさっきのレディの中で一番年上で、こうしてカウンターの中に入るとしっとりとして見える。

「この島の地酒は美味いぞ。」
おっさんは席について早々、ジョッキを一息に飲み干した。
「でも少しきついわよ。お兄さんには、カクテルの方がいいんじゃないかしら。」
「レディのオススメを、お願いします。」
灰皿を貰って煙草を咥えた俺に、すかさず火をつけてくれる。
ゆっくりと煙を吐く俺を、おっさんはじっと見詰めている。
「なんだよ。」
うざいこと考えてんなら、張り倒す。
「いや、昼間の格好とは又違うから。印象が違って見えるぜ。」
ああ、そう言えば昼間はピンクのエプロンでした。
「その目立つ金髪じゃなきゃ、気付かなかったろうな。」
今はいつもの黒いスーツ。
ただこの姿はどうも歓楽街では不向きらしい。
大体3割の確立で、そっちの人に間違えられる。

俺も暗い灯りの下で、まじまじとおっさんの顔を見た。
いかつい顔には幾筋も、細かい傷がついている。
百戦練磨の海賊って風情だ。
だが頬には笑い皺が刻まれてて、それが柔和な印象を与えている。
「あのエプロンから想像するに、お前コックなのか。」
「ご名答。」
カクテルを口に含む。
さっぱりとした口当たり。
フル―ティで、ジンがきいてる。
「あの船の大きさじゃ、クルーはそう多くねえんだろ。」
「まあな。」

一応俺は海賊だ。
自分の船のことは他人にべらべら喋るもんじゃねえコトくらい、承知している。
「少ない人数だから、人間関係もうまくいってんだろうなあ。」
「・・・なんだよ。何言いたいんだ、おっさん。」
俺の視線に促されて、おっさんは意を決したようにこっちを向いた。
「実は今、俺の船にコックがいねえんだ。」
「は?」



おっさんの話によると、長年勤めた老コックが引退を宣言して前の島で降りたらしい。
他にも3人コックはいるが、どうにも手際が悪くてそうでなくとも大人数の船員の料理が賄いきれない。
長い航海の中で、唯一の楽しみである食事が満足に取れないことで、不満が広がっているのだという。
「で、なんでいきなり俺なんだ。この島でコック募集すりゃあいいじゃねえか。」
まさか、俺がバラティエにいたことなんて知るわけねえし・・・
「ただのコックじゃあ、勤まらねえ。商船とは言えグランドラインで商いするんだ。相手は海賊だったり
 海軍だったり、それこそ生半可な度胸じゃ商売できやしねえ。乗組員も同じことだ。隣にでかい船が
 着いただけでおたつくような野郎じゃ、ダメなんだよ。」
くいと杯をあおって、またにかりと笑う。
「そっちこそいい度胸してやがる。海賊船のコックをスカウトするかよ。」
俺は灰皿で煙草を揉み消して、カクテルを煽った。
「大体俺の腕を見込んでってんならともかく、度胸見込まれたって嬉しかあ、ないね。」
「腕なら保証付だろ、なんせバラティエの副料理長だ。」
ぶっ・・・と咽かけた。
アルコールが鼻に逆流して、苦しい―――
黙って俯いてる俺の横で、おっさんは遠い目をしてカウンターのどこかを見つめている。
「俺が若え頃、よくバラティエに喰いに言ったんだぜ。あそこは一流だ。料理も接客もな。」
「・・・そりゃ、どうも。」
サンジにしたら、日に何百人と来る客なんて一々覚えちゃ居ない。
だが客の方では、レストランで横暴な客を張り倒す粗雑で乱暴な金髪のコックはかなり有名だった。
「あんだけの数を捌いてた実績があんだろ。手際もいい筈だ。」
もう一杯違うカクテルを勧めながら、おっさんはサンジと肩を触れ合うように、身体を寄せた。
「海賊かと思うような荒くればかりだが、皆気のいい奴だ。きっと喜ぶ。」
「・・・野郎ばかりかよ。」
「いや、4分の1は女だぜ。俺が顔で選んでんじゃねえかといわれるほど、粒揃いだ。」
「へえ、レディもそんなに――――」

そこはつまみ食いする奴もいないのか――――
食料費の予算は、そんなにあんのかよ――――
腕が鳴るなあ、おい。

少し、酔いが廻ってきたのか。
具にもつかない話に花を咲かせている。

おっさんは何倍飲んでも変わらない顔色で、ガキみてえな鳶色の瞳が俺を見てる。
なんで、付いて来たんだっけ。
そうそう、奢ってくれるし。
それに、マリモだったしなあ。
でも店の灯りの下じゃあ、黒髪にしか見えねえ。
ああ、やっぱ海苔なんだろ。
お日さんの下で乾燥させたら緑に――――

俺は酔った頭でそんなことをぼんやり思ってた。












「ちょっとあんた。今夜は付き合いなさいよ。」
腰に手を当てて、いつもの横柄な態度でナミがゾロに命令する。
「陸に上がってまで、何でお前に付き合わなきゃいけねえんだ。」
心底嫌そうに顔をしかめるゾロの横で、ナミの財布がひらひら振られた。
「あーら、私と一緒だとお財布付きよv」
途端にぐっと詰まる。
ほとほと酒に弱い男だ。
「たまには付き合いなさい。」
女のくせに、何でこんなに馬鹿力なのか。
ゾロの耳を引っ張ったまま、ナミは引きずるように酒屋に入った。



「大体あんたはガキなのよ。」
だんとジョッキを置いて、ナミが何度目かのセリフを吐く。
もう聞き飽きた。
耳にタコができそうだ。
正直にそう告げると、何度言ってもわからないから刷り込んでるんでしょうと耳元で喚かれた。
「あれだけあからさまにサンジ君をシカトされると、関係ないこっちにまで影響が来てんの、わかる?」」
「それと俺がガキなのと、どう関係あんだよ。」
「ガキだから、シカトすんでしょが。」
ゾロにはナミの言っていることが理解できない。
元々頭の良い者にありがちなことだが、自分と同程度の察しの良さと踏んで最初から話しをされると、
ついていける者は少ないのだ。
「てめーの言ってることがさっぱりわからねえ。もっとわかるように言え。」
「単刀直入に言うと、あんたは天邪鬼だから臍曲げるでしょ。ったく手のかかる男ね。」
ナミはおかわりを受け取って、ずいとゾロの前にジョッキを差し出した。

「いい、あんたがサンジ君をシカトすんのは、見たくなくて見てないんでしょ。」
「おう。」
「何故見たくないの。」
「むかつくから。」
「なんでむかつくの。」
「うるさいから。」
「あたしとサンジ君、どっちがうるさい?」
「・・・・」
「あたしは、見たくない?」
「べつに、どうでもいい。」
そう、どうでもいいのだ。
サンジ以外は。

「見たくないのは、サンジ君だけね。」
「ああ。」
「どんなとき、むかつく?」
「・・・・」
「あたしとサンジ君が居るとき、むかつくでしょう。」
「・・・・」
「ロビンもそうね、ううんルフィもウソップもチョッパーも、皆がサンジ君と楽しそうにしてるとあんた、
 むかつくわよね。」
「何が、言いたい。」
ゾロの額に青筋が立っている。
ナミの言いたいことを察しているわけではなさそうだが、本能でこれ以上聞くのは危険だと察知しているようだ。

ナミはふんと背筋を伸ばした。
「まあ、あんたがシカトしたお陰で、サンジ君の頭の中は今あんたで一杯よ。」
ジョッキを口につけて、意地の悪い笑みを浮かべた。
「それがあんたの作戦なら、成功したって訳ね。」
「・・・なんだと・・・」
ゾロの瞳に宿る、殺気に似た光。
だが見返すナミの目にも強い光が宿っている。

「ゾロ、ガキじゃないのなら、自分の気持ちから逃げてんじゃないわよ。」
逃げる?俺が――――
「相手の気持ちも考えなさい。訳もわからないまま冷たくされて、振り回される方の気持ち。」
ゾロの胸がちりりと痛む。
浮かぶのは、目を見開いたサンジの顔。
「あんたの思いは、サンジ君にとって迷惑かもしれないけど、何もわからないまま哀しい思いをさせることだけは
 許されないわ。身勝手すぎる。」
俺の気持ちが、なんだって?
「あんたは馬鹿よ。人の気持ちを推し量るどころか、自分の気持ちにすら気付いてない大馬鹿者。そのままこの恋を
 潰すなら、あんたはここまでの男ってことね。」





ゾロは、たっぷり3分間 黙った。



何も言わず、ひたすら頭の中をフル回転させた。
何度も何度も、今目の前で言われたナミの言葉を反芻する。


ガキなのよ。

むかつくのね。

ほんとに大馬鹿。

この恋を潰すなら・・・。


―――――――恋・・・







「恋、だとぉ!!!」


3分の沈黙を破って飛び出した言葉は、空気を震わせるような大音響と共に、酒場に響き渡った。

騒がしかった店内が一気に静まり返り、二人に注目する。
だらだらと顔に汗をかいて目を見開いている緑髪の剣士と、頬を染めて呆然としている美少女。


「あんたって、本当に・・・馬鹿ね――――」


呆れたナミの声が、辛うじて耳に届いた。

next