錯誤の夜 12

小奇麗なレストランで、みんなでテーブルを囲んだ。
サンジはひどくご機嫌で、ナミやロビンにあれこれ気を使いながら早いピッチでグラスを空けている。
空になったグラスを持ち上げようとして、テーブルから生えたロビンの手にやんわりと止められた。
「コックさん。その辺で止めた方がいいわ。」
喧騒に紛れように、静かな声で囁く。
「顔がむくんでいるわ。少しお疲れのようね。」
サンジの顔に、酔いではない赤味がさっと差す。
「やっべ、俺やっぱ今ブス?」
わざとお大げさに顔を挟んでおどけて見せた。
ロビンは黙って微笑んで、いくつかの手でグラスを隠してしまった。







それでもふらつく足元で、自分の部屋までたどり着く。
ウソップとルフィを部屋まで届けたゾロが後ろからついてくるが無視を決め込み、酔いの回った手で、
苦労して鍵を開けた。
暗い部屋に倒れ込むように入ると、まるで当然のようにゾロが後ろにいる。


「こら、マリモ。今日はシングルだぞ。」
ナミさんが奮発して、全員にシングルルームを取ったのだ。
滞在中同じ宿に連泊ということで、主人と交渉の末半値に値切った経緯もある。

「しんぐる。わかる?一人部屋。一人でベッド、独占。ここは俺の部屋。」

ちちちと人差指を振りながら、後ろからベッドに倒れこんだ。
ゾロが怒ったような顔で見下ろしている。

でもこいつ、いつも怒ったような面してっしな。
俺は今気分がいいんだ。
このまま寝かせろ。

ゾロを無視して目を閉じる。
目蓋は重いのに、すぐに眠りは訪れてくれない。




深くベッドが沈みこんだ。
ゾロが肩の隣に手をついて、のしかかってきた気配がする。

「何、考えてんだてめえは。」
多分、自分は今とてつもなくブスな上に酒臭いだろう。

「陸に上がってまで野郎相手にしてんじゃねえよ。とっとと綺麗なお姉さんのとこ行って来い。」
ナミさんから小遣いは貰ったはずだ。
初日なんだから、パーっと使えばいいだろう。

ベッドから下りる気配がない。
サンジは仕方なく目を開けた。
顔がくっつきそうなほど近くに、ゾロの顔がある。
間近で見ても、かっこいいなとぼんやり思った。



「お前がいるのに、女買う必要はねえ。」
必要?
そう、やっぱ俺の必要性ってそんなもん。
けど、ここは陸だろうが。

「てめえが行かねえんなら俺が行く。そこをどけ。」
ふらふらと起き上がった。
ゾロの硬い肩を押しのける。
「行かせねえ。」
手首を掴んで引き倒される。
あっけなく倒れこんだシーツに金髪が跳ねた。

「痛え!離せ畜生!!」
膝頭がゾロの腹に入ったのに、少し口を歪めただけで動じない。
両手を一まとめにして頭の上に押さえつけられた。
膝に乗り上げて体重をかけられる。

「離せってば。」
「離したら、又どこか行くだろう。」
ゾロの声が低い。
「また、男あさりに行く気か。」
ぴたと抵抗を止めてゾロの顔を見た。
まるで蔑むように、半眼が睨みつけている。

ああ、それもいいかもな。
少なくとも惚れた相手に面白半分に抱かれるより、ずっといい。

「なんでわかった?」
顔を歪めて笑って見せた。

ぱしりと、平手で打たれる。
意識が飛ばなかったから手加減してるんだろうが、返す手で何度も張られる。
目の前が赤くなって視界の端に血がしぶいた。
畜生、鼻血出たじゃねえか。
ブスで酔っ払いで鼻血ぶーかよ。
最悪じゃねえか。

「止めろ・・・」
途端にゾロの手が止まる。
けどこっちはまだぐらぐらして気持ち悪い。
鼻血が口に流れこんで、吐きそうだ。

薄目を開けてゾロを見た。
俺の手を拘束したまま、様子を伺うように俺の顔を凝視してやがる。
みっともねえから、見るな畜生。

いきなりシャツを持ち上げて、横に引っ張った。
弾けたボタンがいくつか飛ぶ。

「やめろ!」
今度はちょっと強い口調で叫んでしまった。
もう本当に止めて欲しい。
これじゃ、最初と同じだ。
殴られて組み敷かれて、無理やり突っ込まれる。

思い出しただけで、がたがたと身体が震えだした。
小刻みに揺れる視界の中で、ゾロがまるで哀れむような目で俺を見てる。
さぞかしみっともないんだろう。



不意にゾロの手が動き、掴んだままのシャツで俺の口元をぬぐった。
べっとりとした感触は気持ち悪かったが、ついでに口ん中の血も唾もそこに吐き出してやる。
何度かごしごし擦られて、いてえとうめいた。

「最初から、そう言やいいんだ。」
唸るようなゾロの声が届いた。
「嫌なら嫌だと、ちゃんと言え。てめえ。」
怒っている。
怒りながら、まだ俺の顔を人のシャツで拭いている。
なに言ってんだ?こいつ。

「俺が嫌いなら嫌いだと、はっきり言やあいいだろ。」
身体を起して両手の戒めを解いた。
だが、馬鹿力で圧迫されていた手首は痺れたままで、動かすこともできない。
俺はマヌケにも両手をホールドアップさせて、固まっているしかない。

「吐くほど嫌なら、ほいほい抱かれるな。」
まだ俺の上に跨ったまま、ゾロは横柄に睨みつけている。
こいつ何言ってるんだろう。
吐くほどって、俺が吐いてたの知ってんのか。
吐くほど嫌いってお前のこと?

ベッドに身を投げ出したまま、俺は途方に暮れていた。
ゾロの言いたいことよくわからない。

「いつまでも無防備な格好してんじゃねえ!またやられてえか。」
動かない俺に苛ついたらしい。
けど、まだ痺れて動けねえもんよ。

「ちゃんと言いやがれ、いつもどうでもいいことベラベラベラベラしゃべってねえで、肝心なこと
 言えこのアヒル頭!!」

怒っている。
なんだか知らないがもの凄くじれて怒っている。
ちょっとこれは立場が逆なんじゃないだろうか。
怒るべきはいきなり引き倒されて散々殴られて一方的に詰られてる俺の方なんじゃないのか。

ゾロの怒りが伝染したように、急に腹が立ってきた。
こいつにここまで罵倒される言われはねえ。
痺れの取れた腕を振って、勢いよく身体を起した。

「黙って聞いてりゃ一方的に切れやがって。最初に嫌だっつったのに強姦したのはてめえだろが!!」
あーマジで腹が立ってきた
「何とち狂ったかしらねえが、いきなり突っ込みやがって。俺ぁマジで死ぬかと思ったぞ。
 その後も調子こいて人のこと、しょ・・・処理に使いやがっててめえなんざてめえなんざ・・・」
言ってるうちに情けなくて涙が出てきた。
まるで自分のバカさ加減を責めてるようだ。
「処理、だとお・・・」
どうでもいいところでゾロが反応している。
「処理だろうが!俺が、男となんかしてると思って、使えるって思いやがったんだろ!そりゃぁ
 妊娠しねえし、こんなこと誰にも言えねえしよ、しかも具合よかったのかよ、畜生。」

みじめだ。
涙も鼻水もだーだ―流れ落ちる。
今更かっこつけたって仕方がねえ。
こうなったら号泣してやる。

「俺のこと・・・いきなり無視しやがると・・・思っ・・・た、ら・・・」
やべえ、嗚咽が入ってきた。
これじゃうまく喋れねえって―か、あまりにもみっともねえ。
どこのガキだ、俺は。

えぐえぐと身体を引き攣らせて泣く俺の前で、ゾロが呆然としている。
俺はちぎれたシャツを手繰り寄せて豪快に鼻をかんだ。

「・・・お前は、あの男より俺を選んだんだろうが。」
俺に負けないくらい、情けない声でゾロが言った。
何言ってんだ、こいつ。

「あのおっさんより、俺のがよかったんだろ。」
こいつの言ってることが、よくわからねえ。
「俺は、俺のがいいから船に残ることを選んだんだと思ったんだが・・・」

はあ?
何言てんだてめえ。
俺はとうとう激昂した。

「大体あのおっさんは、人手が足りねえから、コックの俺をスカウトしてきたんだよ!まあ、俺も
 てめえにシカトされて、随分へこんでたから、隙があったっつったらそれまでだけど、それだって
 もともとはてめえのせいじゃねえか。なんか、酔っ払ってあちこちいじりまわされた気もするが、
 所詮酔っ払ってただけだ。俺がオトコと仲間を天秤に掛けたりするかよ、アホ!!!」

そこまで言って、又ひーっと泣けてきた。
情けねえ。
今はただ、ゾロの頭ん中が情けねえ。
俺のことを何だと思ってやがる。

向かい合わせに座ってるから、俺が顔を伏せるとゾロの膝の上に顔を乗せることになる。
もう、なんでもかまわねえやと捨て鉢になって、俺はゾロの膝に突っ伏した。
ひいひい泣いてる俺の肩にゾロがそっと手を置いた。

「なんでへこんでたんだ。」
まだ言うか、このマヌケ!
「て、てめえ・・・が、無視して・・・人、突き飛ばした・・・り・・・」
しゃくりあげるなよ、俺も。
「あ―・・・」
ゾロが上擦った声で、唸っている。
背中をゆっくり撫でながら、困ってるみたいだ。

「俺が、てめえ無視してたのは、ナミに言わせると、恋らしい。」

―――――?
ちょっと、しゃっくりが止まってしまった。

「てめえが女どもにへこへこしたり、ルフィに絡まれてたりウソップと楽しそうに喋ってたり、
 チョッパー撫でてたりすると、もう無償に腹が立ってだな、こう・・・むかついてむかついて
 しょうがなかったんだ。」

何、言ってるんでしょうか。
この人は。

硬直した俺の背中を、ゾロはただごしごしと撫でる。
「挙句、てめえは知らんおっさんと宿入りやがって、知らん顔でバックレようとしやがった。
 おまけに身体にあの跡だろうが、キレもするだろうが。」

なんか・・・
顔上げられなくなってきた。

「さすがにやりすぎたって反省したが、てめえはのこのこ帰って来るし、何もなかったって面で
 すかしてるしよ。誘ってみりゃあ断らねえし。嫌だの一言も言わね―じゃねえか。てっきり俺は・・・」

ゾロの腹が大きく揺れた。
息を思い切り吸い込んだらしい。

「俺に・・・気があんのかと、思っちまったじゃねーか。」

ふうと腹がへこむ。
俺はゾロの膝に突っ伏したまま、動けなくなっていた。
さっきから、ゾロの言葉だけが頭の中でぐるぐる廻っている。

「俺は告ったぞ。てめえはどうだ。」
何故かえらそうにな声が頭の上で響く。

告ったの。
さっきのはそうなのか。

「てめえは、吐くほど辛かったか。」

違う!と俺は勢いよく頭を上げた。
拍子でゾロの顎に後頭部がぶつかって、お互いに暫くうめく。

「・・・吐いてたのは、嫌いだからじゃねえ。」
頭をさすりながら、何とか声を絞り出す。
「つ、辛れえじゃねえか。す・・・きな奴に処理でやられんのは、切ねえだろ。俺はそういうの・・・」
ごくんと唾を飲み込む。
「割り切れねえから――――」
うつむいて、馬鹿みたいに頭ばかり掻いた。

恥ずかしくてゾロの顔が見られない。
しばらく顎を抑えていたゾロが、俺の背中に腕を廻した。



「やり直し、できねえか。」
似合わねえ。
殊勝なことを言う。
でもまあ、珍しく意見は一致したな。

「なら、最初からだ。」
俺は顔を上げた。
ゾロがじいっと俺を見てる。

「まずは、俺の最低最悪な初体験をやり直しやがれ。」

ゾロの目が見開かれた。
なんだ、その気になりゃ結構でかい目になるんじゃねえか。

「男に突っ込まれたのは、てめえが初めてだ。阿呆。」
開かれた目が苦しげに歪んだ。
何度か瞬いて、ぎゅっと抱きしめる。

「キスして、いいか?」
あまりに今更なセリフを生真面目に囁く。

俺は小さな声で、おうと返した。


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