さかなのきもち -2-


『もぎゃあああああああ!!!』
と、叫ばなかった自分をとりあえず褒めてやりたい。
サンジは、鼻血を堰き止めるために覆っていた手を咄嗟に口元にずらし、必死の思いで息を止めた。

なんで、なんでここでゾロ登場?
ナミさんとロビンちゃんはどこ行った?!
サンジがパニクっている間にも、ゾロは大股で大浴場の中にズンズン入ってくる。
全裸のゾロを正視するのはなかなかきつい。

ンなもん、ブラブラさせてんじゃねえよ。
ちゃんと腰にタオル巻けよこの恥知らず。
サンジは思わず脳内で毒づいたが、そもそもゾロは一人で風呂に入っているのだから誰に恥らう必要もない。
むしろ一人なのにタオルで前を覆い恥らっていたら、それはそれで卒倒モノだ。

湯船の奥で縮こまっているサンジの前を通り過ぎ、洗い場に腰を下ろした。
頭からシャワーを浴び、石鹸を直に髪に擦りつけて泡立てている。
そのまま首から肩、背中へと泡を広げていく様を、サンジは息を殺して見守っていた。
―――って、なんで俺が野郎の全裸をガン見してなきゃなんないんだ!!
サンジは今さらながら不条理さに気付いて、地団駄を踏みたくなった。

こんなはずじゃなかった。
ただ、ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけでいいから、ナミさんとロビンちゃんのあられもない姿態を脳裏に刻み付けたかっただけなのだ。
無防備な二人に不埒な行いをしたいだなんて、微塵も考えていない。
単なるささやかな、男の夢・・・いや浪漫。
誕生日を前にして神から与えられたこのギフトを、有効活用したかっただけなのに。
どうしてこうなった

何度目かの自問を繰り返しつつ、サンジは涙目で膝を抱えた。
これはあれか、
天からのギフトと見せかけた罠だったのか。
それとも、あわよくばと崇高なる女神に邪な思いを抱いた罰なのか。
そんな大それたことなど、考えてはいなかった。
ただちょっとだけ、ナイスなバディをほんのちょっとだけ網膜に焼き付けたかっただけなのに。

反省と後悔を繰り返すサンジの目の前で、ある意味ナイスなバディのゾロががっしがっしと身体を洗っている。
ゾロのことだからろくに洗いもしないで湯船に入るかと思っていたが、案外と身体洗いは丁寧だ。
そう言えば、以前みんなで風呂に入った時もこまめにチョッパー身体を洗ってやってたっけな・・・と思い出した。
風呂に入る頻度はルフィ並みに少ないのに、いざとなるときちんとしているのか。
きちんとと言えば、食事時のこいつの所作も綺麗だ。
食欲は旺盛だが、無闇に食い散らかしたり行儀が悪かったりはしない。
酒ばかり飲むのは気にくわないが、食べる時はちゃんと食べるし食事の後は必要以上に汚れていない。
これでもう少し、普段の身だしなみにも気を使えば―――

思考がくるっと一回りして、ふつふつと怒りが湧いてきた。
そうだ、ゾロの入浴なんて週に一度のペースだったってのに、なんだって今日のこの日に風呂に入ってきたりなんかしたんだ。
毎日入るナミさんやロビンちゃんを差し置いて、今日に限ってこのクソマリモが。
どんな嫌がらせだ、この野郎!!
衝動に任せて無防備な背中を蹴り飛ばしたくなったが、なんとか堪える。
いまはまず、自分の立場を危うくしかねないこの状況からの脱出について考えなければ。

濡れると透明になるという利点を利用して、サンジはずっと湯船に浸かっている。
つまり、全身ずぶ濡れの全裸だ。
湯気も立ち込めているしそうそう容易く視認はできないと思うが、自分程でなくともゾロもそこそこ気配に聡い。
息を殺して潜んでいても、なにかの折にこの存在を気付かれるかもしれない。
別にサンジが先に風呂に入っていたって悪い訳ではないのだが、なんで黙っていたんだとかそもそもなんで透明なんだとか。
最初の動機が不純すぎて後ろめたいことこの上ないので、ここは一つ無難にスルーで切り抜けたかった。

さてどうしようと考えを巡らしている間にも、頭がぼうっとしてのぼせてくる。
どちらにしろ、これ以上湯の中に使っているのは危険と判断してそろそろと腰を上げた。
極力水音を立てず、水面も揺らさないようにゆっくりとゆっくりと、中腰のまましずかーに・・・

足元の泡をシャワーで流し、ゾロが立ち上がった。
サンジは半端に腰を屈めたまま、ぴたりと動きを止める。
そんなサンジにお構いなしに、ゾロはブラブラさせながら湯船に向かって歩いてきた。
――――待て、待てよ待てちょっと待て。
サンジはゾロの突進に合わせて後退しようとしたが、ふと思い止まる。
いや、こいつが入ってくるタイミングで、大幅に動けるか?
姑息な考えを巡らして、ゾロがざぶりと湯船に足を踏み入れ湯が波打ったところで立ち上がった。
「――――ん?」
ゾロが、何か気配を察したのか顔を上げる。
真正面から見据えられる形になったが、幸いゾロの視線はサンジを通り越して壁を見つめているようだ。
サンジは心臓をバクバクならしながら、とりあえずじっとしていた。
湯でのぼせたのも相まって、ガンガンと頭に響くほど速い鼓動が耳を打つ。
心音がゾロに届かないかと、心配になるほどだ。

ゾロは心持ち首を傾げてから、ざぶんと腰を下ろした。
そのままくるっとと背を向けて、浴槽のヘリに腕を乗せリラックス体勢で胡坐を掻く。
視線から逃れられたのにホッとしつつ、サンジは棒立ちでこれからどうするかと途方に暮れた。
取り敢えず湯船から出たとしても、風呂場からは出られない。
いくらなんでも、戸が開いたら音がする。
自力脱出は不可能だから、こうして湯気に呷られつつゾロが風呂から上がるのを待つしかないだろう。
せめてもの救いは、ゾロが烏の行水だということか。
頼むから、とっとと上がってくれよ――――
祈るような気持ちで、片足をそうっとタイルの上に乗せた。
「ん?」
またゾロが振り返った。
反射的に、カチンと固まる。
振り返ったかに思えたゾロは、次に首を反対方向に向けて捩じった。
どうやら、湯に使って首周りの筋肉をほぐしていただけのようだ。
―――――脅かすんじゃねえよ、まったく。
それからも、肩を左右に揺らしたり腰を捻ったりの動きを繰り返す。
その度に、サンジは息を詰めて動きを止めた。
これではまるで、一人だるまさんが転んだ状態だ。

―――――ったく、いい加減にしろよコノヤロウ!!
ゾロの動きにいちいちビクつかなければならないのに腹が立ち、片足を湯船から出した状態で肩を怒らせた。
もう、いっそのことなにか起これ。
海軍でも海賊でも海王類でもいから、敵襲来いこの野郎!!
自棄になってそんなことまで考えていたら、背を向けたゾロがいきなり後ろ向きのまま眼前に迫ってきた。
「ふぁっ?!」
思わぬ行動に、サンジは驚いて足を滑らせる。
湯の中に腰から落ちるのと、ほとんど飛ぶように滑り込んできたゾロの背中がぶつかるのは同時だった。
「ああ?!」
「ぶはっ」

うっかり湯を飲んでゲホゲホ咳き込むサンジを、ゾロは視点が定まらない目で見下ろしている。
「コックか?」
「ば、てめえ、いきなりなにしてくれてんだこの野郎!!」
声がする方向に目を向けても、何も見えないらしい。
ゾロは眉間に皺を寄せ、空を睨んだ。
「コック、てめえこそなにしてんだ。ってか、どこだ」
「うるせえ馬鹿野郎!なんでてめえが風呂に入ってくんだ、ナミさんやロビンちゃんはどうした!」
怒りに駆られてそう怒鳴れば、ゾロの眉間の皺がますます深くなった。
だが、すぐに頭痛でもしたかのように片手でこめかみを抑える。
「――――そういうことか」
「は?あ?なにがだよ」
柄悪くメンチを切っても、ゾロには見えない。
「てめえ、どういう技を使ったか知らねえが、ナミ達の裸が見たくて風呂に潜んでやがったのか」
「ちっ、違うぞ馬鹿野郎!!」
ビンゴだ。
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえ!!ちょっとしたアクシデントで、たまたま姿が見えなくなってるだけだ!仕方ないから、一人で風呂に入ってたら、てめえが入って来たんじゃねえか」
「だったら、俺が入っても文句ねえだろうが」
ゾロはそう言って、へっと馬鹿にしたように笑った。
「生憎だが、ナミもロビンもお前が夕飯作ってる間に風呂に入ったぞ。たまには夕焼け眺めながら入るのもいいとか、言ってたか」
「マジかーっ!!」
サンジは絶望のあまり、湯を撒き散らして手を付いた。
「なんで、なんで今日に限ってそんな・・・や、確かに夕焼けは綺麗だったかもしれないけど、でも何も今日じゃなくてもっ」
「やっぱり覗きが目的じゃねえか」
「ち、がーうっ!!」
サンジはゾロに向かって湯を浴びせかけ、ついでに洗面器を投げた。
「ってめっ」
ゾロが片手で受け止めている隙に、ざばりと湯から上がってすばやく戸を開けた。
「あ、待ちやがれコラ!」
「うるせえ!全部てめえのせいだ、クソマリモの馬鹿野郎おおおおおおっ!!」

透明なのをいいことに、全裸状態で疾駆する。
ゾロはさすがに気が咎めたのか、脱衣所でタオルだけ腰に巻いた。
その間にも、サンジはなるだけ音を消して甲板を横切った。
いくら見えてないとはいえ、さすがに全裸で船内を走り回るのは気が引け過ぎる。
このまま何食わぬ顔で男部屋に戻って、服を着よう。
そう思ったのに、いつの間にか追いついたゾロに腕を掴まれた。

「って、お前、見えてんのか?!」
「ああ?なんだ、これ腕か」
ゾロはやはり、見えていないらしい。
それなのになんでまっすぐ追いかけて来れたのかと、振り向いて絶句した。
煌々と輝く月が、甲板の上にくっきりと残った濡れたサンジの足跡を浮かび上がらせている。
芝生の上を、行くべきだった。
「とにかく落ち着け、お前なんも着てねえんだろ」
ゾロが適当に動かした手が、サンジの尻を撫でた。
一瞬飛び退ってから、すかさず蹴り飛ばす。
「なにしやがんだ!この変態っ」
「クソ、てめえ卑怯だぞ」
思わぬ方向から飛んできた蹴りをまともに受け、ゾロが一瞬手を離した。
その隙を突いて、サンジはひらりと身を翻すと暗い夜の海へと飛び込んだ。




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