最果ての青 2

シギさんに言われたとおり、慎重に櫛を通す。
根元からまっすぐに伸びた絹のような髪は単純な三つ編みさえ結構難しい。
少し手を緩めるとぱさりと解けてしまうから。

私は最近オーナーの三つ編み係りを任されるようになった。
オーナーはそんなのいいと辞退したがるけど、どうやらウエイトレスの間では伝統みたいになっている。
私もちょっぴり張り切っていつも盗み見るだけだった金の髪に触れさせてもらった。
先輩みたいに一糸乱れぬ三つ編みは当分できそうにないけれど。

「俺、本当は違う三つ編みしたかったんだよね。」
独り言みたいにオーナーが呟く。
「違う三つ編み?」
編み込みとか・・・かしら。
「俺を育ててくれたじじいが口ひげで三つ編みしてたんだよ。
「え、ああっ」
驚いて手を止めた拍子に髪が解けてしまった。
又最初からやり直し。
「く、口髭・・・ですか?」
マサカ、そんなバカなこと。
「そう。こう鼻の下から両サイドに長ーく口髭が生えてて、それを左右とも同じバランスで三つ編みして
 たの。結構難しいと思うぜ、あれも。」
冗談・・・よねえ。
違うのかしら。
ほんとかしら。

「嘘だと思うんなら、今度写真見せてやるよ。綺麗に左右三つ編みされてて赤いリボンがついてるんだ。」
とうとう私は噴き出してしまった。
ほんとのことかもしれないけど、なんだか嘘っぽく聞こえてしまう。
「オーナーも、もしかして口髭三つ編み・・・したかったんですか。」
「いんや、俺はこっち。」
示された先は、ひょろひょろ生えた顎の髭。
「ほんとはここ伸ばしてみつ編み1本リボンつき、をしたかったんだけど、何でかこれ以上
 伸びないんだよねえ。」
凄く可笑しくてもう、三つ編みどころじゃなくなっちゃった。
なのにオーナーは大真面目な顔してる。
まるで真剣な子供みたいで、一体幾つなんだろう。

シギさんもひとしきり笑ってから、笑みをたたえたままオーナーの前に座り直した。
「オーナー、折り入ってお話があります。」
ちょっと場の空気が変わった。
どうしよう。
まだ全然編めてないのに。

「あ、あの私、直ぐやってしまいますから・・・」
それとも、後回しにした方がいいのかしら。

「あ、マイナは居てもいいのよ。大したことじゃないから。」
それから又真顔に戻って、オーナーをまっすぐ見た。
「急で申し訳ないのですが、今月一杯でお暇を頂きたいのです。

「ええっ」
と叫んだのはオーナー。
渦巻き眉がへたりと下がって、泣きそうな顔になってる。

「ガリオンと結婚することにしました。」
おおおっと悲痛なうめき声を上げて、オーナーが頭を垂れた。
また髪が解けちゃった。

「シギちゃん、思い直すなら今の内だ。ガリオンなんて粗暴だし品性のかけらもないし無神経で
 田舎者で足臭いかもしれないのに・・・」
あんまりといえばあんまりな言葉だ。
ガリオンさんは隣の島の山賊で、確かに大柄でこんなレストランには不似合いなタイプだな、と
失礼ながら思ってしまった。
だけど時々ふらりと食事に現れて、大きな手足をこじんまりと丸めながら一生懸命ナイフとフォークを
使う様はどこか一生懸命で、最初の怖い印象とは随分違うものになってる。
まさかシギさんとそういうことになってるなんて、気付かなかった。

「足・・・はどうか知りませんが、確かに粗野で乱暴者です。けれど・・・」
そこでシギさんは、花のように笑った。
清楚で優雅で匂うような美しい笑み。
「私のことを誰よりも愛して、一番に想ってくれています。」

私はオーナーの髪のことも忘れてただただ魅入ってしまった。
本当に、シギさんはなんて美しい人なんだろう。

オーナーはそんな彼女を眩しそうに見つめて、何度か瞬きした。
「シギちゃん、君は本当に男を見る目があるね。ガリオンはきっと君を幸せにするよ。」
蒼い瞳に涙が浮かんでいる。
この涙を見るのは何度目だろう。
この人はよく笑い、泣く人だ。

「生憎ですが、私は男に幸せにしてもらおうとは思ってませんわ。彼と一緒になることが、私の幸せ
 です。」
うんうんとオーナーは黙ってうなづいて、シギさんを抱きしめた。
「幸せになってね、シギちゃん。ほんとに、ほんとに。」
親に見捨てられた子供みたいに泣くオーナーをシギさんは包み込むように両手で抱き締めて、
ゆっくりと背中を撫でている。
もしかしたら、オーナーの恋人はシギさんなんじゃないかと、ずっと心のどこかで思っていた。
こんな風に綺麗で、しっかりしていて、優しい人がそうなら私も諦めがつくのに・・・なんて。

「勝手を申しますが、来月の2日にお邪魔してもよろしいでしょうか。」
オーナーは長い髪を跳ね上げて、がばりと顔を起した。
「もちろんだよ!一緒に婚約パーティもやろう!ね、シギちゃんそうしよ!!」

涙に濡れた顔のまま、急に輝いた表情を見せた。
「ありがとうございます。」
それからシギさんは、名残を惜しむように私に代わって手際よくオーナーの三つ編みを済ませてくれた。




オーナーが行ってしまってから、私は改めてシギさんにお祝いの言葉を贈った。
大切なことを一緒に聞いてしまって申し訳ないような、嬉しいような気分で。
「私的な話をしてごめんなさいね。」
照れた様に笑って、休憩後のテーブルを片付ける。

「私、シギさんがオーナーの恋人じゃないかと思ってたんです。」
私の言葉に驚いたように大きな目を見開いて、それからころころと笑った。
「それは凄く光栄だわ。でも残念ながら間違いね。」
ちょっとドキドキしてきた。
本当は聞くのが怖いけど・・・
「あの・・・オーナーって恋人・・・いらっしゃるんですか?」
世間話みたいに軽く聞いたつもりだったのに、私の顔色を察してか、シギさんが大きな瞳でじっと
見つめてくる。
静かな部屋の中で、私の心臓の音が聞こえてしまいそう。

「いるわよ。とても大切な人が。」
とても優しい口調で、でもはっきりとシギさんは言った。

私、泣きそうな顔してないかしら。
「やっぱり・・・素敵な人、なんでしょうね。」
きっとそうに違いない。
わかってるのに、つい聞いてしまう。
「ええ、凄い人よ。そうねえ・・・私なんか逆立ちしたってかなわないくらい。」
が―んとハンマーで頭を殴られたみたい。
シギさんが逆立ちしてもかなわないなんて、一体どんな女性なの。

「シギさんより、綺麗な人なんですか。」
単純に驚きの声を上げてしまった。
口を開けたままの私に、シギさんは何故か楽しそうな顔でくすくす笑っている。
「綺麗・・・そうね、とても綺麗な人。そして強くて、凄い包容力があるわよ。」

ああ、やっぱりそうなんだ。
綺麗な上に芯が強くて、オーナーを包み込むように母性に溢れた優しい人なんだ。
きっとオーナーがいろんな女性の間を飛び回っても余裕で見守れるくらい凄い人。
私なんて、とても足元にも及ばない・・・
「マイナも来月には会えるわ。」
来月、そう言えば来月2日ってシギさんも言ってた。

「来月2日に何かあるんですか。」
ナプキンでそっと目尻を拭って向き直った。
なんだか吹っ切れた気がする。
「3月2日はオーナーの誕生日なの。その日はレストランが開放されて、常連さんも私たち従業員も
 みんなお客になるのよ。オーナー一人で接待してくださるの。」
又ぽかんと口を開けてしまった。
だってオーナーの誕生日でしょ。
誕生日の主役がホストをするの?

「オーナーって本当に人に食べてもらうのが好きみたい。その日ばかりは心行くまでおもてなしして
 くれるわよ。私たちも皆正装して美味しいお料理を心行くまで堪能できるの。その後皆で後片付け
 して、お店は3日間閉店。これが恒例になってるわ。」

なんてことだろう。
オーナーらしいといえばらしいけど、ここのレストランにとって1年の区切りみたいなお祭りなのかも
しれない。
「その時に、恋人もいらっしゃるんですか。」
「ええ、久しぶりの再会になるからあてられるわよ。」
そうなんだ。
胸がつきんつきん痛む。
わかってたことなのに・・・
私なんてまだまだ半人前なのに、傷つくことだけは一人前みたい。

「あの、シギさん、もう戻ってください。私ここ片付けときます。」
忙しい合間を縫ってのお茶タイム。
早く次の人に交代してあげなければ。

「そう、じゃあお願いするわね。」
シギさんなりの心遣いで、私はしばらく一人の時間を貰えた。
先輩がやってくるまでのほんのちょっぴりの時間の中で、私は思い切り鼻をかんだ。

頑張れ私。
名高いフェ二スティールのウエイトレスなんだから。
目指すは玉の輿よ。

手早くメイクを直して、鏡に向かってにこりと笑う。
大丈夫。
もう、大丈夫。



腕一杯に花を抱えて現れたガリオンさんが、オーナーに祝いの言葉とともに盛大に蹴り飛ばされた
のは、それから3日後のことだった。







オーナーの誕生日を明日に控えて、閉店してからのお店は昼間以上に賑わっていた。
従業員総出で飾りつけて、とんでもなく派手に豪勢になっている。
昨日退職した筈のシギさんも率先して働いていた。

「うわあ、凄いなーv」
明日の仕込みで厨房に引き篭もっていたオーナーが顔を出した。
凄く嬉しそうな表情で、草を噛みながらぐるりと見回してる。

「マイナちゃん、ちょっとちょっと・・・」
ちょいちょいと手招きされて、私は両手に抱えていたモールを置いて、オーナーに駆け寄った。
「なんでしょう。」
ホールの外まで連れて行かれ、大きな箱を手渡された。
「はい、俺からのプレゼント。」
綺麗にラッピングされて、蒼いリボンで飾られてる。
「どうして・・・」
私の誕生日でもクリスマスでもないのに・・・

「誤解しちゃダメよ。ここに来て1年目の女の子は、皆オーナーからいただいてるわ。」
通りかかった先輩が、声をかけた。
「ああ、ロザリンちゃん言っちゃダメだよ。」
「こんな可愛い子騙しちゃダメですよ、オーナー。」

やっぱり、私だけ特別って事はないんだ。
ホッとしたようながっかりしたような複雑な気分。
私はまだ心のどこかで期待してるのかしら。

「あのね。失礼かもしれないけど、これ明日のパーティでよかったら着てみてくれる?」
君の為に選んだんだよおと、咥えた煙草からハート型の煙が出てる。
「いただいて、よろしいんですか。」
よかった。
私明日着る服なんて、制服でいいと思ってたのに。
正直仕送りに手一杯で、とてもドレスを買う余裕なんてなかった。

「さっきロザリンちゃんも言ってたとおり、毎年新しい子にプレゼントしてるんだ。だから皆マイナちゃん
 には服装の話しなかったと思うよ。」
そう言えば、そうだった。
シギさんは私達もお客になるといっていたのに。
「早速控室で合わせてみなよ。きっと似合うと思うよ。」
「はい、ありがとうございます。」

私だけ特別じゃなくてもいい。
オーナーは私達一人一人のことを考えてくれている。
そしてこれは、私の為だけのドレス。
ありがたく頂こう。



広間をそっと抜け出して、控室に入った。
なるべく破かないように気を使って包みを解くと、サーモンピンクのドレスが現れた。
私の好みの色がブルー系だったから、ピンク系の服は持ってないけれど、これはもしかして・・・

姿見でそっと身体に当ててみる。
似合う・・・かもしれない。
なんだか顔色まで違って見える。
今まで身につけたことのない色が、案外似合うってこともあるんだ。

髪を下ろしてカールさせたら・・・本当に似合うかも。
恐る恐る着てみると、図ったようにぴったりだった。
どうしてオーナーは私のサイズを知ってるのかしら?

会場の準備をして、こんな素敵なドレスを貰って、すっかり気分が高揚してしまった。
明日はきっとたくさんの人が集まるんだろう。
そしてオーナーの恋人も・・・

まだ少し胸は痛むけど、苦しくはない。
オーナーにお礼を言って、広間に戻らなきゃ。
箱や包みも綺麗にたたんで、ロッカーに仕舞い込む。





オーナーの姿を探して、厨房を覗き込む。
広間の方にいるのか中はがらんとして誰もいない・・・と思ったら、奥で人の気配がした。
仕入庫の扉を開けて、声を掛ける。
「オーナー?」

広いお勝手が開け放たれて、月の光が差し込んでいた。
鮮魚用の大きなテーブルに、見たこともないような大きな魚がごろんと横になっている。
「なに、これ・・・」
大きな大きな大きな魚。
恐る恐る近づいて覗き込んで、ギョッとした。
全然気づかなかったけど、誰かが戸棚の前でしゃがみこんでいる。
出入りの人じゃない、知らない男の人。

その人は戸棚の奥から一升瓶を取り出すと、音もなく立ち上がった。
思わず後退る私に振り向いて、貰ってくぞと声をかける。
月の光のせいか髪が緑色に見えた。
片耳でピアスが揺れてる。
無精髭に覆われた顔は精悍で、月を背に受けて目だけが光って見えた。
白いシャツはあちこち汚れて、血もついてる。
それになんだか生臭い。
目が合ったら、ぞくりと後ろの毛が逆立ってしまった。
なんだか凄く、怖い。

その人は口で一升瓶の栓を開ける、といきなりラッパ飲みをした。
い、一升瓶を・・・

「あ・・・あの―――」
怖い、怖いけどなんかいわなきゃ。
「オーナーに・・・怒られますよ。」
震える声に、その人ははじめて口の端を上げて見せた。
もしかして、今の、笑った?
「そうだな。悪いけどあんたから言っといてくれ。」
意外なほど穏かな声でそう言って、お酒を持ったまま勝手口から出ていってしまった。
その後ろ姿を見送って、テーブルの上の魚を見て、それから慌てて厨房を飛び出す。

広間に帰った頃には、すっかり飾りつけは終わっていた。
オーナーも手を休めてシェフたちと談笑してる。
「あ、あの・・・オーナー、今厨房の奥に大きな魚が届いてて・・・」
「お、来たか。今年は早く着いたな。」
スーツを脱いで腕まくりをしながら足早に歩き出した。

「それから、あの・・・男の人がお酒を持ってっちゃったのですけど・・・」
「ああ、しょうがねえ奴だな、まあいいよ。マイナちゃん、エレファントホンマグロ見るの初めて?」
エ、エレファントホンマグロって言うのか。
「ええ初めてです。びっくりしました。」
「これ持ってきた奴は漁師なんだ。オールブルーで魚獲っては届けてくれる。このマグロを1本釣りする
 のが得意なんだぜ。」
ああ、漁師さんだったんだ。
だからあんなに逞しかったのか。
それにしてもこの魚を1本釣りするなんて・・・そんなことできるのかしら。

「さ、俺はこいつを捌いちまうから、マイナちゃんももう帰って休んでいいよ。疲れただろう。」
嬉々として包丁を持つオーナーは、本当に楽しそうだ。
邪魔をしちゃいけない。
「それではお先に失礼します。」
明日のパーティを楽しみに、早々に退散しよう。

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