最果ての青 1

岬の外れ灯台を望む小高い丘に、そのレストランがある。
数年前ふらりと現れた男性が、一人で始めた小さなお店は、その味が評判となって瞬く間に
噂の店になった。
この島の人の流れを変えたとまで言われたレストラン「Finistere」。
今日からここが、私の職場になる。






「乙女チックだわ。」
お客で溢れる店のエントランスからぐるりと反対方向に、従業員専用のお勝手口がある。
確かに案内された特徴どおり、白塗りの壁に白木のドア。
空に映える青い屋根。
「Welcome」とステンシルされたプレートまで掲げてあって、なんだかとても可愛いらしい。

小さなお家みたいだけど、ほんとにここが従業員専用玄関かしら。
少しためらいながら、呼び鈴を押した。

「はい、どちらさまですか。」
ソツのない、綺麗な声。
「私、今日からお世話になりますティティワン・マイナと申します。」
かちゃりとドアが開いた。

目の前に現れたのは、一見してウエイトレスと解かる制服を来た背の高い綺麗な女性。
「いらっしゃい。ようこそフィニステールへ。」
差し出された白い手を慌てて握り返す。



シギと名乗るその女性は事務兼ウエイトレスの教育係をしているらしい。
「オーナーを呼んで参りますから、こちらでしばらくお待ちください。」
優雅な仕草でお茶を出されて、凄く恐縮してしまう。
やっぱり噂どおり、いえ噂以上に素敵な人に逢ってしまった。
このレストランで働く娘は、美人揃いで礼儀作法が身についていて玉の輿に乗る確立が
高いと言われている。
ウエイトレスの平均年齢は20〜23歳で、大概客としてやってきた貴族や名のある海賊の
求愛を受けるとか、お客の方も花嫁探しにこの店に来るとか、いろんな噂があって、あまりにも
怪しいんじゃないかしらと思っていた。
けれど世話好きの伯母さんが勝手に話を進めてしまっていた。
自分も小さな小料理屋をやっている伯母さんは、店が繁盛するコツを盗んできてとも言って
たけど・・・やっぱり味じゃないかしら。
食べたこともない、お客としてこのレストランに入ったこともない私が雇われるなんて、ちゃんと
勤まるのかしら。
先刻のシギさんの優雅な姿を目の当たりにして、私はかなり怖気づいていた。


軽いノックの音の後、白い扉から金髪の男性が現れた、と思ったら目の前に跪かれる。
「はじめまして。君がマイナちゃんだね。」
いきなり私の手を取って、素早く手の甲にキスをした。
びっくりして固まっている私を見上げた目がハートになってて、片方だけ覗いた眉毛が
渦巻きで、渦巻きで、渦巻き・・・

「いやーマダム・クレイシーから紹介頂いたとおり実にキュートなレディだね。その栗色の巻き毛は
 是非伸ばすことをお勧めするよ。きっと楯ロールになる。それになんて魅惑的なアーモンドの瞳・・・」
なんだか訳のわからないままずっと手を握られて、ひたすら繰り出される誉め言葉もろくに耳に
届かないほど、私はその男性に見入ってしまった。
この人どうして眉毛が巻いてるの?
どうして目がハートなの。
どうして鼻の穴が膨らんでいるの???

「オーナー、そろそろお時間ですよ。」
やんわりとシギさんの声が届いた。
「え、もう?」
振り向いた横顔は子供みたい。
長い金髪をひとつに三つ編みして、顎に髭がちょろりと生えている。
「後は私にお任せください。」
シギさんのの余裕の笑みに促されるように、その人は渋々腰を上げて、私にウインクして出て行って
しまった。

扉が閉じられても10秒くらい言葉が出ない。
「・・・あの・・・今の人は・・・」
「彼がここのレストランのオーナー、天才シェフと呼ばれるサンジさんよ。」
にこやかなシギさんの表情とは裏腹に、私は内心前途に大きな不安を感じてしまった。






シギさんの案内を受けて、先輩たちに紹介される。
噂に違わぬ美女揃いですっかり萎縮してしまった。
本当に各地の美女を集めたみたい粒ぞろいで、このレストランに花嫁探しに人が来るって言うのも、
とっても頷ける。
それにみんな凄く優しくてたおやかで、私が理想としたい女性ばかり。
それぞれタイプや個性が違うのに凄く素敵で、それだけで緊張してしまった。

簡単な説明の後、制服に着替えて早速レストランへ。
私の胸には大きく見習いと書いた名札をつけられた。
入って一ヶ月はこの見習いがつくけれど、1ヶ月経ったら取り外されるらしい。
そのときから、何年も前から居たベテランも二ヶ月目の新人も、等しくプロとみなされると聞いて、
身の引き締まる思いがした。



お客さんの間を縫うように、黒いスーツ姿のオーナーが軽やかに接待している・・・と思ったら、女性に
声を掛けていた。
お客さんも従業員も一緒くたに口説いている。
年齢はあまり関係ないみたい。
年配の女性にも小さな女の子も立派なレディ扱いをして、男性客への粗暴とも言える応対と雲泥の差だ。
ここのオーナーは無類の女好きとは聞いていたけど、ここまで徹底されるといっそ清々しいかも・・・

「こら、オーナーに見蕩れてないで、5番テーブルにこれ運んで。」
先輩に注意されちゃった。
別にオーナーに見蕩れてた訳じゃないんですよ。




「このじゃがいもの皮ぁ剥いた奴ぁ誰だ!!」
突然凄い怒号が響いた。
びっくりしてお盆を取り落としそうになって振り向くと、いつの間に厨房に入ったのか、オーナーが凄い
剣幕で怒っている。
さっきまでとは別人みたい。
皆慣れてるのかお客さんも先輩達も平気な顔で仕事を続けている。
「こんな分厚く剥きやがって不器用にも程がある!てめえしばらくこっちで皮ばっか剥いてやがれ!!」
怖い、しかもとってもガラが悪い。
あれがオーナーなの。
なんだか信じられないけど、怯えている間もなく予約していたお客さんがどんどんやってくる。

どこかで見たような手配中の海賊とか、海軍のバッチをつけた大きな人とか、よく知らないけど凄く
品のある優雅な人とか・・・
客層もいろんな意味でレベルの高そうな人達ばかり。

「あの方は6000千万ベリーの賞金がついてる海賊さんよ。」
これはと思う人が来る度、先輩がこっそり教えてくれた。
人の噂としてじゃなく、お客さんに必要な配慮をするための必要最低限の情報として。
お尋ね者の人と海軍とは接点がないように誘導するとか、足の不自由な方は窓側のこの席とか・・・
凄く細かい心遣いに、いちいち驚くばかりで、あっという間に時間が経っていった。

最後のお客様がオーナーに長々と礼を述べて帰って行った。
その後姿が見えなくなってから、やっと表の灯りを落とす。
私はもう足が棒の様になって、へたり込もうにも曲げることさえままならない。

「初日からフル回転で、大変だったね。」
オーナーがイスを引いて腰掛けるように促してくれた。
なんだか身体ががくがくしてうまく座れない私に手を添えて介助してくれる。

「それじゃオーナー、お先に失礼します。」
「ああもう帰っちゃうの。ミリーちゃんにシンディちゃんにタミちゃんに・・・」
先輩達は疲れた顔も見せずに、にこやかな顔のまま控室に引き上げた。
私もいつかあんな風になれるのかしら。



「はい、お茶をどうぞ。今日はとても頑張ったね。」
いつの間にかテーブルに置かれたカップの中で、鮮やかな水色の紅茶が湯気を立てている。
「おなかすいただろ。これは君の為に作ったお菓子だよ。」
まるで魔法みたいに差し出されるトレイ。
きんと冷やされたお皿に綺麗にデコレートされたケーキが乗っていて、もう言葉すらうまく出なかった。

「・・・いただいて、よろしいんですか。」
仕事の合間に食べた賄いも、凄く美味しかったけど、あれから随分時間が経っている。
はしたなくもおなかがくうと鳴ってしまった。
「どうぞどうぞ。これはマイナちゃんをイメージして作ったんだよ。」
鮮やかな赤いソースの上にチョコレートの生地とベリー系のムースが何層か重ねられてる。
粉砂糖を散らした木苺とカラントが添えられて、すごく綺麗。

「可愛いだけじゃない。芯の強い頑張り屋さんだね。俺はずっと見てたよ。」
真っ赤になって俯いてしまった私の顔を覗き込んで微笑みかけた。
さらりと流れる金糸の前髪から覗く、透明な蒼。

ああ、この人ほんとは凄く綺麗な人なんだ。


その蒼に魅入られた瞬間から、私は恋に落ちてしまった。







フェニスティールは毎日目が廻るほど忙しい。
予約の数もさることながら、こんな田舎の寂びれた港街の外れに、どこからこんなに人が集まるのか
と思うほど、たくさんの客がふらりと現れる。
伯母さんが繁盛する店のコツを盗んで来いなんて言ってたけど、これはコツなんかじゃなくて本当に
オーナーの心遣いが一番なんだと思い知らされた。

来店されたお客様の顔色や仕草から状態を瞬時に読み取って注文された料理に少し手を加えたり、
私たち従業員への教育も押し付けでないのに徹底していて、厨房のシェフたち(男の人)には乱暴で
厳しいのに、誰も不平を言わないでオーナーについていってる。
みんなオーナーが好きなんだ。
従業員もお客さんも、仕入れの市場の人も配達の人も。
オーナーの作る料理だけじゃなくて、オーナーその人のことがきっと皆好きなんだなってつくづく思った。
オーナーはそんな人たちに囲まれながら、悠然と煙草を銜えて素早くさり気なく細やかに走り回っている。
凄く怖い声で怒鳴ったりとんでもない蹴りでお客さんでも床に沈めてしまったりしてるけど、いつの間にか
私も慣れっこになってきて、いちいち驚かなくなってしまった。
そんなオーナーの態度が暗黙の了解になったのか、ココはレストランとして独立した空間になっている。
追う者も追われる者も、宿敵同士でも一歩足を踏み入れれば料理を堪能しに来た客でしかない。
だから海賊と海軍がしらん顔して離れた場所で和やかに食事をしている風景は、それだけで凄いと
思ってしまった。

この世のすべての女性を愛していると豪語するオーナーは今日もあちこちで愛をささやいている。
「やあおはようヴィクトリア。思い切ってショートにしたんだね。君の美しいうなじのラインがとても綺麗に
 出てて、眩しいくらいだ。」
どんな女性でもすかさず美点を見つけ出してとことんまで誉める。
このレストランで働くようになって、美女が多い訳が分かった気がした。
女性は皆誉められれば輝くのだ。
オーナーの的確な審美眼とアドバイスでいつの間にか磨きがかかって自分に自信がついてくる。
加えて賄い料理も栄養のバランスと美容に良いものが含まれていて、身体の中からすっきりしてきた。

休憩室の鏡の中に映る私は、初めてここに来たときの田舎っぽいそばかすだらけの女の子じゃない。
栗色の髪を一つにまとめて、すっきりと化粧を施して、ちょっと大人びて見える。
気のせいかそばかすも薄くなった気がするし自分でも顔つきが変わってきているのがわかった。
これもきっとオーナーのお陰。

オーナーが誰にでも優しいのはわかっているし、私に向けられる飛び切りの笑顔も特別な
モノじゃないってわかってる。
それでも私はオーナーの姿を目で追う癖が治らない。
長い金髪を一つに束ねて、少し猫背で歩く姿。
厨房でいきなり足を振り上げて怒鳴る姿。
年配の女性に恭しくかしづくちょっと気障な姿。

見てるだけで胸がきゅんとして、なぜだか泣きそうになる。
あの笑顔が自分だけに向けられたらと、ありもしないことを願ってしまったり、さり気なく肩に置かれる
白い手にドキドキしてしまったり。

私はすんと鼻をすすった。
あんな素敵な人だもの。
きっといい人がいるに決まってる。
きっと見たこともないくらい綺麗な人で、優雅な人で高貴な人で・・・
そうじゃないとあのオーナーとは釣り合わない気がする。
でも、蝶々みたいに気の多い人を恋人に持ったら苦労するんじゃないかしら。
そこまで考えて、私はもう一度鏡の中の自分を見つめた。
軽く頬を叩いて気合を入れる。

「バカなこと考えてないで、お仕事よ!」
声に出していって、にっこり笑って見せた。
もうすぐ私の名札から見習の文字が消える。

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