Sacrifice 6

こじんまりとした小汚い店だ。
まだ早い時間から結構客が入っている。
薄暗い店内は昼だか夜だかわからなくて、酒飲みが入り浸るのに心地良い空間なのだろう。
カウンターの一番端っこに腰掛けて水割りを頼んだ。
もう得体の知れない地物は当分こりごりだ。

視線だけを漂わせて店内の人間を確認した。
さり気なく視線を配っているつもりなのに、何故かやたらと客達と目が合う。
ってえか、注目されてる?
余所者が珍しいんだろうか。

「お客さん、旅の人かい?見かけない顔だね。」
常連たちを代表するみたいにカウンターの中からマスターが声を掛けてきた。
適当に愛想笑いを返す。
「まあね、昼間から開いてたからここに来てみたんだ。」
「おや、そんな飲兵衛には見えないけどね。」
マスターも愛想良く笑みを返し、静かにグラスを置いてくれる。
それには手をつけず、サンジは煙草を取り出して火をつけた。

「・・・飲兵衛と言えば、昨日あたりここらに緑の髪した胡散臭そうな男、来なかったか?酒を水みてえに飲む・・・」
「ああ、いたぜそう言えば。」
マスターの代わりに隣の男が大声で応えた。
話に乗りたくて仕方なかったらしい。
「店に入って来たときから尋常じゃねえ雰囲気だったが、可愛い連れがいたからなあ。」
「おうよ、あんななりして机に頭擦りつけるようにして下げてたからな。ありゃあ目立ってたって。」
「・・・来てたのか。」
思わずサンジも身を乗り出して客達を振り返った。
「そいつ、今日は来てねえか?」
後ろの丸テーブルに座った大男が、腕を組んで訳知り顔で首を振る。
「残念だが今日は見てねえよ。今ごろしっぽり・・・してんじゃねえのか。」
「おいおい相手は小娘だぜ。」
「どうだかねえ。あのアバズレでさえ、うっとりした目で見てやがったじゃねえか。」
ガハハと笑う男のハゲ頭を、後から艶っぽいレディががつんとはたいた。
「言ってな。あーんないい男に真面目に口説かれて靡かない女はいないよ。ああ、あのお嬢ちゃん。できることならあたしが代わってあげたかったねえ・・・」
てめえこそ言ってやがれと、男たちがゲラゲラ笑う。
賑やかな輪の中で、サンジは一人唇を噛み締めていた。


やっぱりか。
やはり奴はここで彼女と会って・・・
彼女はその気になっちまったんだ。

二人でどこかにシケこんでいるのなら、ここにいても意味はない。
立ち上がろうとするサンジの肩を、男が馴れ馴れしく叩いた。
「まあまあ兄ちゃん、そうしょげるな。どんな野郎だってたまには浮気の一つもしたくならあな。」
「そうそう、いや浮気っつか・・・どっちかってえとあっちのが本命臭くねえか。」
「こら、思ったってそんなこと口にすんじゃねえ。まあ兄ちゃん、大丈夫。女なんてすぐに飽きるさ。」
「そうそう、あんたの方が長えんだろ。待ってりゃちゃんと帰ってくるさ。」
口々に慰めの言葉みたいのものをなものを投げかけられて、咄嗟に応えられなかった。
こいつらは、何を言ってるんだ?
「兄ちゃん、あの男のイロなんだろ。見たところ船乗りのようだし、ありゃあカタギには見えなかったし、そういうこったろ。あんたこの店入ったときから、血相変わってたぜ。」
「気の毒にな。まあ気持ちはわかるが自棄は起しちゃいけねえぜ。」
「なんなら俺が代わりに慰めてやろうか。」
「ほらほら、こういう輩が一番厄介なんだって・・・」
サンジの白い顔に徐々に赤味が差してきた。
煙草を持つ手が微妙に震えている。
こめかみには血管が浮き上がり、噛み締めた歯がぎり、と小さく軋んだ。
それでもなめらかに半身を捻ると、カウンターの中でやれやれと成り行きを見守っているマスターににっこりと笑いかける。

「ねえマスター。今こいつら俺に対してすっげー失礼なことをほざきやがってるんだけど・・・」
「え、ああ。」
「だから、弁償とか修理代とか、そう言うのはこいつらに全部つけて貰って、いいかな?」
引き攣った笑顔のまま小首を傾げて見せたサンジに、つられるようにこくんとマスターが頷いたのを合図に、サンジは身を翻した。






「ちっ、胸糞悪い・・・」
一歩外に出て乱暴にドアを閉めると、中でガラガラと何かが崩壊する音が響く。
それもすぐに静かになって、サンジはふうと煙を吐き出した。
マスターには悪いが、器物破損は極力抑えたつもりだ。
それでも大きく空いてしまった穴や砕けた机なんかは、口の悪い常連たちに弁償してもらおう。

サンジはポケットに手を突っ込んだまま煙草を吹かしながらぶらぶらと路地を歩く。
もうすっかり日は暮れて表より裏通りの方が賑やかになってきている。


サンジはふと立ち止まり、汚い木箱が積み上げられた壁に凭れて空を見上げた。
街の灯りで星も見えやしない。
黒い空にふうと煙を吹きかけて口元を自嘲で歪める。

傍からは、俺はそう見えるってのか。
ゾロのイロだと・・・
馬鹿馬鹿しい。

バラティエにいたときから、自分がそう言う目で見られやすいことは気付いていた。
別にゼフやパティたちに守られていたとは思わないが、裏でかなり骨を折ってくれていたのは気付いていた。
金さえ出せばなんでもできると勘違いしている馬鹿はどこにでもいる。
直接実力行使に出てこられれば問答無用で返り討ちにできもしたが、店やゼフを通じて申し出られていたりすると、サンジには状況は届かない。
実際自分の預かり知らぬところで色々面倒をかけていたんじゃないかとも思う。
そんな風に――――
守られる存在にはなりたくなかった。
早く大人になりたかった。
一人前の男として、一流のコックとして。
それが、自分にできる精一杯の恩返しだとも思っていた。

・・・ざまあねえな。


ゼフの庇護から抜け出して一人前の海賊になったかと思うと、今度は同い年のゾロの庇護かよ。
冗談じゃねえ。
それでも、和やかな雰囲気の筈なのに、酒場で取り囲まれた時緊張が走った。
肩に手を掛けられて悪寒を感じた。
いつもよりきつく蹴ってしまったのはそのせいだと思いたくはない。
ただの野郎共が怖いなんて、そんなことは認めたくない。
怖いと感じるのは己の弱さだ。
自分のせいで誰かを傷付け、その人生を台無しにしてしまうことがこの世で一番怖いことだと知っているのに。
自分が傷付けられることなんか、それに比べたら屁でもないことを知っているのに。
まだ身体で怯える自分の弱さが腹立たしい。



サンジは暗澹たる思いで首を振った。
じっとしていると余計なことばかり考える。
もう少し街を彷徨ってなんとしてでも緑頭を見つけなければ――――
吸い殻を靴で踏み躙り歩きかけて足を止めた。
もう一度空を振り仰ぐ。
2階の窓辺から、白い手がす、と伸ばされた。

彼女だ。
長い金髪を片側に束ねて、開け放した窓から手を伸ばし窓を閉めようとしている。

ふと視線が下がる。
目が合って彼女も「あ」と口を開いた。
だがすぐに視線を逸らし窓を閉める。
サンジは迷うことなくその宿に飛び込んだ。




フロントが接客中なのをいいことに、そ知らぬ顔で2階に上がる。
南向きの部屋と目星をつけてドアの前で立ち止まった。
ノックをしようとして手を止める。
・・・さて、なんて名乗ったものか
だが躊躇っている場合じゃないと思い直して扉を叩いた。

少し間を置いて、少女のか細い声が返った。
「・・・どちら様?」
「サンジってんだ。ドーラちゃんだね。」
「・・・」
答えはないが、扉の前にいる気配はする。
「ドーラちゃん、そっちにゾロいるんだろ。話をさせてくれ。君でも、いい。こんなドア、俺ならすぐ蹴破れるよ。」
暫くの沈黙の後、扉が開いた。



現れたのは、やはりあの時の少女だ。
サンジはなるべく怯えさせないように、ほんの少し笑って見せた。
「ありがと。・・・ゾロ、いる?」
「今眠っているわ。」
その言葉に、どきんと胸の奥が鳴った。
そんな自分にまた動揺する。
「寝てるって、ゾロが?」
自分が来たなら気配ですぐ起きるだろうに。
狸寝入りか、居留守のつもりか?
「なら君と、話させてもらえるかな。」
「私は何も話すことなんかないわ。」
幼い仕種で、でも冷たくそう言い放つとドーラは扉を閉めようとした。
靴を挟んで無理矢理ドアを開けさせる。

部屋に踏み込めば、ベッドの上にブーツを履いたままの足が投げ出されているのが見えた。
「ゾロ?」
小さく声を掛けるが、目を閉じて仰向けに横たわったままぴくりとも動かない。
「さっさと逃げた方がいいわよ。海軍が来るわ。」
背後からのドーラの声に、弾かれたように振り向いた。
少女は、戸口で困ったように微笑を浮かべている。
「ドーラちゃん、どうして?」
「だってその人6千万の賞金首でしょ。私のことを誤解していたみたいだし、ちょうどいいからお酒に
 お薬を混ぜたの。象でもイチコロの即効性ですって。」
確かに、床には酒瓶が転がっている。
だがまさか、ゾロがこんな少女に・・・
「ドーラちゃん、思い直してくれないかな。今なら俺も手荒なことはしない。」
「そうね、あなたとても優しい人みたい。」
そう言って、ドーラは薄く笑った。
「通りすがりの私を助けようとしてくれて、身代わりになってくれたんですものね。あなたにはとても
 感謝しているわ。」
ドーラの言葉に、サンジの心臓はとくとくと急ぎ出した。
背中を嫌な汗が伝う。
「どうしてあなた、あの時女の人になってたの?ちゃんと男の人なのよね。」
「・・・そんなこと、関係ないだろ。」
「あらあるわ。だって私が見たのは、女のあなただもの。胸だってちゃんとあったし・・・初めてだったでしょ?」
ふいっと、軽い眩暈を感じた。
少女の無邪気な言葉がサンジの胸を抉る。
隠し切れない傷を穿り返す。
「あの時は・・・あの島特有の貝を食べたからだ。一時だけ変身するって言う・・・」
「じゃあ元々は完全に男の人なのね。」
興味津々と言った風に眺めながら、目の前をゆっくりと歩いた。
サンジは拳を握り締めて、ただ立ち尽くすしかできない。
「どうして私は無事だったって、あの人に言わなかったの?」
ドーラは真っ直ぐにサンジを見て話す。
元々物怖じしない性格なのか、挑発しているのか。
反してサンジは視線を泳がせながらたどたどしく応えた。
「それは・・・未遂だったって言うには、不自然な状況だったし…」
「それで私が傷物にされたことになってるの?でも彼が私の為に船を降りるなんて言い出したら、
 本当のことを言っても良かったんじゃない?」
「・・・」
思わず言葉に詰まってしまう。
「やっぱりショックだったから?酷かったものね。」
そう言ってドーラは少し目を伏せた。
そのことが余計サンジを羞恥を煽る。

この子はすべてを知っている。
知っていて、同情して、利用して・・・
ほんの少しよろけて、サンジは壁に手をついた。
今自分の中で渦巻いているのは怒りだろうか。
こんな少女に対して、本気で腹を立てている訳では決してないのに、頭に血が上ってなにか
叫んでしまいそうだ。


サンジは天井を見上げて、意識的に息を吐いた。
煙草でも吸って頭を冷やした方がいいかもしれない。
だが、もうすぐ海軍が来るのならそんな悠長なことをしてもいられない。

「手荒なことはしたくないんだ。わかってくれ、ドーラちゃん。」
上擦った声は懇願に似ていた。
自分と視線を合わせようとしないサンジに、ドーラは困ったように微笑みかけた。
「あなたは、彼が大切なのね。」
「え?」
突拍子もない展開に思わず真顔で向き直る。
「だってそうでしょう。いくら仲間でも船を降りると言ったらこんなに必死で追いかけてきて、
 探して・・・私本当はずっと2階の窓からあなたの動きを追っていたのよ。」
ドーラは悪戯っ子のように上目遣いでサンジを見上げる。
「別に、男の人なんだから私の身代わりになって乱暴されたって、言ったっていいと思うわ。普通シャレになるもの。そりゃあ屈辱的かもしれないけど、こんなにまでして隠し通すほどのことでもないと思うわ。」
それでも――――
「黙っていたかったのは、彼に知られたくなかったからでしょう。」
サンジは黙ってかぶりを振った。
何度か口を開けたり閉めたりして、それから唾を飲み込んでようやく声を絞り出す。

「・・・君に、何がわかるってんだ?」
「よくはわからないけど、多分あなたが彼に抱いている感情は仲間以上のもの。そんな気がしたの。だから、後はあなたが聞いてねロロノア・ゾロ。」
最後はサンジの肩越しに投げかけられた台詞だったから、つられるように振り返った。
さっきまでベッドの上に引っくり返っていた男が起き上がってこっちを睨んでいる。

「・・・な、な・・・あ?」
「騙してごめんなさい。彼には寝たふりするように言っておいただけなの。」
ドーラは悪戯が成功した子供のように笑った。
対してサンジは一瞬血の気が引き、一拍置いてかーっと頬を紅潮させる。
「なん・・・で、ド・・・」
「この部屋、もうチェックアウトするつもりだったから、後はあなた達の自由に使って、遠慮しなくていいのよ。あなたには本当に感謝しているの。」
ドーラはサンジの手を取って両手で挟んだ。
指の先まで冷たく冷え切った手を温めるように胸の上で抱きしめる。
「あなたのお陰で、私初めてをティムにあげることができたわ。」
「・・・あ」
唐突に思い出した。
確か彼女をアジトから逃がす時に、怪我を負いながらも途中まで追いかけてきた青年がいた事を。

「それじゃねゾロ、サンジさん、もうお会いすることはないでしょう。」
ドーラは既にまとめてあった荷物を抱えると、さっさと部屋から出て行ってしまった。








サンジはしばし呆然と閉じた扉を見つめていたが、はっと我に返って背後を振り向く。
ゾロが、相変わらずベッドに腰掛けてこっちを睨んでいる。

「どういうことだ?クソコック・・・」
ゾロの声は、まるで怒っているかのように、えらく低い。
サンジは内心の動揺を悟られないように、横を向いてポケットを弄った。
なんとか煙草を取り出して火をつける。
大丈夫、手は震えちゃいない。
落ち着け。
落ち着け、俺。

深く吸い込んでゆっくりと吐き出した。
たゆたう煙を目で追って、なんとか冷静さを取り戻した。
「寝たふりたあ、凝ったことしてくれんじゃねーかこのクソ剣士。」
それでも天井を睨んで言葉を選ぶ。
「彼女とぐるんなって、俺をからかって、楽しかったか畜生。」
つい詰る口調になってしまった。
まだ混乱していて頭がうまく廻らない。

「からかっちゃあいねえ。ただお前の本音が知りたけりゃ、寝たふりしてろと言われただけだ。」
ゾロはそれでもバツが悪そうにばりばりと頭を掻いた。
「それで・・・あん時、奴らに犯されたんはてめえだな。」
「―――――」
サンジは煙草を吸おうとして失敗した。
腕がうまく動かない。
「これで合点が行った。あいつら、ロロノアの女だと名乗ったとそう言いやがったんだ。なんでわざわざ名乗ったのか、そこがどうしたって腑に落ちなかったんだが・・・」
ゾロは指を組んでサンジを見上げた。
「てめえ、だったんだな。」
その目の色に、哀れみを感じ取って、今まで抑えていた感情が爆発した。

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