Sacrifice 5

シャワーを浴びながら、自分の身体を点検した。
あの時受けた傷はもう殆ど消えかかっている。
この島を出る頃には、完全にわからなくなっているだろう。

何度も繰り返し思い出すことを女々しいとは思わない。
何度も思い出すことで追体験し、慣れていくことで衝撃を和らげていることを知っている。
なんせ自分はトラウマに掛けてはプロだから。
両手でカップを抱いて一人薄笑いを浮かべていたら、誰かが船に乗り込む気配がした。
この足音はゾロだ。



「どうした、忘れものか?」
最近は悪態を吐く癖も抜けて来てしまっているから、普通に声を掛けた。
ゾロも、おうと普通に返す。
どかどかと乗り込んできたゾロは、サンジの目の前で立ち止まった。
黙って暫く突っ立っている。
でかい図体をして叱られた子供みたいな顔で自分を見下ろしているから、サンジは胡散臭そうにその顔を見上げた。

「なんだシケた面して・・・つうか、どうした?」
言い憎そうに何度か口を開けたり閉めたりして、それから意を決したように咳払いした。

「・・・この島で、彼女を見つけた。」
うっかりカップを取り落としそうになって、指先に力を込めた。
衝撃に言葉も出ない。
彼女?
彼女だと?
見つけただと?

「それで、さっき話もした。てめえには叱られっかもしれねえが・・・」
話だと?
話を、した・・・?

見る見る内に、自分の顔から血の気の引くのがわかった。
何を話したって・・・どこまで・・・

「だから俺あ、船を降りる。」
「――――――あ?」
今度こそ、サンジは口を開けたまま固まってしまった。


どの辺が、だから…なんだ?
話が見えない。
「ち、ちょっと待て・・・待てよ苔緑。彼女と何を話したって?」
「ドーラだ。前の島で俺の女と間違えられた子だ。まず詫びた。」
「詫びたって・・・」
本当か、本当に彼女に会ったのか?
「最初は驚いていたようだが、俺を恐れたりはしなかった。ちゃんと話もできて、俺としてはよかったと思っている。」
「・・・」
驚愕のあまり、サンジは声も出なかった。
彼女と会って話をしたって?
それでなんで―――――
「なんで、お前が船を降りるんだ。」
ようやく口にした言葉は他人事みたいに淡々と響いている。
「彼女がそう望んだからだ。俺はこの島に残る。」
ゾロの言葉は決意が固い事を示すように力強い。
対してサンジは混乱していた。
なぜ?
なんで彼女がそれを望む?

「おい・・・彼女はどこだ、どこにいるんだ?」
サンジは椅子を蹴って立ち上がり、外に飛び出しかけた。
応えないゾロに焦れて、引き返して詰め寄る。
「俺にも会わせろ、ほんとに彼女はそんなこと言ってんのか!」
「なんだ、何を慌てている。」
サンジの反応にゾロの方が面食らったらしい。
「確かに彼女を助けたのはてめえだが・・・だからこそ、てめえは会わねえ方がいいんじゃねえか。」
「なんでだっ」
勢い込むサンジの肩を、ゾロはそっと押しやった。
「彼女にとって、お前の顔を見る方が、嫌なこと思い出させんだろ。俺にそう言ったのは、てめえじゃねえか。」
ゾロにそうやんわりと諭されて、何も言えなくなる。
けどそうじゃない。
本当は、そうじゃないんだ!
言いたいことと言うべきことを頭の中で必死に整理させているうちに、ゾロはラウンジを出て行ってしまった。
慌てて後を追う。

「待てよ!」
「なんだ、降りるっつったてすぐにとは言わない。」
そう言いながらも早足で男部屋に入り、数少ない衣類なんかをまとめ始めた。
「船を降りるにゃあ、船長の許可が要るからな。そう一筋縄でいかねえってわかってるさ。」
「本気か?」
サンジはゾロの後ろでおろおろと歩きながら両手を広げて説得を試みる。
「とにかく待て。冷静になって考えろ。彼女が望んだって?てめえが側にいることを?んな訳ねーだろ。てめえは6千万ベリーの賞金首だぜ。そんな物騒な奴、なんで側に置いときたがる?それにてめえは、女の為に夢捨てるってのか?」
「そのことは、前に話したはずだ。」
ゾロは手を休めず、サンジに背を向けたまま話す。
「彼女が望むなら、と俺は言った。そして事実、彼女はそう望んだ。」
「馬鹿な!」
サンジは思わず吐き捨てるように叫んだ。
「たかが一人の女の為に、夢捨てんのかよ。てめえの誓いはどうした?世界一の剣豪になるって、鷹の目ぶった斬ってその名を轟かせるって、ありゃあガキの戯言だったのか?てめえの夢は、そんなチンケなものだったのか?」
サンジの言葉に振り返ったゾロの目には、明らかに怒りの色が見えた。

「てめえが、そんなことを言うとは思わなかった。」
「なにがだ。」
「いつもいつも女に媚び諂ってデレデレしてやがったくせに、てめえの本性はそれかよ。たかが一人の女だと?彼女が傷付いたことなんてか、てめえには屁でもねえのか。」
逆に詰られて、言葉も出ない。
「女一人守れねえで、大剣豪もクソもあるかってんだ。いつか世界一になる夢は捨てちゃあいねえよ。だがな、今の俺にはそれよりも大切なもんがある。」
一旦言葉を切って、ゾロは少し表情を崩した。
「てめえに言わせりゃ全部俺の自己満足だと、わかってもいる。だが、あいつが望むなら俺は共にいるさ。今できることをやるだけだ。」
そこまで言われて・・・サンジにはそれ以上言うことなどできない。
けれど
けれど本当は違うんだ。

「ルフィが…」
サンジは弱々しく続けた。
「ルフィが、許さねえぞ。ぜってえ…そんなこと、許す筈がねえ!」
「コック・・・」
サンジの声を遮るように、ゾロの声が被った。
「てめえは、人の痛みがわかる奴だと思ってたんだがな。」
見損なったぜ、とそう続けて、ゾロはサンジに背を向けると男部屋を出て行った。




「あ・・・」
ショックのあまり一瞬動作の遅れたサンジが、それでもなんとか男部屋から飛び出すと、
ゾロはもう港へと飛び降りていた。


「おい!」
ちょっと情けないくらい、必死な感じで叫んでしまう。
その声にゾロは振り向いて、怒鳴った。
「待ち合わせには一旦帰る。そん時ルフィに話すからてめえは余計なこと言うんじゃねえぞ!」
そう言い捨ててさっさと行ってしまった。

サンジはただ愕然と、その後ろ姿を見送るしかできなかった。





「どういうことだ?」

ゾロが去ってから後、サンジはパニックに陥っていた。
一体どういうことなんだ。
彼女に会っただと?
なぜ彼女がゾロを欲しがるんだ。

サンジは落ち着きなくラウンジを歩き回りながら、ひたすらに考えた。
少なくともあの時見た少女はまだあどけなくて、何か魂胆があるようには見えなかった。
だが何故、ゾロの言葉を真に受けたのだろう。
まだ幼い少女だからこそ、ゾロの真摯な態度に絆されたのかも知れない。
――――あのクソ剣士は、顔だけ見てりゃそこそこだからな。
もしかしたら、前の島で出会ったとき既に好意を持っていたかもしれない。
もしそうなら、彼女にとってこんなにうまい話はない筈だ。
サンジはそう思い至って、立ち止まり深く溜息を吐いた。

そうかもしれねえ。
多分、そうだ。
そうだとしたら・・・ゾロを止める手立てはねえ。

だがこのままではダメだとも思う。
傷付いてもいない彼女の為にゾロが夢を捨てるなんて、そんなことは許されない。
――――どうすればいい?
真実を語れるのは自分だけだ。
いっそ正直に話してしまうか。
あの時傷つけられたのは彼女じゃないって。
身代わりになったのは自分だと。

サンジはゆっくりと頭を振った。
そんなこと、今更言える筈がない。
あの島で妙な貝を食べて女になってたからって、一緒に捕らわれた彼女を庇う為に身代わりになったからって、そんなこと――――
言えるわけがねえ。
サンジはぎりぎりと歯を噛み締めた。

「くそ・・・」
こうしている間にも、ゾロは本当に責任を取ってしまっているかもしれない。
そんなことになったら、それこそ取り返しがつかねえ。
サンジはなす術もなく苛立った。
このままこの島で彼女と懇ろになったら、責任を取る取らないなんて関係なくこの船を去ってしまうかもしれない。
だがゾロには信念があったはずだ。
世界一の大剣豪になると、あの白い刀に誓った筈だ。
その夢をこんなところで潰えさせるわけにはいかねえ―――――
そう思うとひどく焦る。

今ごろ彼女をその腕に抱いているかと思うと、胸が張り裂けそうなほど苦しい。
まるで、嫉妬しているみてえじゃねえか。
――――誰にだ?
自問して、唇を歪めた。
馬鹿馬鹿しい。
俺が焦っているのはそんな理由からじゃない。
ゾロの夢が、ここで断たれるからだ。

とめどなく思考が堂堂巡りして、その夜は一睡もできなかった。










交替のルフィが現れると入れ替わるように飛び出した。
サンジの勢いに面食らったルフィだったが、朝食は準備されていたからよしとしたようだ。
サンジは当てもないまま闇雲に街中を駆け回った。
まだ午前中で朝市に出かけるくらいしか人出はない。
この時間なら確実にゾロは寝ているだろうし、彼女自身を見つけるしかないだろう。
だが、いくら小さな島とは言えたった一人の少女を見つけ出すなど至難の業だ。
けれど、今サンジにできることはそれしかない。
サンジはただひたすらに、街中を歩き回った。


途中でウソップと連れ立ったチョッパーに会った。
「もうルフィと交替したのか?」
「一緒に昼飯食うか?」
「いんや俺ナンパ中、またな〜」
軽く手を振って、自然な素振りでその場を離れる。
店ごとにショウウィンドー覗いてみれば、胸元にドレスをあてて見ているナミと鏡越しに目が合った。
「あらサンジ君、どっちがいいと思う?」
「う〜ん、どちらもお似合いですが、やっぱりそっちのミント・グリーンのが春らしいですねv」
「そ、じゃこっちにするわ。」
ナミの買い物のお供にも未練が残ったが、とにかく先を急いだ。
数歩も行かない間に本屋に入るロビンの後ろ姿を見つけた。
本当に狭い島らしい。

―――これでなんで、クソマリモだけ見付かんねえんだよ。
ゾロは、待ち合わせには必ず戻ってルフィの許可を得ると言っていた。
まさか早まって彼女と一緒に旅立ったりはしないだろうが、それまでになんとかサシで話をしないと引き止めることもできやしないだろう。
引き止める・・・
サンジははた、と足を止めた。
なんで俺は、こんなに必死になってんだ。
ガキじゃあねえんだから、奴の選ぶ道なんて干渉する筋合いもねえのに。
俺がここまで必死になって引き止める必要なんて、ないんじゃねのか。

サンジは公園のベンチに腰掛けると、煙草を取り出して一服した。
朝から全力疾走で駆け回って、少々足も疲れている。
深く息を吐いて少し冷静になって空を見上げた。
どうやら今日もいい天気だ。
抜けるような青い空に、白い雲が浮かんでいる。

なに必死に、なってんだろうな。
昨夜からずっと自問自答し続けている。
なんで必死になるんだろう。ゾロがどこへ行こうが誰を選ぼうが関係ないことなのに。
女の為に夢を捨てるってえのなら、それまでのことだ。
サンジがとやかく言うことじゃない。
それでも、ロビンの言葉を借りるとしたなら、サンジが真実を知っているからだろう。
唯一真実を知っているからこそ、引き止めなければならない。
けれど・・・
本当のことを告げるつもりは全くない。
じゃあなんて、引き止めたらいいんだろう。
またぐるぐるし出した思考を振り切るように、サンジは首を振った。

もうぐじぐじ考えるは飽き飽きだ。
こうして街中を駆け回って、クソ緑か金髪の彼女を探していた方が余程いい。
サンジは煙草を揉み消すと勢いをつけて立ち上がり、また駆け出した。




角を曲がると本日2度目のウソップを見て、さすがにバツが悪くて物陰に隠れる。
何度も顔を合わせると、それこそ街中をウロウロしていることがモロバレで後が面倒だ。
ウソップはチョッパーと店頭販売の激安品を品定めしていて、その場から当分動きそうにない。
どこか茶店ででも時間を潰すかと首を巡らしてふと一本奥の筋に目をやると、まだ日は高いのに開いている酒場があった。

ああいうところにマリモは棲息している可能性が高い。
ちょっと小腹も空いたしと、サンジは引き寄せられるようにその店に足を踏み入れた。

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