Sacrifice 3

数秒後、先ほどとは比べ物にならないほど大きな地鳴りがして島が揺れた。
街では地震だと思ったかもしれない。

隠れていた岩の隙間から様子を伺うと、アジトがあった辺りはぽっかりと穴が空いてあちこちから白い煙が上がっている。
まるで上から爆撃でも受けたかのような悲惨さだ。






「この崖伝いに細い道を上がれば街の西側に出るからよ。」
サンジはそう言って、道の先を指し示す。
この道を、ドーラも歩いたのだろうか。
傷付いた身体を抱えて。

黙って佇むゾロの足を、サンジはがつんと蹴った。
「妙な考え起こすんじゃねえぞ。彼女の為を思うなら、忘れてやれ。」
その衝撃に違和感を感じて足元を見れば、何故かサンジは裸足だった。
理由を問おうとして顔を上げれば、仄かな星明りの下で白く光るものを認める。

「お前、髪になんかついてるぞ。」
言われてサンジは髪を梳いた。
白いものは、半ば乾きかけてこびりついている。

「げ、きったねえ。そう言えばゲロ吐きながら倒れた野郎もいたな。」
そう言っていきなり海に身を躍らせた。
「おい?」
ざぶんと水飛沫を上げて一度潜ってから海面に顔を出す。
「ついでにちとひと泳ぎしてくらあ。今度は真っ直ぐ帰れよ迷子!」
そう叫んで沖へと泳ぐ。

「・・・なんだってんだ。呆れた野郎だな。」
ゾロは戸惑いながらも街へ続くという一本道を歩き始めた。


確かにサンジの言うとおり、今の自分にできることは何もない。
どれほど悔やんでも、もう取り返しはつかないのだ。











肩を落として立ち去るゾロの後ろ姿を、サンジはせせら笑いながら見送った。
「ったく、ざまあねえぜ。」
海の水で顔を洗い、髪も洗う。
口の端ににこびり付いていたのにも、気付かれてしまっただろうか。
ごしごしと乱暴に擦って岩場に上がった。

そこから海に向かってうつ伏して、盛大に吐いた。
喉に指を突っ込んでできる限り全部吐く。
自分を変えてしまった忌々しい貝も、無理矢理に飲み込まされた精液も全部。

「・・・うぇっ、え・・・」
何度かえづいて咳き込んで、また海中に頭だけ突っ込む。
溺れそうなほど海の水を飲み込んで、またがばーっと吐いた。



大丈夫、大丈夫だ。
好き放題に揉まれ、噛み付かれ、弄ばれた乳房はもうない。
いくつもの手で割り開かれ、穿たれた膣ももう存在しない。
だからもう、大丈夫だ。

男たちは皆死んだ。
忌まわしい場所は破壊した。
少女は無事逃げ出した。
だからもう、大丈夫。




サンジは岩の上で胡座をかくと、荒い息をついて空を見上げた。
雲の間から青い月が顔を覗かせている。

「・・・ざまあ、ねえな。」
サンジはもう一度、そう呟いた。





















約束の集合時間には珍しく全員揃った。
いつもやむを得ず遅刻するゾロでさえ、珍しく時間通りに船に辿り付いている。

「ようし全員揃ったわね、さてどうする?」
そう言いながらもナミはチョッパーを見た。
ずっと船番だったから上陸したい筈だ。
「実は昨夜サンジが船番を変わってくれたんだ。だから俺は別にどっちでもいい。」
「俺は、さっさと先に進みたいぞ!」
「私もお買い物はすんだわね。」
「俺も、大体道具は手に入れたぞ。」
どうやら殆ど用事は済ませたようだ。
「一昨日大きな地震もあったでしょ。なるべくこっから離れた方がいいと思うなあ。」
サンジは煙草を燻らしながら、どこか他人事みたいにやんわりと言った。
その隣でゾロが、なぜか珍しくなにかもの言いたげな表情をしている。
「じゃあゾロは?」
一応全員の希望を聞くつもりで訊ねた。
「・・・俺は・・・」
なにか言おうとして、止まる。
「マリモはどこででも寝くたれてんだから、別にいいんだろ。」
割り込んだサンジに反論もしないで、ゾロはそのまま黙ってしまった。
「それじゃあ、出発しましょうか。」
ナミはそう結論付けた。

船は一路、ログポーズの指し示す方角を目指して進む。










食料は補給した。
天気は快晴、風向きは良好。
順調な航海だ。

「野郎ども、飯だぞーーーっ、ナミさあん、ロビンちゃあんvご飯ですよ〜v」
いつものサンジの声が響く。
真っ先に駆けつけたのはルフィだ。
「島の飯も美味いけど、サンジの飯が一番だからなv」
全開の笑顔で嬉しい事を言ってくれる。
それぞれが食卓に着く頃、珍しく甲板で昼寝をしていなかったゾロも顔を見せた。

「あら、今夜はお肉料理なのね。」
「ほんと、珍しいわ。」
女性陣の思い掛けない言葉にサンジはえ?と聞き返した。
「だってサンジ君、いつも島を出発した後はその島特有の新鮮な魚介料理だったもの。」
「ええ、手に入れたお肉は大体加工してから翌日に出してくれてたものね。魚は新鮮なのが
 一番だって言って。」
そう言えば、そうだった。
「それがですね、あの島の近郊で獲れる魚ってのがとんでもない色合いばかりで・・・」

サンジはあの酒場で見た刺し身の話なんかを面白おかしく語った。
ナミ達は旅行者向けのレストランで食事をしていたらしく、そんな地元のものは口にして
いなかったらしい。

「へえ、そうだったの。それでさすがのサンジ君も仕入れてこなかったんだ。」
「料理は見た目も味の一つですから。色彩学から見てもあの色はダメですって。」
なんにでも興味を持って新境地を開拓するサンジらしからぬ物言いだ。
ナミはかすかに違和感を覚えたが口には出さなかった。

「俺は肉でいいぞ。この飯最高に美味い!」
「てめえは何でも美味いだろ。」
和やかに進む食卓にあって、ゾロだけがろくに箸をつけていなかった。
――――この島にはツートンカラーの珍しいウミウシもいるのよ。
屈託なく笑うドーラの笑顔が脳裏を過ぎる。
それはすぐに、汚された土の光景に変わった。

「お、ゾロ食わねえんなら俺が貰い!!」
びよんと伸びた腕がゾロの皿を攫ってしまった。
だがゾロは動かない。
そのままの勢いでごくんと食べてしまったルフィの後頭部にサンジの蹴りが炸裂する。
「こんのクソゴム、他人の皿に手え出すんじゃねえっ」
それからくるりと踵を返して今度はゾロの頭も蹴った。
「てめえもだクソ腹巻!ちゃんと飯を食え。ぼけっとしてんな!」
椅子ごと蹴り倒されて、ようやくゾロは顔を上げた。
「何しやがるクソコック」
「取ったルフィは悪いが取られたてめえも間抜けだ。食事ってのは生きるための糧なんだ。疎かにするんじゃねえ。」
サンジの言葉に立ち上がり拳を握り締めて、それでも黙って席に着く。

大人しく食べ始めたゾロを皆が不審そうな目で見た。
確かにサンジの言うことはもっともだが、それにしてもゾロの反撃がないのは不自然だ。
だがサンジはそんなゾロを気にするでもなく、自分も食事を進めている。
「なんだか、変ね。」
今度は声に出して、ナミはそっと呟いた。



「次の島には割とすぐ着きそうね。」
ナミは見張り台に登り、望遠鏡で遥か上空の雲を眺めている。
ロビンはパラソルの下で本を捲り、後甲板ではウソップがなにやら怪しげな薬をチョッパーと
一緒に調合中だ。
先ほどまで鍛錬していたゾロは、今はそれなりに日陰の部分を選んで昼寝している。

船首に座っていたルフィがすくっと立ち上がり、軽快に飛び降りた。
「腹減ったな、サンジおやつ〜〜」
後5分待っていたなら、いつものように『おやつだぜ野郎共!』と声がかかるだろうに、ちょっといい匂いが漂うともうこの船長は待ちきれないらしい。
それでいつもキッチンから蹴り出されるのに。



懲りないルフィがラウンジに入って数秒後、けたたましい破壊音が響いた。
うっかり試験管の液体を零してしまったウソップが慌てふためく。
「なあに、何事?」
見張り台から身を乗り出すナミの下を、ロビンが通り過ぎた。

「まあ。」
ラウンジを覗けば、ルフィがワインラックの中で尻餅をついている。
あちこちに割れたビンが散乱し、流れ出た酒の匂いが充満していた。
ルフィは砕けた木組みの上から腰を上げるとにししと笑った。

「悪い〜、脅かしたかあ。」
対してサンジは青褪めたまま微動だにしない。
状況から見て、ルフィがサンジに蹴り飛ばされたのだろう。

「なにやってんの、・・・ってルフィ!大丈夫?」
ロビンの後から覗き込んだナミが慌てて駆け寄った。
「なんでもねえ。赤く見えんのはワインだ。った〜・・・すっげえなあ、匂いだけで酔っ払いそうだ。」
ぱらぱらとガラスの破片を払いながら酒に濡れたシャツを引っ張る。
「おいおい何してんだよ〜」
ウソップとチョッパーが箒と塵取りを持って手早く片付ける。
その頃漸く、サンジはポケットを探って煙草を取り出した。

「・・・悪いなルフィ。加減、忘れちまった。」
「気にすんな。俺あゴムだから、なんともねえ。」
にかっと笑うルフィの顔から視線を外す。
煙草を咥えたまま火も付けないで突っ立っているサンジの傍らで、ラックや酒瓶の残骸は綺麗に片付けられていった。

「また俺がいいの作ってやるよ。」
「けどゾロが文句言うんじゃないかしら。」
「この際だから、ちょっと酒は控えるように言ってみるか。」
「さ、ルフィは着替えて来て。そんなにお酒の匂いぷんぷんさせてちゃ、チョッパーが酔っちゃうわ。」
ルフィにそう促して、ナミはサンジを見た。
その視線を受けて、サンジは俄かに我に帰る。
「あ、ナミさんやロビンちゃんのお飲み物は、ちゃんと別のところに確保してありますから〜v
 ここにあるのは殆どクソマリモ用の安酒ばかりですから、どうぞご心配なくv」
いつものラブコックの調子に戻ってそう笑うと、いそいそとお茶の準備を始めた。
もうテーブルの上にはスコーンとケーキが準備されている。
「お騒がせしましたvさあ召し上がれ。」
恭しくお辞儀をすると片付け終えたウソップやチョッパーにも席に着くよう進める。
着替えてやってきたルフィが、席に着くなり口一杯頬張って美味い美味いと連呼するのに目を細めて、
ようやく煙草に火をつけた。
軽く一服してから、自分は席に着かず、飲み物とスコーンだけを小皿に載せてラウンジを出る。

おやつの時間に寝くたれている剣士には、お供えと揶揄しながらもほんの少し取り分けて側に置いておいてやっているのだ。
いくつかある昼寝場所の一つにその姿を認めてトレイ片手に近づく。
予想に反してゾロは目を覚ましていた。
風上に立つサンジを訝しげに見上げる。
「あんだ、酒臭いな。」
「ちょっとしたアクシデントだ。それよりここで食うか。ラウンジ、行くか?」
尊大な口を利きながら、トレイをもって佇むサンジはどこか心許ない。
ゾロはトレイを受け取るとラウンジに向かって歩いた。
サンジは振り向きもせず、船縁に凭れてタバコを吹かす。
真昼の陽射しを照り返す海の輝きが目に痛くて、手で庇を作った。

いつものことだ。
菓子の甘い匂いが漂うと、ルフィがキッチンに飛び込んでくるのは。
勢い込んで抱きついてくるのだって、いつものことだ。
なのに―――――

加減を忘れて蹴っちまった。
蹴り飛ばす先に何があるとか、蹴ったルフィがどうなるとか考えもせずに。
ただ夢中で、気がついたら蹴り飛ばしていた。

ラックの残骸と割れたビンの欠片の中で、驚いた顔で自分を見上げたルフィ。
もしあれがルフィじゃなかったら、間違いなく大怪我していた。
自分のしでかしたことにすぐに気付いて謝りたかったのに、言葉すら出てこなくて。
そんな俺に、ルフィは自分から笑いかけて謝ってくれて・・・

情けねえ。



サンジは目元を手で覆った。
海が眩しくて仕方がない。

自分のしでかしたことについて行けなくて、ただでくの坊みてえに突っ立って、先にルフィから謝らせた
自分が情けない。
たかがルフィが飛びついてきただけで、おたついて蹴り飛ばした自分が情けない。
その腕が首に纏わりついてきたからって・・・
小さく舌打ちして煙草を海に投げ捨てた。

さっきはルフィだったから大事にならなかった。
ルフィならシャレになる。
多少無茶しても怪我はしない。
けれど・・・もしナミやロビンが不意にサンジに触れた時、同じような反応を返したりしないだろうか。
そう考えるとぞっとする。
ゾロはまあいいとして、ウソップやチョッパーでも下手すれば怪我をさせる。

サンジは自分の首筋に手を当てた。
思ったよりダメージを受けてるってことか。

大丈夫だ。
なんてことねえ。
ついこないだのことだから、まだ覚えてるだけだ。
すぐに忘れる。

思い出せ。
飢餓の島を。
気が遠くなるほどの空腹と孤独の日々を。
絶望に飲み込まれそうになりながら、それでも生き抜いた自分の強さを。
あれに比べたら、こんなこと、なんてことはない。

それでも――――
まだ耳に残るのは嘲りの声。
何度も突き上げられて、首を締められた。
赤く染まった視界の向こうで、男の笑い顔が歪んで滲む。

「――――くそっ」
握り締めた拳を船縁に叩きつけかけて、やめる。

大丈夫。
大丈夫だ。
なんてことねえ。
すぐに忘れる。

奴らは死んだ。
跡形もねえ。
だから、大丈夫だ。

煙草を取り出す指先が震えているのに気付かない振りをして、サンジはまた海の輝きに目を細めた。

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