Sacrifice 2

早足で歩きたいのに靴がぶかぶかで歩き辛い。
ポケットを弄って煙草を取り出し火をつけようとして、閉店した店のショーウィンドーに映った自分の姿を目にした。
作り自体はそう変わってはいないが、全体の雰囲気が随分違う。
サマになっていた筈の黒のスーツも借り物みたいに似合ってなかった。

「うわー・・・」
急に恥かしくなって煙草を仕舞った。
ともかく早く宿に帰ってしまおう。
背を丸めて歩き出したら、背後で短い女の悲鳴が聞こえた。

サンジは女の声なら、どんなに僅かな声でもそれが嬌声なのか歓声なのか悲鳴なのか聞き分けられる。
切羽詰った状態だと察知して、条件反射で声のした方向に走った。
女性のピンチは見過ごせない性分だ。



暗い路地を曲がると案の定、女の子が男たちに取り囲まれて抱きかかえられていた。
足元には若い男が倒れている。
「離して、助けて!」
「この野郎、レディに何しやがるっ!」
ドスを効かせても高い声でそう叫んで蹴りかかった。
革靴がすっぽ抜けたが構っていられない。
それでも威力のあるサンジの蹴りに男が一人弾き飛ばされて壁に激突した。

「なんだてめえは!」
突然のサンジの乱入に驚いた男の手を振り払い、少女は倒れ付した男の側にしゃがみ込んだ。
「ティム大丈夫?しっかりして!」
「くそ、面倒だ!こいつもやっちまえ!」
殴りかかる男を避けてサンジは次の蹴りを繰り出した。
だが脱ぎかけた靴の中で足が滑ってうまく蹴り出せない。

「きゃっ」
短い悲鳴とともに少女が再び抱え込まれる。
そのこめかみに銃を突きつけてサンジの前に割り込んだ。
「大人しくしなお嬢さん。この子がどうなってもいいのか。」
「誰がお嬢さんだ、ボケ!」
言い返す隙を突いて後頭部をがつんとやられた。

――――しまった。
視界の端に、泣き出しそうな少女の顔が映って消えた。












ごつん、と頭を打つ振動で目を覚ました。
頬にひやりと冷たい土の感触がする。
どうやら地面に乱暴に降ろされたらしい。
サンジはすぐには飛び起きないで、そのままの姿勢で気配を探った。

壁も床も石や岩が剥き出しで、その端に鉄格子が見える。
石牢みてえなとこか?
ご丁寧に手には手錠、足には縄が巻いてある。
サンジを運んだらしい男たちは、まだ立ち去らず側にいる。
しかも複数。

じゃり、と砂を踏む音がして上から覗き込まれた。
長い前髪の下でそっと目を閉じる。

「とんでもねえじゃじゃ馬まで飛び込んできたが、まあ上玉が増えたじゃねえか。」
「そっちはてめえらにやるよ。それよりロロノアの女、薬かがし過ぎじゃねえのか。」
ロロノアの女?
驚いて耳をそばだてる。
「反応がねえのにやっても面白くねえな。突っ込みや目え覚めるか?」
「ほんとにロロノアの女かよ。まだ小娘だぜ。」
「けど俺あ、昼間この目で見たぜ。あのロロノア・ゾロとこの子が腕組んで街に入ってくるのを。」

なんだって!
今度こそサンジは目を見開いた。
あの野郎、いつの間にこんな可愛い子ちゃんをナンパなんかっ・・・
いや突っ込むべきところはそこじゃない。
人違いだ。

「なんにしてもロロノアを誘き出すエサになりゃあ充分だ。」
「味見くらい構わねえんだろ。」
「ああ、死なねえ程度にな。」
衣擦れの音がして、サンジはいてもたってもいられなくて飛び起きた。

「やめろ、その子は関係ねえ!」
少女を取り囲んでいた男たちが一斉に振り向く。

「なんだ、早起きな嬢ちゃんだな。こいつにも薬かがしといた方がよかったか。」
「後でゆっくり相手してやっから、そう慌てんじゃねえよ。」
下卑た笑い声を立てながら、男は意識を失ったままの少女の顔に手を掛けて上向かせた。
長い金髪が頬にかかり、目を閉じた表情にはまだあどけなさが残っている。

「やめろって、人違いだってんだ。その子はゾロの女でもなんでもねえ!」
サンジは必死で叫んだ。
ゾロとどんな関わりがあったか知らないが、こんな少女を傷つけさせる訳にはいかない。
「ゾロだと?お前はロロノアを知ってるのか。」
「知ってるも何も、俺は麦藁海賊団のコックだ!」

へえ、と意外そうに男たちが反応する。
「そういやあ、麦藁一味のコックは一流の腕を持ってて金髪だってえ話を聞いたことがあるな。
 けど女たあ知らなかったぜ。」
「ほんとかよ。じゃあこいつのがエサにできんじゃねえのか。」
俺なんか餌にしてクソマリモが食いつくか、ボケ!
サンジはそう言いたかったがぐっと堪えた。
ともかく今は、この少女から男たちの気を逸らさなければならない。

「だからその子は関係ねえよ。そんな通りすがりにナンパしたような子がどうなろうと、ゾロは気にかけたりしねえ。」
そこまで言って、サンジはぺろりと舌で唇を湿らせた。
うまく誘えるかはわからないが、心持ち胸を張って見せる。


「それに・・・ロロノアの女ってのは、俺のことだ。」
白い喉を曝して、薄く笑って見せた。
見下ろしていた男たちが、すっと目を眇める。











久しぶりのベッドの上でたっぷりと惰眠を貪って、ゾロが目を覚ましたのは真夜中だった。
起き上がってぼりぼり頭を掻く。
なんとなく、腹が減った気がする。
そう言えば上陸してから何も食べていない。

そうでなくともあのうるさいヒヨコ頭が来てから日に3度の飯がきっちり与えられるため、
腹時計も正確になってしまっている。
「・・・酒でも飲むか。」
ゆらりと立ち上がって部屋を出た。







真夜中とは言え酒場通りは賑やかだ。
あちこちで怒鳴り合う声やら歌声やらが響いている。
どこの酒場に入るかぶらぶらと彷徨っていると、前から歩いてくる男に気がついた。
そいつははっきりとゾロを意識して歩いてきている。
ゾロはそれと気付かせずに擦れ違う振りをした。
男が直前で歩みを止める。

「ロロノア・ゾロだな。」
ごく間近で低く名指しされてもゾロは刀に手を掛けない。
この程度の輩なら素手で充分だ。
動じないゾロを警戒しながら、男は虚勢を張って笑みを浮かべた。

「あんたの女を預かっている。返して欲しければ俺に着いて来い。」
「女、だと?」
はじめてゾロは口を開いた。
意外な展開だ。
ナミかロビンがヘマでもしたのだろうか。
ゾロの問いには答えず男が足早に坂を下る。
その背を追ってゾロも続いた。



男はどんどん歩いて街を抜け坂を下った。
途中から駆け足になったのは、後から来るゾロの気に怯えてのことだろう。

「待て。女たあ、どいつのことだ。」
ゾロの声に息を切らしながら振り返る。
「へ、お盛んなことだな。そうだな。金髪の可愛い子ちゃんだよ。」
「金髪?」
ナミもロビンも金髪ではない。
人違いか・・・
そう思いかけてはっとした。
昼間に街まで案内してくれた娘。
確かあの子は金髪だった。

「お前ら、まさか――――」
男がぴたりと足を止めた。
随分街まで外れて海の近くまで来たようだ。
潮の匂いがきつい。
「この崖の下に俺らのアジトがある。」
促されて見下ろせば、たしかに岩を繰り抜いたように人工的に加工された穴がいくつも開いていて、明かりが漏れている。

「金髪の女って、まさかてめえら人違いしてんじゃねえだろうな。」
ゾロはアジトを見下ろしながら低くうめいた。
男は嫌な笑みを口元に浮かべて耳障りな声で応える。
「どうかな。自分からロロノアの女だと名乗りはしたが、処女だったからなあ。」
その言葉に、ゾロはかっと目を見開いた。



哀しげにすすり泣く声が聞こえる。

どうかレディ、泣かないで。
慰めの言葉を口にしようとして、うまく声にならなかった。

ひゅうと息を吸い込んで、仰向いたまま咳き込む。
喉の奥がガラガラして、ひどく痛い。
「大丈夫、大丈夫ですかっ」
すぐ側で涙声が聞こえた。
うっすらと目を開けると、大きな瞳が涙を溜めて間近で覗き込んでいた。

「・・・泣かないで、レディ」
ようやく搾り出した声はひどく掠れている。
手も足も鉛のように重いけれど、なんとか身体を起こした。
両手は手錠を掛けられたまま鉄格子に引っ掛けられている。
ずっと頭上に引き上げられていたから痺れて殆ど感覚がない。
それでもサンジはまず真っ先に少女の身体を確認した。

両手を同じように手錠で戒められているが着衣に乱れはない。
涙でくしゃくしゃになっているけれど、これは多分自分の為に流してくれた涙だろう。
「よかった。大丈夫みたいだね。」
サンジはほっとして笑った。



白い歯の間から鈍く光るものを見せる。
「悪いけど、これで外してもらえるかな。」
少女は慌ててサンジの口元に手を添えた。
小さな鍵の束を舌を使ってその手に落とす。
最後に圧し掛かった男の腰から抜き取ったものだ。

少女は震える手で、それでも気丈に立ち上がり、サンジの手錠を外し始めた。
何度か鍵を代えて、ようやくかちゃりと音がする。
サンジは息を吐いてゆっくりと腕を下ろした。


腕の動きとともに視線が下がる。
すぐ目の前にある、見慣れない白い膨らみには赤い歯型が残されて血が滲んでいた。
さらに視線を落として顔を顰める。
惨憺たる有様だ。
そのとき、ずぐんと身の内が疼いた。

「・・・あ」
ぎこちない動きで両手を自分の身体に回す。
「大丈夫ですか」
慌てて駆け寄る少女に背を向けて、サンジは蹲った。
「ごめん、ちょっとこっちを見ないで。」
その切羽詰った様子に少女も慌てて背を向けた。

最初の変身の時には感じなかった、内部を蠢く感触のようなものがあった。
皮膚が突っ張り筋肉が痛む。
「ふ・・・う」
華奢な指は大きく節高になり、腕も太くなった。


両足に力を入れると、簡単に縄は千切れた。
隅にボロ雑巾のように捨てられていたシャツを拾い身に着ける。
黒いスーツも汚れを払ってすべてを覆い隠すように羽織った。

「もう大丈夫だよ。レディ。」
その声に驚いて振り向くと、背の高い青年が白い顔で笑っていた。

















ゾロは雨のように降り注ぐ銃弾の中を、火花を散らしながら駆け抜けた。
崖の上で案内人を斬ってから、アジトの中枢まで一気に攻める。
ゾロを仕留める為に周到な用意をしていた筈の賞金稼ぎ達は、その勢いに圧倒されていた。
全身を返り血で朱に染めながら刀を咥えて走る姿は悪鬼のようで、銃を手にしている者達でさえ
怯えてうまく動けない。

「くそ、人質を連れて来い!楯にするんだ。」
命じられて地下牢に向かった者は一向に帰ってこない。
「くそっ」
味方の退避を確認しないまま爆薬を爆破させた。
地響きが鳴り、振動で天井や岩壁が崩れる。
ゾロが走ってきた入り口に瓦礫の山を見て、ようやく安堵の息をつく。

「ぐしゃぐしゃに潰れていたところで、首が確認できりゃあいいだろ。」
へへ、へへ・・・と壊れたような薄ら笑いを浮かべてきな臭い煙の漂う部屋に入った。
千切れた手足や飛び散った血をしげしげと確認すると、首の後にひやりとした感覚が当った。
いつの間に――――背後にいたのか。
凍りついた男は、恐ろしさのあまり息をすることさえできない。

「女はどこだ。」
ゾロの声だけが低く冷たく耳に響いた。








地下水が染み出して滑った石段に足を取られ、転げながら男はゾロを案内した。
「俺あ、ほんの下っ端だあ。なんも、なんにも知らねえんだ・・・」
うわ言のように言い繕う男の声には耳を貸さずゾロは監禁場所へと急き立てる。
だがカンテラの灯りが揺れる石牢の鉄格子は不自然な形に折れ曲がり、牢の外で男が2人倒れて
いるだけだ。

「い、いねえ?」
ゾロより案内した男の方が驚いて駆け寄った。
その後から中を覗きこんで、ゾロは思わず息を呑む。
土の床には夥しい血の跡と白い液が残されている。
服の切れ端や金色の髪も落ちていて、ここで何が行われていたのか一目瞭然だった。

ゾロがそれに気を取られている隙に男は地下の奥へと逃げ出そうとした。
が、誰かと鉢合わせしてたたらを踏む。
「お前はっ・・・」
言い終わらぬうちにごきりと鈍い音を立てて、男の首は不自然な方向に折れ曲がり、
ゆっくりとその場に崩れ落ちた。

「・・・てめえ。」
岩壁の向こうから現れた気配に、ゾロは剣呑に目を眇める。



「なんでてめえがここにいる、クソコック。」
「なに、ただの通りすがりさ。」
サンジは煙草に火をつけると、ゆっくりと吸った。

「こりゃあ、てめえの仕業か。」
ゾロが顎で鉄格子をしゃくるとまあね、と間延びした声で応える。
「女が、いただろうが。」
サンジは横を向いて、ふうと煙を吐き出してから、だるそうに首を傾けた。
「・・・可哀相にな。てめえと関わったばっかりに・・・」
「どこに行った?」
ゾロが目を剥いて詰め寄るのに、サンジも真顔で睨み返した。
「顔の知られた賞金首が、うかうかと素人のレディに関わるんじゃねえ。自覚を持ちやがれ。」
ぴしりと言い放たれて、ゾロは奥歯を噛み締めた。
サンジに言われるまでもなく、これは自分の責任だ。
「彼女は、俺がちゃんと逃がした。もう大丈夫だ。」
「なにがっ」
ゾロは下を向いて激昂した。
「何が大丈夫だ。大丈夫な訳、ねえじゃねえか!」

ここでサンジに当るのは筋違いだ。
だが牢に残された陰惨な跡が頭にこびり付いている。


まだ幼さの残る少女だった。
細く華奢な腕をしていた。

「彼女のことを思うんなら尚更、もうてめえは忘れろ。彼女とも二度と会っちゃいけねえ。金輪際関わるな。」
サンジは煙草を投げ捨てるとまた新しく火をつける。

「あ、そうだ。彼女を逃がした後、適当にうろついて手当たり次第に蹴り殺してたらよ、倉庫ん中に火薬が積んであったの見つけたんだ。もうすぐ爆発すっから。」
「なに?」
まるでお天気の話でもするみたいに呑気にそう言って、サンジは地下の奥を指差した。
「こっちから海に出られっから、早く行こうぜ。」
「それを早く言え!」

二人して全速力で駆け出す。

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