サボテンのため息 1

ラウンジの丸窓から光が差し込む位置に、ちょこんと小さな鉢植えが置いてある。
前の島でサンジが衝動買いしたミニサボテンだ。

小さいくせにモリモリと盛り上がった肉厚の緑に、産毛のように薄い針がびっしりと生え揃っている。
その一本一本がピンと立って元気に伸びて、なぜだかサンジは一目見て気に入り買ってしまった。
以来、ラウンジの片隅で飼うペットのように密かに大切に育てている。

よりによってなんでサボテンなんだか・・・
買ってしまってから気がついてちょっと後悔してしまった。
サボテンと言えば天敵のクソ頭の代名詞だった。
緑髪をふさふさと立たせて日光浴する姿はサボテンのそれに重なって、からかったりもしていたのに、
そのミニチュア版を購入して可愛がってしまう俺ってどうよ。
後から気付いて気恥ずかしくなった。
これじゃあまるで、ゾロのミニチュアに語りかけて癒されてるみたいだ。

そう思ってよくよく見れば、サボテンの丸い頭(頭か?)のラインもよく似ているし、
色具合もそっくりだ。
ますます被って見えて、昼間は殆ど放置状態でサボテンを邪険に扱っている(つもりだ)
けれど、夜ラウンジで一人になると、水分は足りてるか、栄養素は何がいいのかなんて調べたり
話しかけたりしてサボテンをこよなく愛してしまっている。
だってほんとに、一目見て気に入ってしまったもんだから。




そんな可愛いサボテンは、なぜか最近元気がない。
なんとなく色褪せて、ピンと立っていた棘もくたんと曲がっている。
折角枝分かれしてきた腕(腕か?)が伸びるのを止めてしまって、全体に萎れた雰囲気だ。

「どうしたんだよ、お前。」
サンジは一人のラウンジで、そっとサボテンに話しかけた。
「お日様足らないのか?水、やりすぎたのかな」
勿論サボテンは応えない。
けれどサンジは話しかけずにはいられなかった。
クソ緑にそっくりなサボテンがしゅんと萎れて元気がないなんて、なんだか見ていられない。
いっそ憎々しいほどに旺盛に繁って、青々と大きくなってくれないとなぜだか悔しいのだ。

「別に、あいつとお前を比べてる訳じゃねえけどさ・・・」
口に出して呟いてから、サンジは丸まった眉毛をふにゃんと下げて溜め息をついた。
そう、まるでこのサボテンに呼応するように元気がないのだ。
あの腹巻マンも。






気合の入りきらない鉄串が、鉄板みたいな両手をすっぽ抜けて海に落ちてしまったのは一昨日だったか。
慌てて拾いに潜っていたけど、随分ヤツらしからぬ失態だった。
そいでもってアンカーロープに蹴躓いて自分が海に落ちたのは昨日。
「・・・なにやってんだ、あいつ。」
その様を思い出してサンジは笑うより呆れてしまった。
世界一の剣豪を目指そうなんて奴が足元も覚束ないでどうするよ。
気のせいかここ2、3日食も細くなっている気がする。

「お前だけでも、元気でいろよ。」
サンジは指先でちょんと白い産毛を突いてもう一度小さくため息をついた。
と、そこに足音を殺すような静かな気配が近寄ってきたのに気付いて、慌てて席を立つ。
イスに寄っかかってサボテンに話しかけてただなんて、気付かれてはまずい。
外しかけたエプロンの紐をもう一度結び直し、いそいそとキッチンに立った。

扉の手前で急に大きくなった足音は、やや間が空いた足取りで立ち止まりわざと音を立ててドアが開く。
「夜中だぞ、静かにしやがれクソ野郎。」
振り向かず毒づくサンジの背後に予想通りゾロが突っ立っていた。
「てめえこそ、うっせーよ。とっとと寝ろ、へな眉」
口先だけ悪態をついて、ゾロはずかずか大股で近付くとサンジの横を通り過ぎ、手を伸ばしてワインラックから
1本抜き取ろうとする。
サンジは冷蔵庫の扉を開けて、中から皿を取り出した。
「待てっての。空きっ腹に酒ばっか飲んでんじゃねーよ。」
言いながらテーブルに置かれた料理に、ゾロは目を丸くした。

「・・・」
「食えよ。」
ゾロはしばらくまじまじとサンジとテーブルの上の料理を見比べていたが、渋々といった感じでイスに腰を下ろした。
「ちゃんとグラス使って飲めよ。んでもってオレにも飲ませろ。」
サンジが用意したグラスに均等に酒を注ぐと、口の中で小さくいただきますと唱えて食べ始める。

「てめえ、最近ろくに食ってねえだろうが。いくら水生生物でも光合成だけで筋肉は作れねえぞ。
 頭悪いにもほどがあるぜ。」
照れ隠しに毒舌を並べるサンジを、ゾロはほんの少し眉を上げて意外そうな目で見つめた。
「な、なななんだよっ、オレあ自分が作ったスペシャルディナーが、どれもこれもルフィの胃袋に収まるのは
 我慢なんねえっつってんだ。てめえの飯はてめえで処理しろってんだ、馬鹿野郎。」
処理なんて言葉を自分で使って哀しくなった。
素直に「ちゃんと食えよ。」と言えばいいだけなのに、ゾロを前にすると余計なことまで口にしてしまって、
自分で嫌な気分になってる。
そそくさとエプロンを外すサンジに、ゾロはぼそっと言葉を返した。

「さっき話し声が聞こえたような気がしたんだが・・・」
ぎくっ・・・
動揺を隠してサンジはさらりと前髪を掻き上げた。
「ああん?腹減って幻聴まで聞こえるようになったか?オレあ生憎一人だぜ。」
「いや、独り言みたいな声だったな。」
こいつ耳までいいのかよ!
わかってて言うなと蹴り倒したい気分でサンジはしらを切った。

「ああん?独り言言いたいのはてめえの方じゃねえのか?なんならそのサボテンが聞いてやるってよ。
 同類だしな。」
自分から振ってどうするよとセルフ突っ込みしつつ、萎れたサボテンを指差した。
ゾロがむうっと口を閉じる。

「おい・・・」
「あんだよ。」
行き過ぎるサンジを引き止めるみたいに声をかけてくるから、サンジはなんだか手持ち無沙汰だ。
皆がいる場所ではゾロとナチュラルにケンカできるのに、二人きりだとなんでこうぎくしゃくしてしまうんだろう。

「サボテンは、人の言葉がわかるんだってな。」
「え、ああ?」
意外な台詞をゾロの口から聞いて、素で驚いた。
「なんだ藪から棒に・・・」
それからああ、と一人で納得する。
「てめえ、ウソップから聞いたな。そういうネタがてめえの知識の中にあるはずねえからな。」
ゾロはどこかぼうっとした視線のまま頷いた。
「そんでそいつ萎れてんのかな、悪いことしたな・・・」
ゾロのその呟きをサンジは聞き逃さなかった。
「なんだと?てめえこいつになんか喋ってんのかっ!」
驚いて声を上げ過ぎて慌てて口を閉じる。
サボテンに向かって独り言を呟く剣士・・・寒すぎる。

「しかもててめえ、こいつが萎れるような台詞吐いてんのか?」
もしかして、鷹の目に会いてえとか俺は世界一の剣豪になるんだとか、とり憑かれた様にブツブツ
呟いてんじゃねえだろうな。

「いや、思ったことを口に出してるだけだが・・・」
そうまで言って、ゾロはふと表情を緩ませた。
「話して返事が返ってくるってのはいいもんだ。」

サンジはひやりと背中に水を打たれた気分になった。
この傍若無人で横柄かつ傲慢な能無し筋肉ダルマが、どこか人恋しそうに目を細めるなんて・・・
胸に哀れみのようなものが沸き起こって、日頃の憎まれ口がナリを顰める。

「なんてこった、いくら同類でも相槌も打たねえサボテン相手に愚痴ってねえで、俺にも聞かせろクソ野郎。
 俺だってそれなりに・・・聞いて聞かねえフリくらいはできるんだ。」
サンジはそう言ってイスを引き、ゾロの前に腰掛けた。
いつも粗暴で生意気な腹巻男が、夜中に一人でサボテンに語ってるだなんて、憐れすぎて涙が出そうだ。
元来面倒見が良く世話好きなサンジの血が騒ぐ。

「まあてめえにとっちゃ、俺になんか本音を吐きたくねえだろうが。サボテンがちょっとでっかくなったって
 思えばいいさ。何聞いたって俺あ忘れるよ。」
「・・・そうか。」
思いのほか素直なリアクションで、ゾロがこくりと酒を飲んだ。
その仕種さえどこか大人しめで、サンジはますます心配になる。

やっぱバカはずーっとバカじゃねえと心配なもんだな。
ちょっとしおらしい顔されただけで、気味悪いの通り越してハラハラすっぜ。





明かりを落としたラウンジで、グラスの揺らめきに視線を落とすゾロの顔は、昼間の自信に満ち溢れた表情とは
打って変わりどこか影を含んで見える。
まあタメ年ではあるし、ちょっとは甘やかしてやってもいいかななんて優越感を感じながら、サンジもグラスを
用意して一緒に酒を飲むつもりで頬杖をついた。

「最近どうも、調子が悪くてな。」
驚いた。
ゾロの口から弱音のようなものが飛び出して、サンジはどきりと胸を鳴らしながら、危うく茶化しかけた
言葉を飲み込んだ。

「鍛錬した後でもそう変わらねえ脈拍が、そいつを見るだけで全力疾走で走ったみてえに高くなるんだ。
 しかも耳元でだかだか鳴り響いたり、口から心臓が飛び出そうな勢いで鳴ったりする。」
「ええっ!」
うっかり声に出して叫んでしまった。
今、ゾロは「そいつ」と言ったか。相手が、いるのか?

「その・・・あれだ。なんだてめえ、その子を見るとそうなんのか?」
「ああ、よくわかったな。」
おいおいおい。
「もしかして、気がついたらじーっと見てたり、話し声に耳を欹てたり、してんのか?」
恐る恐る問いかけられるのに、ゾロはしばし首を傾け、ああそうかと声に出して呟いた。
「そういやそうだ。お前よくわかったな。」
うわあ〜〜〜
サンジは心の中で声を上げた。
上げたがそれは、ビンゴの喜びってワケでもない。
どちらかと言うと嘆きのニュアンスがある。

なんてこった。
このクソ魔獣野郎、人並みに年頃になっちまったのかよ。



サンジは常々ゾロのことを螺子がどっか1本外れた野暮天の唐変木だと思っていた。
綺麗なレディを見ても嬉しそうでもない、ナミやロビンと言う美女に囲まれていても生活態度をまったく
変えないあの尊大さは、男として異常だと思っていた。
これも一種の病気だろうと憐れみながらそんなゾロにほんの少し安堵もしていたのだが・・・
そのゾロがどうやら、異性に関心を持ち出したとは。

なんとなくがっかりした気分を押し隠しつつ、サンジはタバコに火をつけて、余裕を見せながら煙を吐いた。
「そうかそうか、いやーいい進歩だな。や、俺はそれはいいことだと思うぜ。」
「そうか?」
対してサンジの顔を真っ直ぐ見つめながらまた少し首を傾げたゾロは、夜目にもどこかあどけない。
「勿論だ。闘争心だけで生きてきたお前がよ、漸く他人に関心を持つようになったんじゃねえか。
 喜ばしいぜ、そうだ。明日赤飯炊いてやろうか?」
弾んだ声とは裏腹に、サンジの眉毛はへにゃんと眉尻が下がってきていた。
魔獣が人間の一歩近付くのがなんとも寂しい。
そんな感じだろうか。

「そうか、てめえも嬉しいのか。」
ゾロはどこかはにかんだように、にやんと笑った。
それがなんともガキ臭くて、サンジの胸が勝手にきゅきゅ〜と締まる。
どうしたこったい、これは。
なんか目の前の苔緑が妙に可愛く写るたあ・・・

「あああ、だがな。てめえ勢いでみだりなことはしちゃなんねえぞ。」
「あん?」
なにをだと、訝しげに聞き返す。
「その・・・あれだ。心臓バクバクするついでに、その・・・下半身も、ズキズキこねえか?」
ゾロがあんぐりと口を開けた。
ああこいつ、歯並びが綺麗だななんて場違いなことを考えながら、サンジはしたり顔で頷く。
「どうだビンゴだろう。てめえは普通より神経回路が単純っぽいから、ときめき=性欲って直結する恐れがある。
 いいか、まずは行動より言葉だ。コミュニケーションを充分とった後に行動に移れ!」
びしっと指差して告げれば、ゾロは口を開けたまま軽く頷いた。
「言葉・・・か・・・」
「そうだ、サボテンとだってコミュニケーションのとれるてめえだ。その気になりゃあちゃんと口説くコトだって
 できるはずだ。ただし!恐れ多くもナミさんやロビンちゃん相手にアクション取ろうってんなら、
 まず俺が相手になってやるがな。」
「ああん?」
呆けていたゾロが一瞬にして険悪な顔つきになる。
「なんでそこで魔女どもが出てくんだ。」
「へ?違う、のか?」
代わりにマヌケな表情になったサンジの前で、ゾロは勢いよくグラスを空にした。

「まあいい、てめえがそんなら話は早い。じっくり聞いて貰おうじゃねえか。」
口端をぺろりと舌で舐めて、ゾロはおもむろにテーブルに置いたサンジの手に自分の掌を重ねた。

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