砂漠の薔薇 -7-


午後の陽射しは心地良く、吹く風も柔らかい。
さてこれからどうしようと、当てもなく街の中に彷徨い出る。
今から病院に行くにも、診察時間が過ぎているから無理だろう。
いつものネットカフェに入るのには時間が早い。
やっぱり一度、風呂に行こうか。
値段が一番安い銭湯ってどこだろうか。
先にネットで調べた方が早いか?
なんてことを考えながら、繁華街の交差点で信号待ちをした。

昼間も人出が多いが、夜になるともっと増える。
どこから集まるんだろうと思うくらい、この街はいつでも人が溢れている。
だがその人が―――

どうしたことか、今日はやけに他人と目が合う。
どっちを向いても誰かが自分を見ているような気がする。
そんなに臭うか、俺。
サンジは右手を鼻先に持って来て、くんくんと臭いだ。
臭い・・・マジで臭うぞこの包帯!

視線を上げたら、また目が合った。
相手は明らかにサンジを見て、しかも指をさしている。
――――?
そんなにあからさまに指ささなくたっていいだろう。
思わずむっとして顔を背けた・・・ら、隣に立つおっさんがビックリしたような顔でこちらを見ている反対側を見ても、やっぱり綺麗なお姉さんが不躾な目線でサンジを見詰めていた。
その向こうにいる女子高生は、口元に手を当てて携帯を見ながら、なにやらきゃあきゃあと騒いでいる。
その向こう側のお兄さんは、慌てて携帯を取り出して―――

「―――?」
ざわっと周囲の空気がざわめいたので、サンジはつられて顔を上げた。

スクランブル交差点に面した巨大スクリーン。
そこに、見知った顔のドアップが映っている。
「え・・・俺?」
粒子が粗く色が鮮明ではないけれど、そこに映されているのは紛れもない、自分の顔。
前のレストランに就職するために使った証明写真だ。

「え?え?え?」
周囲の人間が一斉に携帯電話を使っている気がした。
信号が変わっても誰も渡ろうとしない。
サンジ一人が取り残されて、世界だけがぐるぐると回っているようだ。

目の前にいきなりリムジンが現れた。
交差点のど真ん中で、リムジン横付けってどうよ?
どっから突っ込んでいいかわからず、ただ目を白黒させて突っ立っていたら、ダークスーツ姿の厳めしい男達が降りてきた。
一人がさっと回り込んでドアを開ける。
中から現れたのは、溢れんばかりの真紅の薔薇だった。

「・・・は?」
いや、正確には薔薇の花束を持った男。
ロングタキシードを着こなし、片手に抱いた薔薇にも負けない気品と優雅さを漂わせてゆっくりとリムジンから降りる。
ちらりと、ウェスト部分に別素材のアイテムが覗いた。
色を統一しているとは言え、それは紛れもない腹巻で―――

サンジはあんぐりと口を開けて、改めてその人物の顔を見た。
薔薇の花弁の向こうにあるのは、見間違いようもないあの日のじじシャツ男。
精悍な顔立ちと浅黒い肌、短く切られた髪は鮮やかな緑、なによりも、真っ直ぐに見詰めてくるその瞳の強さがあまりにも
印象的な―――

「・・・ゾロ・・・」


どこかでクラクションが鳴り響いている。
街のど真ん中、スクランブル交差点をすべて封鎖して、ゾロはただゆっくりと自分に向かって歩いて来た。
その動きがまるでスローモーションのように映るのに、サンジはその場から動くことができなかった。

なんだかやべえよゾロ。
だって俺、今汚い。
臭いし、そんなに近付いたら多分、きっと臭う―――

恥ずかしさが高じて逃げ出したくなった。
だが足がうまく動かない。
サンジの動揺を見て取ったか、ゾロが瞬時に動いた。
肉食獣さながらの機敏さで駆け寄り、手を広げ攫うように抱き上げる。

目の前を花弁が散った。
周囲のどよめきが波のように押し寄せて二人を包み込む。


「I found my rose」

むせ返るような花の香りとかすかなゾロの匂い、そして耳に響く低音。
シャッター音を模した電子音と瞬発的な光に囲まれて、サンジの意識は急速に遠退いていった。














サンジは放心状態で、目の前に広がっている星屑のような夜景をぼんやりと眺めていた。
ここは何処だかわからないが、多分高級ホテルの最上階。
ワンフロアを全部使った広すぎる室内にはどんとグランドピアノが置かれ、壁のあちこちには格調高そうな絵が掛けられている。

まだ頭に霞がかかったようにぼんやりとしていて、ここに至るまでの怒涛の展開を良く覚えていない。
着いてすぐ風呂に入ったことや、暖かいものを口にしたことなどを断片的に覚えてはいるが、すべて夢の中のようだ。
ともあれ今は肌触りの良いバスローブに身を包み、柔らかなソファの上に横たわっている。

サンジはそっと右手に視線を落とした。
手当てされ真っ白な包帯が巻き直されたその手を、更に大きな手が包み込んでいる。
その手はあの日と変わらずに、優しく力強く、温かい。

ゾロは真っ白な丈の長い部屋着に着替えて、サンジの傍らで寛いだ表情を見せている。
男二人がソファで寄り添い合うだなんてどう見てもサムい光景なわけだが、その事実に抵抗する気力がサンジにはもうない。
目の前に見知らぬおっさんが畏まって控えていても、気にする余裕さえなかった。


「まずはお誕生日、おめでとうございます。今日のこの日に間に合って、本当に良うございました」
流暢な日本語を喋るが、このおっさんも随分とオリエンタルな顔立ちをしている。
「私はゾロ様の通訳と日本滞在時のお世話をさせていただいております。しばしお時間を頂きまして、簡単にご説明をさせていただきます」
サンジはぼんやりと頷いた。
まだ頭がうまく回らない。
「ゾロ様の学生証をご覧になったならば既にお気づきかと思いますが、ゾロ様はHis Royal Highnessの称号をお持ちの王族です。王位継承権を持つ直系の王子でらっしゃいます」
サンジはぽかんとした顔で、ゾロを振り返った。
ゾロは真面目な顔つきで、ウンと頷いている。
「ゾロ様は交換留学生として、アメリカの大学を通じて来日されておりましたが、今月で帰国されることになっておりました。よもや、その間際に恋に落ちることになられようとは、私共も思いもかけず・・・」
「は?」
サンジは素で問い返した。
一体何を言い出すんだこのおっさんは。

「貴方のことが忘れられず、ずっと探しておいでだったのです。残念なことにゾロ様は英語と母国語しか話されませんが、日本語の意味は理解できております。貴方がいかに優しく親切で、料理の腕に優れ誇り高く貞節に厳しいか、ゾロ様は良くご存知でおられました。そして貴方が20歳の誕生日を迎えるその日に、正式にプロポーズされるおつもりだったのです」
「や、あの・・・ちょっと待ってください」
サンジはソファに座り直して、両手を振った。
「そもそも、俺、男なんですけど・・・」
「存じております」
おっさんは恭しく頷く。
「ゾロ様は今日のこの日をお祝いするべく、貴方の身辺を調べておられました」
性別の問題はスルーかよ!
「その内、貴方のお姿が消えてしまって、手を尽くしても中々見つけることができません。それで元の職場であったレストランに問い合わせたり、貴方と関わりのあった方々にお話を聞いてみたりと・・・」
「・・・なんかそれって・・・」
サンジは嫌な予感がして表情を曇らせた。
おっさんはこほんと一つ、わざとらしい咳払いをする。
「結果として組織を二つばかり潰すことになりましたが、貴方に関わりがあることはきちんと揉み消しましたので、ご安心ください」
おいおいおいおい

「それでも貴方が見付からない。業を煮やしたゾロ様は、貴方のたった1枚の写真を使って、街中に捜索を呼び掛ける手段を取られました。いやまったく、恋は盲目」
―――勘弁してくれ
サンジは文字通り頭を抱えた。
その様子を見ながら、おっさんは穏やかな笑みを浮べ、目を細める。
「ゾロ様は学生の身でありながら、すでに数社の株主でもいらっしゃいます。王族に生まれついたならば生涯の生活費はすべて支給されますが、ゾロ様はそのようなお暮らしは望んではおられません。ご自分で事業を始められ、手にされた資金で株を取得しすでに一財産を築かれております。そしてこれからも、ゾロ様の能力は国の経済成長の一端を担うこととなるでしょう」
「・・・・・・」
おっさんの口ぶりは、敬愛する御曹司の自慢とも売り込みとも取れた。
今まさにお買い得ですよと、そんな印象を受けてサンジは反射的にむっとする。
生まれ持った反骨精神・・・もとい、天邪鬼がひょいと頭を擡げたその時―――
サンジの心境を知ってか知らずか、ゾロが怪我をしていない左手にそっと手を添えた。
痛いくらいに強く、力を込めて握り締める。
「ゾロ?」
サンジの眼を射抜くように、真っ直ぐに見つめてくる真摯な瞳。


「It is impossible to capture in words the feeling I have for you・・・」
ゾロの唇から紡がれる低音が、心地良く耳に届く。
意味はわからないが、それはまるで音楽のように優しく胸に染みて―――
「あなたへの気持ちを、言葉にすることなんてできません」
いきなりおっさんが訳を始めて、サンジはゾロに見つめられた状態でビビった。

「The words do not even begin to touch the depths of my feelings And though I cannot explain the essence of these phenomenal feelings」
「言葉は私の気持ちの奥底に触れもしないのです。この不思議な想いが一体なんなのか説明はできませんが」
「I can tell you what I feel like when I am with you.When I am with you it is as if――」
「あなたと一緒にいることがどんな感じなのかは、いう事ができます。例えば・・・」
「わーわーわー、もういいです!」
サンジは真っ赤になって両手を振った。
ソファに正座して手をつき、何故かおっさんに向かって土下座する。
「もう勘弁してください、すんませんでした」
「は?どうされましたか」
眼を白黒させているおっさんに背を向けて、サンジはゾロに向き直った。

「あのなあゾロ、俺はお前がどんだけ偉かろうが王子様だろうが金持ちだろうが、そんなんどうだっていいんだからな」
これだけは言っておかないとと、サンジの口調がきつくなる。
ゾロはサンジの手を握り、黙って頷いた。
「てめえなんて、最初に見たときただのステテコ親父だったんだからな。じじシャツに腹巻で、どうみたって怪しい変質者だったんだ。けど、お前が腹減ってたから・・・だから飯食わせてやった、それだけだ」
ゾロがちょっと、哀しそうな表情になる。
サンジは慌てて付け加えた。
「けどな、お前に飯食わせて、お前が飯食ってる姿は見てて気持ちよかった。楽しかった。また押しかけられても、ほんとは迷惑だなんてちっとも思わなかった。次は何食わせようかとか思って・・・」
サンジはそこで一旦言葉を止めて、ゾロの手を軽く握り返した。
「お前が出て行って・・・ほんとは俺が追い出したのに、それでもてめえが来なくなってから、ちょっと・・・寂しかったんだ・・・いや、勿論追い出したのは俺だしよ、その後事情があって行方くらましたのだって俺の方なんだし、だけど―――」
サンジはじっと見つめてくるゾロの視線が眩しすぎて、背後の夜景に眼を映した。
あのまま生活していたら、多分一生目にする事がなかっただろう、特別な景色。

「だから、お前が金持ちだからとかそんなん関係なくて、ただ単純にさ。お前にもっかい、会えてよかった・・・」
サンジは恥ずかしそうに眼を伏せながらも、ゾロに視線を戻した。
「こうやって会えて、それだけで俺は嬉しい・・・」
言ってる側から、恥ずかしさで走り出したい気分だ。
耳まで真っ赤だろう自分の姿が滑稽で、サンジは自嘲しそうになる。

ゾロは関節が軋むくらい強く握り締めていた指を解くと、両腕を伸ばしてやや乱暴にサンジの身体を抱き締めた。
雑踏で抱き締められた時よりもっと強く、ゾロの匂いが感じられる。
それだけで全身がかっと熱く燃えるようで、サンジは自分自身の変化にも対応できずただ戸惑うばかりだ。

「お二人にこれ以上、言葉は不要ですな」
おっさんは厳かにそう呟くと、立ち上がり一礼を残して速やかに部屋から出て行った。



扉が閉まる音を合図にしたように、サンジがおずおずとゾロの背中に手を回す。
一面硝子の夜景をバックに、まるで恋人同士のように抱きあう二人の姿が映し出されて、サンジは慌てて眼を閉じた。


ゾロの唇が、そっと重ねられる。
優しく労わるような柔らかな口付けはやがて熱を帯び、激しさを伴って徐々に深まっていった。





next