砂漠の薔薇 -4-


弾かれたように二人して振り向けば、そこはサンジの部屋のドア。
そして中から、緑頭の男が顔を覗かせている。

「ゾロ?!」
サンジは心底驚いて声を上げた。
なんでゾロが自分の部屋の中から出て来るんだ。
つか、そこ俺の部屋だろ。
留守宅だろ。
お前なんで、入ってんだよ。

名を呼んだサンジと、いきなりサンジの部屋から現れた男とをギンは交互に見た。
そうして改めて、ゾロに向かって厳しい視線を投げつける。


「―――――」
「―――――」

無言の睨み合いはたっぷり3分続いた。
サンジは二人の間に挟まれて、石のように固まったまま動けない。
ゾロを詰ればギンが加勢してくるだろうし、ギンにゾロのことを説明しようとするとまるで言い訳にしかならないからだ。


「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

永遠に続くかと思われた三すくみだったが、いきなりその場の緊張が解れた。
ギンが先に視線を逸らせたのだ。
影の多い表情をさらに曇らせて、ギンは俯いてぼそりと呟いた。

「そうですか・・・サンジさんがどうしても俺の誘いに乗ってくれなかったのは、こういう理由があったのですね」
「え?」
こういう理由ってどういう理由?
咄嗟に頭が働かず、的確な台詞が出てこない。
「一緒に暮らしてる人がいるのなら、俺のとこにホイホイ来れないですよね。サンジさん優しいから、俺にも正直に話せなかったんだ」
へ?一緒に暮らしてるって?
「や・・・それは・・・」
違うぞと続けそうになる言葉を、ぐっと飲み込む。
同居人がいるからギンの元に身を寄せることができなかったと、それはそれで言い訳になるんだろうか。
なる・・・かなあ。

サンジが言葉に詰まっていると、ギンはふと顔を上げた。
どこか吹っ切れたような、明るい表情に変わっている。
「いいんですサンジさん。これで俺もわかりました。あんたが幸せなら、俺はそれでいいんだ」
え?いいの?
さっき俺に幸せにしてくれとか、言ってなかったか?
「俺は、好きな人が幸せにいてくれるなら、それが一番嬉しい・・・」
「―――は?」
唖然として口を開けたままのサンジを置いて、ギンは2階を振り仰いだ。
「あんた、サンジさんを不幸になんかしたら、絶対に許さないぞ」
低い恫喝でありながら、どこか血を吐くような悲痛さを秘めた声。
それにゾロが、真摯な表情でゆっくりと頷き返す。
間で把握し切れていないサンジは、先ほどのギンの台詞の衝撃に固まったままだ。
―――え?え?ギンが、俺を?

「サンジさん、本当にこれきりです」
ギンは後退るように階段を下りると、深々と頭を下げた。
「今まで、ありがとうございました」
まるで卒業する真面目な生徒のように正しい姿勢できっちりと深いお辞儀をして、ギンはきびすを返すと、その場から粛々と立ち去って行った。
遠ざかるごとに少しずつ伸びていく背中は、曲がり角に影が消える頃にはクリーク組若頭としての風格を取り戻していた。
それを安堵の想いで見送りながら、サンジはほうと人知れず息をつく。

ちょっと、吃驚してしまった。
ギンがやたらに自分に懐いているとは思っていたけれど、よもや好意を持たれているなんて考えもしなかった。
そもそも自分達は男同士なのに、なんだってそんな気持ちになったのだろう。
ギンの気持ちは推し量れないけれど、飯や世話がきっかけとは言え、誰かに慕われるのはやっぱり悪い気分じゃない。

世間の辛酸をやたらと舐めている割にちっとも懲りないサンジは、ギンの門出を祝うかのように晴れやかな気分で再び階段を昇り始めた。
錆びた手すりの向こうには、ゾロ。
ああそうだった。
こっちはこっちで、問題がまだ残ってたよ。





「なんでお前が人んちにいるんだよ」
サンジは腰に手を当てて仁王立ち、語気を強めてゾロを詰った。
ゾロは板についたジェスチャーで肩を軽く竦めて見せる。
「マーレッシュ」
「またそれか、お前ここは日本だぞ。日本語を喋れ、俺にわかるように弁解してみろ」
捲くし立てるサンジの眼前で、でかい掌が鷹揚に振られる。
まあまあと、宥めているつもりだろう。
「大体、鍵はどうなってんだよ」
サンジはドアノブを掴んでぎょっとした。
ノブが外れてしまっている。
確かに、このところ螺子が緩んで抑えてないと鍵穴に差し込みもできなかったけど、とうとう壊れてしまったとは―――
「あちゃ〜〜〜」
サンジは片手を額に当てて、それはらきっとゾロに振り向いた。
「まさかお前、壊したんじゃねえだろうな」
正確にはとどめを刺した、かもしれない。
ゾロは再び肩を竦めて見せた。
この野郎、人のスウェット着たままで生意気なんだよ。

サンジは仕方なく部屋の中に入った。
物色されたり荒された形跡はない。
なぜだか卓袱台の上には缶ビールがゴロゴロ転がっていて、しかも殆どが空だった。
「お前まさか、ここで一人で酒盛りしてたんじゃねえだろうな」
なんで人ん家に上がりこんで、一人で飲んだりしてたんだろう。
ビールやつまみは持ち込みみたいだけど、ここは公共の場じゃねえっての。

「しかもお前、着替えてねえのかよ」
相変わらずスウェットに腹巻、玄関にはきっちりと高級そうな革靴が脱いである。
「ったく、勝手に寝床に決めてんじゃねえぞ」
ろくに言葉を話さない外人が、ここをネグラと決め込んで住み着いてしまうかもしれない。
これにはさすがのサンジもぞっとした。
何より、今は定職を持たないプーの身だ。
食費から切り詰めたいのに、同居人がいたらそれができないじゃないか。
やはりサンジの論点は、どこかズレている。

「あのなあ、お前家に帰れよ」
サンジの言葉など聞いていないように、ゾロはさっさと卓袱台の上の空き缶とつまみの袋を片付けて胡坐をかいた。
やや期待に満ちた目線で、サンジを見上げている。
「・・・もしかして腹減ったのか?もう、飯の時間か?」
問えば、うんと大きく頷く。
こいつもしかして、言葉通じてるんじゃねえだろうな。

「もう、冷蔵庫の中身は残り少ねえんだよ。お前が腹いっぱい食える食材とか、ねえぞ」
そう言うと再び立ち上がり、玄関に向かう。
「なんだよ、食うもんねえととっとと出てくのかよ」
それはそれで心外で、思わず口先を尖らせた。
ゾロはドアを開けてサンジを待っている。
一緒に出かけろということか。
もしかして、買い物?
サンジは一瞬頭の中で財布の中身を計算した。
光熱水費と家賃の引き落としは月末。
まだ食費があるにはある。
けどこいつがこれから居座るとなると、2倍・・・いや、3倍以上になるだろう。
けどまあ、いつまでもいるとは限らないし。
今夜限りかもしれないし。
常にポジティブシンキングなサンジだが、別の言い方をすれば学習能力に乏しいとも言える。
ともあれ、今夜くらいはなんとかするかと重い腰を上げて立ち上がった。





「お前、何でも食えるの?」
スーパーのお徳チラシを頼りに、さくさくと買出しを済ませる。
肉のコーナーでゾロは足を止めたが、そんなもん買う余裕はないと首根っこを引っ掴むようにして通り過ぎる。
「やった、直産市の残りだ。外葉は持ち帰れるんだよな」
野菜くずや虫食いだらけの葉を適当に集め、安売りの魚にパンの耳など、自分でもいじましい買い物をしてしまった。
だが背に腹は変えられぬ。
このまま定職にありつけないと、一ヶ月1万円生活とかも目指すことになるかもしれない。

「酒はダメだぞ。つか、お前あんだけ大量の酒、どうやって手に入れてきたんだよ」
ゾロは腹巻の中に手を入れると、黒い小銭入れを取り出した。
そのままサンジに手渡すから、遠慮なく中を覗かせてもらう。
千円札が2枚に、小銭が少々。
「・・・お前、もしかしてこれが全財産?」
サンジの問いかけに、ゾロは両手を広げて見せた。
ダメだ、こんな奴絶対頼れない。
「よーくわかった、これは大事に取っておけ」
小銭入れを返すと、またひょいと腹巻の中に入れる。
「ドラえもんのポケットかよ」
ゾロには意味がわからなかったようだ。


ささやかな食材を買って帰り、サンジはさっそく夕食の支度を始めた。
どんなものであろうと、美味しく調理するのは自信がある。
一度でいいから質の良い食材を思い切り使ってみたいという夢があるが、それが実現する日が来るかどうかはわからない。
――― 一生、こうやって暮らしていくのかもしれないな
将来のことを思えばどうしたって暗澹たる気分になるが、それでも自分の分だけを作るわけじゃないから気分は紛れた。
誰かのために食事を作っている時が、一番楽しい。




「ほい、お待たせ」
湯気の立つ食卓の前で、ゾロが神妙に手を合わせる。
その行儀の良さに好感が持てて、こんなにも胡散臭く厚かましい闖入者なのにどこか憎めないのだ。
米だけは余裕があるから多めに炊いたが、すぐに電気釜が空になった。
ゾロはよほど白米が気に入ったらしい。
こんな風に綺麗に食べてくれると作り手としても嬉しいし、満足だ。
サンジは先に食事を終えて一服しながら、ゾロのために茶を淹れた。

「お前、泊まるとこねえのか。俺んとこでまた、寝る?」
当たり前のように頷く。
「んじゃ、しゃあねえな。とりあえず風呂行って来い」
昨日洗濯したジジシャツとステテコが乾いているから、今度はこれに着替えさせよう。
そうして今度こそ、それを着て目の前から消えてもらおう。
そう算段している内に、ゾロは勝手知ったるでとっとと風呂場に向かった。



「着替えとタオル、ここに置くぞ」
狭いユニットバスには浸からず、シャワーだけで済ませているらしい。
脱衣籠に着替えを置いて、サンジはスウェットを洗濯により分けようと何気なく持ち上げた。
上に乗っていた腹巻がやけに重い。
そう言えば、小銭入れも入っていたから他にも何かあるのかもしれない。

サンジは、やや後ろめたく思いながらもそっと腹巻の内側を覗いた。
なにやら細かいポケットがついていて、それぞれにモノが入っている。
―――腹巻を身に着けてるのは、このためかこれならカバンも要らないだろう。
人の持ち物をこっそり漁るなんてよくないと思い直し、そっと腹巻を元に戻した。
拍子にするりと、パスケースが落ちる。
「やべ・・・」
慌てて拾うと、小さな写真がついた身分証明書らしきものが見えた。
―――学生証?
ついまじまじと確認してしまった。
リアルより更に2割増しで凶悪顔に映った証明写真。
HRHから始まり、やたらと長ったらしいアルファベットの羅列があるが、中に「ZORO」の綴りがあるから、これが名前だろうか。
サンジも知っている大学名に、住所や生年月日が記されている。
「うそ・・・」
数字を見て二度びっくりだ。
サンジの生まれ年より1年早いだけ、つまり学年で言うなら同級生ということになる。
「マジかよ・・・」
なんだよ、不法滞在か難民かと思ってたら、ちゃんとした大学の留学生じゃねえか。

シャワーの音が止まった。
サンジは慌ててパスケースを腹巻の中に突っ込むと、「ここに着替え置いておくぞ」と声を掛けた。
唸り声みたいなゾロの返事を背中に聞いて、そのまま逃げるように脱衣所から出て行く。
勝手にゾロの身元を突き止めてしまったことは後ろめたいが、なぜだか裏切られたような気分になった。






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