Bon appetit!  -人買いと火を噴く竜のおはなし- 4


きい、と軋む音がして扉が開いた。
持ち込まれたカンテラの灯りで、薄暗い部屋の中が照らしだされる。
部屋の隅に蹲っていた少年が、緩慢な仕草で顔を上げた。
「お前、今日からこれの世話をしろ」
男が掲げた鳥かごを見上げ、はっと息を呑む。
鳥かごの中には、小さな小さな人がいた。
「なにを食うかわからんから、ここに食事を置いておく。いいな、ちゃんと世話するんだぞ、弱らせたりしたら承知しないぞ」
男の拳骨を振り上げる仕草に首を竦め、少年は頷いた。

男が部屋を出て行ってしまってから、少年はおずおずと鳥かごに近付き、中を覗き込んだ。
何度見ても、小さな人だ。
膝を抱えて座り込み、上目遣いで少年を見上げている。
「生きてるの?」
「当たり前だ馬鹿」
ハッキリと罵倒が返ってきて、またびっくりする。
「しゃべった」
「そろそろ、この反応にも飽きてきたな」
サンジは面倒くさそうに呟いてポケットをまさぐり、取り出した煙草に火を点ける。
愛らしい外見とはほど遠いはすっぱな仕草に、少年は目を丸くしたきりだ。
「あの、水飲む?」
鳥用の水差しを指されて、サンジはけっと横を向いた。
「いらねえ」
「じゃ、餌は?」
水とか餌とか、まるっきり小動物扱いだ。
サンジがむううと眉間に皺を寄せていると、少年の腹がぐううと鳴った。
途端、サンジがぴくりと顔をもたげる。
「腹、減ってんのか?」
よく見れば、少年は薄汚れたなりでやせっぽちだ。
「いいよ、俺の食えよ」
「そんな、いいよ…」
「俺は腹減ってねえし、こんだけも食えないし」
皿には一人前に料理が乗っている。
少年の目がじっと料理に注がれた。
ぐっと唾を飲み込んだが、ふるふると首を振る。
「でも…」
先ほどの男に叱られることを恐れているのだろう。
「俺が全部食ったことにして、黙っといてやる」
「…いい、の?」
サンジが頷けば、少年はそうっと手を伸ばして皿を引き寄せた。
食べ始めれば止まらなくなったのか、ガツガツと掻き込む。

サンジは煙草を吹かしながら、そんな少年の様子をじっと観察した。
まだ10かそこらの、ひ弱そうな子どもだ。
人買いの下働きにも見えない。
「お前、ここで働いてんのか?」
サンジの問いに、少年は頬にソースをつけたまま顔を上げた。
「ううん、違う」
「じゃあなんだ」
「これから売られるんだ、競り待ち」
残酷な事実をさらっと口にして、再び手を動かす。
「売られるって、お前みたいな子どもがか?」
驚くサンジに、少年ははにかんだように笑みを浮かべた。
「ちゃんと売れるかどうかわかんないし、自信がない」
「なに言って…」
少年は上着をたくしあげて、サンジが見えるように身体を寄せた。
脇腹に、銀色の鱗がある。
「ここと、膝の裏と喉にもあるんだ。ただそれだけ。役にも立たないし、あんま珍しくもないかも」
恥ずかしそうに言うから、サンジは戸惑いつつも首を振った。
「や、珍しいぜ。俺は初めて見た」
「ありがと」
服を直し、少年は改めて料理に手を付ける。
「でも、こういうのは1回見たら『ほお〜』だけで終わっちゃうから、もっとなにか芸もしこまないとって言われてる」
見せ物としての、身の立て方だろうか。
「それを言うなら俺だって、ただ小さいだけだし」
つい、サンジもなにか一芸を磨くべきかと考えてしまった。
けれど、少年は笑って首を振る。
「君はいいじゃん。小さくて可愛らしくて、なによりとても綺麗だ。見てるだけで幸せな気分になる」
そう面と向かって誉められ(?)ると、サンジもたじろぐ。
「どういう経緯か知らねえけど、俺と違ってパッと見、普通なんだから売り物になんてならなくてよかったんじゃないのか?」
こんな薄暗い部屋に閉じ込められて、腹を空かせておいて置かれるだなんて。
サンジの憤りに、少年は哀しげな目で首を振った。
「いいんだ」
「よくねえよ、親だっているんだろ?攫われたんじゃねえのかよ」
「親は…いないよ、帰る場所もない」
そう言って目を伏せ、口元を歪めた。
「俺なんて本当は、死んじゃった方がいいんだ」


思わぬ少年の告白に、サンジは動きを止めた。
自嘲するように顔を歪めた少年の表情に、子どもらしくない屈託を見てうむうと眉を顰める。
「そういうこと、簡単に口にするもんじゃねえぞ」
「うん、ごめん」
素直に詫びながらも、表情の固さは変わらなかった。
「なんでんなこと言うんだ?死にたいのか」
サンジの問いかけにふるふると首を振る。
「死にたいんじゃない、けど、僕なんて生きてない方がいい」
「なんで!」
思わず激昂したが、冷めた目で見返す少年の瞳にぐっと声を詰まらせた。
「だって僕は、大切な人を傷付けたんだ」
「どういう、ことだ?」
少年の目線に合わせるように、鳥籠の中でしゃがむ。
サンジにとっては随分と年下の子どもだけれど、少年から見たらサンジだって充分に小さい「子ども」だ。
友達に秘密を明かすように、おずおずと口を開いた。
「僕には母さんはいないけど、『お母さん』と呼べる人はいたんだ」
いきなりの深い話に内心焦りつつも平静を装って頷き、それで?と先を促す。
「僕の身体に鱗が生えていても、嫌がったりしないで大切にしてくれた。そんなお母さんが大好きで、ずっと一緒に暮らしていたいと思ったのに・・・」
じんわりと、少年の目尻に涙が滲む。
「村のいじめっ子に母さんの悪口を言われて、ついカッとなって取っ組み合いの喧嘩になったんだ。そしたら、なにが起こったのかわかんないんだけど・・・」
こくりと唾を飲み込み、震えながら呟いた。
「いつの間にか、大きな火事になっていて、村が燃えちゃった」
「―――?!」
いきなりスケールの大きな展開に、サンジは度肝を抜かれて固まってしまった。
なんで火事?つか、もしかして火の海?
「その・・・いじめっ子とか、お母さんは・・・」
「みんな逃げて無事だったけど、村の殆どが燃えちゃって、それで、それが僕のせいで、だからっ・・・」
えぐえぐとしゃくりあげながら、少年は必死で声を出す。
「だから、僕・・・お母さんのそばにいちゃ、いけない・・・んだ・・・」
うえええ〜と堰を切ったように、少年は泣き出した。
恐らくは今まで、ずっと我慢していたのだろう。
小さなサンジにだからこそ、初めて打ち明けたのかもしれない。
「それで、一人で村を出て人買いに身を売ったってのか?」
袖で目元を拭いながら、辛うじて頷く。
「・・・だって、だってどこに、も・・・行くとこない、し・・・僕なんて、いちゃいけないし、母さんに・・・もう、会えないし・・・かあさん・・・」
母さん、母さんと声に出して何度も呼んだ。
「母さんに、会いたい―――」
うわああああーと再び声を上げて蹲る。
サンジは懐から煙草を取り出し、火を点けた。
深く吸い込んで吐き出してから、その場に腰を下ろして胡坐を掻く。
少年の事情はわかったが状態が理解できないし、なんと慰めの言葉を掛けていいかもわからない。
考えあぐねていると、いきなり扉が開いた。
「うるせえぞ、ぎゃあぎゃあ泣くんじゃねえ!」
男に一喝されて、少年はびくりと身体を震わせ、片手の拳を口元に当てる。
そのまま手の甲に歯を立て声を殺す仕種に、サンジの胸は激しく痛んだ。

自分の身さえどうにもならないというのに、なんとか力になってやりたいと強く思う。
俺はどうだっていいから、この子だけでも逃がしてやることはできないか。
もう戻れないと思い込む気持ちもわかるけど、きっとお母さんだって心配して探している。

―――こんな時に、ゾロがいれば・・・
一瞬頭を過ぎった考えに、慌てて首を振った。
いつまでもゾロに甘えてばかりじゃいけない。
成り行きとは言えこうして別れてしまった以上、再び会える確率なんて万に一つもないだろう。
まだぐずぐずと泣き続ける少年の旋毛を眺めている内に、サンジもなんだか悲しくなってきた。
きつい目付きで無愛想だけれど、本当は優しい男だった。
サンジを腹巻に入れてくれて、潰さないようにいつも仰向けに眠って。
それだって深い眠りじゃあない、いつでも目を覚ませる程度に警戒を怠らなくて。
サンジが言えばなんだってしてくれた。
力仕事でも人助けでも、厭わずに手を貸してくれた。
なにより、こんなに小さくて役にも立たない自分を、馬鹿にもせずに大切に扱ってくれた。
誰より、温かい手を持っていた。
「・・・ゾロ」
声に出して呟けば、恋しさが波のように一気に押し寄せた。
ゾロ、ゾロに会いたい。
もう会えないけど、けれど会いたい。
少年がお母さんを恋うように、サンジはゾロが恋しかった。
もう忘れてしまっているかもしれないけれど、いなくなってせいせいしているかもしれないけれど、でもやっぱりゾロに会いたい。



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