Bon appetit!  -人買いと火を噴く竜のおはなし- 5


いつの間にか、少年は泣き疲れて眠ってしまったらしい。
部屋の隅に丸まって規則正しく上下する背中を眺めながら、サンジは「さてどうしたもんか」と思案した。
とりあえず一服と、新しい煙草を取り出そうとして手を止める。
荒々しい足音が近付いて来るのに気づいて、咄嗟に鳥かごの床に伏せた。

扉が開き、外から光が差し込んだ。
先程怒鳴った男が顔を出す。
今度は黙って、彼なりに静かな動作で中を伺い、後ろを向いた。
「寝たようだぜ」
「ガキがぎゃあぎゃあ泣きやがると、うるせえからな」
もう一人続いて入った男が、鳥かごの中を覗き込んだ。
「こっちのちっけえのも寝てっぞ」
「ハンカチの一つも掛けときゃいいのに、気が利かねえガキだ」
「けど飯は平らげてあっじゃねえか。小せえのにたいした大食らいだ」
サンジはじっとして、二人の男の声に耳を澄ませている。
「しかし、こんな小汚えガキが本当にサラマンダーか?」
「おう、間違いねえよ。ガキが逃げてきたってえ村は丸焼けになって、焼け出された奴らが逃げてきたって隣村で聞いたからな」
「見たところ、ただのガキだぞ」
「けど鱗を見ただろうが。あれが証拠だ」
サンジは伏せながら、頭の中で考えていた。
―――サラマンダー?
聞いたことがある。
南の島に住むという、希少な火竜。
「中途半端に引っ付いてたあれかよ、けど本物のサラマンダーなら危ねえじゃねえか」
「なあに、そこがガキだってんだ。ちゃんと仕込めば芸だってできる。」
男はへっへと下卑た笑いを漏らした。
「どうせ半人半竜だ、ガキん時にうんと痛い目に合わせてやりゃあ、本能で怯えて従う。見世物にするときだけ竜にさせても俺らの前じゃ大人しいもんさ」
「そううまくいくかねえ」
もう一人は訝しそうに唸った。
「竜を扱う専門のマスターとか、いたじゃねえか。ああいうのに任せねえと酷い目に遭うんじゃねえか」
「んなもん、貴族や王族御用達じゃねえか。俺らで頼めるようなシロモンじゃねえだろ。第一高くついて仕方ねえ、こんなちんけなサラマンダーくらいなら、俺らでどうとでもならあ」
男の適当な物言いに、サンジは聞いてるだけでも腹が立っていた。
なにより、この子を痛い目に合わせるだと?
そうでなくとも親と離れて心細い思いをしている子に、恐怖だけを植え付けようとする男のやり方が許せない。

「それよりこっちだ」
不意に、男の声の向きがこちらに向いた気がした。
一層身を固くして息を潜める。
「ノースのオールブルー国ってとこに、こんなくらいの小さい王子がいるんだとよ」
「なに?マジか?」
ぎょっとして、危うく跳ね起きかけた。
まさかこんなところで、身元がバレてしまうなんて。

「国王夫妻に掛けられた呪いのせいらしいが、生まれた時から小さかったからずっと王宮の中で暮らしてたらしい」
「それが、もしかしてこれか?」
男が鳥かごの檻に手を掛け、繁々と眺めている気配がする。
「言われてみりゃあ、どことなく品があると言うか…」
「髪や肌の色から見て、ノースだろうなと当たりは付けていたが、まさか王子とはなあ」
「そういや、こいつ小さすぎてよく見えねえけど、瞳は綺麗なアイスブルーだったぜ」
「そりゃいい。なあに、もし本物の王子じゃなくったって『ノースの王子』ってえ触れ込みで売り出せば貴族の女共が群がるだろうよ」
「本物なら、オールブルー国に繋ぎつけた方がいいんじゃねえか?」
「そっちだってぬかりがねえよ。もしやお心当たりはありませんか?と尋ねつつ、あっちが探してるようなら情報料をたんまりもらうさ」
「情報料だけかよ」
「おうよ、散々焦らして情報も小出しにして、結果は『やはり人違いでした』だ。むざむざ金を生むお宝を手放すかってんだ」
「悪い奴だなあ」
サンジはうつ伏せながら、胸の内から湧き上がる怒りを抑えるのに必死だった。
「せいぜい、王子らしく着飾らせてやるさ。こっちは高く売れれば御の字だ。売れた後、女共の人形遊びで腕がもげようが風邪ひいて死のうが、しったこっちゃねえ」
ガハハハと下品な笑い声を上げながら、男達は部屋を出ていった。


―――大変だ…
足音が遠ざかってしまっても、サンジはうつ伏せたままで身じろぎもできずじっと拳を握りしめていた。
身元がバレてしまった。
国に連絡が行ってしまっては、みんなに迷惑をかけてしまう。
なにより、愛する家族に心配をかけてしまうのが一番辛い。
それに、このままではこの少年だって酷い目に遭わされる。
一体、どうしたらいいんだ。

サンジはガバリと起き上がり、檻に手を掛けて引っ張った。
押しても引いても揺すっても、鳥かごはビクともしない。
自分の無力さに改めて打ちひしがれ、サンジは檻にすがって崩れそうになる足をなんとか踏ん張り声を張り上げた。
「起きろ、くそガキ!!」



少年を声で叩き起こし、なんとか鳥かごから抜け出す。
「逃げるぞ」
「逃がしてあげるけど、僕は…」
「四の五の言ってねえで、お前も逃げんだよ」
「だって…」
ためらう少年を、サンジは短く叱咤した。
「いくら迷惑掛けたっつっても、お前は世話になったお母さんに別れの挨拶もしてねえんだろう?そんな不義理があるかよ、ちゃんとお母さんに会って、お礼の一言も残せ」
少年は泣きそうに顔を歪める。
「そのあと、行き場がないってんなら俺がどこか探してやる」
「ほんと?」
「ああ、あてがなくもない」
サラマンダーならば、王族の中には傭兵として飼っているものもいないではない。
この少年がどうかはわからないが、専門のドラゴンマスターに聞けば身の振り方も見えてくるだろう。
ぶっちゃけ、親に聞けばなんとかなる。

「だから、自棄になって身売りなんてすることない。お前が人間でもサラマンダーでも、ちゃんと生きる道はあるはずだ」
「あ、りがとう」
少年はサンジを両手に押し抱いて、ポロポロと涙を流した。
「泣いてる場合じゃねえ、さっさとここから出るぞ」
「うん」
ぐしっと袖で涙を拭い、少年はサンジを片手に抱いて部屋の中を調べはじめた。

ドアも窓も施錠されていて、中からは開けられない。
「お前、ドラゴンになって暴れられないのか?」
「なり方がわかんないもん。そもそも、僕はサラマンダーってものなのかな」
村が壊滅状態になった時も、少年は何一つ覚えていなかった。
ただ焼け焦げた家々と、自分を恐れ憎む、化け物を見るような人々の眼差しだけで。

「僕、自分がなにするかわからないから、怖い…」
ギュッと手のひらに力を入れられ、サンジはケホッとむせた。
「ごめん、苦しかった?」
「あんま力を入れんなボケ」
サンジは乱暴な口調ながらも、優しげに少年を見上げた。
「覚えてなくても、村の家は酷い有様でも、人は死ななかったんだろう?無意識に人を死なせなかったんだ。お前が優しい奴だからだよ。だから、大丈夫だ」
「…うん」
サンジを見つめて力強く頷く、少年の指を軽く叩いた。
「んじゃあ、ドラゴンにならなくていいから、大声上げてひと暴れしようぜ」

部屋は物置になっていて、見せ物の小道具やらが乱雑に積まれていた。
それらをめったやたらに壁に投げ付け、大声で喚いて暴れる。
サンジはクズ入れの中にあった紙に、煙草の火を点けた。
「火事だ火事だ、わーわー!」
「助けてーっ」

ただならぬ物音に、男達が走ってくる音がする。
「夜中に、なにやってやかる!」
「いまだ!」
扉を開いた男の脇を擦り抜けて、少年はすばしっこく走って逃げた。
「コラ待て!」
「こらあっ」
怒声に追われて、狭い廊下を必死で走り抜けた。
時々現れる大人達を機敏にかわし、少年は明るい方を目指して駆けた。
「逃げたぞ」
「捕まえろ!」
前に立ちふさがる男の手から、横っ飛びに退いた。
が、横手からも後ろからも追っ手がきて、挟み撃ちになる。
「この野郎」
ガツンと拳骨が少年の頭に落とされ、倒れかかるところを平手打ちされた。
それでもサンジを握って離さない手を、別の男がひねりあげる。
「畜生」
サンジを取り上げようとした手に、思い切り噛み付いた。
男は悲鳴を上げて手を離し、次に力をこめてサンジごと手を叩いた。
「…ぐっ」
床に叩きつけられ、そのまま手のひらで強く押される。
乱暴に持ち上げられ、サンジは半ば意識を失って男の手の中でぐったりと力を抜いた。
「止めろ!」
少年がサンジの元へ駆け寄ろうとする。
それを止めようとして、男の手が少年の喉に触れた。


「――――…」
地鳴りのような唸り声と共に、少年の髪が逆立ち目が爛々と輝き出す。
突き出された両手は反り返って爪が伸び、全身を銀色に輝く鱗が覆った。

「う、うわあああああ」
男の情けない悲鳴の前に、炎を纏った火竜が姿を表した。



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