Bon appetit!  -人買いと火を噴く竜のおはなし- 3


早速買い付けに来た人買いは、サンジの姿をマジマジと見つめ感嘆した。
「こりゃあすげえ珍しい。長い間この仕事してっが、こんなんは初めてだ」
言いながら、無骨な指で摘んだり撫でたり持ち上げたりした。
しばらくはされるがままに大人しくしていたサンジだったが、上着を捲られた時点でキレて指を蹴り付ける。
「馴れ馴れしく触るんじゃねえ無礼者!」
「いってえ」
バチンと弾かれた指を押さえ、人買いは怒るより驚きに目を丸くした。
「喋った・・・」
「当たり前だ」
プンとそっぽを向くサンジを前に、母親は両手を揉みしだきながらオロオロしている。
「あの、ほんとにいい子なんです。優しくてしっかりしてて、まるで人間みたいに」
父親も口添えした。
「そんなに乱暴に扱わないでやってください、なんせ小さいんですから」
「いやー、こりゃなかなかの跳ねっ返りだぞ」
人買いはむんずとサンジの身体を鷲掴み、目の高さまで掲げた。
「クソ、離せっ」
両手を振り回して暴れても、握り締めた拳はビクともしない。
「蹴られればそこそこ痛えが、殴られる分には屁でもねえな」
「うっせえ、畜生」
サンジはくるりと、夫婦の方を向いた。
「やっぱりイヤだ、俺売られない」
「ええ?」
「そうか、やっぱりそうだよな、イヤだよな」
「ええ?」
驚いたのは、人買いの方だ。
「今さらなに言い出すんだ、こんなもん実物見せられておめおめ帰れるかってんだ」
「でもヤダ、お願いだから俺を売らないで」
サンジが哀れっぽい声を出したので、母親はもう涙ぐんでいる。
「やっぱり止めます、こんな可哀想なことできません」
「おいおい今更なに言ってくれてんだ。どうだい、30万ベリー出すから」
「そんなん、30万ベリーぽっちで俺を売らないでくれよ」
サンジは押さえられた腰を精一杯伸ばして、口に手を当てている母親に訴えた。
「こんなごっついおっさん、俺を持ち帰る前にきっと潰しちまうよ。30万ベリーなら俺がなんとかするからよ。なんだったら見世物でもいい、一人1000ベリーで見せたって300人見たら30万ベリーくらいあっという間じゃないか。ちゃんと芸だってするし」
「なに言い出すんだ」
人買いは慌てた。
「素人が見世物なんてしたって上手くいきっこねえよ。大体300人も客が来るかよ」
「でも、俺珍しいんだろ?」
言い返されて、ぐっと詰まる。
「しかも俺、料理の腕はなかなかのもんだぜ。小さなキッチンとか作ってくれるとレディの前でお披露目するし。結構ウケるんじゃねえかな」
「へえ」
「そうなの」
夫婦が乗り気になってきたのを見て、人買いは待て待て待て!ともう片方の手を振った。
「勝手に話を進めんじゃねえよ。じゃあこうしよう、ぐんと上乗せして50万ベリーってのは」
「えー俺がレディの前でちっちゃなキッチンで料理をしたら、50万べりーくらいすぐ稼げるぜ。貴族のお嬢さん方のパーティにケータリングって手もあるな」
「じゃあ、60万ベリー」
「舐めてんのかおっさん」
「しかしだな」
「俺トークもできるしな。一緒に話してて楽しいでしょ、ねえマダム」
「え、ええ・・・」
母親は涙に濡れた瞳を人買いに向けた。
「やっぱり、このお話はなかったことにしてください」
「ええ?!」
「魔が差したんです、冷静に考えたらこんな小さな子を売れる訳なんかなかった」
「えええ?」
父親がサンジを受け取るように手を差し伸べたから、人買いは慌てて後ずさった。
「わかった、じゃあ100万ベリーでどうだ」
「ですから、もうお金はいいですか・・・」
言い掛けた母親を制するように、サンジが腕を振った。
「えー100万ベリー?俺ってすげえ」
言って、くるりと人買いの方に振り向く。
「な、俺に100万ベリーの値打ち付けてくれんだ?」
「ああ、勿論だとも。お前ならどこの店でも高値を付けるだろうよ」
「じゃあしょうがねえな、売られてやっか」
夫婦は目を丸くして、成り行きを見ていた。
「そん代わり、金はちゃんとあるんだろうな。口約束だけだと許さねえぞ」
「当たり前だ。うちは即金が原則なんだから」
「信用が要だよな」
「そうそう」
まるで商売相手のように言葉を交わし、サンジは勝手に手を打った。
「それじゃあ、俺の売値は100万ベリーな。さあ、とっとと金を払ってくれ」
いつの間にかサンジのペースに乗せられて、人買いはその場で夫婦に100万ベリーを渡した。

「俺はまた旅に出たと、娘さんにはよろしく言っといてくれな」
「ありがとうございます」
「恩に着ます、ありがとうございます」
涙に咽ぶ夫婦に手を振って、サンジは人買いが用意した籠の中に入り大人しく連れられていった。



    * * *


「ただいま」と声に出すのは憚られ、ゾロはわざと乱暴な音を立てて鍵を開けた。
これで帰ってきたと気付くだろうと見越したのだが、予想に反して「おかえり」の声がない。
「―――?」
部屋に一歩足を踏み入れ、違和感に気付く。
室内に、生き物の気配がない。
「帰ったぞ」
ゾロはテーブルの上に買ってきた惣菜を置き、浴室への扉を開けた。
が、すぐに思い直す。
この扉は大きく重すぎて、サンジには開けられない。
「コック」
振り向いて、部屋の中を歩き回った。
ベッドのシーツを剥ぎ、枕を退けて隙間に手を差し込み探る。
這い蹲ってベッドの下も覗いた。
だがどこにもいない。
コックが気配ごと消えてしまった。

ゾロはちっと舌打ちして、乱暴にベッドに腰掛けた。
買ってきた酒を手に取り、歯で栓を抜いてラッパ飲みする。
勢いよく半分ほど飲み干したところで、ふうと息を吐いた。
「あんの、アホコックめ」
探すにしてもあの小ささだ。
部屋の中にいたとしても見つけるのは困難だろうに、万が一にも街に出たとしたらもう自力では探しようがない。

不意に頬を夜風が掠め、誘われるように踵を返した。
窓の隅でカーテンがはためいている。
音を立てて開けば、ほんの少し隙間が開いていた。
「あの阿呆」
冒険のつもりで外にでも出たのだろうか。
それとも、謝って転がり落ちたか。
どちらにしろ、この部屋にはもういないということだ。

ゾロは窓の桟に手を掛け、夜が更けて人通りの少なくなった路地を見下ろした。
わざわざ窓を開けて抜け出したのならば、コックの意志で逃げ出したということか。
それなら無理に探し出して連れ戻すことはない。
元々行きずりの関係だったし、なにせ身体が小さくてなにかと手間を取られる。
旅をするのに足手まといになりこそすれ、役に立つことはあまりないだろう。
―――そうでもないか。

小さいながら、コックが作る飯は美味い。
おかしな魔法を使って、栄養にはならないが腹の足しになるものを作ってくれる。
なにより、いつも馬鹿みたいに笑っているし、何を見ても目を輝かせて楽しそうだ。
女に甘く、たいして知りもしない相手にもすぐに心を許し、親しげに擦り寄っていく。
ゾロにそうしたように、きっと誰にだってあの笑顔は向けられるのだろう。
そう思うとなんとなく腹立たしくて、なぜこんな気分になるのかはわからなかった。

コックがいない部屋の中はしんとして、いつもより静かに感じる。
ずっと一人で旅をして来たのに、この静けさが癇に障るのはなぜだろう。

「ちっ」
もう一度舌打ちして、ゾロはその場で目を閉じた。
静かに瞼を開け、半眼になる。
部屋の明かりを背に受けて、逆光になったゾロの顔は影が差して暗い。
その中で、双眸だけがぼうっと金色の光を帯びて浮かび上がった。

ゾロの視界の中で、窓の桟に金色の小さな塊が丸まって見えた。
それは窓から中空で渦を巻き、そのまま流れるように屋根伝いに隣の屋根へと飛び上がっている。
コックが転げ落ちたのでも走ったのでもない、なにかに連れ去られた光跡だ。
「この高さだと、猫か?」
ゾロはそう見当を付け、窓から屋根へと降り立った。


 * * *


入れられた籠に布を掛けられ、サンジは長いこと揺られていた。
多分車に乗せられたのだろうが、なにせ視界を遮られて辺りは真っ暗だ。
時折浮き上がるほどの振動を加えられ、気分が悪くなった。
誰かに話し掛けでもできれば気が紛れるのに、一人ぼっちで籠の中だ。
そうでなくとも不安なのに、余計に心細さが募る。

可哀想な少女のために自分の値段を奮発したけれど、これでとうとう本当に売られてしまったのだと、今更ながら怖くなってきた。
人買いがどういうものか、サンジは知らない。
王室ではそのような話を聞いたこともないし、見世物小屋という物も実際に目にしたことはない。
誰が見ても珍しいだろう自分を、果たして金を払ってまで見に来る客がいるのだろうか。
それとも、どこかの金持ちの娘がペットとして買ってくれるだろうか。
できたら可愛いレディがいいなあ。
他愛無いおしゃべりだってできるし、精一杯エスコートして美味しいお茶やケーキだってご馳走できる。
そんなならいいなあ―――

かなり現実逃避したことを夢想していたら、揺れが収まった。
ぱさりと乱暴に覆いが取り払われ、いきなり差し込んだ光の眩しさに顔を覆った。
「ほお・・・」
いつの間にか、どこかの部屋の中に連れてこられたらしい。
煌々とした灯りに照らされ、手で庇を作りながら顔を上げる。
大きな男の顔が間近に迫っていた。
サンジがいるのは、丸テーブルの中央。
それを取り囲むように、4人の男が頭を突き合わせるようにして覗き込んでいる。
「これは本物か?」
「動いておるな、おお小さい小さい」
一人が籠の間から指を差し込んだ。
思わず反射的に蹴り飛ばそうとして、堪える。
なにせ自分は売られた身だ。

せめて取り囲んでいる人間の内一人くらい、女性だったらよかったのになあと思いつつ、サンジは渋々顔を上げた。
「おお、こんなに小さいのにちゃんと目鼻が付いてる」
「当たり前だろクソ野郎」
「喋った!」
いちいち驚かれるのがどうにもウザい。
「こりゃあ確かに珍しい」
「けど100万ベリー置いてきたって話だぜ、あの馬鹿が」
「仕方ねえから、10倍にして売ればいいだろ」
「すぐに売り飛ばすより、時間を掛けて稼げる方がいいんじゃないか?」
男の一人が、ぎょろりとした目玉を近付けた。
「こいつの寿命はどれくらいなんだ?」
「寿命ってなんだよ」
不満げなサンジにいちいち感嘆の声を上げた。
「言葉が通じるらしい」
「うっせえな、俺は18だ」
おおっ!とまたしても大袈裟なほどに驚かれる。
「なんと、人と同じようだ」
「しかしこれで18か?」
「よく見れば本当に人間がそのまま小さくなったようだぞ」
一人がサンジを抓み上げた。
「しかし、くたびれた服を着てるな。凝った意匠で上等の衣だが、なんせ汚れてる」
「もっと見栄えする服を作って着せた方がいい」
頭の上であれやこれやと勝手に議論しているのを、サンジは黙って大人しく聞いていた。
男に無造作に掴まれて、身動きが取れない。
「ところで、これはオスか?メスか?」
「はあ?」
サンジは素っ頓狂な声を上げて睨み付けた。
「アホか、見ればわかんだろ!」
「いやいや、買い取るからにはちゃんと確かめんとな」
そう言って、男はサンジを鷲掴みしたままひっくり返した。



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