ロロノア一家物語 4


右手に1号、左手に2号を抱いて、サンジはそうっと首を傾けた。
1号が一度大きく息を吸って深く吐く。
寝付いてからこの呼吸をすると深く寝入った状態になる。
同じタイミングで2号も大きく息を吐いた。
OK。
これで二人とも完璧に寝たな。

静かに、頭を揺らさないように腕枕を抜き取ると、寝返りを打ちながら縋るように伸ばされる小さな手に自分のパジャマを握らせた。
身体を起こして右足にしがみ付いた三郎の小さな腕を解きに掛かる。
三郎は一度寝たら目を覚まさないからある程度ぞんざいな扱いをしても大丈夫だ。
三郎の身体を抱えて1号2号の隣に並べると、揃って首元までタオルケットを掛けてやった。
傍らのベビーベッドの中では、くいなが穏やかな寝息を立てている。

―――やっと寝た。
安堵の息をついて、サンジは隣の部屋に移動した。








4人の子どもを寝かしつけるのが一番大変な作業だ。
だが1号も2号も昼間に動き回るせいか、赤ん坊の頃より寝つきがよくなっている。
腕が痺れるまで抱いてあやして寝かしつけた日の苦労も、今となってはいい思い出だ。
こうして、いつの間にか手が掛からなくなっていくんだろうなあ。

愛しげに目を細めて、サンジは自分のために水割りを用意した。
アルコールをそれほど好きではないけれど、深夜ひっそりとグラスを傾ける時間はサンジにとって唯一の楽しみだ。
ちょっぴり大人っぽい行為だと一人悦に入っているが、見ようによっては寂しい主婦の深夜の深酒と変わらないこともない。
このままキッチンドランカーにだけはならないように、気をつけるべきだろう。

サンジはアーモンドをぽりぽりと齧りながら、明日の買い物のために広告チェックをし直していた。
と、玄関の鍵を開ける音がする。
連絡もねえのに、珍しいな。
ほどなくして、この家の道楽主が顔を見せた。


「おかえり。」
「ただいま。」
倦怠期の夫婦にも似た気だるさで言葉を交わす。
サンジが傾けているウィスキーの瓶に視線を移して、ゾロはその足で茶箪笥を開けグラスをテーブルの上に置いた。
「なんか食うか。」
「いやいらね。」
「あ、そ。」
ここでつまみの一つも作るところだが、今日のサンジは既に酔いが回っていて動くのも億劫だった。
氷だけ入れてウィスキーを注ぐ。
ゾロは氷もいらないだろうが、最初はこれのがいいだろう。

ゾロの前にグラスを置いて、ふと邪魔になってサンジは髪を掻き上げた。
手首に嵌めたままの髪ゴムを通して緩くまとめる。
ゾロは始めて気付いたように、目を眇めた。
「なんだ、随分伸びたな。」
「ん、ああ。髪だろ。だってずっと散髪行ってねーもんよ。」
子連れで、しかも手の掛かる双子を連れて美容院に行くなんて、どだい無理な話だった。
もう少し、せめて1号と2号が同じように大人しく髪を切らせるようになったら一緒に行こうと思っていたのに、
その内三郎が来て、今度はくいなが来てしまった。
前髪だけはなんとか自分で切っているが、もう後は延び放題だ。
ある程度長さがあれば括って置く方が邪魔にならないので放置しているが、そろそろちゃんと切りに行きたいとは思っている。

「しょうがねえだろ、大量にガキ連れて美容院になんて行けねーしよ。」
言外に嫌味を込めて言ってやるのに、ゾロはじいっとサンジの顔を見つめている。
こいつ聞いてねえな?
っつうか、何考えてんだ。

家族のように過ごしながら、ここ数年サンジはゾロと二人きりで過ごす機会がなかったことに、改めて気付いた。
たわいもないことを話していたのは中学の頃だ。
あれからすぐ赤ん坊の世話に追われて、ゾロも働き始めて学校の話題なんて勿論なくて・・・
ゾロがいても間に子供たちがいたから、こうして二人差し向かいなんてこと、もしかしたらこの家では初めてのことかもしれない。
そう思うと妙に身構えてしまって、なんだかギクシャクしてしまった。
ゾロ相手に、なに緊張してんだよ俺。

サンジはアーモンドをぽりぽり噛み砕いてグラスを呷った。
「ったくよう、てめえ明日もいるんならちょっと子供ら見ててくれよ。散髪に行きたいからよ。」
2時間くらい、解放してくれても良いだろう。
だがゾロは眉を顰めた。
「髪、切るのか?」
「ああ切りたいんだよ。鬱陶しいだろうが。」
男の長髪なんてうざい以外の何物でもないし、サンジの美意識にも反する。
だがゾロはむうと下唇を突き出すと、不満そうに睨んできた。
その手が伸びて、束ねた髪のひと房を手に取った。
「切るなよ。こんなに綺麗なのに。」
―――!!!
サンジは吃驚した。
こんなに吃驚したのは久しぶりだ。
こないだ輪切りにしたキャベツの中から青虫が出てきた時以来の吃驚だろう。
ちょっと吃驚の種類は違うだろうけど。

そもそもゾロの口から「綺麗」なんて単語が飛び出てくるなんて・・・
似合わね〜・・・
サンジの思考は余所道にそれて、軽く笑いまで漏れてしまう。
「なに言ってんだ、ガラにもねえ。」
この調子でこの男は女を口説いているんだろうか。
「綺麗なもんを綺麗と言って何が悪い。」
悪びれず、ゾロは金の束を鼻先に持ってきて目を閉じた。
思わずサンジは目を見開く。
匂い、嗅いでる?
つうか、なに口元に持ってきてんだよ。
つうか、唇に押し付けてる?
っつうか・・・キス、してる???

ゾロが、目を閉じて、俺の髪に、口付けてるっ???
かああああっと頭に血が上った。
一気に体温が上昇し、心臓がばくばくと鳴り始めた。

なんだなんだこれは。
ゾロが俺の髪を綺麗っつって、急にこんなことして。
なんだよこれ。
ぎっくりかよ。
サンジは口を半開きで固まったまま、とにかくゾロの顔を見返すしかできなかった。

髪に唇を寄せ、ゾロは目を開き上目遣いにサンジを見上げる。
琥珀色の半眼に見据えられて、サンジは益々頬に血が集まるのを感じていた。
こんな間近で、ゾロと目が合うなんて・・・
なんだか知らないが非常にやばい。
何がやばいって、俺がやばい気がする。
どうしよう。
目を逸らさなければ。
けど、目を逸らしたら負けな気もする。

訳のわからない葛藤が渦巻き、赤い顔でひたすら睨み返すサンジを見ながら、ゾロもまた色々と考えていた。



ナミから脅迫まがいの電話が入ったのは夕方のことだ。
彼女にしては非常に低い声で、しかも淡々と、そして延々と説教された。
ちょうどパチンコで大当たりしていたときだったから、ほとんど聞き取れない状態で適当に相槌を打ってはいたが、声の調子からナミが本気なのはわかっていた。

ともかく、女と手を切ること。
サンジを解放してやること。
自分の行動に責任を持つことなんてのを堂々巡り状態で聞かされた気がする。

女は向こうから寄ってくるだけだし、サンジは勝手にやってることだし、自分の行動には責任を持っているつもりだと言い返したら、その都度非常に荒い鼻息が返ってきた。
今度会ったら絶対有無を言わさず殴りかかってくるんだろう。
ナミのことだから、どこかで見かけたら上から鉢植えを落とすくらいのことはするかもしれない。
しばらく一人歩きには気を付けた方がいいかもな。
思わず今後の対処法を考えてしまうくらい、携帯の向こうから殺気を滲み出させていたナミだが、それでも最後は何故だか涙声で訴えてきた。

『もう少し、サンジ君のことも考えてあげなさいよ。』
そう言われて、さすがにゾロも神妙な顔をする。
ゾロとて、サンジに感謝していない訳ではない。
幼馴染だからと言って、自分の子を面倒見てくれたり、掃除や飯の支度をしてくれたりして、あげく学校まで辞めてしまった。
ゾロの目から見ても尋常ではない、甲斐甲斐しさだ。
「いい奴」では括れないほどのお人好しぶりに呆れこそすれ、それを止めようとかどうしようとか、ゾロは思わなかった。
サンジがよくてそうしてくれるなら、好きにさせておけばいいと思っている。
嫌になったらいつでも出て行くだろう。
そう思って放っておいたのに、出ていくどころかとうとう住み着いて家族のようになってしまった。

ゾロが三郎を連れて帰ってきた時にはさすがに出て行くかと思ったが、涙を溜めて怒り狂いながらも結局ミルクを作って飲ませてやっていた。
そのまま抱き締めて眠っていたっけか。
ああ、こいつは子どもが好きなんだなあ。
ゾロはその時単純にそう思った。
余程の子ども好きでもなければ、こんなに他人の子ばかり面倒見たりできないだろう。
しかも嫌々している風ではない、実の子でさえ疎ましく思って虐待する女がいる昨今なのに、サンジの世話には愛情が篭もっていた。
四六時中一緒にいるわけではないが子どもたちの状態を見ていればそれがよくわかる。
心底愛されて、すくすくと育っている幸せな子どもたちだ。
その環境を与えているのがサンジだとわかっていて、だからゾロは感謝こそすれサンジを縛るつもりはなかった。

いつだって選択肢を与えている筈だ。
だがナミはそれでは駄目だという。
サンジ君自身が掛けている呪縛を解いてあげて、気付かせてあげて。
ナミの言い方は抽象的過ぎてゾロにはさっぱりわからない。
だが、今の自分達の状態が「普通」ではないことは、ゾロにもわかっている。
だが、だからどうすればいいと言うんだろうか。
ナミの言葉は適当に受け流して、それでも胸に引っかかる何かを残してゾロは電話を切った。









懐が暖かくなったところで、馴染みのスナックに飲みに行く。
最近新しく入ったミホが、ゾロの姿を見ると自分の客をほっぽり出して飛んできた。
商売としてはどうかと思うが、可愛い女だし悪い気はしない。
腰に手を回して呑んでいると、反対隣に1番人気のアケミも座ってきた。
ゾロを挟んで何かと視線を勝ち合わせているから、なにか賭けでもしてんだろうとたいして気にせず、薦められるまま杯を呷る。
ミホは上目遣いでゾロを見上げては、腕に手を回して甘えるように肩にも垂れかかって話す。
アケミは太股を見せ付けるように足を組み替え、盛り上がった胸を押し付けて身体を揺さぶりながら話す。
両方から一遍にどうでもいいようなことを話されて、ゾロは適当に相槌を打ちながらそろそろ行きつけの店も変え時かな、と考えていた。

「アケミちゃ〜ん、3番テーブルお願いしまーす。」
「はーい。」
明るい声で応えて、嫌そうに顔を顰めながらアケミが立ち上がった。
「すぐに帰ってくるからv」
そう囁いた赤い唇はゾロの頬を掠め、香水の匂いを残して軽やかに立ち去っていく。
ミホは勝ち誇ったような目でその後ろ姿を見送って、ゾロの耳に濡れた唇を近付けた。

「ねえ、今夜早く上がるから、ミホん家に来て〜。」
あたしこう見えて、お料理結構得意なの〜なんて、語尾を延ばしながら指を絡めてくる。
美味い飯は、家に帰ればいくらでも食べられるからどうでもいい。
それより久しぶりにこいつとやるかとそう思って、不意にナミの台詞が脳内に浮かんだ。

『金輪際、子ども作んじゃないわよ。今度作ったら、どんな手を使ってでもあんたのそれをちょん切るからね。』
脅しでもはったりでもないことは、声の調子でわかった。
あの女はやると言ったらやる女だ。
今度ばかりは非常にまずい。
しかも前もって宣告されている当たり、万が一にももう一度子どもができたら、それこそ責任とって自分から切除する羽目になるに違いない。

―――そりゃやべえ。
となると、今隣に引っ付いている女も目の毒なだけだ。
そうでなくても相当若い。
孕む確立も高いし、大体三郎の時だってゴムを付けていたはずだ。
それを理由に俺の子じゃねえと一度は突っぱねたが、生まれた子どもの顔を見たら何も言えなくなった。

ゴムも100%安全じゃねえってことか。
ゾロは忌々しげに舌打ちして、ミホの顔をじっと見返した。
ミホは不機嫌そうなゾロの表情に目をきょときょとさせて怯えている。
いい女だが、仕方がねえ。
「悪いが今日は用がある。」
これきりのつもりで軽くキスをして、ゾロは勘定を済ませた。







ゾロはそのままなんとはなしにぶらついて、自分の家に辿り着いていた。
時々帰ろうとしても帰れなくなるときがあるのに、思いもよらず早く着いたものだ。
台所に明かりがついている。
この時間なら子どもたちはもう寝ているだろう。
さっきミホに触れていたせいで、下半身にやや熱が篭もっていた。
本当は適当な店に入って発散させたかったがゾロは元々そういう店には興味がない。
かと言って素人に手を出してその度妊娠されては後が面倒だ。
これからどうするかなーと下半身事情を思案しながら家に入ると、台所でサンジが一人グラスを傾けていた




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