レクイエム 6

―――翌朝、サンジは誰よりも早く起きて、朝食を作っていた。

「一月もいなかったなんて、まるで嘘のようね。」
ナミは満足げに目を細めてコーヒーを飲む。
「記憶がなくったって、動けるもんなんだなあ。」
「エースんとこの船でも、コックやってたんだろ。」
エースの名に、胸がとくんと鳴った。
「ああ・・・じっとしてるのは性にあわねえし。」
動揺を隠すようにゆっくりスープをかき混ぜる。

―――今頃どうしてんだろ。
エース・・・
・・・会いてえ―――

ふいと頭を振り払って、ルフィに聞いてみる。
「エース・・・とはどういう関係なんだ、あんたら。」
「エースは俺の兄ちゃんだぞ。」
ルフィの即答にサンジは絶句した。
驚くと目が丸くなる。
「兄・・・ちゃん?」
「ああ、俺達は兄弟だ。」
へー・・・そうなんだー。
なんだかびっくりした。
そう言われれば、似ているような、似ていないような―――
へー・・・へーと呟いて、それ以上続かないようでサンジは黙って給仕を始めた。

ウソップがナミにささやく。
「なー今のサンジ、結構いいよな。」
「そうねえ、丸くなったって言うか・・・変に大人ぶってないから、かえって落ち着いてるわね。」
「怒らないし、優しいぞ。」
チョッパーも嬉しそうだ。
「俺ふぁ、前のはんひのがふひはな。」
ルフィが口一杯にパンを頬張ったまま喋る。
「えーでもすぐ怒ったぞ。」
「すぐ蹴ったし」
「よく喋ったし・・・」
「れも、すきら」
喰いながら顔をつき合わせてなにやら言っている連中に、サンジは声をかけた。
「一人、足りないみたいなんだけど。」
「ああ、いいのよあれは。」
特製サラダを食べながらナミが微笑む。
「どうせどこかで寝てるのよ。起こさなくていいわよ。今のサンジ君には無理だから。」
「食事、置いとくといいのかな。」
「ほれは、くってやるほ。」
手を伸ばすルフィの後頭部を、刀の鞘ががつんと殴った。
「ったく、油断も隙もねえ。」
「ゾロ!」
いつの間に入ってきたのか、ゾロが立っている。
「珍しーなあ、お前が起こされずに起きてくるなんて。」
驚くウソップの横にどかりと座り、両手を合わせてから食べだした。
サンジはそんなゾロをじっと見つめてみる。
ゾロはどことなく視線を漂わせながら、けっしてサンジの方は見ず、ウソップと話したりルフィを
小突いたりしている。
―――やっぱり変な奴だ。
サンジが意識してゾロを見ている間、ゾロは一度もサンジを見なかった。





船は順調に航路を進む。
いつも通りの平穏な日々。
海軍とも海賊船とも出くわさない。
ゾロはありあまる体力を発散させるかのように、ひたすら修行に励む。
「32456・・・32457・・・32458・・・」
鍛えているのか数を数えているのか、分からなくなってきた。
どんなに集中しても、邪念が頭をよぎる。
―――どっかに滝でもねえかなあ。
いっそ瀑布にでも打たれたら、少しは気がまぎれるかもしれない。

サンジが帰ってきてから、自分は奴とまともに話をしていない。
よく帰ってきたとすら、言っていない。
そんなこと、口に出したら・・・
―――抱きしめちまう。
そうはいかんだろう。
あれはサンジでもサンジではない。
よしんば抱きしめたとしても、それで済むはずがない。
何の予備知識もない奴を押し倒したら犯罪だ。
・・・自制心・平常心・心頭滅却・・・
いつの間にか今日の日は暮れていた。



夕食を取るのも忘れて修行に打ち込んでしまった。
とっぷりと日は沈み、満天の星が輝いている。
もう皆、寝ただろうな。
今の間に、酒も多目に確保しとくか・・・
遅い夕食を取りに、何気なくキッチンの扉を開ける。

そこにサンジが座っていた。

―――やべ!
しまった、気をつけろよ俺。
電気点いてたじゃねーか。
開けてしまってからまた閉めるのは、不自然だ。
このまま出て行くのもバツが悪い。
仕方なく、ゾロは足を踏み込んだ。
ゾロに気づいて、サンジが顔を上げる。
「・・・まだ、起きてたのかよ。」
とりあえず、声を掛けてみる。
「ああ、夕食残ってるぜ」

―――なんだ、こいつ普通に話しかけてくれるんだ。

サンジの方も妙に緊張している。
あのクルー達の中で唯一、感情の読めない強面の男。
隠しておいた食事を軽く温める。

サンジが座っていたイスの前には、使い古したノートが置いてある。
「・・・何、読んでたんだ。」
「レシピだ。結構マメにつけてたらしい。」
ゾロが覗くと、訳のわからない走り書きやら、イラストやら、びっしりと書いてある。
ところどころにクルーの名前らしきものも確認できる。
サンジは食事を運んで、イスに座りなおした。
とりあえず小さく礼を言って、ゾロは食べ始める。
「みんなの好みとか非常時の対処とか、細かく書いてある。我ながらすげーなあ。」
参考になる、と他人事のように笑う。
横顔がやわらかい。
ついついサンジの顔に目が行ってしまって、慌てて視線を避ける。
「あんたの名前が一番多く出てくんだけど。」
突然言われて、どきりとした。
「・・・なんて、だ。」
日記―――じゃねえよな、レシピだよな。
「それがわかんねんだけど、何を何分で喰ったとか、何回噛んだとか・・・」
「はあ?」
「他の奴らのは好物とか全部書いてあるんだけど、あんたのはそんなんばかりだ。」
―――――!
ゾロはサンジの飯をことさら誉めない。
何出されても美味いから黙って喰う。
好き嫌いもない。
だからサンジは・・・困ってたのか。
俺の好みを探してくれてたのかよ。

じんと来てしまった。
急に胸が一杯になって、箸を置く。
綺麗に空になった皿に手を合わせ、ごちそうさまでした、と声に出して言う。
片付けようと立ち上がるゾロに、サンジが声を掛けた。
「なあ、あんた―――」
見上げられて身体が固まる。
しまった、油断した。
目が―――あっちまった。
サンジは表情まで微妙に変わっている。
ふてぶてしさは微塵もなく、どこか心もとない感じで瞳の光も弱い。
目を逸らそうとして、失敗した。

「あんた、俺のこと嫌いなのか。」
・・・きくか、そんなこと。
ストレートに。
しかもそんな目で!
蛇に見入られた蛙の如く、ゾロはピクリとも動けなくなった。

「―――き、」
どこか不安そうにサンジがゾロを見つめる。
小首を傾げるな。
可愛いーじゃねえか!
ゾロの胸中の葛藤など知る由もなく、サンジが不信げに眉を潜める。
「き?」
「き、―――き・・・」
なんだこいつ。
固まったまま、脂汗を流している。
どっか悪いんだろうか。
「お前、大丈夫か。」
サンジは立ち上がって、ゾロの額に手を置いた。
ひやりとした感触。
てめえの手は冷てえと、何度か暖めた、白い手。
ゾロの理性がぷつんと切れた。


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