レクイエム 4

エースは甲板から成り行きを見ていた。
―――ああ、案外早く見つかっちまったな。
港にはあの男。
サンジを初めて抱いた夜、絶頂を迎えた瞬間、口をついて出た名前を持つ男。
そろそろ潮時か―――
波止場に飛び降り、声を掛ける。

「ゾロ、久しぶりだな。」
「エース!」
ゾロとサンジが同時に声を上げ、お互いの顔を見合わせた。
「すまねえな、連絡が遅くなって。」
丁度いいタイミングで、街の方角からにぎやかな声が聞こえてきた。
「ああ、お仲間が集まってきたぜ。」
ルフィが、ナミが、ウソップがチョッパーが駆けて来る。
その姿をサンジはただ呆然と見詰めていた。

長い鼻の男はぶつかるように抱きついてきた。
小さい鹿が足にしがみついて泣いている。
きれいなレディが満面の笑みで駆け寄って来てくれる。
麦藁帽子を被った少年は、文字通り腕を伸ばして長い鼻の男ごと絡みついてきた。
―――すっげー、腕伸びてる。
サンジは目をぱちくりして、されるがままにしていた。

エースの船に乗って以来、サンジはなるべく物事を考えないようにしていた。
何か考えると頭が痛くなるから、いつもぼーっとしている。
ぼーっとしていても料理は作れるし、身を守る必要もない。
エースがいるから。

そのエースが目の前で困ったような顔で笑っている。
「エースう、どういうことだあ?」
どこか間の抜けたテンポで麦わらが聞く。
「サンジは俺が拾ったんだ。」
「うわあ、お兄さん、あじがどうございばす。」
長っ鼻が涙と鼻水でぐしゃぐしゃになったまま礼を言う。
「サンジ、こいつらがあんたの仲間だ。」
言われてもサンジに反応はない。
他のメンバーは感動の再会をしているのに、サンジだけが取り残されている。
「エース、もしかしてサンジ君・・・。」
キュートなレディは聡明な瞳でエースを捉えた。
「ああ、記憶喪失なんだ。」

記憶喪失?

全員が固まってしまった。



「記憶喪失といっても、あんたらの仲間には違いねえだろ。」
「当たり前だ!」
ルフィの声はひときわ大きい。
「サンジはうちのコックだ!」
エースの前に進み出て、手を出す。
「世話になった。返して貰うぞ。」
「ああ」
ルフィの手を握り、にやりと笑う。

サンジの顔が青褪める。
いきなり声を掛けられて、
いきなり仲間だと宣言された。
そして今、エースは俺を返すと言う。
俺は、こいつらと共に行くのか。
エースは俺を手放すのか。

自分を刺すような目で睨む男がいる。
緑の髪をして目つきの悪い男。
まるで憎んでいるような強い光。
なんか、怖ええ・・・。
あの男は嫌だ。
胸が詰まる。
あの目に見つめられると、息も出来ないほど苦しくなる。


「今すぐに、てのは無理だぜ。こっちにも仁義がある。」
エースの言葉に麦藁の少年が頷く。
どうもこいつが船長らしい。
「サンジ、おやじに挨拶だけして行け。俺も行くから。」
エースに誘われて、弾かれたように駆け寄る。
「お前らの船はどっちに着けてんだ。南か?」
ならそっちにサンジを送って行く。とエースは言った。
「私達、できるならなるべく早く出航したいの。もうこの島に5日もいるし。」
ログは十分溜まったわとレディが笑う。
「夕方には送るぜ。」
にかりと笑って歩き出すエースの後ろに、ぴたりと寄り添うようにサンジが付いて行く。
仲間達には一瞥もなかった。


「帰るってか、そりゃめでてえな。」
白ひげが巨体を揺すってあっさりと言った。
「それにしちゃあ、そのガキ浮かねえ面してるぜ。」
からかうような口ぶりに、エースが苦笑する。
「お世話に・・・なりました。」
サンジは深々と頭を下げた。
後頭部がちりちりと痛む。





「忘れもん・・・もねえな。」
身一つで来たんだからよ、とエースが笑う。
部屋にも厨房にも、持って行くようなものは何もない。
船員達はほとんど陸に上がっているし、特別別れを告げる奴もいない。
部屋を出るエースの背中を見つめながら、サンジは一歩も動けなかった。
「どうした?」
振り向いたエースが問う。
いつものように穏かな声。
その顔がぼやけて見えて、サンジは慌てて下を向いた。
「――もう、これ以上迷惑かけらんねえし。」
とぼとぼとした足取りでエースに近づく。
「あんたを困らせるわけにゃ行かねえしな。」
長い前髪から垣間見える口元は歪んでいる。
エースはサンジの髪をくしゃりと撫でて、上を向かせた。
「―――そんな顔、すんな。」
キスしたくなる、と茶化す。
「してくれ。」
目尻に涙を浮かべながら、サンジは真っ直ぐにエースを見ている。
「お前は病気なんだ。今に記憶を取り戻したら、俺のことなんざ忘れる。」
諭すような、穏かな声。
「エースのこと、忘れるのか。」
「いや、元々俺らは知り合いだから、俺のことは覚えてるだろうが・・・この船でのことは忘れるだろ。」
それでいいんだ。
頭をぽんぽんと軽く叩き、歩き出そうとするエースの腕を掴む。
縋り付くように、
必死に―――
「俺を困らせるな。」
エースの目が細められる。
「・・・言うだけ、言わせてくれ。聞いてなくてもいい。言ったら気が済む・・・から。」
顔を伏せたまま、サンジは声を絞り出す。
「―――行きたくねえ。」
「―――ここにいてえ。」
「―――離れたくねえ。」
小刻みに震えるサンジの顎に手をかけ、上を向かせる。
「・・・エースの傍にいてえ。」
置いていかれる子供のような、無防備な泣き顔。
「―――あんたが・・・好きだ。」
言葉を掬い取るように、エースが口付ける。
薄い背に手を回し、思い切り抱きしめる。
力の強さに息をつきながら、サンジがかじりついてくる。
何度も深く口付け、舌を絡める。
奪い合うような激しいキス。
エースの固い髪をまさぐりながら、サンジは喘ぐように呟きつづける。
―――好きだ。
―――エースが好き。
―――傍にいてえ。
―――離れたくねえ。
熱に浮かされたような、サンジの甘い声を塞ぐように口付けを繰り返す。

その髪に、肌に、唇に―――
俺がお前を忘れねえように。

くしゃくしゃに歪んだサンジの顔を両手で挟み、エースはにかりと笑った。
「お前が忘れても、俺は忘れねえ。覚えててやる。」

お前が俺を好きだったことも。
お前と寝たことも。
お前の脆さも。
激しさも。
――――全部。

「・・・覚えててやるから。」

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