レクイエム

波間にきらりと光るものが見える。
見張りの男が声を上げた。
甲板から身を乗り出すと、板切れに身を横たえて漂う男の影。
金色の髪が陽射しを跳ね返している。
「サンジ?」
エースはゆっくりと引き上げた。



「知り合いっすか。」
仲間が寄ってくる。
「ああ、弟の仲間だ。ちょっと部屋借りるぜ。」
抱き上げて運び、濡れた服を着替えさせてベッドに横たえた。
身体を調べると後頭部に傷がある。
ルフィにどう連絡つけっかな。
思案していると、目の前の塊がうう・・・とうめいた。
「お、気がついたか。」
覗き込むエースの前で、ゆるゆると瞳が開かれる。
焦点が定まず揺れる蒼い瞳が、エースの顔を捉えた。
しかし知り合いと認識する光が、感じられない。
ただぼんやりとエースを凝視する。
「サンジ、大丈夫か。」
声を掛けても反応がない。
つい、と目を反らして部屋の天井や壁を見回す。
「サンジ?」
目線がエースに戻る。
「あんた、誰?」
やっと声した言葉には、何の感情も感じられなかった。










「記憶喪失、ですね。頭の傷自体はたいしたことありません。」
白ひげ直属の女医が診断を下す。
サンジは頭に包帯を巻かれたまま、呆けたようにナースの顔に見入っている。
「記憶が戻る時期ですが、こればかりは分かりません。自然に戻ることもあれば、
 何かをきっかけに突然戻ることも、一生このままということもありえます。」
なるべく頭に衝撃を与えないように、そう注意を受けてエースはサンジを部屋に連れ帰った。
「ああ、綺麗なお姉さん・・・ボク頭も痛いんです。もう少し診て・・・」
ハートを飛ばしながらずるずるとエースに引っ張られるサンジ。
間違いなくこれはサンジだな。
記憶を失っても女好きだけは治らないか、これは本能か?

部屋に入るとサンジをベッドに座らせる。
「エースってったけ、助けてくれてありがとう。」
取り合えずといった感じで頭を下げる。
「ほんとになんにも覚えてないんだな。」
エースは面白がっている。
そのうちルフィともどっかで逢えるだろう。
「しばらくあんたはうちで預かるぜ。おやじに承諾を得てくる。」
エースの言葉にほっとしたようだが、どこか所在無さげだ。
「なんか俺、落ち着かないんだけど。」
ああ、そう言えば・・・
「あんたコックなんだぜ。しかも腕の良い。ルフィんとこでもマメに働いてたな。」
あんたの飯、うまかったぜ。
そう言ってやるとサンジの表情が変わった。
「そうか、飯作るのか。俺。」
「じっとしてられねんだろ。うちにゃあろくなコックがいねえから、台所に入るか?」
エースの言葉にサンジは頷いた。

その前に、おやじの了承だけ得とかないとな。
エースに連れられて白ひげの部屋に入る。
世界最強の男らしい。
でけえおっさん。
サンジの受けた印象はその程度だ。
それより周りにいる美しいナースに目を奪われる。

目をハートにしているサンジを置いといて、エースは手短に白ひげに状況を説明した。
「一時、預かるってんだな。構わねえだろう。」
早速コックに言いつけて、まだナースに見とれているサンジを連れて行かせた。
引きずられていくサンジを見ながら、白ひげはエースを見てにやりと笑う。
「だが、ああいうタイプは、中途半端な扱いをすると、争いの種になるぞ。」
「ああ、わかってるさおやじ。」
エースは白ひげの言葉に顔を引き締めた。










やっぱり俺ってコックだったんだなあ。
サンジはしみじみそう思った。
キッチンに入った途端、体が勝手に動く。
どこに何があるかは分からないが、教えてもらえばそつなくこなせる。
あまり頭を使わないで良いから痛まないし、身体が勝手に覚えてるんだろう。
なんかすっげえ落ち着くし。
この船のコックといっても、ちょっと器用なぐらいの大男一人だ。
粗暴なタイプじゃないらしい。
突然乗り込んだサンジに嫌な顔一つせず、あれこれ教えてくれる。
お陰でサンジは思う存分腕を振るえた。

夕食の席でサンジは正式に乗組員に紹介された。
一時的に預かりの身ではあるが、コックとして働くと言うこと。
サンジの料理に満足していた船員達は歓迎した。
にぎやかな食事と乱暴な会話。
粗雑だが楽しい風景をキッチンの中から見つめて、サンジの後頭部がちりちりと痛んだ。

食事の後片付けと明日の仕込みに入る。
小山のようにでかい男は、皿洗いを手伝ってくれる。
「悪いなあ、あんた。助かるぜ。」
サンジが声を掛けると男は肩を揺らして照れている。
突然扉が開き、ガラの悪そうな男が入ってきた。
「よう、サンジっつったな。後片付けはそいつに任せて、ちょっと来ねえか。」
「兄きィ」
大男がサンジを庇うように前に立つ。
「てめえはひっこんでろ。」
酔っているのか、乱暴に押しのけてサンジの腕を掴む。
「エース隊長に知られたら・・・」
「うっせえなあ、こいつはエースの客人でもねえんだろ。新入りコックってことで
 いいじゃねえか。」
おろおろする大男を蹴飛ばして、サンジの腕を掴んだまま外へ連れ出そうとする。
―――なんか、こういう奴見ると足がうずうずすんなあ、なんでだろ。
サンジはされるがまま、ぼんやりと考えた。



気がつくと目の前にエースが立っていた。
「サンジをどこに連れてく気だ?」
「うっ・・・いやあ、ちょっとその辺を・・・案内でも。」
いきなりうろたえる男。
「ちょっとサンジに話がある。急ぎじゃねえなら、遠慮してくれねえか。」
エースに言われて男はあっさりと引き下がった。
二人でキッチンに戻ると、大男も慌てて出て行った。
「なんなんだ、あいつら。」
呆れたように呟いて、サンジは煙草に火をつけた。
「おやじの言ったとおりだな。あんたの立場は中途半端でいけねえ。」
エースの言葉にサンジはきょとんとした表情で振り向いた。
「そういえばさっきの男も言ってたな。俺はあんたの客人でもねえって。」
「かと言って新人コックでもねえぜ。あくまであんたは預かり者だ。」
エースはイスに腰をおろし、腕を組んだ。
「こういう荒くれ者ばかり乗ってる船では、立場の微妙な者は直ぐにつけ入れられる。
 特にあんたみたいな見てくれじゃあ、火種乗せてるようなもんだ。」
サンジに向かって軽く指を指す。
「どういうこった?」
「元々女が少ねえところだ。わかるだろ。」
「船長の周りに、すんげえ美女がわんさかいたじゃねえか!」
さも心外だとばかりに、サンジは両手を上げた。
「ありゃあ、全部親父のモンだ。こういうでかい組織では上下関係がはっきりしている。
 上の者の所有物に手を出すことは、死を意味するからな。」
「それじゃあ、何か・・・つまり―――俺みたいに半端にうろうろしてると誰にでもちょっかい
 出されるってこと。」
「正解。」
エースの答えに、サンジは額に手を当てて唸った。
言ってることは分からないでもない。
「俺が新入りのコック・・・ってことでも、同じなんだな。」
フリーでいる限り、いつでもOKってことかよ。
サンジは机に腰掛けて、軽く舌打ちをする。
「そこで、提案なんだが」
エースの声に顔を上げる。
「お前、俺のモンになんねえか。」
こともなげに言った顔は、至極まじめだ。
サンジはしばし考えて、ゆっくりと煙を吐いた。
「つまり、俺のテイソーの為に、愛人のふりをしてくれるってことか。」
「ふりじゃねえ。」
エースはイスから立ち上がり、ごく自然にサンジに口付けた。
サンジは指に煙草を挟んだまま固まっている。
エースはサンジの顎に手をかけて、軽く口を開かせる。
滑り込んできた舌に、サンジはためらいがちに応えた。



「嫌か?」
そばかすだらけの顔が生真面目に聞いてくる。
人の良さげな面じゃないが、どこか憎めない顔立ち。
なんだか懐かしい、親しみのある男。
助けられた恩もあるし。


嫌いじゃねえ。


「―――あんたに救われた命だ。任せるぜ。」

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