堕天花 5

麗らかな小春日和の午後
北の外れの秘密の庭で、小さなピクニックが催されていた。

刈り込んだ芝生の上にシートを広げ、更にその上に何枚もクッションを重ねて、カヤがちょこんと鎮座している。
それでも冷えるといけないからとブランケットに二重三重に包まった格好で、暖かな紅茶を両手で抱いてにこにこと笑う。

「大げさよ、ウソップさん。」
「馬鹿言え、そうでなくても北風は身体に障るんだ。用心に越したこたあねえよ。我がままお嬢さん。」
「だってどうしてもサンジさんのお茶が飲みたかったんですもの。」
バスケットの中には色とりどりのサンドイッチ、スコーンにクッキー、それにプチ・ガトー。
お嬢さんのたっての願いだと、食材は揃えられた。
後で散々嫌味は言われるだろうが、時折こうしてこっそり開く茶会はサンジにとってなによりの楽しみだ。


「今日はゾロさんは一緒じゃないの?」
「ああ、荷運びに借り出されたんだ。」
「まあ、なんてことでしょう。」
カヤが立ち上がりかけたので、サンジよりウソップが先に手で制した。
「いんや、これで丁度いいんだよ。あいつがあからさまに役立ってくれるお陰で、サンジへの風当たりが弱くなってんだ。今日だって、普通ならこんな寒い時にとかなんとか言われて絶対許しちゃくれないだろう。けど、OKだったし。」
だからゆっくり楽しもうよと笑いかける。
サンジはその隣で心なしか頬を赤らめてせっせとキッシュを切り分けた。

「ゾロさんと、仲良くしてらっしゃるんですね。」
手元が狂って、キッシュが皿から零れる。
慌ててあたふたと拾い上げるのに、持ったままのケーキナイフがティーポットに当たって更に被害を広げてしまった。
「わわわ、ごめんっ」
「・・・なにやってんだよ」
ウソップは笑いを堪えて手早く片付けてくれる。

「サンジさん、お熱があるみたいに真っ赤よ。」
「いや・・・違うよカヤちゃん・・・」
「そうそう、お熱は上がってるみたいだけどな。」
「うっせーぞ、鼻っ!」
カヤが、眩しそうに目を細めた。
「サンジさん、凄く綺麗になったわ。」
「カ、カカカカヤちゃんっ」
「誤魔化してもダメよ。私はずっと前から、サンジさんに出会ったときから天使みたいに綺麗な人って思ってたけど、今はまるで花が咲いたみたい。」
「・・・カヤちゃん〜〜〜」
サンジはどう応えていいかわからず、皿を握り締めたまま固まっている。

「まあな。少なくとも前みたいな陰気臭いとこはなくなったな。」
ウソップは自分でお茶のお変わりを入れながらカヤに同意した。
「俺から見てもイラつくくらい、ウジウジして見えてたのにさ。なんかてめー最近しゃんとしてる。フード脱いでることも多いし。」
「ええ、こうしてるとちゃんと眼が合うもの。前は中々目線も合わせてもらえなかったわ。」
「ウソップ〜〜」
恨みがましそうに唸るサンジの腰を、ウソップはどんと叩いた。

「褒めてんだよ。いい傾向だ。俺は前からお前のこと好きだったけど、今のお前はもっといい。」
そう言ってから、あ、カヤの次にだぞと念押しした。
「本当よサンジさん。ゾロさんがいて、よかったわね。」
カヤにしみじみそう言われ、サンジは俯いて両手を揉みしだいた。
気恥ずかしくて仕方がない。

「ゾロさん、ずっといてくれればいいのに・・・」
その呟きには、黙って首を振る。
「あいつは、剣士だから。今だって旅の途中に一休みしてるだけだ。ちゃんと故郷に戻って、それかどこかの
 国に雇われて剣士として生きるのが一番なんだ。」
サンジは、日の暮れた暗い森でゾロが一人鍛錬をしている姿をもう何度も目にしている。
きんと張り詰めた空気を切り裂くように、手入れされた刃が煌めき、森を震わせるのを目の当たりにして仰天した。
こんなところで、燻っていていいような、人間じゃない。

「でも本当に、出会えてよかった。」
誰にともなしにそう呟いて、はっと気付いて慌てて首を竦めた。
ウソップもカヤも、穏やかに笑むだけでからかいはしない。
このひと時が、少しでも長く続けばよいと、誰もがそう願っていた。










早い夕暮れを待たずに、小さな茶会はお開きになった。
カヤを部屋まで送ったウソップが、片付けを手伝う。
シートを畳む手を止めて、ウソップは真顔でサンジに振り返った。
「サンジ」
「ん?」
カヤの前では止めていたタバコを咥えて、振り向かず答える。
「もしも、もしもゾロと行くんなら、必ず俺には教えてくれ。」
食器を集める手を止めて、サンジは振り返った。
ウソップが、真面目な顔でこっちを見ている。
「馬鹿が、何言ってんだ。」
笑おうとしたのに、顔がこわばってうまく表情にならない。
「止める訳じゃねえ。ただ必ず俺には教えてくれよ。…親友だろう。」
「そんなこと、あるわけねえだろ。」
サンジは俯いて、さっさと手を動かし始める。
「あってもなくても、だ。もしもの時のことだよ。」
ウソップはそう念押しして、再びシートを畳み始めた。

あれはいつのことだったか。
父親に引っ付いて屋敷に出入りしていたあの頃。
サンジとも親しくなって、サンジの仕事の合間を縫って二人で屋敷を探検したものだ。
あの頃は旦那様もゼフもいて、サンジは肩身の狭い思いをしていなかった。

赤い陽射しが広い廊下に降り注いでいた。
夕暮れだったんだろう。
大きな扉がほんの少し開いて、ソファにゆったりと座る旦那様の背中が見えた。
その傍らで、ゼフがお茶を煎れていた。

色んなことを話していた気がする。
大人の話だから全然わからなかったけれど、「サンジ」の名前が出たところだけ、気がついた。
「あいつを助け、生かしたことを。後悔せぬように…」
そう呟いたのはゼフだ。
何故かとても辛そうな顔をしていた。
旦那様は黙って頷いていた。
よくわからなかったけど、聞いていたことを知られてはいけないと、それだけ思ってこっそりとその場を離れたんだ。

サンジを助け生かしたことを、後悔せぬように…
今なら、なんとなく意味がわかる。
ゼフに助けられ、生かされたサンジだ。
けれど今のサンジの境遇はあまりに不幸で、内心では自分の身の上を嘆かないはずがない。
ゼフに助けられ、生かされたことを悔やむようにだけはなっちゃいけない。
ゼフのためにも、サンジは幸せにならなくちゃいけないんだ。


そう思い、ウソップはそっと空を見上げる。
ゼフが病に倒れ、死の床に着いた時。
ウソップだけが呼び寄せられた。
すでに旦那様も亡く、頼めるのはお前だけだと頭を下げられた。

「もしもあれが、この屋敷を出て行くことがあったら―――」
苦しい息の下で喘ぎながら、ゼフは何とか言葉と紡ぐ。
「これを、別れの杯に混ぜて飲ませてやって欲しい。」
手渡されたのは青いガラス瓶。
透明な液体が、光を受けて輝いて見える。
「これは、なんだ?」
ウソップの問いには答えず、ゼフはうっすらと笑みを返した。
「俺からの、餞だ。」

いつか、いつかサンジがこの屋敷から旅立つ時には。
頼んだぞと、ゼフは何度もウソップに頭を下げ、その会話を最後に昏睡状態に入った。

今でも、これがなんなのかわからぬまま、ウソップは肌身離さずガラス瓶を持ち歩いている。
もしかしたら、あの瘤が治る即効性の薬なのかもしれない。
どちらにしても、ゼフの遺言は果たさなければ。
だからこそ、ウソップはサンジの幸せを願って止まないのだ。






















日もとっぷりと暮れ、星の瞬きに紛れて風花が舞う頃、ゾロが戻って来た。
サンジは部屋を温めて湯を沸かし、おかえりと戸口まで出迎える。

「うー、さすがに夜は冷えるな。」
白い息を吐きながら、ゾロは夜露に濡れたコートも脱がないでサンジを抱き締め、乱暴に口付ける。
冷てえとか戸を閉めろとか、文句を言いながらもサンジはしっかりゾロの背中を抱き締め返した。
こんな幸福な毎日が、自分の人生に待っていたなんて思いもしなかった。
ずっとずっと続けばいいと思う。
けれどそれは、願ってはいけないこと。




今日一日あったことを語り合いながら夕食をとり、二人で湯浴みをした。
サンジは最初裸身を晒すことを嫌がったが、ゾロはいつも強引に服を脱がせて連れ込んでしまう。
暖かな湯で背中を撫で擦られ、サンジはそのことにまだ慣れないので、身体を強張らせながら俯くばかりだ。

「ここに、触れられるのは嫌か?」
ゾロの問いに素直に頷く。
背中の瘤はふかふかとして、触れても痛みはないがどこか心もとない。
「先代の旦那様が、医者を呼んで診てくれたことがあるんだ。その時切ったらって言われたんだけど、俺怖くて・・・」
触診の結果からは骨の湾曲でも脂肪の塊でもないとのことだ。
なにか腫瘍があるのかもしれない。
「もしも腫瘍だったら長生きできないって言われてた。俺はそれでいいと思ってたんだ。」
けれど別段変化はなく、成長に合わせて瘤が大きくなることもなかった。
子供の頃は一山背負ってるようで奇怪だったが、身体が大きくなった今昔ほどの違和感は確かにない。



「サンジ」
己の名を呼ぶゾロの声に、一瞬うっとりとした。
「お前を、俺に任せてくれねえか?」
言っている意味がわからなくてぼんやりとその顔を見返す。

「てめえを、身体ごと命ごと、おれに預けてくれ。」
サンジは柔らかく微笑んだ。
「今更、なに言ってる。とっくの前から俺はお前のもんじゃねえか。」
「サンジ。」
優しく口付け、ぎゅっと抱き締めてからゾロはおもむろに立ち上がった。
ざばりと、湯が溢れて波打つ。
全裸のまま大股で小屋に向かい、刀を一振り携えて来た。

すらりと抜き放てば、闇に浮かぶ刀身はそれ自体が発光しているかのように仄かに煌めいた。
陶然と見入るサンジにゆっくりと近付き、刃先を顎元まで近付ける。

「後ろを向いて、俺に背を晒せ。」
ゾロの目が怪しく光っている。
サンジは促されるままに背中を向け、湯桶に手をついて項垂れた。

「動くな。」
言われるまでもないと目を閉じて、ほんの少し息を吸い込む。






痛みよりも衝撃よりも、迸るような熱が走った。
反射的に身を退け逸らし、倒れないように湯桶を掴む手に力を込める。
弾け、だらりと垂れ堕ちる血潮の一滴まで煮え滾る油のように、とにかく熱い。
けれど、初めてゾロを受け入れたあの夜の熱さに比べたら、耐え切れぬほどではない。

暗闇に、直真っ黒な血の筋がいくつも肩から腕を伝って流れ、湯に波紋を広げた。
どうしていいかわからず、突っぱねた肘をガクガクと震わせながら、サンジはなんとか踏み堪える。
裸足で土を踏みしめ、ゾロが近付いてくる。
振り返れないサンジの肩に手を回し、静かに湯から抱き上げた。

薄氷の張った小さな泉へと軽い身体を運び、身の切れるような冷水で背を洗われた。
火照る体に急激な冷たさはいっそ心地よく、漸く意識して息を継いだ。
ずくずくと、心臓が剥き出しにされたかのように疼き鳴り響く。
切り裂かれた背中は痺れて麻痺し、何度も清められては流れ落ちる雫の感覚もわからない。
霜の張った白い大地が赤黒く染まっていく。
それさえぼんやりと夢のようで、サンジは蒼白のまま唇を噛み締め、意識を手放しかけていた。



「―――綺麗だ。」
感極まったような、ゾロの声。
首を巡らせば、白い陰が背を覆っている。
身体の震えに合わせて揺れる、柔らかなそれがなにかは理解できぬまま、サンジはとうとうゾロの腕の中で気を失った。


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