螺旋の向こう4


「ゾロ!」

男は振り向かない。
返事も返さない。
ただ黙って、駆け寄るサンジの姿を見ている。
「ゾロっ・・・」
サンジはもう一度そう呼び、ゾロの前に立った。
緑の髪、精悍な顔立ち、じじシャツにくたびれた腹巻もそのままに、ゾロが座っている。
ああ間違いない。
こいつはゾロだ。
サンジは息を切らせてゾロの前に立ったまま、しばらく黙って見下ろしていた。
なんと言っていいかわからない、けどこいつはゾロだ。
ゾロは胡散臭そうにサンジを見上げている。
その表情が、また嬉しい。
「ゾロ・・・」
また名を呼んで、サンジは乾いた唇を舌で湿らせた。
どこからどう、説明すればいいのだろう。
いっそ挨拶代わりに蹴倒すか。
「さっきから、言ってるそれは俺の名か?」
ゾロは不機嫌そうに眉を寄せたままそう聞いてきた。
記憶がなくとも、えらそうな態度はそのままらしい。
「ああそうだ、てめえはゾロだ。」
その声が、改めて耳に届いてサンジは口元を歪めた。
その声を、再び聞けると思わなかったのだ。
「迎えに来た。みんな待ってんだ。帰るぞ。」
うっかり漏れそうな息を噛み殺して、サンジは平坦な声でそう言うとゾロに向かって手を伸ばす。
だがゾロは立ち上がろうとしない。
「こんなとこで、暢気に座ってる場合じゃねえんだよ。簡単に死んでんじゃねえ、馬鹿。とっとと帰るぞ。」
「死んだ?俺は死んだのか?」
いつまでも動こうとしないゾロに焦れて、サンジは足を鳴らした。
「そうだよ、ドジ踏みやがってうっかり死んじまいやがった。けど一緒に来たら生き返れんだよ。
 話は後だ。早く来い。」
だがゾロは腰を上げようとしない。
サンジはふと不安になった。
「まさかてめえ、こっちでなんか食ってねえだろうな。」
「食う?」
「食いモンだよ。食事、したのか?」
確か何か口にしていれば連れ帰るのは難しいとか言っていた。
「いや、食ってねえ。」
「なら・・・」
「けど酒呑んだ。」
がくんと、サンジはその場で膝を着いた。
酒、かよ・・・
そりゃあやっぱり、口にしたって言うんだろうなあ。
「まあいいや。俺が食わなきゃ問題はないはずだ。さ、行くぞ。」
ゾロはサンジをじっと見つめ、腕を組んで巨木に凭れる。
「なんで俺は死んだんだ?」
「巻き込まれたんだよ。戦ってる最中に・・・爆発して。」
「それで死んだのか。」
「ああ、事故だった。」
事故だったのだ。
あの時の女性は今、両親と幸せに暮らしている。
だから、ゾロが死ぬ必要なんてどこにもなかった。
「だが、俺は死んだんだろう。結局はそれだけのことだ。」
ゾロの言葉に、サンジはへ?と間抜けた声を出した。
「戦いの最中に、事故に巻き込まれて死んだんだろう。所詮それだけの男だったってことだ。
 甦る値打ちはねえだろう。」
はああ?と声に出して叫ぶ。
「ちょっと待て、お前のことだぞ。値打ちもクソも、今なら生き返られるんだよ。」
「死んだことに代わりはない。戦いの最中に命を落としたなら、それだけのことだ。俺はそれまでの男ってことだ。
 今更無駄足掻きして生き返ってなんになる。」
サンジは歯噛みした。
融通の利かないところは、死んでも直ってない。

「馬鹿かお前。元々てめえはこんなとこで死んでるような奴じゃねえんだよ。てめえ、すげー腕持つ剣士だったんだ。世界一の大剣豪を目指す、三本刀の使い手なんだよ。グランドラインで一番強い男になるんだよ。それが、こんなとこで死んでていい訳、ねえだろう!」
サンジはもどかしくて座り込んだまま地面を叩いた。
「鷹の目のミホーク!覚えてねえかもしれねえが、世界一の大剣豪の名を持つ男を倒して、てめえが世界一になるんだ。天国にまでその名が轟くような剣士になるんだって、てめえは白い刀に誓っただろう。それをこんな小さな島でちんけな戦いで命を落として、何やってんだマヌケ野郎っ」
「そんな小さな戦いで命を落とす程度の男だったってことだ、これも運だろ。諦めろ。」
まるで他人事のように、ゾロは耳をほじって指で払っている。
サンジはかっとして立ち上がり、右足を振り上げた。
だがゾロの片手に軽々と止められる。
「やめとけ、ここでは動きが遅え。威力もねえよ。」
簡単に振り払われて、サンジは尻餅を着いた。
ゾロは頭の後ろで腕を組んで、草原に寝転がる。
「大体なんで、てめえはそんなに俺を連れて行きたがるんだ。理由を言え。」
「理由、だと?」
サンジは仕方なく胡坐を掻いて、ゾロに向き直った。
「だからさっきから言ってっだろうが、てめえは世界一の剣士を目指す男で、その野望はまだ叶えてなくて・・・」
「俺の話じゃねえよ、なんでてめえがそこまで俺を連れ帰りてえのか、そっちだよ。」
ぴしゃりと言い放たれて、言葉に詰まる。
理由も何も、人が生き返らせてやろうとしてるのに、なんて言い草なんだと腹が立った。
「だから、てめえと俺は同じ船に乗る仲間だったんだよ。生き返らせようってしちゃ、悪いかよ。」
そうだ仲間だ。
これは仲間として当然の行為だ。
「仲間、だと。てめえ、仲間の死も乗り越えられねえような奴なのか?」
これにはカチンと来た。
なんでこんな話になるんだ。
「だから、てめえはこんなとこで終わっていい男じゃねえんだっつってっだろうが。それで俺がわざわざ迎えに来てやってんのに、ごたごたと御託並べてんじゃねえよ!とっとと来い!」
腕を引っ張ろうと伸ばした手を逆に掴まれる。
バランスを崩し、ゾロの前に膝を着いた。
「なんでてめえはそう必死なんだ。俺に死んで欲しくなかったのか?」
カッと頬に血の気が上ったのは、怒りのせいだと思いたい。
「だから、てめえはこんなとこで死んでるような男じゃねえって・・・」
「俺のことじゃねえ。てめえの気持ちを聞いてるんだ。」
ゾロはサンジを掴んだ手に力を込めて引き寄せた。
「ここじゃ、嘘や誤魔化しは通用しねえんだよ。すぐわかんだ。本音を聞かせろ。どうしててめえは俺を生き返らせてえんだ。仲間だからか?俺の死に納得できねえからか?」
「そうだ、だから・・・」
ゾロの、鳶色の瞳が真っ直ぐに自分を見つめている。
サンジは観念したように溜め息をついた。
こいつは結局どこまでもゾロだ。
死んでも、記憶を失くしていても、容赦がない。

「俺が、てめえに帰って来て欲しいんだ。」
サンジは消え入るような声で言った。
「てめえが好きなんだ。気色悪いって怒るだろうが、俺はてめえを亡くしたくねえんだ。てめえが野望を
 叶えるところを見てえ、世界一の剣豪になったとこを見てえ・・・」
両手で顔を覆い、俯いた。
「死んだてめえなんて、見たくねえ。」

脳裡に浮かぶのは、白い光に包まれたゾロだ。
硬く冷たくなって動かない屍だ。
寝くたれて酒ばかり飲んで、人をからかって笑うような本気で刀を抜いて向かってくるような生きていた
ゾロを黒く塗り込めてしまうような、全部なかったことにしてしまうような死の影が怖かった。
本当にゾロを亡くしてしまうのだと、それを認めるのが怖くて怖くて、仕方がなかった。
今こうして、目の前に確かにゾロがいるのに。


いつの間にかサンジは涙を流していた。
ゾロの死体を前にしても、号泣する仲間たちの中にあっても、一粒の涙も湧いて出なかったのに、今自分はこんなにも涙を流している。
「死ぬな、死なないでくれ。俺はそんな言葉すら、一つもてめえに伝えてねえ・・・」
自分を掴む腕に縋るように頭を凭れさせた。
ゾロのもう片方の手がサンジの小さな頭を抱え、胸に押し付ける。
サンジは両手をおずおずと伸ばし、ゾロの広い背中に回して硬い胸に顔を埋めて泣いた。


さわさわと、風が木を揺らす音が頭上を駆け抜けた。
サンジは我に返って、顔を上げる。
見たこともないほど優しい眼差しで、サンジを見下ろすゾロと目が合った。
急に恥ずかしくなって、乱暴に顔を拭きながら身体を起こす。
随分と、長い間泣いていた気がする。
その間ずっとゾロは、自分を抱き締めていてくれたんだろうか。
どうにも居たたまれなくなって立ち上がろうとするのに、ゾロはがっちり抱きとめたまま、腕の力を抜いてくれない。
「離せ・・・」
「嫌だ、このままじっとしてろ。」
サンジを掴んだゾロの手は暖かい。
硬くもないし冷たくもないし、浅黒くて力強い。
サンジはそっとゾロの胸に手を当てた。
とくりとくりと響くのは、自分の脈だろうか。
ゾロの鼓動だろうか。
ゾロがまたサンジを引き寄せ、背中に腕を回した。
サンジは目を閉じて軽く顎を上げ、降りてきたゾロの唇を受け止めた。


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