螺旋の向こう3


村の外れに、仰々しく注連縄を張られた小さな祠があった。
入り口は狭いが中へ進むほど広くなり、やがて巨大な地底湖が姿を現す。
どこからか光が差し込み蒼く幻想的に浮かび上がる清らかな泉に、ゾロの遺体を浮かせた。
まるで吸い寄せられるように湖の中ほどまで流れて、沈むことなく留まっている。
神聖な雰囲気に気圧されたように、皆黙りこくってその光景を見つめていた。

「このカムサの地では、『死』と言うものは存在しません。」
決して大きくはない村長の言葉が、深く響く。
「肉体を失った者の魂は黄泉へと降り、そこで暮らすのです。この島で命を失うとはそういうことです。」
「他所から来たものでも?」
静かに頷く村長を、ロビンは湖底の淀みに似た瞳で見返す。
「と言うことは、ここで『死』を司るのは時間ではなく場所だということかしら。」
「・・・恐らくは。」
よくわからない会話に、ナミは間できょろきょろと首を巡らせた。
「私たちが最も恐れるのは、愛する家族が結婚や旅立ちでこの島を離れることです。」
娘が、遠慮がちに言い添えた。
「この島から離れて命を落としたなら、もう二度と会うことは叶いません。それは永遠の別れであり、私たちにとっての本当の『死』です。」
「と言うことは、この島で死んだのならもう一度、会うことができるということ?」
「はい、黄泉で暮らしていますから。」
娘は湖の傍らにある、新たに注連縄を張られた亀裂のような横穴を手で指した。
「そこから、黄泉に降りることができます。ただし、その結界に一歩足を踏み入れた時からそこは死者の国です。入る時は相応の覚悟をしなければなりません。」
「我らは、古来より死者の国があまりに身近にあったが故に、自ずと厳しい掟を設けました。死者を甦らせるのは年に一度。たった一人です。」
「その権利を、今回私たちに譲ってくれるってことね。」
そう言って、ナミははっとして娘を見た。
「けど、本当はあなたのお姉さんを優先したいんじゃないの?」
娘は静かに微笑んで頭を振る。
「いいえ、自ら黄泉を選んだ者を迎えてはいけません。それに姉は向こうで両親と共に幸せに暮らしていると思います。」
だから、いいのですと小さく呟き、硬い面持ちで顔を上げた。
「ただし、迎えにいく者はたくさんのことを気をつけなければなりません。特に、迎えに行った黄泉で死者がすでに黄泉の食べものを口にしていた場合は、大切なモノを失くすことになるでしょう。」
村長はナミの前に手を翳し、ゆっくりと指を折りながら言った。
「ひとつ、迎えに行ったものは黄泉のモノを口に入れてはなりません。ふたつ、黄泉から死者を連れ出すときは、この注連縄を潜るまで絶対に後ろを振り返ってはなりません。この二つのことが守れない場合は、迎えに行った者も黄泉に引き戻され、こちらへ戻ることは二度とないでしょう。」
クルーたちは顔を見合わせた。
黄泉の食べものを食べてはいけないという条件で、すでにルフィはアウトだ。
「迎えに行くのは一人で?」
「はい、一人だけです。」
ナミとロビンが顔を見合わせる。
ウソップもチョッパーも、果敢に前を向いてはいるが、足元が震えていた。
今までずっと後ろで聞いていたサンジが前に進み出る。
「ルフィは論外だし、ウソップもチョッパーも一人じゃやだろ。レディを危険な目に遭わせるわけにはいかねえ。俺しかいねえだろ。」
「い、いいいや俺が行くぞ!ちゃんとゾロを、連れ戻してくる!」
ウソップが震えながら叫んだ。
だがサンジは火のついてないタバコを咥えると、口端を上げて笑う。
「てめえじゃ、引きずられてあの世に留まるのがオチだろ。大丈夫、ちゃんと連れて帰って来るって。もしも駄目なら、ゾロを見捨てて俺だけ帰ってくるさ。」
一番恐れるのは、迎えに行った仲間も戻れなくなることだ。その点、サンジなら容赦なくゾロを見捨てることもできるだろう。
「サンジ、頼むな。絶対帰って来い。」
「まかせろ、キャプテン。」
サンジはポケットに手を突っ込むと、散歩にでも出かけるように注連縄の下を潜った。
後ろから村長が声をかける。
「黄泉に住む死者は生前のことは何一つ覚えていません。そのことも承知しておいてください。」
「了解。」
サンジは軽く片手を上げて、裂け目のような暗い穴へ姿を消した。


目の前は真っ暗だ。サンジは明かり代わりにライターに火をつけた。
一瞬辺りが浮かび上がる。
先へと続く穴はなだらかで、躓いたり当たったりしそうな突起もない。
やや右曲がりに続いている。
サンジはとりあえずタバコに火をつけて、壁伝いに歩を進めた。
石ころや砂利があるわけでもない、一枚岩をくり貫いたかのようななだらかな傾斜がずっと続いている。
常に右に傾いで歩いていく。
確かに坂を下っているはずなのに、昇っているのか降りているのかわからなくなる感覚だ。どれだけ歩いても先は見えない。
「えーと、何も口にしちゃいけねえんだよな。それから帰りは振り向かねえっと・・・まあ、これだけ明確な一本道なら迷子にゃあならないだろう。」
それでも迷うのが、あいつの才能だよなと口元に笑みを浮かべる。

本当に
本当にこの先を行けば、ゾロに会えるのだろうか。
硬く冷たいモノ言わぬ屍体ではない、あの生意気で尊大なゾロに。
あの男に、もう一度―――
眉唾物だと笑い飛ばす余裕もないほど、サンジの胸は期待に満ちていた。
どんな茶番だって、ゾロと再び会えるのなら地獄の底まで付き合ってやる。
例え一時の夢であっても―――

うっすらと緩いカーブが目に見えるようになって来た。この先に、光があるのだ。
サンジは一歩一歩足を踏みしめ、先を急いだ。



唐突に視界が開ける。
地底とは思えないほど光が溢れ、柔らかな風の吹く広場に出た。
木々が生い茂り、広場から丘へと続き家並みが見える。
上を見上げれば空かと見まごうほど遠いところに、岩壁がある。
やはり地の底なのだ。
それにしても、広い。
「すげーな・・・」
サンジは感嘆の声を上げて、タバコを揉み消した。
木立の中に、和やかに話しながら歩いている若いカップルの姿がある。
丘を登り村を見下ろせば、家々から煙が立ち上り、多くの人が生活しているのが見えた。
なんとなく、年寄りが多い。
子どもの姿は見えない。

村へ向かって坂道を降りると、途中恰幅のいい男とすれ違った。
どこかで見たことがあるような・・・と思い起こしてはっとする。
自分が倒した海賊だ。
やはりこの地で死んだ者は、ここに来るのだ。
男は生前の凶悪な人相と見間違えるほど穏やかな顔で、一人ゆっくりと歩いている。
記憶がなくなるというのは、本当らしい。
村へ入ると、皆穏やかに微笑みながら黙って会釈してくれる。
まるで時間の流れがないような、ゆるやかな雰囲気。
争いも痛みもない、永遠の平穏。
木でできた簡単な家の窓から、楽しげに食事する家族の姿が見えた。
両親に囲まれて楽しげに会話する女性。
彼女だ。
と言うことは、ゾロはこの近くにいるのだろうか。

村の外れにまた小高い丘がある。
一際高くそびえる木の根元に、男が一人座っていた。
どきん、とサンジの胸が鳴る。
鍛錬するでも身構えるでもなく、あんな風にぽつりと座る姿に強烈な違和感を抱きながら、サンジは丘を駆け上った。


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