螺旋の向こう2


「お疲れ様ロビンちゃん。交替しよう。」

明かりを落とした医務室の白いベッドに、ゾロは横たわっている。
枕元に座ったロビンは、サンジの声に一呼吸遅れて顔を上げた。
いつもは無表情な横顔が、少し窶れて見える。

「ありがとう、コックさん。」
「少し遅くなったけど、ラウンジに夕食を準備してきたよ。皆で食べて。できれば、ルフィも。」
サンジはそう言い、ドアを明けたままロビンに立つように促す。
ロビンは素直に従って、サンジの横をすり抜けた。
ふと立ち止まり、振り返る。
「ねえ、コックさん。」
だがサンジは薄く微笑みを浮かべたまま、ロビンを見送る仕種を見せて応えない。
ロビンは黙って、扉を閉めた。


ロビンの足音が遠ざかり、サンジは改めてゾロを見下ろす。
綺麗に拭き清められた身体からは、まだ血の匂いが漂っている。
頭と肩から胴体は包帯だらけだ。
せめて形だけでもと、チョッパーが整えてくれた。
「それでもてめえ、丈夫だったんだってよ。なんせあんだけの爆発で、後ろが抉れただけだったからなー・・・」
普通なら手足もバラバラだろうけど、ちょっと損傷しただけだったのだ。
頭の半分と背中一面ぐらいで。
手だって足だってちゃんとついてる。まだ刀振り翳して戦うには充分パーツが残ってるじゃねえか。
普段から、脳味噌なんて使ってなかったんだから、なくったっていいじゃねえか。

「なのになんで、起きねえの。」
サンジの声が、闇に浮かんでは消える。
「飯時はちゃんと起きろって、口が酸っぱくなるほど言っただろうが。てめえだって耳ダコだってぼやいてたろうが、最近やっと自分から起きてくるようになったってのに・・・」
椅子に座って片足を組み、タバコに火をつける。
ゾロの白い顔がちらちらと揺れた。
「なーに大人しく寝てんだっての、起きろコラ。」
サンジはゾロの横顔に向かって煙を吐いた。
口元を真一文字に引き結び、一直線な眉はほんの少し寄せられている。
「こんなときまでしかめっ面で寝てんじゃねー、オロすぞ。」
サンジはゾロの眉間に指を這わせた。
思ったよりつるんとしている。
生きてたら、絶対触らせてはくれなかっただろう。
眉を辿り、頬にも触れた。
傍に寄るだけで暑苦しい男だったのに、ひんやりとして硬い。
弾力がなくて作り物のようだ。
「やっぱ偽者だな。こんなんマリモじゃねー」
サンジはおかしくなって、笑った。
笑いながら肩を揺すった。
おかしくて、仕方がない。
「おいこら、マリモ人形。よくできてんなこれ。俺の玩具に貰っちゃおうか。」
サンジはくしゃりと顔を歪めた。
「なあ、触っちゃうぞ。お前のほっぺにチューとかしちゃる。どうだ、嫌だろう。」
硬く閉じた瞳、鼻筋の通った顔。
緑色の髪の生え際も、明かりと共にちらちら揺れる。
「こらなんとか言え、寝てる場合じゃ・・・ねえんだよ。」
サンジは拳骨で、ゾロのこめかみをゴンと小突いた。
石ころを殴ったように、重く鈍い。
「おい起きろ、てめーはこんなとこで、終わる男じゃねえだろうが。」
サンジはゴツン、ゴツンと小さく小突く。
その度、ゾロの鼻梁が揺れた。
だがそれ以上動かない。
「なあ、ゾロ―――」
サンジの声が掠れて、それを誤魔化すように唾を飲み込んだ。
こんなことは、あっていいはずがない。
「なあ、びっくりとかさせんだろ。その手は食わねえぞ。俺を心底驚かせてみろよ。」


目の前で、白い光に包まれた。
その命が一瞬で尽きるのを、この目で見たのに。
「起きろって、茶番は終わりだ。」
その腕の中で、急速に体温が奪われていったのに。
「てめえは鷹の目ぶった斬るんだろうが。世界一の大剣豪になって、天国までその名を轟かせるんだろうが。こんなところで、なにやってる。」
ちんけな海賊相手に、海図にも載ってないような小さな島で。
「こんなとこで、終わっていい訳、ないだろ。早く起きろっ」
サンジはシーツを握り締め、ゾロの耳元で低く怒鳴った。
消毒薬の匂いしかしない、ただの物体。
モノも言わず何も見ず、誰の声も届かない。
ただの屍体に。
「ゾロっ・・・」
サンジは苛立って、ゾロの首筋にタバコの火を押し付けた。
じゅっと小さな音を立てて紫煙が上がる。
だけどゾロは動かない。
「・・・ゾロ」
なにすんだって、怒鳴れよ。
てめえこのクソコックって叫んで、刀振り上げて、俺のこと睨んで―――

サンジはがくりと肩を落とした。
目の前には、ゾロはいない。
ここにあるのはただの死体だ。
ゾロはどこに行ったんだろう。
ずっと告げるつもりはなかった。
もしもここで生き返ったって、絶対言ってやるつもりはない。
だけど、ほんとは―――

「ずっと、てめえが好きだった。」

ここにいるのはただの死体だから、だから今だけ言ってやる。
「好きだよ、ゾロ。」
囁きは闇に溶ける。
サンジは身体を傾けたまま、モノ言わぬ死体をただ見つめ続ける。
何故だか、涙も出やしない。


堰を切ったように慟哭する声が響き渡るラウンジに、ロビンは足を踏み入れた。
悲しみに覆い尽くされたような空間にあって、テーブルの上だけは暖かな湯気の立つ料理が並べられている。その異様な光景に、ロビンは己の哀しみを新たにした。
「ロビ・・・、サンジくん・・・はっ・・・」
ナミがしゃくり上げながら、幼い子どものようにたどたどしく問うてくる。ロビンは静かに首を振り、眉を顰めた。
「もう、私の声も彼には届かないわ。」
それを聞いてまたナミの目に新たな涙が盛り上がった。
ウソップとチョッパーはお互いを抱き締めながら、必死に声を殺そうと努力している。
その時。「誰だ?」唐突にルフィの声が届いた。
少しして、どたどたとラウンジに駆けてくる足音がする。
「おい。」
ラウンジの扉を開けて覗くルフィの顔は険しい。
「村の人が、来たぞ。」
ナミとロビンは顔を見合わせ、ウソップは鼻水を啜って顔を上げた。


「申し訳、ありませんでした。」
村長と若い娘が手をついて頭を下げる。
砂浜では、村民たちがひざまずいて同じように土下座していた。
「よもや巫女が、あのような振る舞いに出るとは思いもしませんでした。誠に、なんと申し上げればよいか・・・」
ナミは何か言いそうに口を開けて、何も言わず口を閉じた。
先ほど激昂していたウソップもサンジに当り散らしたせいか、今は冷静に座っている。
「どうしてあの女性は、自爆なんてしたの?」
代わりにロビンが静かに問いかける。
村長の隣の少女が、悲しげに顔を伏せた。
「姉は・・・巫女は恐らく穢されたのだと思います。私たちの両親は、海賊の手にかかって命を落としています。姉は人一倍海賊のことが嫌いだった・・・」
そう言ってはっと顔を上げ、申し訳ありませんと再び頭を下げる。
「仕方ないわよ、あちこちで好かれる海賊なんてないわ。私だって海賊は大嫌い。」
ナミはそう言い、哀しげに目を伏せる。
「それに、あんた達に謝ってもらったって、もうゾロは、帰ってこないっ・・・」
言葉が詰まって、代わりに嗚咽が漏れた。
口元を手で押さえ、横を向く。

守るべき女だと思って、ゾロは背に庇ったのだ。
傷一つない美しい背中を曝して、敵に立ちはだかった。
まさか、背後で自爆されるなんて、思いもしなくて。
「でもだからって、いくら海賊でも・・・助けた相手まで巻き込んで死ぬこと、ないでしょう!」
どうしても抑え切れなくて詰ってしまう。
ロビンはナミの肩に手を添え、軽く抱き締めた。
村長は甲板に手をついたまま、静かに顔を上げる。
「あの方を、生き返らせる方法は、あります。」
は、と全員の動きが止まった。
村長はもう一度ゆっくりと、だがはっきりと言った。

「生き返らせる方法は、あるんです。」


「サンジ君!」
バタンと乱暴に扉を開ける音に、だがサンジはすぐに反応しないで俯いていた。
「サンジ君サンジ君サンジ君っ!」
「はい、はいはいはいナミさん、なんでしょう。」
今気付いたと言う風に暢気に振り向く。
目の焦点は、合ってない。
「サンジ君、ゾロはっ」
「え、ゾロですか?えーっとどこか行ったっけか?」
「馬鹿、何言ってんのっ」
噛み合わない会話を置いておいて、ナミはサンジの肩に手をかけた。

「いーい、よく聞いてサンジ君。ゾロを、生き返らせるの。」
真正面から見つめるナミさんも素敵だ〜、なんて小さく呟き、それからん?と首を傾げた。

「え、今なんて?ナミさん・・・」
「ゾロを、生き返らせるのよ。サンジ君!」
ナミはもう一度力強く言った。


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