螺旋の向こう1

その瞬間が、目に焼きついて離れない。
白い閃光に包まれる身体。
きな臭い煙
動かない腕
閉じた瞳
呆気なく、すべてが終わった。


海賊との小競り合いがなければ或いは、その村の存在には気付かなかっただろう。
ログポイントではない島並みを抜ける途中で襲撃に遭い、停泊を余儀なくされた小さな島。GM号の損傷はそれほどではなかったが、そこでひっそりと暮らす村人達と出会った。
彼らはルフィ達を温かく受け入れ、もてなしてくれた。
最近この海域に海賊が住み着いて、通りかかる船を襲うのだと言う。
先の戦闘相手がその海賊達だったので、村長は是非にともルフィに頭を下げた。
我が村の巫女が海賊たちに捕らわれている。
どうか手を貸していただきたい。
一宿一飯の恩義だと、ルフィは二つ返事だった。
喧嘩を仕掛けられて充分やり返さないうちに相手に逃げられていたのでゾロも異存はなく、巫女と聞いてサンジは積極的に腕を上げた。
そして日暮れを待って、ルフィ達は海賊の根城へと向かった。

奇襲攻撃を得意とする矮小な海賊では、所詮麦藁海賊団の敵ではない。
あっという間にアジトは破壊され、船は沈められた。
先に飛び込んだゾロに遅れを取って、サンジは後から後から湧いて出る雑魚の始末に追われていた。
砂浜から振り返れば、ちょうどゾロが巫女らしき女性を携えてアジトから飛び出して来るところだ。
「ちっくしょ〜、うまくやりやがったな、あんにゃろう!」
大丈夫ですか、お嬢さん!と最初に助け出すのは自分の役目だったはずだ。それをよりによってゾロに先を越されるなんて、ラブコックの名が廃る。
サンジは最後の数人を一気に蹴散らして、ゾロの・・・もとい巫女の元へと駆け出した。
ゾロは女を背後に庇い、敵船の甲板の上で数人に囲まれて刀を構えている。
この程度なら敵でもないと、鼻で笑ったその刹那――
サンジの眼前が白く光った。

一瞬何も見えなくなる。
目が眩み両腕で顔を覆ったサンジは、少し遅れて熱い爆風を受けた。
咄嗟に身を屈めその場に跪く。耳を劈くような爆音と風圧。細かい破片がバラバラと降り注ぎ、あちこちに痛みが走る。
なにが―――
まるで一瞬の嵐が過ぎ去ったかのように、ふいと凪いだ空気に顔を上げて、白く煙る景色の向こうに目を凝らした。海から風が吹いて、きな臭い匂いと共に視界が晴れる。
敵船は粉々に割れていた。手や足をもがれた海賊たちが血塗れで倒れ、ゾロ達がいた当たりは大きく穴が空き黒い煙が立ち上っている。
その光景を目にして、サンジはそのまま立ち上がることができない。

まさか、そんな―――
一体何があったのか。なにが、爆発した?
震える膝をなんとか立てて、サンジは這うように前に進んだ。
何度も砂に足を取られ、転びながら走る。
吹き飛ばされた男達の中に、緑色の髪を見つけた。
白いシャツ。
腹巻だって、ちゃんと緑だ。
「クソ腹巻!」
うまく叫べなくて、とにかく走る。
他のやつらと同じように血塗れで転がっている。
だけどあいつは大丈夫。
だって、マリモなんだから―――
「おい、ゾロっ・・・」
砕けて斜めに傾いだ甲板に乗り上げ、その傍に駆け寄る。うつ伏せで目を閉じた顔は血に塗れているが、いつものように仏頂面だ。
ああ、やっぱり大丈夫だ。そんな不機嫌な面して、硬く目を閉じて眉間に皺を寄せてやがる。
「こら、ドジりやがったな、ざまあみろ。」
サンジは四つん這いになってゾロの傍へ寄った。
なぜだかうまく足が立たない。
腕だってがたがたと震えている。
大丈夫だ。
だってこいつは、筋肉の塊で―――
「おい、敵がみんな寝てるからって、てめえも寝てんな。起きろ。」
うつ伏せで倒れた身体を抱き起こした。もの凄く重い。一度にはとても持ち上げられない。
「くそ、重てえぞてめえ。無駄に筋肉ばっかつけやがって・・・」
殺したって死なねえような、ゴキブリ並みの生命力なんだ。
「おい、起きろよ。寝てんじゃねー・・・」
例え頭半分なかったって
「戦いは終わってねーだろ、レディはどこだ。」
絶対死んだり、するはずねえ―――

「おいっ!」
力任せに引っ張れば、ぐらりと仰向いてサンジの身体に凭れかかった。
白いシャツがみるみる血に染まる。
飛び散った脳漿が膝の上に零れて、サンジは慌てて拾い集めた。
「おいおい、行儀悪いなおい。ちゃんと集めねえと、後でチョッパーに元通り入れてもらわねえと・・・」
指が震えてうまく拾えない。なんだこの白い塊は。いくらなんでも血がいっぱい出すぎじゃねえのか。
「おい、起きろよ。」
あんまり強く揺り動かして、これ以上中身が零れちゃ後が面倒だ。
そう思ったから、サンジはゾロの耳元で囁いた。
「起きろって。踵落とし決めねえと、起きねえのか。なあ・・・」
どこかで誰かが叫んでる。
ひどい金切り声を上げている。
一体なんだろう。
サンジはゾロを胸に抱えたまま呆然と顔を上げた。

砂浜から、ナミが真っ青な顔をして駆けてくる。
ああ、転んだ。
大丈夫かな、ナミさん。
「サンジ君!」
ああ、ナミさん。
俺?
俺じゃないよ。
ゾロだよ。
ゾロが起きねえんだよ。
ナミも同じように這いつくばって甲板まで上がってきた。綺麗な大きな瞳から、涙がぽろぽろ零れている。
「ナミさん・・・」
サンジは困ったように顔を傾けた。
「ナミさん、こいつ起きねえの。」
腕の中、ゾロの身体はどんどん硬く冷たくなっていく。
「ねえナミさん、寝てる場合じゃねえのに・・・」
途端にナミはわっとその場で泣き崩れた。
その背後から、ルフィが、ウソップが、チョッパーが駆けてくる。
それなのに、ゾロが起きない。



いつもは賑やかなGM号のラウンジは静まり返っている。
時折聞こえるのは、押し殺したチョッパーの泣き声だけだ。
堪えようと、我慢しようと努力して、それでも漏れる息を殺して、俯いたまま身体を震わせている。
その隣でウソップは椅子に座ったまま目を見開いて床を凝視し、ナミは机に突っ伏したまま動かない。
ルフィは、船首に跨って海を見ている。

「・・・うく、おで・・・おでっ・・・」
どうしても耐えられなくて、チョッパーは声を出した。
「おでがもっとっ・・・いい医者だったらっ・・・」
「馬鹿言え。いくら優秀な医者でも、頭半分失くした男を生き返らせるなんて、できっこねえだろ。」
穏やかにそう遮って、サンジは大皿を両手に軽やかに振り向いた。
さっきからずっとキッチンに向かって料理していたのだ。
「まあ、もう済んだことだ。とにかく飯を食え。食ってからでないと力が出ねえだろ。」
そう言ってテーブルの上に料理を並べ皿を用意する。
ウソップは錆び付いたロボットみたいに、ぎこちなく首を巡らした。
「・・・なに、言ってんだ。サンジ。」
信じられないと、大きな目をさらに見開く。
「何言ってんだよサンジ。飯食えって、なんだよそれ。ゾロが、ゾロが死んだんだぞ!」
「うっせえなあ、わかってるよ。大きな声出すな長っ鼻。」
サンジは耳を穿って見せて、踵を返した。
またキッチンに向かう。
「おい!わかってんのかサンジ!飯なんか食ってる場合じゃねえだろうがっ」
怒鳴り声が掠れて歪む。
興奮でぶるぶる震えるウソップの目から、大粒の涙がほろほろと流れ落ちた。
「ゾロが、死んだんだぞ。ゾロが、ゾロが・・・」
うつ伏せていたナミが、大きくしゃくり上げた。
震える肩を両手で抱いて、身を丸めて膝を立てる。
「誰も、誰も死なせないって、ぢがっだのにっ・・・」
チョッパーも、涙と鼻水を盛大に垂らしながら血を吐くように叫んだ。
途端にラウンジが号泣に包まれる。
サンジは振り返りシンクに凭れると、ポケットからタバコを取り出し火をつける。
横を向いて煙を吐き出し、腕を組んだ。
「お前のせいじゃねえよ、チョッパー。誰のせいでもない。」
ウソップは拳を握り締め、サンジを睨み付けた。
「お前、なんでそんなに冷静なんだ。そりゃあ、お前らは仲間同士でも気が合わなかったかもしれねえ、喧嘩ばっかししてたし、気に食わねえ相手だったかもしれねえ、けど―――」
ぶわりと湧き出る涙を拭って、ウソップはサンジの胸元に掴みかかった。
「ゾロは、ゾロは死んだんだぞっ、もう、死んじまったんだ・・・なのに、なんで・・・」
サンジは咥えていたタバコを指に挟んで、困ったように顔を背けた。
口端からゆっくりと煙を吐き出す。
「死んじまったもんは、仕方ねえだろ。生きてるもんは、食わなきゃなんねえ。」
「お前っ!」
ウソップの拳がサンジの頬に打ち付けられた。
薄い身体が跳ねて、床に尻餅をつく。
「ウソップ!」
チョッパーが悲鳴みたいに叫ぶ。
「ウソップやめろ!これ以上やめてくでっ」
泣きながら取り縋られて、ウソップは震える拳を握り締めたまま、サンジを見下ろす。
サンジは口元を袖で拭うと、あーあと間の抜けた声を出した。

「しょうがねえな。俺あロビンちゃんと交替してくるわ。」
だからちゃんと食っとけよーといい置いて、ラウンジを出る。

ウソップはその後ろ姿を見送ってから、思い切り泣き声を上げた。


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