楽園 -4-


休日は、特に当番を設けないで自由に過ごすのが暗黙の了解だった。
予想通りゾロは昼過ぎくらいまで寝ていて、その間に俺は自分の部屋の掃除と洗濯を済ませ、昼飯も食うとバイトに出掛けた。
実質ゾロの給料だけでは食っていけないし、自分の授業料と食い扶持くらいは稼ぎたいと思っていたが、短期のバイトにそんな割のいいものはない。
結果、親父の貯蓄と保険金を少しずつ使っているのが現状だ。
俺がちゃんと就職して貯えを始められるようになったら、返して行こうと思っている。
返すべき相手はもういないけど、本来ならこれはゾロの財産だと思うから。


バイト先は、駅前の居酒屋だ。
仕込みを希望したけれどホールに回されて、けどそれはそれで接客の勉強にもなるし面白い。
「らっしゃいませー」
景気よい、でか声の張り上げ方も板に着いた。
疲れてくると顔も上げずに声だけ出してしまいがちになるけど、なるべく意識してお客さんの顔を見るように心がけている。
どこか体育会系のノリのあるこの職場はゾロ向きなんじゃないかともチラッと思ったが、重要ポイントたる愛想がゾロにはないから、やはり無理だろう。

土曜日の夜はよく混んで、バイトは男女の区別なくキリキリ舞いだ。
安くて早い料理は味はイマイチだけど、回転が速くてこっちも待たされることがない。
肉体的にはきついけど、精神的には楽しいと思う。





「いらっしゃいませー」
大きな声で挨拶してから、俺は口を開けたまま一瞬固まってしまった。
顔を出したのは高校の時のクラスメイト。
特に親しい相手じゃなかったからすっかり忘れていたけれど、先週、客としてやってきて声を掛けられたんだった。
そん時もやけに馴れ馴れしい態度だったっけ。

「よう、頑張ってるか」
男女2人ずつの比率で、そいつはのしのし大股で歩いてきた。
ぷち合コンか。
「いらっしゃいませ」
わざと事務的に挨拶して、席へ案内する。
「こいつさあ、俺の高校ん時のクラスメイト。先週偶然この店来たらいたんだよなあ」
くい、と親指で示された。
「だから今度は友だち連れて来てやったの。とりあえずビールね」
「かしこまりました」
笑顔を顔に張り付かせて軽く会釈する。
なんか、ムカムカしてきた。
高校の時のこいつをあんまり覚えてないんだけど、そう言えばウザい奴だったかもしれない。

ビールを持っていくと、メニューを見ながらあれだこれだと注文して来た。
なんと言ってもお客様だから、ありがたい。
「今何してんの?あ、バイトしてんのか、アハハ」
いかん。
一人で言って一人で笑う、一番寒いタイプだ。
「俺今S大行ってんの、大学生っつっても色々忙しくてさあ・・・」
仕事場で私語は禁止されている。
俺は適当に相槌を打ちながら、注文を書き込んだ。
「特製サラダってのと肉じゃがと冷奴・・・んで、ゾロはどうしてんの?あ、牛の串揚げも」
「元気ですよ、以上ですか?」
「や、待ってって。え、ハーフピザ?んじゃそれと、さいころステーキ?あさりバターも行くか」
お連れさんの方に視線を移して注文をとり終えると、俺はおざなりに会釈してさっさとその場から離れた。

日給だから、不手際があるとすぐにクビにされる。
そんなバイトの苦労を知ってか知らずか、料理を持っていく度にそいつはだらだら話しかけてきた。
「んでさあ、今日はサークルの集まりがあって、その後軽く一杯って感じでこっち来たわけよ。そういやサンジがいたっけなあって、それでこの店思い出してさ」
「ありがとうございます」
俺はにこやかに笑いながら空いた皿を下げ、手早く片付けて足早に去る。
雰囲気で、迷惑がっていると察してくれないだろうか。

注文の料理をすべて運び終えて、ようやくそのテーブルから離れられて俺はほっとした。
受け持ちのテーブルはまだたくさんあるのだが、どういう訳か今日は客足が延びない。
深夜に近いのにそこそこの入りで、なんとなく間延びした雰囲気が店内に漂っている。
「サンジー」
そいつが手を上げて名前で呼んで来た。
頼むから勘弁してくれ。
「ご注文ですか?」
伝票片手にささっと駆け寄った。
額に青筋が浮きそうだ。

「この子達今度カクテル飲みたいって、しこたまビール飲んだのに、強いねー」
やだあーと女の子達がそいつの肩を小突いている。
いい感じでみんな酔っ払っているようだ。
「こちらにメニューがございます」
決めてから呼べよ、と内心毒づきながらテーブル下に置きっぱなしのメニューを取り出した。
「色々あんだねえ、ジュースみたいじゃね?」
「アルコールは結構強いのよ」
「んでさあ、ゾロ元気?」
また来たか!
「元気ですよ」
さっきも言ったろうが。
「ゾロは何してんの?新宿2丁目当たり?なーんつって、あははあはは」
やーだーとまた女の子が肩を小突いている。
「なー、お前んちの兄貴、ホモだもんなー。この子達信じねえの、な、お前からも言ってやって」
「・・・・・・」
一瞬、頭の中が真っ白になってしまった。
動揺を悟られたくなくて、まだ注文も受けていないのに伝票になにやら書き込む仕種をしてしまう。

「あ、もしかしてもう一緒に住んでないから知らないのかー」
「・・・住んでるよ」
しまった、つい言い返してしまった。
しかも明らかに声が低い。
「あ、住んでるの。え?一緒に?ホモと一緒に?マジで?」
きゃーと女の子達のさんざめく声が重なる。
くそう、てめえ声がでかいんだよ。
「兄弟なんだから、当たり前だろ」
「えーだって、兄弟っつってもお前ら血繋がってないじゃん。赤の他人だろ。ヤバくね?それって」
いいから早く注文しろよ。
「ひとつ屋根の下にホモってさ。俺ならやだねー怖いよ。いつ襲われるかわかんねーじゃん」
うひゃひゃひゃひゃと下品に笑った。
誰もお前なんざ襲わねーと、別の男が突っ込む。
「こいつねー親の再婚で同級生の男と兄弟になったの。しかもそいつがホモ!信じられる?すげーよな」
「すいません、注文の方は」
つい、声が上擦ってしまった。
女の子達は流石に気まずそうに首を竦めている。
けどそいつは気付かない。

「えー注文?んじゃこのオレンジのにしたらー。んでも、まだ一緒に暮らしてんのかー、そうかー。俺だったら卒業した時点で家出るけどなー。まあ、生活のこと考えたら、ゾロん家にいる方が何かと便利かもなー。あいつんち、金持ちだし」
「パッソアオレンジでよろしいですか?」
「いくら金持ちでも、ホモの側には俺はいたくないけどな。だってホモだぜ、男が好きなんだぜ」


今頃だけど、俺はようやく思い出した。
こいつは確か、ゾロが高校でゲイ宣言した時に、掌を返したように尊大な態度になった奴の一人だ。
勉強も運動も何一つゾロに敵わないくせに、ゾロがゲイだというだけで、急に優位に立ったような顔をするタイプ。
今だって、もしこの場にゾロがいたなら、こいつが何を言おうと俺は悔しい思いをすることはないだろう。
ここで気の毒そうな笑い方をしてる女の子達も、実物のゾロを見たら考えが一変するはずだ。
顔はいいし体格だってズバ抜けている。
ちょっと話せば頭がいいことはわかるし、何より人に好かれる雰囲気があって、無口でも常に人に囲まれている。
ゲイだろうがなんだろうが、きっとゾロに惹かれない子はいないだろう。
だがこいつは、この場にいないゾロを勝手に想像させて貶めている。
そのことで、何一つ取り柄のない自分の優越感を満たそうとしている。


「お前の留守中に、男連れ込んだりとかしてねーの?前からマイペースな奴だったから、お前いても平気かもな。あーやだやだ、想像するだけで俺はキショいぜ。なんせケツえっちするんだから」
バキッと小さな音がした。
気が付けば、無意識に握り締めていた右手でボールペンをへし折っている。
もうだめだ・・・限界だ―――




「あーら、お尻えっちってなかなかのもんようん」
不意に、頭の上から頓狂な声が降ってきた。
一瞬全員がフリーズしてから、恐る恐る顔を上げる。
「あんた、あたしの好みねんvよかったら、お尻の良さを教えてあ・げ・る」
格子越しに、でかいオカマが覗き込んでクソ馬鹿野郎に向かって大げさなウインクをして見せた。
馬鹿野郎がひゃああと消え入りそうな悲鳴を上げる。
「け、けけけ結構です!」
「そう言わずにんvこっちいらっしゃいよう、一緒に飲みましょうよう」
「サ、サンジ!会計、お愛想お愛想!」
よほど動揺したのか、2回も台詞を繰り返しながらアタフタと立ち上がった。
酔いで膝ががくんと折れて、椅子を転がしながら派手に転ぶ。
「やだ大丈夫?」
「かっこわるー」
ケタケタと笑う女の子に縋るようにして立ち上がるそいつに背を向けて、俺はレジに向かった。






「どうもありがとうございましたー」
一際大きな声で送り出して、俺はほっと息をついた。
胸の奥にまだ怒りの炎は燻っていたが、なんとなく毒気を抜かれたみたいで虚脱感のが強い。
俺はテーブルを片付けるためにお盆を持ってさっきの場所に戻り、隣のテーブルに顔を出した。

「・・・あの、ありがとうございました」
さっきのオカマが小指を立てながらグラスを掲げて、いいのよんとまたウインクする。
「聞いててこっちのが不愉快だったのよん。ああいう馬鹿はどこにでもいるのねん。ヘテロだってだけで、真っ当な人間みたいな顔するのん」
「ボン・クレーの破壊力は凄いでしょ?」
隣で飲んでいる美女がクスクスと艶やかに笑った。
「あら失礼ねん!あちしはほんとのことを言っただけよん。ああいう子に、お仕置きするのがまた楽しいのようん」
そう言って、オカマはガッハッハと豪快に笑う。
「坊やもよく我慢したわね。よっぽどお兄さんのこと大切に思っているのね」
美女がそう労ってくれて、テーブルを囲んでいる他の人達も優しげに頷いてくれた。
こんな居酒屋に来るには不似合いな、大人っぽい人ばかりだ。
つい俺は素直な気持ちになって、こくんと頷いた。
「大事です・・・ホモでもゲイでも、血は繋がってなくても・・・俺にはたった一人の兄なので」
「当然よねん」
オカマが笑顔で、優しく俺の背中を叩いてくれた。






危ういところで助けられて、バイトを首にならずに済んだ。
後で、チーフにもやばかったなと言われたのだ。
成り行き上仕方ないだろうけど、あそこで俺が手を出していたらクビにせざるを得なかったと言う。
ハラハラして見守っていたのだそうだ。
「色々あるけど、頑張ってな」
思い切り同情をこめて励まされてしまった。
それはそれで、やっぱりむっと来てしまう。
ダメだな俺は、全然人間がなってないや。

ゾロを貶められても腹が立つけど、無闇に哀れまれてもやっぱり腹が立つ。
みんなゾロを知らないからだ。
けれどだからって、ゾロはこんな奴なんですって見せびらかすわけにも行かない。


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