楽園 -5-


「ただいまー」
たいして店が混んでいたわけでもないのに、俺は疲労困憊して帰ってきた。
時計は12時を回っている。
ゾロはもう寝てるだろうと思ったけれど、リビングに明かりがついていた。

「おかえり」
発泡酒を片手にソファに寝そべって、テレビを見ていたゾロが振り返った。
俺の顔を見て、ちょっと眉を寄せる。
「どうした?」
「え、何が?」
俺の顔に、何かついてるか?
「疲れてんのか?そんな顔してる」
「ああ・・・」
それはそうだろう。
俺は物凄く疲れている、精神的に。
「酔っ払いにでも絡まれたのか」
「まあな、そんなとこ」

俺はソファに鞄を放り投げると、冷蔵庫に直行して発泡酒を取り出した。
バイトの後は特に、アルコール臭に当てられた感じで飲む気にもならないが、今日はなんだか飲みたい気分だ。
「珍しいな」
俺の投げやりな態度を益々不審に思ったのだろう。
ゾロはテーブルに缶を置いて身体を起こす。
その逆に、俺はプルトップを開け様ソファに引っくり返った。

「バイト、しんどかったら無理するこたあ、ねえんだぞ」
ゾロの兄貴ぶった優しさが、なんだか癇に障った。
そりゃあ、俺のバイト代なんてたかが知れていて、生活費のたしにもなんねえだろう。
俺の学費だって光熱水費だって、全部ゾロの稼ぎと親父の遺産から賄われている。
けど俺は、そんな恵まれた環境の上に胡坐を掻いていたくはない。
「無理とかじゃねえ、俺だって飲みたいとか思う時くらいあんだ」
嫌ならいつでも辞めたらいいなんて、そんな風に言われたら堂々と愚痴を零すこともできないじゃないか。
ささくれ立ったままの気分を取り繕うこともできず、ただ不機嫌を露にして俺はグビグビ缶を呷った。
ゾロの眉間の皺が、益々深くなる。

「お前だって、平日は学校通って宿題とかレポートとかしててよ、それで家事全般も任せちまってるじゃないか。
 負担はお前のがでかいと思うぞ」
「別に、今は兄貴のが忙しいんだから、俺が代わりにやってるだけだろ。できる時にできる奴がすりゃいい話じゃねえの、家事なんて。家族なんだから」
口に出してから、最後の付け足しは余計だったんじゃないかと思った。
「家族なんだから」って台詞は、いつの間にか俺の口癖みたいになってきている。
俺の意固地な態度をどう取ったか、ゾロは黙ってしまった。
俺はテーブルの木目を仇みたいに睨みながら、黙々と発泡酒を飲む。
キッチンに気まずい雰囲気が漂って、テレビのCMが虚しく笑い声を立てた。

俺はテレビを見る振りをして、その上に立てかけてある親父と母さんの写真を眺めた。
亡くなった家族の写真を飾ろうなんて、これも俺が勝手にやったことだ。
写真立ての中で、親父も母さんも屈託なく笑っている。
その間に見えないちびの存在を感じて、俺は内心でため息をついた。
もしこの場にちびがいてくれたら、ヨチヨチ歩きのおしゃまな動きでこんな気まずい雰囲気も吹き飛ばして
くれるだろうにな。
そもそもちびの行動に掛かり切りになって、家庭内の些細ないざこざなんてすぐ消し飛んでしまうんだろう。
子はかすがいってほんとだな。
やや筋違いな妄想にまで発展していたら、ゾロがガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
寝るのかと思うと、冷蔵庫を開けてもう一缶取り出している。
「お前も飲むか?」
俺はそっぽを向いたまま頷いた。
素直になれない自分が憎い。

事もあろうにゾロは発泡酒を投げて寄越して、俺は目を剥きながら受け取った。
「てめえなあ、何してくれんだ」
「噴き出す前に口つけて開けてみろ」
「・・・ざけんな」
やってられないと、横を向いて煙草に火を点ける。

「明日は、何時に出るんだ?」
プシュっと小気味よい音を立てて、ゾロの手元で小さな飛沫が上がった。
「・・・明日は行かねえ」
そんなつもりはないのにそう声に出して、言った自分に驚いてしまった。
ゾロは横目でこちらを見ながら、眉を上げて見せる。
「行かないのか?」
「ああ、行かない」
嫌だ、本当は行きたいんだ。
久しぶりだし、楽しみにしてたんだ。
上映時間も調べたし、バラティエにも久しぶりに行ってみたいし、新しくできたカフェにも寄りたい。
全部ゾロと、一緒に行きたい。

「だっておかしいだろ、いい年して休日に兄弟で出かけるなんて」
これは正論だろう。
多分、普通の兄弟なら休日に連れ立って出かけたりしない。
新しくできたカフェで向かい合ってお茶なんか、しないだろう。

「なんか言われたのか?」
いつもながら、直球しかないゾロの言葉に俺はうんざりした。
勘がよすぎるのも困りモノだ。
「・・・別に」
ブシュっと弾ける音を立てて、俺の手元で白い泡が噴いた。
流れ落ちるのも構わずに口をつける。

しばし沈黙が流れた。
ゾロはじっと俺を見ている。
俺が何か言うのを待っているんだ。
ゾロの問いに、俺がちゃんと答えていないから。

静かな視線に耐え切れなくなって、俺は缶を置いて煙草を咥え直した。
紫煙越しに、ゾロと目が合う。
「結局よ、愚痴るの俺ばっかなんだ」
ふーと煙を吐いて、俺は自分を皮肉るように笑った。
「なんかさ、つまんないことでウダウダーってなるのは俺ばっかりでさ。兄貴はそんな俺の言うこと聞いてくれんの。いつもそれ。んじゃ兄さんは?兄さんは俺になんも言うことねえの?」
ゾロの表情がかすかに揺れた。
これは、困った顔だろう。
「確かに俺は、今日いらないことをあれこれ言われて、腹も立ったしちょっと凹んださ。けど、兄さんだって色々あんだろ。そりゃあ、俺が働いてるとこよりよっぽど大人な人達が勤めてるとこだから、滅多なことじゃつまんない話になんないだろうけどさ。それでも、色んなとこで色んな人と会ってるんだから、やっぱ色々あんだろ?それでムカついたり落ち込んだり、しねえの?」
俺が知る限り、ゾロが一人で苛々したり沈んでいたりする場面を見たことがない。
よほど俺が鈍いのか、それともよっぽどゾロが鈍いのかの、どちらかだと思うけれど。

「そうだなあ・・・特には、ないな」
ゾロは指を組んで顎を乗せ、左斜め上当たりを見た。
本気で考えているらしい。
考えなきゃ出てこないんなら、本当に何もないんだろう。

「お前が言われたってのが俺に関することだったら、悪い」
ゾロは生真面目な顔をして頭を下げた。
「俺がゲイだからってんで、てめえに迷惑かけてんだろうな」
俺自身が一番触れたくないと思っているところに、ゾロはずかずか入って来る。
しかもそれは、俺がゾロを思いやってそう考えていることなのに、当人はさほど大事でなく踏み込んでくれるから余計ショックがでかかった。

「てめえがそれを言うなよ」
俺は吐き捨てるように言って、灰皿に煙草を押し付けた。
何が悔しいんだかわからないが、腹が立ちすぎて泣きそうになって来た。
鷹揚で無神経なゾロも、狭量で矮小な自分も許せない。

「自分ではちっとも悪いとか思ってねえくせに。お前は昔からそうだったよな。他人がどう思おうと関係なくて、いつも俺様でよ。ゲイだろうがホモだろうが、他の奴らがどんだけからかおうが蔑もうが知らん顔して、傷付いた素振りもなくてよ。実際、傷付いたこともねえんだろ。いつだって自分が一番で、他の奴らは歯牙にもかけねえ。眼中にないんだ、てめえには自分だけだ」
言い出したら止まらなかった。
疲れた上に酔いが回ってしまったんだろう、絶対に言うべきではないと思う台詞が口をついてどんどん出てくる。
「ほんとはお前は、一人だって生きていけるんだ。俺みたいにいつまでも家族にしがみ付いたりしねえ。親父のことも母さんのことも、いたかもしれないちびのことも、てめえには全部過去で、もうどうだっていいことなんだ。俺だけだ。いつまでも家族ごっこしていたいのは俺だけなんだ。てめえは俺のその家族ごっこに、付き合ってくれてるだけだって・・・」
言ってはいけないと思う。
言っても仕方がないことだと思う。
だって全部、これは俺の独り善がりだ。
ゾロはいつだって俺に合わせてくれていた。
それに甘えて、気付かないふりをして俺は家族を続けていた。
殊更に「兄さん」と呼んで、戸籍上の絆を強調して、ただゾロの側にいたいがために。

「馬鹿馬鹿しいとか思ってっだろ、俺が邪魔ならそう言えよ。俺はいつだって、この家出て行けるんだ。お前が望むなら、すぐにだって消えてやれるんだから」
ゾロが望むなら、なんだってできる。
なのにゾロは何一つ望まない。
俺のやることに合わせて、俺の思うとおりに暮らしていく。
何も言わなければずっとこのままで、俺にとって居心地がいい理想の家族の形を続けてくれるのだろう。

「だから、兄さんは、恋人でも何でも連れてくればいいから。恋人いなけりゃ作りゃいいから、俺に遠慮なんざせずによ」
両手で髪を梳きながら、俺はテーブルに肘を着いて俯いた。
正面に座るゾロは腕を組み、そのままテーブルに載せる。
Tシャツの袖から伸びた腕はよく日に焼けて、筋肉の筋が綺麗に浮いて見えた。
ふうと深いため息が上から降りてくる。

「それで、てめえはどうしたいんだ」
声が低い。
さすがに呆れて腹も立ったかと、自嘲しながら俺も小さく息を吐いた。
視線はゾロの腕の筋に貼りついたままだ。
「別に、俺がどうこうじゃなくて、兄さんがどうするのかだよ」
「違うだろ」
穏やかだが強い声音で被せられた。
喧嘩や言い合いなんてしょっちゅうしているのに、こんなシリアスなやり取りは初めてで無意識に身が竦む。

「何が違う」
ためらいながらも視線を上げた。
腕から胸元、顎へと揺らしながら顔を見たら、意外なことにゾロは怒ってはいなかった。
怒ると言うより、困ったと言うような顔をしていた。
眉を寄せて口をへの字に曲げて、一見して不機嫌な顔つきだがこれは困った顔だ。
どちらかと言うと途方に暮れたような、そんな表情だ。

「確かに、俺は他人との関わりであんまりストレス感じることはないけどな。こう見えて結構悩んでるんだ。色々考えて考えあぐねて、結局答えが出せないまま放ったらかしてることがある。ずーっとそれが悩みの種だ」
「え?」
意外だった。
ゾロに悩みがあったなんて。
「それ、どんなことだ?俺には言えないのか?」
「言えない」
即答された。
反射的にむっとする。
「なんで言えねえんだよ。俺ばっかり言ってて不公平じゃねえか。そういう、弱味みたいなのをなんで俺には見せないんだよ」
そうだ、それが卑怯だと思うんだ。
自分ひとりいい格好しやがって、俺にくらいたまには本音を見せたっていいじゃないか。

「言えるか、悩みの元凶のくせに」
ゾロは腕を組んだまま背中を伸ばして椅子に凭れた。
ふんぞり返るとますます尊大に見えるなと思いつつ、俺は脳内でゾロの台詞を反芻する。
「あ?」
「だから、俺を悩ませてるのはてめえの存在だ」
「あ、俺?」
一瞬ぽかんと口を開けてから、すぐに閉じて今度は歯噛みした。
「だから最初から言ってるだろう。俺には遠慮せずになんでも言えって。邪魔なら出てけって言えば済む話じゃねえか。元々俺は母さんのオプションでこの家に来たんだから、母さんがいない今、お前の側にいる理由は本当はねえ・・・」
ゾロは腕を組んだまま、くわっと目を見開いて威嚇してきた。
無言の剣幕に押されて思わず口を閉じる。

「この馬鹿アヒル。だからてめえが元凶なんだよ。ぴよぴよ俺の周りにいつまでもうろつきやがって。彼女作るとか独立するとか、そうすりゃ俺も穏便に送り出してやろうとか思ってんのに、いつまでも浮いた話の一つも出ねえで側にいやがってよ。それでいて、二言目には兄さんだ家族だと、牽制してんのか誘ってやがんのか、一体どっちだ!」
「あ、え?」
俺は混乱して身を乗り出した。
ゾロは一体、何を言い出したんだ。

「確かにてめえが家族ごっこしたがってんのは、俺も気付いてた。それに付き合ってやってたのも事実だ。だがそれも、てめえがこの家を出てくまでだと割り切ってたんだよ。いいか、間違えんな。てめえがこの家を出ると決めた時からだ。俺が出て行けと言う時じゃねえ。てめえが彼女でも作って出て行くなら、俺も引止めやしねえ。その時まででも側にいりゃあ、それだけで御の字だって思ってたさ。それ以上、俺がなにを望める?兄貴としか俺を呼ばないお前に、俺が何を望めるって言うんだ」
珍しく、ゾロがいっぱい喋ってる。
俺の頭の中を占めていたのはその驚きだった。
ゾロが何を言っているのかを理解するまでは、時間がかかった。
「それでもウダウダ言ってきやがるなら、俺が引導を渡してやる。てめえが欲しがってるのはなんだ。兄貴としての俺か。それとも、ロロノア・ゾロ、俺自身か?」
俺は目をぱちくりとして固まってしまった。
えーと、なんだって?
ゾロは何を聞いて来てるんだ。

「俺は、お前の兄貴として必要なのか。兄じゃなかったら、お前には必要のない人間なのか」
根気よく言い直してきた。
それでも俺は、うまく頭が回らない。
「俺は兄貴としてしか、てめえの側にいられないのか」
ああ・・・と唐突に気付いて焦った。
ゾロにこれ以上、言わせてはいけない。
何を言ってんだかはまだよくわからないが、これ以上ゾロに言わせちゃいけない。

「違う、兄貴は兄貴だけど、それは俺が勝手に言ってることで・・・」
だって、兄さんと呼ばなければ、側にいる理由がない。
そうでなくてもゾロはホモなんだ。
家族じゃなきゃ、男が側にいる理由がないじゃないか。
そこまで考えて、俺は唐突に気付いた。
俺は誰に向かって言い訳してるんだろう。
ゾロに?それとも世間に?

「なら、もう兄貴と呼ぶのは止めろ」
混乱しているうちに、いきなり断言された。
なんでそうなるんだ。
「惚れた相手にいつまでも兄さんと呼ばれて、我慢できるほど俺も枯れてねえ。兄貴と呼ばない覚悟がねえなら、この家から出て行け」
うわあ、また話が飛んだ。
つか、ますます訳がわからなくなった。
やっぱりゾロは言葉足らずで一方的だ。
「出てけって、お前今自分から出てけって言わないっつったじゃないか!」
「そこか!てめえが引っ掛かるのはそこなのか!その前の台詞はどこ行ったんだ」
ゾロの頬が半端なく紅潮している。
酔ったと言うより日焼けした感じで赤いけど、これは一体どういうわけだか―――

「前の台詞?前って・・・」
え?さっきなんつった?
惚れた相手に・・・え?

「えええええ?!」
「・・・遅え・・・」
ゾロはがっくりと肩を落とし、両手で頭を抱えた。
見ていて気の毒なくらいの落胆ぶりだ。
「え、や・・・あの、えーと・・・」
俺は頭をガリガリ掻きながら、誰もいないのに辺りを見回してしまった。
テレビの上の母さんと目が合う。
母さんは、相変わらず綺麗な笑顔でこっちを見ていた。

「え、マジで?つか俺?俺でいいの?」
「アホか。今更なに言ってんだ」
ゾロは両手でごしごし顔を擦りながら目を上げた。
目の下が引っ張られて白目がビローンと出て、俺よりよっぽど疲れて見える。

「あのなあ、いくら俺でも単なる弟と一緒にいつまでも暮らしたり出かけたりはしねえぞ。好いた奴ができたら、そいつとの付き合いのを優先させるさ。だが、その相手が一番近くにいて、しかも離れる素振りがねえんだから、もうどうしようもねえだろうが」
言いながら、ゾロは残りの発泡酒を流し込むように呷った。
俺はなにも言い返せなくて、ぬるくなった缶を両手で弄ぶ。

「てめえが純粋に兄として俺と一線引いてるんなら、俺も考えを改めただろうが。どう見てたって、てめえは俺の
 こと好きなのな。自惚れとかじゃなくて、悪いけど確信があったんだよ。見てたらわかるっての。それでいて、いつまでも兄さん兄さん呼んで、ピヨピヨ側にまとわりついてよ。どういうつもりだかさっぱりわからねえよ」
蛇の生殺しだと、弱音まで吐いてゾロはまた頭を掻いた。
なんだかものすごく申し訳ない気持ちになって、俺はますます縮こまる。
全部バレてたのか・・・と言うか、俺ってそうだったのか?
自覚するより先にゾロに見抜かれていたのかと、そう思うと恥ずかしくて居た堪れない。

「い・・・いつから」
「ああ?」
全部喋ってさっぱりしたのか、ゾロがぞんざいに声を返す。
「いつから、俺のこと・・・つか・・・」
ガリガリガリと、勢いよく後頭部を掻き毟りながら、ゾロは明後日の方向を向いた。
「そうだな、あの・・・公園の噴水の前辺りかな・・・」
「えー・・・」
なら、最初からじゃん。

「そうでなくても、薄々自分の性癖を自覚し始めてた頃でよ。いうなれば一目惚れだ。決定打だったな」


―――俺って、ホモだったんだな。
あの桜吹雪が降りしきる春の日に、ゾロは思い知らされたのだと言う。
男に惚れた。
目の前の、これから弟になる男に。


「あー・・・」
対して俺も、絶望的なため息を吐いて頭を垂れた。
なんかもう、いろんなことにごめんなさいだ。









しばしの沈黙の後、2人しておずおずと顔を上げた。
目が合って、なんか照れる。

「んで、どうすんだ」
先に聞いてきたのはゾロだ。
なにが、とはもう聞けない。
この期に及んでためらっている俺に、ゾロはダメだしみたいに手を差し出した。
「明日、どうする?」
そっちか!
つい胸中で突っ込んで、それから俺はゾロの手から少し離れた場所で軽く拳を作った。
「映画、行くか」
「・・・うん」
ここで言わなきゃダメだろうと、こくんと唾を飲み込んでから改めてゾロの顔を見る。
「んじゃやっぱり、予定通り一緒に行くか。に・・・」
ああどうしよう。
なんか照れるよ。
照れるけど、ちゃんと言わなければ。
「ゾロと、一緒に」

俺の言葉に誘われるように、ゾロがにかりと笑う。
その笑顔に見蕩れている間に、ゾロは更に腕を伸ばして俺の拳の上に掌を重ねた。
いきなり与えられた温もりに、反射的に手を引きそうになって慌てて踏みとどまる。
重ねた手よりもじわじわと熱が上がってきた耳元の方が熱くて、自分の頬が真っ赤に染まっていくのがわかった。

「デートだな」
ゾロは重ねた手を軽く握りながら、平然とそんなことを言ってきた。
反論できず、恐らくは茹蛸みたいな顔のままで、俺は小さく頷く。
「まずは、お友達から・・・」
ゾロの台詞にぷっと吹き出して、それから声を上げて笑い合った。


「いいのかな、そんなんで」
「いいだろ、俺らはそんなんで」

いいのかなあと思いつつ、俺は改めてテレビの上を見る。
小さな写真立ての中、親父と母さんとちびは、変わらぬ笑顔でこっちを見ていた。

普通の家族に憧れていた。
暖かい家があって、思いやる人がいて、悦びは倍になり、悲しみは分かち合う。
そんな理想の家族を勝手に自分の中で作り上げて、そこに見出そうとしていたのは俺だけの楽園。
けど本当は、ゾロが側にいてくれるだけで充分。


「んじゃ、明日は10時半に家を出るぞ」
「10時に起きたんで間に合うな」
「朝飯抜きな、パラティエでランチ食うんだから」
「それから映画館で寝て」
「寝るのかよ!んで、駅前のカフェな」
「帰りに商店街コースだろ」
「いつものな、明日は肉が特売なんだ」







少しずつ、歩いていけたらいい。
今日までの兄貴が恋人に変わるのには、きっと時間がいるだろうし。
ゾロは決して焦ったりしない。
今までずっと待っていてくれたのだから、これからも俺の歩調に合わせてくれる。
その程度に愛してくれていることは、俺だってちゃんと自覚があるんだから。







母さんの笑顔を思い浮かべながら、俺は想い出を振り切った。

バイバイ、天国のしあわせ家族。
俺はこの地上でゾロと2人、楽園を作るよ。







END (2008.6.3)


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