楽園 -2-



母さんと親父が結婚したのは、あれからすぐ後のことだった。
子連れなのにお互い初婚、何から何まで似た者同士だ。
新生活は、赤の他人が一緒に暮らし始めたにも拘らず、驚くほど快適だった。


親父の家は資産家で、若い頃はかなりの放蕩息子だったという。
ろくに学校に通いもせずあちこちで遊び歩いていた大学生の時、玄関に赤ん坊が置き去りにされていた。
誰の子だと詮索する暇もないほどそっくりなその子は「ゾロ」と名付けられ、そのまま引き取られた。
親父の両親が亡き後は、男手一つで育ててきたらしい。

対して母さんも、(俺には詳しい話をしてくれなかったけど)訳あって結婚することもなく、俺を女手一つで育ててくれていた。
そんな二人が一緒になって親父の家に俺ら親子が転がり込む形になったけれど、親類縁者がいないことが幸いしてか、ごく自然にこの土地に馴染むことができた。
親父は平凡なサラリーマン。
母さんは専業主婦。
親父の先代が残してくれた不労所得があるため特に生活に苦しむこともなく、俺ら二人は同じ高校に通った。
最初の頃は珍しがられた同級生の「兄弟」も事情がわかればそれ以上、話題に上るネタでもない。
俺ら自身それなりに仲良く、学校ではやや距離を置いて付き合っていた。




立場が微妙になったのは高校2年の時。
誰に対しても割りとぶっきらぼうなゾロは友人が少なかったが、決して孤立していた訳ではなかった。
むしろその外見と相応のストイックさが女の子に受けて、かなりモテていたと思う。
その被害に遭ったのは俺の方だ。
女の子なら誰にでも人当たりのよかった俺だからか、なぜかやたらと仲立ちを頼まれた。

「お兄さんの携帯メアド教えてv」
とか
「お兄さんが一人になりそうな時間っていつかな?」
とか
「日曜日になんとかお兄さんを呼び出してv」
とか。

内心でムカつきつつも可愛い女の子の頼みは断れず、泣く泣くゾロに話を持ちかければ無碍にあしらわれて、ブチ切れて乱闘になったのも一度や二度じゃない。
その内ゾロの方が業を煮やしたのか、ある日教室で堂々と宣言した。

「俺は女に興味ないから、恋愛対象にしないでくれ」

HRでの爆弾発言に、クラスは蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
教師でさえ咄嗟に対応できず、一緒に混乱する有様だった。
それは瞬く間に学校内に波及し、今までの言動や傾向、果ては俺との関係まで色々な憶測が飛び交い尾鰭までついてまことしやかに様々な噂が広がったが、結局75日を待たずして約2週間程度で収束した。
どれほど話題になり嫌悪と好奇の目に晒されても、ゾロの態度が変わらなかったこともある。
俺自身の病的なほどな「女の子大好き」は知れ渡っていたし、そんな俺が「家族」として普通にゾロと接することで、ゾロの性癖が「無害」なことがわかったらしい。
むしろ、誰にもモテる「カッコいい男の子」がどの女子のモノにもならないということが、女の子には嬉しかったようだ。

ただし男子の反応はかなり顕著で、今まで特に目立ちもしなかった奴がいきなりゾロを小馬鹿にする態度を取ったり、学校外にもあれこれ言いふらしたりする嫌がらせは暫く続いた。
ホモと一緒に暮らしていて大丈夫なのかと親切ごかしに聞いてきて、興味本位で馴れ馴れしく接してくる奴もいた。
今までゾロを嫉妬交じりに見ていた輩は、まるで鬼の首でも取ったような気分だったんだろう。
けれどそれも長くは続かず、「生ホモ」「キモい」存在から、いつの間にか元通りの“それでもやっぱりカッコいい男の子”へと変化したのは見事だった。
その一連の動きを、俺は半ば呆れながらも見守ったものだ。






俺自身、ゾロの告白には驚いたし、そうまでして女の子を遠ざけたいのかと勘繰りもした。
その宣言が本物だと知ったのは、後でゾロからじっくりと話を聞いて(無理矢理問い質して)からのことで、それでもまだ本当にそうなのかと半信半疑な気持ちが残る。

ゾロは女の子を好きになれないのだという。
どんなに顔かたちが可愛くてもスタイルがよくても、胸がボンと盛り上がってても足がすらりと伸びてても、グッと来ることがないのだという。
じゃあ、男の何かにグッと来るのかと問えば、無言で頷かれた。
一体何にグッとくるのか、突き詰めるのが怖くてそれ以上聞けなかったけど、ゾロは女の子ではなく男に恋をしたことがあるのだと確信した。
だから自分の気持ちを自覚したのだろう。

俺自身、女の子は見てるだけで楽しくて大好きで、恋する女の子の可愛さも知っているから、恋する気持ちを否定することはない。
男同士で恋だのなんだの、具体的に考えると気持ち悪いけど、大切な“気持ち”までを切り捨てる気にはならない。
ゾロだって心ときめかせることがあるのだ。
その対象が女の子じゃなくてもそれはもうしょうがないことで、そのことでゾロを責めることもそのことを異常だと糾弾することも俺にはできなかった。

勿論、ショックはショックだったけれど。
曲がりなりにも縁があって家族になって、しかも「兄」という立場になった男が若い身空でゲイだった。
そのことを自覚しているのが不憫で、同情心もあったかもしれない。

ゾロの興味の対象が自分に向けられるなんて微塵も思わなかった。
誰にでも食指を動かすタイプではないと知っていたし、見ている限りステディな相手がいるとは思えない。
学校と部活と家との往復生活で、夕食は家族全員でとるし、夜遊びもしない。
学校でBFができたなら、あっという間に噂になるだろうが、今のところそういう気配もない。
ゾロの性嗜好はプラトニックなものなのだろうか。




俺は時折、ゾロについて真剣に考え込んでしまうけれど、すべてが憶測で何一つ答えは出なかった。
ただ漠然と、胸の奥に澱のようなものが溜まっている。
ゾロがゲイだと知ったその日から、ずっと燻り続けている小さな痛み。
ゾロには、素敵な女の子が似合うと思っていた。
可愛いタイプか大人っぽい美人か、ともかく並みの女の子じゃゾロに釣り合わないあだろうなとか、女の子から仲立ちを頼まれる度に色々と夢想したものだ。
そんな俺の気も知らないで、ゾロは軒並み女の子からの申し出を断って、ついにはゲイ宣言。
じゃあ、ゾロに似合う男ってのはどんなタイプなんだろうか。
そんなことを、考えてしまう度に気が滅入る。

俺が気にすることじゃないじゃないか。
ゾロが誰を好きになろうと、俺には関係ないことだ。
むしろ、女の子相手じゃない時点で俺が知ったことじゃない。
なのにやっぱり、そのことが気になってしまう。
ゾロが俺の兄貴だからか。
家族として同居して、部屋も隣同士で寝泊りしているから、ゾロの性癖が気になってしまうのだろうか。
それはそれで仕方ないと、自分でも思うのに、なぜか割り切れない気持ちになる。
このまま、ゾロは誰とも付き合わないでいればいい。
身勝手な望みを心の中で形にしてしまうほどに、俺はゾロのことを気にかけていた。




俺の望みがゾロに届いたのかはともかく、ホモ宣言の騒動が治まってからもゾロは相変わらずフリーだった。
いつしか、誰もゾロに対して色恋を取り沙汰すこともなくなり、以前にも増して孤高の存在になった気がする。
勿論、学校での騒ぎが過ぎて両親にもバレたのだけれど、ゾロのカミングアウトに親父は「へえ」と言い、母さんは「まあ」と言ったきりだった。
長男のゲイ嗜好に対して、特に教育的指導はなかったらしい。
それよりも、二人の間で新たな“事件”が発生していて、そっちに浮かれていたのが現実だったのだろう。







その日の夕方、母さんはなにやらソワソワとしながら夕食の準備をしていた。
昔から表情が顔に出やすい人だ。
何か嬉しいことがあったのだろうと、俺じゃなくても容易に想像がつく。
いつものように家族4人で食卓を囲んで、箸を手に取ったタイミングで母さんから切り出した。

「あのね、みんなに報告したいことがあるの」
俺は反射的に、親父の顔を見た。
親父はいつも通りゾロそっくりの仏頂面だったが、コップを片手に持ったままじっと固まっている。
よく見れば、口元がごく僅かに緩んでいた。
「えーとね、そのね・・・あのー・・・」
いい年をして要領を得ないことを呟き、モジモジとエプロンを揉みしだいている。
これはとピンと来てゾロを見たら、ゾロも親父と同じような表情ながら僅かに口元を緩めていた。
「まだわからないの、わからないんだけど・・・もしかしたら―――」
「おめでた?」
仕方なく、俺から助け舟を出してやった。
母さんは小さく頷いてから、両手で顔を覆っている。

まあ、予想できなかったことじゃない。
二人とも俺らの親と呼ぶには気の毒なくらい若いし、家の中でも目のやり場に困るくらいラブラブだ。
「よかったね、おめでとう」
「おめでとう」
俺の言葉の後に、ゾロも続けてくれた。
母さんは益々恥ずかしそうに、でもとても嬉しそうに頬を赤らめて頷いた。
「予定はいつ頃?」
「まだわからないのよ、って言うかほんとにそうなのかも・・・。だから、明日病院に行ってみるね」
近所の産婦人科は土曜日も受付しているらしい。
「俺も一緒に行くから」
しれっとそう言った親父に、俺もゾロも目を瞠った。
「え?まだわかんないのに、一緒に行くの?」
「そりゃそうだろ。父親の義務だ」
親父は変わらずポーカーフェイスのままそう言い切った。
「なんか、気が早くね?」
「こういうことは、最初が肝心なんだ」
済ました顔でビールをくいっと呷りながらも、親父はどことなく嬉しそうだ。
表情を読み取ることに慣れた俺から見れば、浮かれていると言っても過言ではない。

なるほどな、と納得した。
母さんも親父も、子持ちでありながらこういうシチュエーションが初めてなのだろう。
愛する人と結婚して、二人の間に新しい命が芽生える。
日に日に大きくなっていくお腹を心配したり驚いたりして過ごし、指折り数えて誕生を待ちわびる。
そんな、嬉しくて危なっかしくて楽しみな、幸せな日々を過ごした事がなかったんだ。

「もしできてたら、『おめでたです』って言われるのかな」
「きっとそうよ、貴方に向かって」
親父と母さんが、子どもみたいにそんなことを言って笑い合った。
ああ母さんは、そんな言葉すら、俺の時に言ってもらえなかったんだろう。

「いいんじゃないか。親父が一緒なら母さんも安心だろ」
「まあな、二人で仲良く行ってらっしゃい」
ゾロと俺の言葉に、母さんは恥ずかしそうに俯いて頷いた。
本当に、幸せに輝いた美しい横顔だった。





ゾロと俺がまったく似ていないにも関わらず、親父と母さんと4人でいるとちゃんとした家族に見えた。
それぞれが父親似、母親似でしっくりと来たからだろう。
けれど親父と母さんの間に新しい命が生まれたなら、俺たちはきっとホンモノの家族になれる。
親父とゾロと、俺と母さんとまだ見ぬ可愛いチビ。
この5人で、絵に描いたような幸せな家族が完成するんだ。

「楽しみだよな」
俺は自分の部屋に戻る階段を昇りながら、ついて来るゾロを振り返ってそう言った。
「そうだな」
ゾロの声はいつもどおり感情を表さない平坦なものだったけど、満更でもなさそうなのは雰囲気で分かる。
「どっちかな、弟かな、妹かな。俺は妹のがいいな」
「まずは、できてるのが一番いいだろ」
至極冷静な言葉にむっとしながらも、俺はしたり顔で頷いた。
「俺はできてると思う。母さんの顔つきがすげえ柔らかい。できてる方に賭けてもいい」
「賭けにはならん。俺もできてると思うからな」
そう言い返すと、ゾロはにっと俺に笑いかけて部屋に入っていった。
やや置き去りにされた格好で、俺はしばし一人で廊下に佇んでから部屋に入った。
ゾロは滅多に笑わない。
滅多に笑わないくせに、時々不意打ちみたいに極上の笑みを見せるから、その効果は絶大だ。

―――なんで動揺してんだよ俺は・・・
動悸・息切れ・眩暈がする。
不整脈もあるかもしれない。
閉めた扉に背を預けて、俺はしばし落ち着くまで深呼吸を繰り返していた。







翌日は、少し小雨がパラついたけど、邪魔になるような雨じゃなかった。
水滴に濡れた窓を眺めながら、遠くを走る救急車の音を他人事のように聞いていた。
普段よりやけに大きく響く電話の音。
出かけようとしていたゾロが歩みを止めたのも、受話器を取ったのも壁越しにわかった。

「サンジ」
ノックもなしにドアが開き、ゾロが顔を覗かせる。
いつもと変わらない感情のない顔。
けれどほんの少し、額の辺りが蒼褪めていた。

「母さん達が、事故に巻き込まれた」
何を言ったのかは、咄嗟に理解できなかった。
俺は阿呆みたいに口を開けたまま、鉛筆を弄ぶ指の動きを止められなかった。
「今から病院に行くぞ」
動かない俺に焦れたのか、ゾロは部屋に入り込んで机に向かう俺の腕を掴んだ。
この期に及んでも、俺の頭の中を閉めていたのは「勝手に部屋に入るなよ」とか、「部屋に入る前にノックしろ」とか、そういう類のことだ。
母さんがどうしたとかいう言葉が、うまく伝わってこない。

ゾロに腕を捕まれて引っ張られ、足元からスリッパが脱げて滑った。
構わないで、ゾロは大股で部屋を出ようとする。
追いかけて、自分の足に自分で蹴つまづいて、転びかけたところをゾロに支えられる。
「大丈夫か」
いつもは暑苦しいほどに高いゾロの体温が感じられない。
しっかりと握り締められたでかい掌は、冷たくて乾いていた。
「大丈夫だ」
ほぼ反射的に答えて、俺はゾロの手を握ったまま先に立つように歩き出した。
何が大丈夫なのか、自分でも良く分からなかったのに。











到着した病院の、白いベッドの上に二人は仲良く並んでいた。
酷い事故だったと言うから、ある程度の覚悟はしていたけれど、奇跡的に二人とも顔はとても綺麗だった。
死んでしまったと、俄かには信じられないくらいに綺麗だった。
警察関係と思われる人が事故の経緯を説明してくれていたけれど、俺はろくに聞いちゃいなかった。
母さんの白い顔と、親父の蒼く翳ったような顔を呆然と眺めているしかできなかった。
隣でゾロが、必要なことを話している。
親類がいない俺たちだけど、親父の親友に頼りになる弁護士がいるから、彼を呼んでくれるように頼んだのだろう。
その間も俺はじっと母さんを見詰めていて、それからどうして二人を別々のベッドに寝かせているんだろうなんてことを理不尽に考えていた。

警察の人が立ち去りかけて、俺は初めて口を開いた。
「母さんの、お腹は―――」
「え?」
その人は驚いて立ち止まり、俺の顔を見返した。
「母さんのお腹に、赤ちゃんがいたかもしれないんです。あの、お腹は・・・」
勢い込んで話し始めたのに、俺の声は震えて途中から尻すぼみになってしまった。
自分でも、何を言いたいのかわからない。
けれどその人は俺の目を真剣に見つめ返して、少し目元を潤ませた。
「お母さんは、両手でお腹を庇ってらしたよ。だから、お腹は傷付いていない。大丈夫だ」
その言葉を聞いて、俺の目から堰を切ったように涙が溢れ出した。


大丈夫。
ちびはちゃんと、母さんのお腹の中にいる。
母さんの中で、親父に抱かれて、一緒に逝ったんだ。

ボロボロと、自分でも驚くくらいの勢いで涙が流れ落ちた。
目の前が霞んでぼやけて、何も見えない。
視界が揺れたと思ったら、ゾロががっしりと抱きついてきた。
その腕に顎を乗せて両手で縋る。
身体が震えているのは俺なのかゾロなのか、わからなかった。





こうして、母さんと親父は呆気なく逝ってしまった。
ゾロと俺の間に、“兄弟”という絆を残して。


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