楽園 -1-


その日、母さんは珍しく薄化粧をしてスカートを履いていた。
そうすれば、と勧めたのは俺だ。
好きな相手とのデートの時くらい、お洒落しなくちゃ勿体ない。
ましてや今日は、お互いが子どもを連れての初顔合わせだし。
俺はと言うと、なぜか制服を着せられた。
子どもの正装は制服だなんて固定観念があるらしい。
まあ別に、俺は制服でも構わない。
引き合わされる相手が男だって事前に聞いているから、わざわざめかし込む理由もないということ。

「サンジと同い年の男の子だそうよ」
母さんにそう言われて、俺はげっと呻き声を出した。
俺と同い年って、つまり学校が同じだと同じ学年になるってことか?
同級生が兄弟なんて、おかしいだろ。
しかも俺は3月生まれだから、九分九厘相手が「兄貴」になっちまうじゃないか。
憂鬱になってため息をつくと、母さんが不安そうな顔をした。
ああ、大丈夫。
母さんは気にしなくていい。
タメ年の男が兄貴になるかもってのが癪に触るだけで、母さんの再婚自体に問題はないからさ。
いや、初婚か?








麗らかな春の日差しが、アスファルトに薄い影を浮かび上がらせていた。
少し強い風の中を、母さんとまるで散歩でもするかのようにゆっくり歩く。
公園に続く遊歩道は青葉が茂り、どこからか雪のような花びらが舞ってくる。
見上げれば、桜の並木は殆ど葉桜となって枝々は寂しかった。
けれど降るように花びらは舞い落ちてくる。

「一体どこから、これだけ降って来るんだろうね」
「一旦道に落ちてから、また舞い上がるのよ」
浪漫の欠片もない現実的な母さんの台詞に、俺は思わず苦笑してポケットに手を突っ込んだ。
紺色のブレザーにネクタイをきっちり締めて、少しは真面目そうな高校生に見えるだろうか。
母さん譲りの金髪のお陰で、最初から色眼鏡で見られがちな俺だけど、母さんを知って愛してくれた人なら俺のことも真っ直ぐに見てくれるかもしれない。
それともやっぱり、連れ子との関係ってのは複雑になるだろうか。
母さんは、相手の人の子どものことをどんな風に捉えるんだろう。


もやもやとした不安を抱えながら、待ち合わせの公園に着いた。
中央の噴水に向かって、母さんがぱっと表情を明るくさせる。
「30分早く来たのに、もう来てるわ」
俺は地面に落としていた視線を、恐る恐る上げてみた。

勢いよく水飛沫を上げる噴水の脇で、足元を鳩に囲まれながら男2人が立っている。
でかいのと、ちょっと小さいの。
けどそれが、笑えるくらいにそっくりだった。
髪の色も体格も立ち姿も、こちらを眺める表情の一つ一つが本体+90%縮小みたいに瓜二つだ。
「・・・・・・」
俺は思わず噴き出しそうになって、危うく堪えた。
初見で外見を笑うなんて、そんな失礼なことはできない。
視線を僅かにずらしながら近付いて、母さんと一緒にぺこりと頭を下げた。

「すみません、お待たせしました」
「いや、俺らの方が早く来てたんだ。下手すると待たせることになるからな」
意味を図りかねて母さんを横目で見ると、まるで少女みたいに頬を紅潮させてこっちに首を傾けた。
「ロロノアさんは、酷い方向音痴なの」
「・・・ふうん」
なんともコメントできず改めて視線を戻すと、縮小の方と目が合った。
父親によく似た、やや仏頂面と思える顔つきで生真面目そうに口元を引き締めている。
だがそこに、含み笑いを堪えるような動きを見つけて、俺は思わずガンつけてしまった。
―――こいつもしかして、俺らと同じ事を考えたのか。

親父とそっくりの子どもを見て思わず笑ってしまいそうになった俺だが、きっと俺ら母子を見ても同じように思う他人は多いと思う。
ああそうだよ。
俺らもそっくり母子だよ。

「噂どおり、そっくりね」
思ったとおりのことを母さんが口にした。
相手の男は・・・いや、ロロノアさんはやや不服そうに首を傾げている。
「そうかな。確かによく言われるけど、俺らにはよくわからん」
鏡見ろよ、一目瞭然だろうが。
「それより、そっちのがよく似てる」
ちびロロノアがぼそっと言った。
母さんがコロコロと笑う。
「よく言われるけど、私たちもよくわからないのよ」
そう言って改めて、ちびロロノアにも頭を下げた。
「初めまして、お父様とお付き合いをさせていただいております。こっちは、息子のサンジです」
「こちらこそ初めまして。ロロノア・ゾロです」
ちびは(と言っても、身長は俺と同じくらいだが)ゾロと名乗り、子どもらしからぬ綺麗なお辞儀をした。

ゾロは詰襟を着ていた。
子どもの正装として制服を着てきたとしたら、俺たちとこの父子は似たもの同士なのかもしれない。
相変わらず、頭上からはハラハラと花びらが舞ってくる。
時折つむじ風に足元を撫でられながら俺たちはしばし噴水の前で佇み、曖昧に笑ったり頷いたりして微妙な時間が流れていた。



俺自身、ただ漠然と、この2人と家族になるんだなと思った。
それはそれで自然なことのように思えて、意外なほど抵抗感はない。
何より、今まで見たこともないような綺麗な母さんの笑顔に絆された。
この人と一緒なら、きっと幸せになれるだろう。
そう思うと何やら胸にくるものがあって、吹っ切るように顔を上げる。

その時目に映った、透き通るような空の青さを、今もよく覚えている。









「起きろ、馬鹿兄貴!」
仏の顔も三度まで。
いつまでたっても寝汚い兄貴の頭にかかと落としを食らわして、俺は毛布を引っぺがした。
「ぎゃーっ、ててててめえっなんて格好で寝てるんだーっ!」
我ながら情けない悲鳴が喉の奥から飛び出した。
引っぺがした毛布を慌てて元に戻し、腹立ち紛れにベッドの足を蹴る。
「・・・うっせえなあ・・・」
蹴られた痛みより俺の声で目が覚めたようだ。
短い毛先をツンツンとあちこちに立たせて、ゾロがのそりと頭を上げる。

「てめえなあ、何度言ったらわかるんだ!裸で寝るな裸で!せめてパンツくらい履け!」
景気よく毛布を剥がしたはいいが、その下にマッパがあってパニクった。
朝からなんてモノ見せやがる。
「あー昨夜遅かったから・・・」
「そんなん言い訳になるか、この変態ホモ野郎!大体素っ裸で寝て、万一にも家が火事にでもなったらどーすんだよ。悠長に服着てから逃げてらんねーだろうが」
「そのまま逃げりゃいいだろが」
「無事に逃げ遂せても猥褻物陳列罪で捕まるわ、ボケ!」

ゾロには困った癖があって、放って置くとすぐに裸で寝てしまう。
母さんがいた頃はそれなりに気をつけていたみたいだけど、俺と二人きりになってからはすっかり無頓着になってしまった。
「お前も一度裸で寝てみろ、気持ちいいぞ」
「そんな真似、誰がするか。いつまでもブラつかせてないで、とっとと服着ろ!」
俺は声を張り上げて怒鳴って、力一杯部屋のドアを閉めた。
頬が赤いのは怒りのせいだと思って欲しい。



ブツブツと口の中で文句を唱えつつ、魚を焼きながら味噌汁を作る。
今日は7時に現地集合と言うことで、こっちも慌しい。
ゾロは昨日午前様だったから、余計眠たいだろうなあ。
目の覚めるもん、食わしてやらないと。

濃い目のコーヒーを淹れていると、ゾロが大欠伸しながらキッチンに入ってきた。
「今日は弁当は、いらないんだろ?」
「おういらねえ。朝早くから悪いな」
食卓に着いてパンと手を合わせると、変わらぬ食欲で飯を食べ始める。
「他の人たちも今日は早いのか?」
「そうらしい。年中行事だってよ、こっちは助かるけど」
ずずっと味噌汁を啜って、熱さに顔を噛めて笑った。
新品だった作業着は早くもいい感じにくたびれて、ゾロをより大人っぽく見せている。




高校を卒業してすぐ、ゾロは地元の役場に奉職した。
よりによって公務員?とこっちは仰天したが、筆記試験は上位だったし、面接で家庭状況を淡々と語り数多の同情を買ったらしい。

―――事故で両親を亡くし、今は弟と二人で暮らしています
間違いじゃない。
確かになんら、間違いはない。
結果、この春からゾロは見事地方公務員となり、俺は調理師専門学校に通い始めた。

ゾロに公務員が勤まるのかと当初は本気で心配したが、どうやら配属される課で担当することは変わって来るらしい。
一年中何らかのイベントを手がけているような課で、ゾロは専ら力仕事専門だ。
初日以外はずっと作業服を着続けていて、背広姿で出勤するのを目にしたことがない。
本当に役所に勤めているのかと、少々不安になってくる。



「夕食は?」
「なんか、打ち上げするらしいけど・・・帰ってから茶漬け食いたい」
「了解」
ささっと朝飯を平らげると、ゾロは行儀良く手を合わせ立ち上がった。
「んじゃ行って来る」
「行ってらっしゃい」
首にタオルを巻きつけて、帽子を被り出勤だ。
やっぱりどこからどう見ても現場の人でしかなくて、つい笑えてくる。
俺の失笑に気付かず、ゾロはさっさと出かけてしまった。

綺麗に平らげられた食器の前で、俺はゆっくりと煙草を吹かした。


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