男の一念岩をも通す 2

「う、わあああああっ」

悲鳴を上げて飛び退ったのは周りの男達だ。
主人はカウンターの下に伏せ、関係のないテーブルの者達もつられて腰を浮かしている。
ゾロは空になったジョッキを置くと、ゆっくりと立ち上がった。

さーっと周りから人が退く。
さながらモーゼの十戒のように開かれた道を進み、暢気な薄い背中の後ろに立った。

「あー、美味え〜・・・でもちいと、甘えな。」
間の抜けた声がしんとした店内に響いた。
「な?」
こてんと首を傾けてなおも問い掛けるコックに、すでに3mは離れた男がテーブルの向こうからうんうんと頷き返した。

「この阿呆・・・」
唸るような声が頭から降りてきてサンジはぐにゃぐにゃのまま頭だけで振り仰ぐ。
「あんれ?なんでマリモがここにいんだ?」
すでに呂律が回っていない。
阿呆はこの際後回しにして、こいつらの成敗が先か・・・

何も言ってないのにゾロの思考はダダ漏れらしい。
顔を上げたら客達が一斉に飛び退ってテーブルやら椅子やらでバリケードを築き上げた。

「お、俺らのせいじゃねえぞうっ!」
「そうだそうだ、そいつが勝手に飲んだんじゃねえかっ」
「俺は止めたぞ、止めたんだあっ」
まるで子どものように喚いて命乞いをする。
ゾロはチッと舌打ちするとカウンターの下を覗きこんだ。
主人は這い蹲ったまま裏口から逃げようとしている。

「ちょっと待てオラっ!」
見事な巻き舌でその動きを封じ込めば、ゾロの隣でガチャンとグラスの割れる音がした。
見ればコックは完全にカウンターに突っ伏してへたっている。

「この馬鹿野郎、飲み過ぎだ。」
首根っこを掴んで引き起こすと、ただでさえ赤い顔が茹蛸のようになっていた。
しかも呼吸は荒く乱れている。

「う・・・あち・・・」
なんてことを呟いて、シャツの襟元を引っ張ったらぷちんとボタンが飛んでしまった。
斑に染まった胸元が露になる。
お、と覗き込むギャラリーを目で牽制して、ゾロはスーツの前を合わせるように掴み上げた。

「ラリってんじゃねーぞ、とっとと出るぞ。」
「・・・やだ」
はあ?
サンジはそのままくたんとゾロの胸に懐いて、あろうことか腕を背中に回して来た。

「もう歩けねー・・・無理・・・」
足まで絡み付けられて、さすがのゾロも硬直する。
気を取り直してまた逃げ掛けた主人に怒鳴り付けた。

「てめえ、何の飲ませやがった?」
「な、ななな・・・なんも、たいしたモンじゃねえ・・・一過性のモンだ」
「一過性だと?」
「ただ、即効性もあるけどな・・・」
苦笑いするあから顔を目一杯睨み付けて、ゾロはサンジを抱えたまま刀に手を掛けた。

「うわわわわっ」
また一斉に客が身を伏せる。
「待った、待ったお客さん!部屋を貸すからっ」
「なにい?」
殺意を込めて振り返られて、主人は手にした盆でゾロの視線をかわしながらも必死で言い募った。

「二階、二階に空き部屋があるから自由に使ってくれ。ここで暴れられちゃ、たまらねえ。」
「何がたまらねえだ、迷惑なのはこっちだっ」
「うん、ゾロ〜〜〜」
あろうことか、背中に懐いた馬鹿は、そのまま下半身を擦り付けて来た。
卑猥な動きに周囲は絶句し、ごくりと唾を飲み込む音が生々しく響く。
ゾロはええいと唸ってサンジを横抱きに担ぎ上げると、主人に示された階段を一気に駆け登る。
と、足を止めて階段の登り口からすっと足で線を引いた。

「てめえら、わかっちゃいるだろうとは思うが・・・」
口元を歪め、意識して表情を凄ませる。
「この線踏み越える奴がいてみろ、骨も残らねえぜ。」

そう言ってにやりと笑う男が元海賊狩りだとか賞金首だとか、そんな知識はまったく無いのに、その場にいた全員は震え上がって一斉に首を縦に振った。
恐ろしい。
この男に逆らったら命が幾つあったってきっと足らねえ。

どんなに愚鈍な男にも本能でそう悟らせる無言の牽制を残して、ゾロは二階へと消えた。





部屋には鍵がかかっていただろうが、適当にドアノブを千切って乱暴に踏み込んだ。
一応宿の体裁は整えているらしい。
セミダブルのベッドがひとつ、ぽつんと中央にあるだけのシンプルな部屋で、ゾロは乱暴にサンジの身体を
シーツの上に落とした。
が、サンジが首根っこを掴んだままだったので、結局一緒に倒れ込む。
スプリングの利いたベッドの上で、大の男が縺れたまま二人で弾んで寝そべった。

「この野郎、いい加減にしやがれ!」
ゾロはサンジの頭を掴むと、シーツに押し付けるようにして自分は身体を起こす。
白い手がしっかりと襟元を掴んでいて、びよんとシャツが伸びた。
突っ伏したままの顔は赤く火照って、布の隙間からハアハアと苦しげな息が漏れる。

「離せ、水を持ってくるだけだ。」
店主は一過性だが即効性だとも言っていた。
このままこの部屋に閉じ込めといて、朝まで様子を見た方がいいのだろうか。
しつこいサンジを張り倒して水差しに手を伸ばすと、コップに汲むのも面倒臭く金ぴか頭の上からじゃばっとかけた。

「・・・あにすんだ・・・」
呂律の回らぬ声で抗議するのに舌打ちして、襟首を掴んだままシャワー室まで引きずる。
「もっと水ぶっ掛けなきゃ、酔いは覚めねえみてえだな。」
我ながら、ちと暴走しているとゾロは自覚していた。
酔っ払いの上に恐らくは催淫作用のあるクスリを混ぜられた酒を飲んだんだ。
コックの様子がおかしいのはそのせいだとわかっているが、どうにもこうにも腹立たしい。
こんな見も知らぬ土地で、やすやすと男の罠にかかって身を落とすような軽薄な真似をしたことが許せない。
俺があの場にいなかったら、どうなってたと思ってんだっ
それを考えるだけで腸が煮えくり返るようで、シャワーのコックを捻る手すら怒りに震えてままならなかった。

「暑・・・」
頭から冷たいシャワーをかぶっているのに、サンジは頬を上気させてちろりとゾロを眺め見た。
視線が絡まるように艶やかで、なんとも落ち着かない。

「情けねえ、ザマだっ!」
ゾロは動揺を誤魔化して怒鳴った。
「いっつも島に下りりゃあ、あっちフラフラこっちフラフラ、挙句にラリってお寝んね寸前かよ。油断しすぎにもほどが・・・」
「暑〜」
聞いちゃあいえねえ。
サンジはうるさい蠅でも払うように片手を軽く振ると、シャツの襟を引っ張って胸元を晒した。
ピンクに染まった胸板を、滑るように水が流れ落ちる。
うっかりその流れを目で追って、ゾロも頭から水を浴びてしまった。

「おお、マリモが生き生きと・・・」
「ざけんなっ!」
襟首を掴み上げた腕に手を添えられて、サンジが顔を寄せた。
至近距離の睨み合いは見つめ合いと紙一重だ。
動けないゾロに唇をつけて、すっと離れる。

――――からかってるのか?

引っかかりやがってバーカとか、間抜けた面してんなとか、哂いと罵声が飛ぶ筈なのに、サンジは何故かしっとりとゾロを見つめていた。
その顔は、酔っているにもかかわらず少し蒼褪めて見えて・・・
水の飛沫が金糸を伝ってきらめく。
濡れて張り付いたシャツの下で、サンジの薄い胸が大きく上下しているのがわかった。
その胸に触れて、掌越しに伝わるどくどくと踊るような鼓動を確かめて、薄く色づいた突起に指を這わせる。
びくりと揺れる肩の動きに満足して、背中に手を回した。

サンジは抗わない。
悪態もつかない。
きっとクスリのせいだろう。
そう納得してゾロはサンジを抱き寄せると改めてその唇に噛み付いた。

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