俺専食堂2 -3-


「うっす、久しぶり」

自社の廊下で思わぬ人物と擦れ違い、ゾロは目を丸くした。
「なんでお前がここにいるんだ?」
「随分な言い種だな。今日のプレゼンには開発も入るって言ってあるだろ」
「ああ、・・・お疲れさんです」
エースとは会社は違うが、仕事関係で何度か顔を合わせている。
「お前こそ、部署が違うんじゃねえの?」
「まあな。固いことは言うな」
「相変わらず阿漕だなあ」
じゃ、と立ち去りかけるゾロに、エースは歩調を合わせて横に並んだ。
「プレゼン終わったら昼、付き合わないか?」
「・・・構わんが、俺は他所で食わんぞ」
「知ってるよ、愛妻弁当だろ?」
エースは大袈裟に肩を竦めて見せた。
「俺あコンビニでなんか買うからよ、天気もいいし公園行こv」
いい年した男二人が、公園のベンチで並んで弁当広げるのはどうかと思ったが、ゾロはやむなく頷いた。
別に断る理由もない。





ぽかぽかと春を思わせる陽気の公園には、すでに何組かの先客が外ランチを楽しんでいる。
ゾロもエースと並んで噴水の脇に腰掛けた。
ごつい男が二人で弁当を広げる図は、当事者から見てもかなり寒い。

「クッソ、相変わらず美味そうな弁当だなあ」
エースは遠慮なくゾロの手元を覗き込んで溜息をついた。
コンビニでレンジを使ったからエースの弁当の方が温かいのだが、やはり彩が違う。
「なんなら、ちょっと食うか?」
「いい奴だな、お前」
パキンと割り箸を割って、プラスチックの蓋にひょいひょいと遠慮なく中身を取り出していく。
ゾロはむすっとしたが、文句は言わず黙ってエースが気の済むまで取らせてやった。
「いいなあ、いっつもこーんな美味いもん、食わせて貰ってるんだなあ・・・」
「まあな」
「そして夜は、スペシャルデザートだろ?」
「甘いもんは夜に食わんぞ」
「・・・そうじゃなくて・・・」
エースは箸を持ったまま、つんつんと肘でゾロの脇腹をつつく。
「一緒に暮らし始めて早1年とはいえ、まだまだ新婚さんv 夜だってお盛んだろうに」
「・・・・・・」
黙った。
ゾロが、素で黙った。

「お盛ん、だよねえ?なんたってベッタベタに愛し合ってるんだし。まさか今更、野郎同士だからとかなんとか、ごたく並べてもたついてるんじゃないだろうねえ」
「・・・・・・」
ゾロは黙ったまま、神妙な顔つきをした。
エースはつい咽そうになって、ペットボトルを呷る。
「いやいやいや、なんせ1年だぜ。1年間同じ屋根の下。っつうか、あんな狭い部屋だから一つ布団の中?触れ合って暖めあって眠ってるんだろ。なんもないなんて、んなこたおかしーよな」
「おかしいか?」
「・・・おかしいよ」
ゾロから応えがあってほっとしたが、やはり何やら風向きが変だ。
ゾロは探るような目つきでエースを見ている。

「ゾロ、マジな話するぞ。サンジとHしてんのか?」
「なぜお前がそれを聞く」
「好奇心♪」
目にも留まらぬ速さで振り下ろされた水筒を、間一髪で避ける。
「いやいやいやいや、そこ怒るとこ違うし」
「あいつがそう言ったのか?」
「サンちゃんが、んなことベラベラ喋るわけないだろう」
エースはがらりと声の調子を変えた。
「けどなあ、俺は勘がいいからわかんだよ。なんか、お前ら全然変わってねー。おてて繋いで赤くなってる小学生じゃねえんだぞ。惚れ合って一緒に暮らしてんのに、なんでお互いよそよそしいんだ」
ゾロは表情を変えず、片方の眉だけ上げた。
「・・・よそよそしい?」
「おうよ、お前もサンちゃんも、いつも一歩引き合って暮らしてるんじゃねえのか?少なくとも俺には信じらんねー、そういうの。てめえらの間には常に遠慮がある。違うか?」
ゾロは口を真一文字に引き結んで、エースを睨み据えた。
エースとて、視線は外さない。
「それはお前らが、お前がほんとに心を許してないからだ。文字通り裸で接してねえ。何一つ本音を晒してねえ。SEXってのはよ、基本的に裸の付き合いじゃねえか。みっともねえとか汚えとか、そういうもんお互いに晒しあって一つになるんだ。気取りもプライドも理屈もなしによ、本能に任せて啼いたり吼えたりしながら結ばれるんじゃねえか。それをなしにして、形だけ綺麗なままで一緒に暮らすなんざ、空々しくて虚しかねえのか?」
ゾロはせわしなく瞬きをした。
「少なくとも俺はごめんだね、そんな暮らし。嘘で固めた上っ面だけの仲の良さなんて脆い。んなもん、長続きしやしねえ。小さなことでもわだかまりがくすぶれば、いつか大きな火種になって今までの積み重ねなんてものも薄っぺらい愛情も、一瞬にして全部失くしてしまうことになるんだ」
一気に言い放って、エースはゾロを睨んだままペットボトルを呷った。
口端から零れた茶を袖で拭い、挑発するように鼻で笑う。

「少なくとも、サンジはもう限界だと思うぜ。なんで自分から言い出せないのか俺には理解できないが、その気になるなら俺が足りない部分だけ穴埋めしてやってもいい」
「・・・なんだと?」
相変わらずの無表情ながら、額にぴきりと青筋が立つ。
「サンジはゾロにベタ惚れはのは知ってるから、せめて身体だけでも俺が慰めてやるっつってんだ。男の生理くらい、わかんだろ」
ゾロの顔に一瞬赤味が差した気がした。
だがすぐに能面のような無表情に戻る。
「・・・あいつがそう望むんなら、俺は構わんが」
「・・・!望むわけ、ねえだろうがっ」
とうとうキレて、エースはゾロの脳天にペットボトルを投げつけた。
間抜けな音を立てて、2・3度バウンドし足元に転がる。
「お前なあ、それでも男か?何で恋人の気持ちくらい、わかってやれねえんだよ」
「どんな気持ちだ」
ゾロは赤くなった額に手を当て、腕を伸ばしてペットボトルを拾った。
「どんな気持ちか、あいつが言わねえからさっぱりわからねえ。俺は、あいつが望むことはなんだってしてやりたい。そのつもりだ」
「だったら・・・」
「だが、今お前が言ったようなこと、あいつ俺に一言も言わんぞ」
エースはむうと顔を顰める。
「サンジのキャラ考えると言えるかよ」
「キャラ?」
「ああ見えて、鼻っ柱が強くてプライド高いだろうが。いくら公認の恋人同士とはいえ、自分から抱いてくれって言えないんだろ」
「・・・毎晩、抱いているが」
「だーかーら、意味が違うっての」
受け取ったペットボトルをギリギリと片手で握り潰す。
「SEXだっつってんだろ。サンジにお前を抱く気がないんなら、お前がサンジに突っ込んでやれよ。一つになってやれよ」
「・・・・・・」
「なんでそこで黙んだよ、そんなに難しいことかよ」
もう一度投げつけようかと腕を振り上げたら、ゾロは初めて困ったような顔をした。
「・・・男同士で、できるのか?」

「・・・・・・・・・」
今度はエースが黙る番だ。
たっぷり30秒は見詰め合った後、エースは恐る恐る口を開いた。
「あの・・・男同士のやり方とか・・・知らねえ、の?」
「おう」
真摯な顔つきそのままに素直に頷く。
「えーと・・・あのな、まあ女とそう大差ないしよ。ただ女と違って濡れねえだけで・・・」
「女は、濡れるのか?」
「――――!!」
エースは両手でぼこぼこになったペットボトルを抱えたまま固まった。
また数秒間沈黙が流れる。

「ゾロ」
「おう」
「ゾロ、ゾロゾロゾロ・・・」
「なんだ鬱陶しい。それより質問に答えろ」
「いやまず俺の質問に答えろ。お前は真面目な顔して冗談を言うタイプか。もしくは人が真剣な話してるときに茶化して混ぜ返す性悪か」
「いずれも違う」
ゾロは広げたままの弁当に箸もつけず、じっとエースの言葉を待っている。
ふざけている風には見えない。

「ゾロ、今まで付き合ってきた人間の数とか・・・わかるか?」
エースらしくもなく歯切れの悪い口調で、まるで子どもに尋ねるかのように優しく問うた。
「・・・付き合う」
「つまり、SEXした人間の数だ」
どうにもこうにも話が進まないから、こっから全部ストレートに行こう。
「0だ」
ゾロは事も無げに応えた。
恥らう素振りもためらいもなかったから、こっちが聞き違えたのかとエースの方がたじろいだ。
「ふうん、0・・・ってことは、したこと・・・ない」
「ああ」
「・・・なん、で・・・?」
ここで「なんで」と聞くのは酷なんだろうか。
身体的に不具合があるとしたら、シャレにならない。
「そういう付き合いを誰ともしたことがないからだ」
ゾロはふと思いついたように、水筒から蓋に茶を注いだ。
ふわりと温かな湯気が立ち上り、微妙に張り詰めた空気が一瞬和らぐ。
「そうなの、か。ふうん・・・」
まったりと相槌を打ってそのままこの場所から立ち去りたい衝動を必死で抑えながら、エースは言葉を探した。
「あ、でもな。してーとか、思うよな。経験なくても、したくなる・・・よな」
「何を」
「だから、SEXだよ」
脱力しつつも、部分的にイライラする。
エース自身、経験もしたことないストレスに今、見舞われている。
「別に」
さらっと言い放ってずず〜と茶を啜った。
エースは奇怪なものでも見るように目を見開き、口元を歪める。
こいつ・・・もしかしたら人間じゃねえのかもしれねえ・・・
つうか、発情期がまだなのか?
ぐるぐる在りもしない事例を思い浮かべながら、エースはひん曲がったペットボトルのキャップをねじって、残り少ない茶を飲み干した。

「いや、お前も健全な男子なら・・・あ、勿論身体的に問題がある場合は、そう一括りにはできないんだがな。ただそういう場合でも、解決方法はいくらでもある。それはまあ、おいおいサンジと一緒に考えていけばいいわけで・・・それよりなによりだなあ、その・・・ぶっちゃけ、勃つだろ?」
勃たないのか?
もしそうなら精神的及び身体的に問題があるだけなんだ。
その方が、解決の道は容易いかもしれない。
「ああ、勃つな」
だがまたしてもさらっとゾロは否定した。
「勃つのかよ!」
「おう、朝とかな」
健全じゃねえか。
なんともねえじゃねえか、やれるんじゃねえのか。
「んじゃ、それどうしてるんだよ。いつの間にか治まるまで待つのかよ。恋人が一緒に暮らしてんのに、そんな悠長なことして過ごしてんのかよ」
「・・・お前、声でかいなあ」
話す内にどんどん興奮して上ずってくる声を、ゾロが嗜めた。
慌てて我に返り、エースは心持ち猫背になって身を潜める。
「いやだからさ、マジ勃ったらどうしてんの」
「出す」
「どうやって?どこで?」
「トイレだな」
「なんで、なんで一人で処理すんだよっ」
もはやゾロは、エースの理解を超えた男だ。
愛しい恋人を傍に置いて指一本触れず、一人で処理するたあ変態以外の何者でもない。
「それを、その情熱をサンジにぶつければいいんじゃないかっ」
「・・・そうなのか?」
「あ、あああああああああ」
うきーっとエースはその場で髪を掻き毟った。
慌ててゾロは弁当を頭上に上げて避難させる。
「あのなあ、そいじゃ・・・一人でマス掻いてる時、何思い浮かべてんだよ。当然サンジだろ?サンジだよな?」
なぜかエースの方が悲痛だ。
だがゾロは、またしても不審そうな顔つきをした。
「なんでそこであいつが出てくるんだ?」
「出るだろうが、恋人だろうが、惚れてんだろうがああああっ」
またばしっとペットボトルを地面に投げつけた。
バウンドして足元に転がるそれを、ゾロはやれやれと溜め息ついて拾う。
「別に、そんなモン思い浮かべなくてもいいだろ」
「はあ?」
「普通に擦ってりゃ、出るだろ」
「はい?」
「・・・出ないのか?」
「・・・・・・」
もう問い返す気力もない。
脱力したエースの前で、ゾロはゆっくりと食事を再開させた。
もぐもぐ咀嚼する端整な横顔を眺めながら、エースは新たな戦慄を覚えていた。

―――想像力の欠如!



ただの経験不足ではない、元から興味も関心もないまま大人になったが故に、完璧にこっち路線から外れて生きてきたんだ。
妙な憧れもないから妄想も想像もない。
本来グラビアのお姉さんとか初恋の人とかあれこれ思い浮かべて夢想しながら達するマスターベーションも未経験で、しかも恐らくそれを必要としなかった。
勃起したペニスは擦って中身を出すだけのもの。
人肌に触れて結ばれて中で出すなんて、そんな行為自体があることを知識として知っていても実行する値打ちも意味も、ゾロにはない。

―――恐ろしい
25年間生きてきて、こんなに人を怖いと思ったことは初めてだ。

エースは背中に薄ら寒いものを感じて、放心したまま空を見上げた。
相変わらず麗らかな日差しが、公園に降り注いでいる。



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