俺専食堂2 -2-



掃除洗濯後片付けを済ませると、サンジはテーブルに座って店の経営計画を立て始める。
前の店は老夫婦の後を貰い受けて、施設も食器類もすべて備え付けのものを使っていたからそれほど問題はなかった。
小汚くて狭かったが、いい店だった。
今はもう、壊されてしまって跡形もない。
せめて道具を運び出す余裕くらい、欲しかったよなあ。
寝ているところをショベルカーで壊されたのだから、命があっただけ儲けものなのだが。

新しく店を出すとなると、やはり中古でいいから業務用の設備が欲しいところだ。
家具や小物、備品と消耗品を計算するだけでやはり相当な額になる。
光熱水費も設備によるが、ただの店舗後では改装に金が掛かってしまうから、元々炊事施設が整った場所を探すのが近道だ。
営業時間帯は、やはり昼食時だけが無難だろう。
以前は昼前から深夜までの営業だったが、今はゾロと同居の身の上だから、できればゾロの食事を優先させてやりたい。
平日の会社員層を狙って安いランチを提供する。
そうすれば、ゾロと過ごす時間は充分に取れる。

―――やべ、末期・・・
店より夢より、無意識にもゾロのことを優先させている自分に気付き、自嘲した。
仕事と家庭を両立させようって、一生懸命な主婦みてえ。
実際今だって、ゾロのことだけを考えて食事を作り、家を守ってパートの仕事をこなしている。
この生活に不満はないけれど、すべてにおいて満たされている訳ではない。
―――実質共に、奥さんじゃねーもんよ



ゾロに告られて一緒に住むようになった夜、この部屋で抱き締められてキスされた時に覚悟は決めていた。
まさか自分が男と恋に落ちるなんて夢にも思わなかったけれど、ゾロならいいやと思ったのだ。
元々男に欲情する性癖はないから、ゾロが望むなら受身で構わないと、内心怯えつつも緊張して目を閉じたのに・・・
ゾロは、サンジを抱き締め布団に横たわって―――
そのまま寝てしまった。

疲れているのかなと思った。
それとも、ゾロもやっぱり男が初めてで緊張してるのかなとか、ためらっているのかなとか色々慮って。
ゾロがその気になるまでは、急かしたりしないで置こうと心に決めて、ずっと様子を見てきたというのに。
あれから1年―――
何の進展もない。



かと言って、恋愛感情ではないのかと思えばそうでもない。
なんせ頻繁にキスはするし、ハグもする。
愛していると平気で言うし、恋人と称して憚らないし、お前の人生は俺の人生とまで言ったのだ。
生涯の伴侶として、自分を認めている証拠だとサンジは自覚している。
ならばなぜ、手を出してこないのか。
こんな狭い部屋で、一つ布団に包まって眠っているというのに、ゾロが欲情を催した姿を見たことがない。
なにより、こんなにも身近に暮らしていて性的な匂いを感じさせないから、サンジもなぜか遠慮してしまっている。
性欲とか肉欲とか、そう言ったものとは無縁な生活スタイルで、日々は主に睡眠欲と食欲で満たされている。
それで幸せそうだから、まあいいかとサンジも諦めた。
ゾロを求める気持ちはないでもないが、ゾロが欲しないのなら無理強いはできない。
なんせ自分は立派に男だ。
いくらゾロがサンジを好きだと言っても、所詮は男同士。
気持ちはあっても身体が拒否することだってある。
ゾロは女性しか性の対象にならなくて、だからサンジにはそういう意味で触れて来ないのだろう。
けれど立派な成人男性だから、当然このままじゃフラストレーションが溜まってしまう。
だからきっと、どこかで抜いてきている。
残業のいくつかはそれじゃないかと、疑うつもりはないがサンジはそう推理していた。
それで構わないと思う。
そうであって欲しいとも思う。
相手してくれるレディには申し訳ないけれど、自分じゃゾロは満たせないのだ。
だからそれを補ってくれて、そうして自分と穏やかに暮らしてくれるならこんなに幸せなことはない。
サンジ自身、どうしたって熱を持て余してしまうこともあるけれど、だからといって女性と浮気する気にはなれなかった。
こんな風に一人で部屋にいて、ゾロの匂いを感じながら時折己を慰める。
それだけで、精一杯だ。








テーブルに肘をついたままうっかり回想に耽ってしまっていたが、唐突なチャイムで現実に引き戻された。
こんな昼間に誰だろう。
そうっと立ち上がり玄関に歩み寄る。
「はい、どちら様?」
「こんちはー、俺―」
「エース?」
鍵を開けてチェーンを外した。
扉の向こうに、相変わらず愛嬌のある雀斑面が笑っている。
「久しぶり、元気?」
「どうした、平日だぞ」
「外回りの途中、近所まで来たもんだからさ」
最近オープンしたばかりのケーキ屋の箱を、顔の横に掲げて見せる。
「まーたサボりか。まあ入れよ」
「お邪魔しまっす」

エースはかつての店の常連だったが、今はゾロと共通の良い友人だ。
とは言え、自分の留守中にエースがサンジを訪ねることをゾロはあまり快く思っていない。
見当外れのヤキモチだろうと、サンジもまじめに取り合ってはいないのだが。
「昼飯まだだろ、一緒に食う?」
「もっちろん、そのつもりさ」
調子のいいエースだが、どこか憎めなくて案外と頼りになる。
一人で過ごす昼間はいつも簡単な残り物で済ませているが、エースが一緒となれば話は別だ。
「んじゃ今作るから、座って待ってろ。茶は自分で淹れろよな」
「お構いなく〜」
貰ったケーキを冷蔵庫に入れて、サンジは慣れた仕種で割烹着を身に着けた。



「あーサンちゃんのランチ、久しぶり〜」
「あり合せだからろくなもん、ねえけどな」
「とんでもない!でもこれ、ゾロの弁当の残りなんだろ?」
パスタにスパニッシュオムレツ、きんぴらごぼうと鳥の治部煮ではやはり不自然か。
サンジは苦笑いしてタバコに火をつけた。
エースも大食漢だから、今回は質より量だ。
「いいな〜ゾロ、毎日こーんな美味い弁当、食ってんだよなあ」
「んなことねえよ。冷めたらやっぱ、味落ちるし」
カーと肩をそびやかしながら頬袋を膨らまし豪快に食べる。
「んでねへ、ほんかいひたのは、いーいふっへんv」
「食ってから喋れ」
「はぶはぶ」
お代わりをよそえば、もうジャーは空っぽだ。
うどんでも追加するべきか。

「んでね、ここから一駅先の本町でね、店畳むとこ見つけたんだよ」
「え、マジ?」
エースは顔が広い。
色んな情報もすぐ集めてくるから、友人付き合いだけでなく非常に重宝できる人材だ。
「中華やってたんだけどね、田舎で農業始めるってリタイヤするんだと。その前に食堂してたから、築10年は経ってるけどまあまあ、使えるかも」
「ありがてえ、早速つなぎ取れるか?」
言ってから、あっと口を押さえた。
「いや、そこまで頼むのは迷惑だな。悪い、教えてくれてありがと」
「なーんだよ水臭い。俺が仕入れた情報なんだから、最後まで面倒見させてよ」
「・・・けどよお」
エースとは友人同士とはいえ、今までも一方的に助けられてばかり来た。
着の身着のままゾロの元に転がり込んで通帳や印鑑なんかも紛失してしまったのに、あれこれと手続きを代行してくれたのはエースだった。
よく気が付くというか、痒いところに手が届くというか、実に便利で腕の立つ有能な友人で。
だからこそ、甘えてはいけないと思う。
だって自分は、エースに何一つ返すことができない。

「んじゃさ、サンちゃんの今日のランチ代ってことで、手を打とうぜ」
「そんなもん・・・」
「んじゃも一つオマケで、無事開店したら俺のランチ毎回1割引って奴で」
1割引も何も、客が勝手に会計する前のシステムのときも、エースはいつも釣りなしで払ってくれていた。
エースだけじゃなく恐らく複数の客がそうしていたようで、いつも想定以上の儲けがレジに入っていたのも事実。
「だめだエース、せめて仲介料を払わせてくれ」
「ん〜じゃあさあ、一晩貸切vとかv」
「殴るぞ」
「・・・フラインパンで殴ってから言うなよ〜」
フライパンを無造作にコンロに置くと、サンジは新しいタバコに火を点ける。

「実際、うまく行ってんだろゾロと。俺が入り込む隙間もないくらいに」
聞くまでもないよなーと破顔するエースに、サンジは微妙な笑みを浮かべて曖昧に頷いた。
明らかな挙動不審に、勘のいいエースが気付かないわけがない。
「・・・ん?どした」
「いや別に」
「別にじゃねーだろ、喧嘩したの?」
「してねーよ」
こんなラブラブ弁当作ってるんだから、そうだよな〜とエースが一人で納得する。
「前から思ってたんだけど、ゾロはともかくサンちゃん全然変わんないよね」
「俺が、なにが?」
食べ終わった食器を流しに移して、コーヒーを仕掛ける。
「うーん雰囲気っつうか、それはゾロも含めてだな。二人の雰囲気」
「なにそれ」
「・・・甘くねえ」
ぶほっと煙にむせる。
「あ、甘いも何も、男同士だろうが」
甘かったら寒いと、素で突っ込んでしまった。
「そりゃそうだけどさ。仮にも恋人同士を自負して同棲してんでしょ。なんつーかもうちょい・・・布団が乱れたまま敷きっぱなしとか、ゴミ箱に使用済みのゴムが捨ててあるとか」
「生々しいな」
「そういうもんじゃ、ねえの?」
ねえのと問われてもこっちも困る。
「生憎だが、そういうの期待してもらっても困る」
サンジは率直に言い切った。
「なんで」
「なんでも何も、俺らはそういう付き合いはねえからだ」
「・・・・・・・・・は?」
その、わざとらしく間を空けるのは止めろ。
「だから、そういうのは、ない!」
「――――は?」
「殴るぞ」
「いやいやいやいやいや、待て待て」
振りかざされたフライパンを避けて、エースは中腰で腕を振った。
「待て待て、マジで?いや、ほんと?」
「しつこい」
「・・・っげ〜〜〜〜〜〜」
大げさな素振りで、エースはぐるりと部屋を見渡した。
「だってよー、こんな狭い部屋だぜ。あ、失礼。けど台所と寝室の間仕切りもなくてよ、しかも畳んである布団って一組じゃね?」
「目ざといな」
「んじゃどうやって寝てるの」
「布団でだ」
「一緒に?それぞれ端っこに寄って?」
「んなせこい真似できるか。シングルなのに」
「枕、一個しかねえよ」
「それはゾロが使うんだよ」
「んじゃサンちゃんは?」
「・・・・・・」
当然、ゾロの腕枕だ。
エースは零れそうなほどに目を見開いて、口も開けて両の掌を上げた。
「参った参った、マジで〜〜〜」
そうとしか、言えないのだろう。
バリバリと頭を掻き、肩を落としてため息をつく。
胡乱気に視線を寄越し、そっと顔を寄せた。
「・・・ゾロって・・・あっち、駄目なの?」
「知るか馬鹿」
額にゴンとフライパンをぶつけた。
あちゃ〜〜〜と痛みだけでない情けない声を出して、エースは頭を抱えうずくまる。

「ちょっとサンちゃ〜ん」
「・・・なんだ」
「ちょっと、ここに座んなさい」
エースはすくっと立ち上がると椅子を引いてサンジに腰掛けるよう促す。
自分も椅子を近づけて正面に据えると腰を下ろした。
「仮にも恋人同士を自認して、一緒に暮らしておきながら性交渉はないと、そういうこと?」
「・・・おう」
隠しても仕方ないから正直に頷く。
「まったく?試してみた?」
「試すって、んなことすっか」
「・・・・・・」
エースの目が非難がましく眇められる。
「んなことって、大事なことだろ。もしゾロが不能だったとして、それは二人で乗り越えられる問題でもあるんじゃないか。それを、最初から見てみぬふり、気付かぬふりしてずっと過ごしてきたのか」
「ふ、不能って・・・」
それはないだろうと、サンジは頭から否定した。
「だってよ、仮にももう24の男だぜ。しかもあのルックスだし会社での評判も上々だし、そんなんありえねーよ」
「だったら尚更、おかしいと思わないのか?惚れた人間を前にして、手を出さない男なんてどこにいる!」
「言い切るなよ、わかんねーだろ」
サンジはタバコを取り出して火をつけた。
乱暴に箱を投げ出し、深く吸い込む。
「あのなあ、俺もそうだけどよ、ゾロも元々ノンケなんだよ。それがたまたま好きになったのが男で、だけどノンケだったらそうおいそれと男に欲情できねーだろ?まあ、エースはわかんねえかもしれねえけど、そう言う心理ってのもあるだろうが」
「そんなんあるか」
「あるんだよ。事実、俺がそうだ。いくらゾロのこと好きでも、ゾロになんかしてーなんて露ほどにも思わねえよ」
「そうか?」
「そうだよ」
エースはタバコを1本拝借して、火を点けた。
「キスは?」
「・・・キスは、するけど」
「抱き締める?」
「おう」
「サンちゃんも、抱き締めるんだろ」
「・・・おう」
「ゾロと抱き合って、気持ちいい?」
「・・・おう」
「もっとキスも深めて」
「・・・・・・」
「肌で触れ合いたいとか、思わねえの?」

あの、引き締まった筋肉の堅さや、浅黒く滑らかな皮膚の熱を、もっと―――
サンジは黙って紫煙をくゆらせた。
「ままごとしてんじゃないんだからさ。愛してるのキスだけで、一生やっていけないよ。身体繋いでより深まるもんって、絶対あるし」
「・・・・・・」
「欲しい、って思うでしょ」
「・・・・・・」
サンジはタバコを挟んだ指で、こめかみを押さえた。
エースに言い返したいが、言葉が出ない。
「男同士だからとかノンケだからとか、そりゃ理由にならないよ。欲しいものを欲しがってなにが悪いの」
ひどく優しい声音で、エースは囁く。
タバコの煙が目に沁みて、サンジは顔を顰めた。
「・・・ゾロは、欲しがらねえ」
「ん?」
「ゾロが欲しがらねえんだ、俺を・・・」
ぐっと、声が詰まった。
「だって、ゾロが欲しがらねえんだ。俺のこと、そんな目で見ねえ・・・素振りも見せねえ。いつだって幸せそうで・・・」
沁みた目を擦る。
生理的に涙が滲んだ。
「一緒に暮らすだけで満足だって、目が言ってる。それ以上、何も求めねえ。俺に、何も」
「サンジ・・・」
「俺はそれでいいんだ。それでいいって、本気で思ってる。ゾロが幸せならそれでいい。もし俺に向けられない欲求を余所で解消してたとしても、俺はそれを責めたりしねえ」
「・・・サンちゃん!」
いきり立ったエースに、手を翳す。
「証拠はねえ。俺が勝手に思ってるだけ。でも、やっぱおかしーじゃん。1年、1年一緒に暮らしてキス以外何もねーもん。そんなんで耐えられるわけねえって、俺でもわかるよ。だって俺も男だし・・・」
タバコを揉み消して、サンジはへらりと笑った。
「まあ俺は、別にゾロ以外いらないからさ。別にいいんだ。解消しなくてもいい。ゾロがどうしてるかも知らなくていい。今で幸せなんだ、だから―――」

これ以上、深入りしてくれるなと、サンジは悲しい微笑を浮かべたまま頭を下げた。



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