俺専食堂2 -1-



記録的な暖冬だったとはいえ、春まだ浅し。
薄いカーテンから漏れる光に目覚めを誘われ、サンジはゆっくりと覚醒した。
かすかに夜気の残る空気はひやりとして、布団から出るのをためらわせる。
なにせ、毛布に包まれさらに高い体温に暖められた寝床は極上に気持ちよくて、離れがたい。
―――寝てても、いいんだけどな
今日もこれと言って差し迫った用事はない。
このままうとうとと、居心地のいい布団の中でまどろんでいたいが、それはやはりサンジの気質が許さなかった。
飯の支度、しねえと。
何より自分が食わせたいのだ。
とびきり美味い朝食を。




隣に眠る男を起こさないように、そっと抜け出し毛布を掛け直した。
一旦寝ると滅多なことでは起きないのはもう充分わかっているが、それでも安らかな睡眠の邪魔をしたくない。
残業が深夜に及ぶこともあるから、少しでも長く寝かせてやりたいと思ってしまうのは人情だろうか。

一人なのにちょっと照れつつ、手早く着替えると洗面所で顔を洗う。
テーブルについて朝の一服をしながら、今日のメニューを考えるのが習慣だ。
味噌汁とだし巻きは定番として、今日はままかりを焼くか。
弁当のおかずも兼ねて、きんぴらごぼうとかぶと厚揚げの炒め煮と、あさりの時雨煮・・・
だしを取った後の鰹節に胡麻と青海苔なんかを加えてふりかけも作って・・・

吸い終わったタバコを灰皿に揉み消すと、割烹着を身につけ冷蔵庫を開けて、朝食の支度に取り掛かった。


一度に何種類もの料理を作るのは得意だが、今は量より質で行きたい。
手際よくフライパンを振るい鍋を揺らしていたら、ジャーから炊き上がった合図の電子音が流れた。
―――蒸らして10分、そろそろ起こすか
一緒に暮らしてみて、何よりご飯の好きな男だと気付いた。
炊き立ての白米を何より悦び、うっかりするとそれだけでジャーを一台空けてしまいそうな勢いで食べる。
その様子を見ているだけでこっちまで嬉しくなって、つい張り切って作ってしまうのだ。

サンジは食卓を整えると、こんもりと盛り上がった布団の側に行き、枕元に膝をつく。
狭い部屋だから台所と寝室の間仕切りもない。
「朝だぞ、起きろよ」
勢いよく布団を剥いでも、ごろんと大の字に転がった男はびくともしない。
片腕だけ真横に伸ばされて何かを抱かかえる仕種のままであるのが、やけに気恥ずかしく感じた。
「起・き・ろってんだ」
鼻を摘まんで軽く捻っても、ふがとも言わない。
サンジは小さく嘆息して、一応キョロキョロと辺りを見回した。
他に誰もいないとわかっていても、習性みたいなものだ。
そうしておいて、もう一度寝顔に視線を落とし、覚悟を決めたように息を整えてからちゅっと素早い動きで
硬い頬にキスをする。
そうすると、まるで何かのスイッチが入ったかのように閉じていた瞳がかぱちりと開いて、視点が定まらぬまま何度か瞬きをした。

毛布の端に顔を擦り付けるようにして二、三度首を振ってから顎を上げる。
「ああ―――」
寝惚け眼でサンジの姿を認めて、その表情がふわりと緩む。
「おはよう」
「おはよう」
いつもの朝の、はじまりだ。












「今日はバイト、ねえのか」
「おう、前の主任さんてのが育休明けで復帰されるってんで、先週末でクビんなった。またいいとこ探さねえと」
「店の準備もあるんだから、あんま無理すんなよ」
その台詞はそっくりそっちへ返したい。

サンジはゾロと暮らしながら家事をこなして、時折パートのバイトに入っては小銭を稼いでいる。
一文無しでこのアパートに転がり込んで来たのだからせいぜい食費ぐらいしか稼げないが、その上ゾロはそんなサンジに給料を払ってくれているのだ。
名目は家事手伝い代だが、それで新しく店を開く資金になればと思ってくれているのだろう。
本来は赤の他人であるゾロに、自分の夢のためとはいえそんな負担は掛けられないと突っぱねたサンジに、ゾロはこの上なく悲しそうな顔をした。

関係なくはないだろう。
お前は俺の、恋人だ。
お前の夢は俺の夢、お前の将来は俺の将来とそこまではっきり言い切られて、どうして無下にできようか。
以来、サンジはゾロからの給料をありがたく貯金させてもらっている。
だが、その分ゾロは殺人的なスケジュールでもって、仕事の量を増やしている。
本来の業務以外に、残業手当がつく場合に限りギリギリまで仕事をし、他の分野で助っ人を頼まれれば有料で引き受けているらしい。
ゾロらしくない計算高い行動だが、アドバイスしているのは友人のナミだからぬかりはなさそうだ。

だが、そんな風にがむしゃらに働いては疲れた顔で帰ってくるゾロが、サンジには心配でならなかった。
すべては自分の「店を再開したい」という夢のためだ。
その為にゾロに負担を掛けるだなんて言語道断だが、一旦言い出したら引かない性格なのも重々承知しているので仕方がない。
ともかく今は、一刻も早く店の目処をつけて、再開させることが第一だ。
以前のように軌道に乗せることができれば儲けるとまではいかなくとも、気持ちばかりはゾロに返していくこともできるだろう。

「もうすぐ、誕生日だな」
唐突に言われて、すぐに思考が戻らなかった。
「えあ?あんだって?」
「だから、もうすぐ誕生日だろ。何が欲しい」
「あ・・・ああ〜」
そう言えば、もう2月も終わりだ。
「欲しいモンとかしたいこととか、なんか考えとけよ。俺も予定空けとくし」
「おう」
こういうところが、普通の恋人同士だよな。
そういう意味で、ゾロは非常にマメでもありよく気がつく。
なのに―――
サンジは、本当にほしいものを言い出せない。







「今日も、遅くなりそうか?」
「ああ、木曜までに企画を詰めとかないといけないんでな。先に寝ててくれ、飯もいい」
「そうは行くか」
これだけは譲れない。
ゾロもサンジの頑固さはわかっているから、苦笑するだけで頷いた。
「なるべく早く帰る」
「おう、気をつけてな」

弁当と鞄、それに燃えるゴミを両手に持って、ゾロは玄関で振り返った。
ポケットにハンカチを入れてやって、サンジが「ん」と顎を突き出す。
ちゅ、と恥ずかしい音を立てて唇が触れ、すぐに離れた。

「行ってきます」
「行ってらっしゃい」

まだ慣れなくて視線が泳いでしまうサンジの前で、ぱたんと古びた扉が閉まる。
途端、部屋の中が静まり返ってサンジは言いようのない寂しさに包まれた。
―――いや、寂しがってる暇はねえ、早く店を作らねえと
少しずつ、資金を貯めているのだ。
場所さえ決まれば、なんとかなるだろう。
ゾロのためにも、頑張らないと。




帰る場所のなくなったサンジを自宅に招いて、ずっと住まわせてくれている。
誰よりも理解してくれて、そして多分愛してくれているのだろう。
こんな幸せな日々を送れて、感謝こそすれ不満とか物足りないとか思っちゃいけない。

自分でそう言い聞かせるのに、ふと沸いた寂しさはなかなか消えてくれなかった。
けれどこれは、きっと仕方のないことなのだ。



もうこの家で共に暮らして1年経つというのに、ゾロは一度もサンジに触れてくれない。
キス以外、何も。



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